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 衆目の中、睨み合う両者の間で一番困ったのは恐らく副本部長だろう。
 フェルニオ・コルドに権限を委任することはつまり元老院が「コルドのいう事を聞きなさい」と言っているに等しい。
 元老院大事の内閣官房府としては、この証明書が発行されるという事実だけで自分たちのプライドを引っ込めるには十分なのだ。
 派遣された内閣職員はそういう事前情報が最初からあった。だから外務庁の指図にも従順に応えていたのだが、肝心のコルド自身は今の今までそんな事態であったとは知らされていなかったのだ。
 こんな大事な、下手をすれば自身の進退にも関わることを本人の承諾も無しに勝手に敢行した。怒るのも当然である。
 今は秘書官に向いている怒りの矛先がいつ自分に向かないかと彼は冷や冷やしていた。
「うちの元老院と随分親しいのですね。キスマークを付けられて平気な顔をしていられる程の仲とは存じませんでした」
「鑑賞会の日に、誘われて食事をしました。以前、紅隆も同様の席を設けて頂いたことがあります。一時的とはいえ担当者が替わったので挨拶を兼ねた親睦会をという事だったようです」
 コルドは許可証明書を秘書官の眼前に突き出した。
「これの発布は貴方がアミンを唆した結果ですか」
「唆してなど……」
 秘書官は困ったように笑う。こんな状況で笑える神経がコルドには分からない。
「元老院が邪魔なのは事実でしょう。今回は時間を取られる訳にはいかないのです。それを知らしめるために皆さんにアレを見せたんですから。
 お陰で彼らは怖気づいてあっさり手を引いて下さいました。ただし、それを私や貴方がたが言っては反感を買いますから、人道的にお話して彼女にお願いしたまでです。貴方に何の相談も無しに進めたことは申し訳なく思っていますが、遅かれ早かれこうなった筈です」
「………………まるで西殿のような言い方をされるのですね」
 最初に会った時もそうだった。
 けれど翌日からは温和な表情が見え始め、フィーアスからもそちらが彼の地なのだと教えられていた。
 紅隆のように突き刺さるような威圧感は無いが、今の彼からは有無を言わせぬ圧迫感を感じる。
「私は紅隆の代理としてここに来ている身ですから、必要があれば強くも出ます。――長官殿は失敗した時の責任問題について危惧しておいでのようですが、そうさせない為に私が来ています。
勿論、私の指示に従えというのではありません。必要な情報や手段を提供するために来ているのです。その取捨選択権は貴方に有りますが、非効率的であるようなら口を出させて頂きます。そのために権限委任許可証明書です」
「…………」
 コルドは暫く秘書官を睨んでいたがそのうち溜息を吐いて怒気を収めた。顔を背けて小さく礼を言う。
 秘書官はそれまでとは一変、嬉しそうに微笑んだ。
「顔、拭いた方がいいですよ」
 その声にびくびくしながら振り向くとアリシュアが小さな箱を差し出している。キリアンには勿論それが何なのか分からない。きょとんとしているのを見てアリシュアは小箱の蓋を開け、白く小さな布のようなものを取り出した。
 濡れたそれを頬に押し当てられ、取り払われるとキスマークが綺麗に布に移っていた。
「おお……」
「メイク落としシートです。こういうの、水じゃ落ちませんから」
 別の女性職員がキリアンにティッシュを差し出す。濡れた頬を拭けという事らしい。礼を言って頬を拭く。
「貴方は大したことないかもしれませんけど、そういうの気が散りますから」
 はい、と神妙に頷いた。
「副本部長、今のうちに貴方の持っている情報も全て曝け出した方が身のためであると進言しますが」
 アリシュアの台詞にコルドの視線が副本部長を向く。彼はあからさまに目を泳がせた。危惧した通り、矛先が向いたのだ。





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あきゅろす。
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