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 『エレ二・クレウス
 儀堂方戦術諜報候補生
 訓練期間中に一身上の都合により退職』
 そのたった三行の文章は、外務庁に留まらずサンテという国家を恐慌させるに十分な情報だった。
「申し訳ありません。それしか訊き出せず……」
 第一執務局に戻ってきたアリシュア・キャネザが神妙に頭を下げる。
 現在、外務庁長官室にはコルドの他に内閣官房府特別行政執行室からヴィムロー・アーレンス事務官がやって来ている。不審者の身柄を預かっている外務庁からの報告を最短で官房府に通すためだ。春宮で事件が起きたこと、元老院のレニングスが地震の際に転倒して気を失い病院に運び込まれたこと、そして何より外務庁がゴルデワ人の可能性をちらつかせた事が内閣官房府を激震させたようだった。
 儀堂というのは世界王政府の監視機構だとコルドが説明すると、アーレンスはそれ見たことかとテーブルを叩いて立ち上る。
「要するに世界王が差し向けたんだろう。あの男は元老院を毛嫌いしていたからな、何か恐ろしいことを企てたものの失敗したに決まっている! そうと分かればもうここに用はない」
 勢い込んで立ち去ろうとしていたアーレンスは進路を塞ぐように立っていた邪魔者を突き飛ばした。けれどドアノブに届く前にきつく手首を握られる。
「どちらへ?」
「内閣へ戻るに決まっているだろう! 邪魔をするな!」
 けれど腕を振っても握られた手は外れなかった。離せと怒鳴って睨みつける。
「!」
 アーレンスよりも頭一つ半も小さいその女は、強烈な意志の籠った瞳で彼の気勢を圧し折った。女に言われるまま応接ソファに座り直す。
 アーレンスは体中の産毛がそば立つのを感じた。この感覚は昔、前の世界王に手酷く叱責されたときに感じたものと酷似していた。今の世界王はアーレンスに見向きもしない。
 女に冷めた視線を向けられアーレンスは肩を震わせる。
「内閣へ戻ってどうするのですか?」
 最初、何を尋ねられているのはアーレンスには理解できなかった。言葉が出てこないのを見てコルドが代弁する。
「これを機にゴルデワ政府の政治的介入の拒絶……かな?」
 アーレンスに同意の視線を向けられ、コルドは苦笑する。
 サンテ人はそもそも学校教育の中でゴルデワの脅威について学ぶ。大人になって国を背負おうと言う者は、感覚的に見ても「ゴルデワ」に対し嫌悪感を持つものが多い。
 外務庁はその先兵のようなものだが、真っ先に「ゴルデワ」と接触するからこそ分かって来るものあった。
 その最たるものが、ゴルデワ人一人一人は自分たちと何ら変わることが無いという事だ。ただ環境の違いが彼らを闘争させ、自分たちから暴力を排除させたに過ぎない。
 けれどそれを理解しているのは外務庁でも一部である。内閣での認識は一般人と同等、いや更に「恐怖」という偏見が凝り固まっているものが大多数だ。
 アーレンスもその一人である。
「しかし世界王が口を出しているのは主に元老院の処遇についてで、他のことなんてその余波でしかない。言わせてもらえば、例え彼らを排斥し、介入によって変化させられたものを全て元に戻しても、そんなものは直ぐに崩れると思うがね」
 外務庁の長の発言として、これがアーレンスには酷くショックなようだった。アリシュアに気圧されていた筈が途端に息を吹き返す。
「何を馬鹿なことを! ――コルド外務庁長官、それは問題発言ですよ。内閣や、まして元老院が聞いたら何と言うか……。何のために外務庁があるのか、誰よりも貴方が理解していなければならないでしょうに! これは極めて由々しき問題だ!」
 再び立ち上がろうとしたその肩を押し留める手があった。
「…………」
 アーレンスが振り返ると、先程の女がまたしても彼の道を阻んだのだ。その冷たい視線に彼は怯んだ。





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あきゅろす。
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