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「月明けから始めたいと思うんですが大丈夫ですか?」
 不定期にやって来るランティスがそう言ったのは、今月も残すところあと一週間に迫った頃だった。
 歌唱指導を要請した一団は、そのままランティス係り――自称合唱団選抜オーディション実行委員に収まった。実行委員と言っても雑務は全てアリシュアに押し付け、ランティスの周りをうろちょろする賑やかしのようなものだ。
 彼女たちの役目の一つは第一から第三執務局職員のタイムカードを提出することだ。今日も同じように提出したところ、男の口から飛び出したのが先の台詞である。
「え?」
 ゴルデワと国交が通ってからこちら、外務庁はその規模を大幅に上回る仕事量を捌かなくてはならなくなった。「庁」を「省」へ格上げして欲しいとの要望を出したこともあったが、内閣府からは一蹴された。
 そうなると日々の仕事に圧されて各行事のための準備期間が決定的に不足することになる。故に外務庁は例外的に作業開始時期の前倒しが許可されていた。
 だからこそオーディション参加条件に「一カ月間」という項目を設けることが出来るのだ。
 その「一カ月間、通常業務を定時後三時間以内に完了させる」を来週から始めようと言われ、実行委員たちは顔を引き攣らせた。
 ランティスの指導で多少の時間短縮が出来たとはいえ、あくまで「多少」、定時後三時間以内には程遠かった。
「いえ、あの……」
「いつまでもだらだらやっていても仕方ありませんから」
 突き返されたタイムカードを反射で受け取り、皆揃って第一執務局へ戻る。ランティスがそこで同じ話をするとその場にいた半数以上が驚愕して立ち上がった。
「いや、ちょっと待って下さい!」
「待ちませんよ」
 素晴らしい笑顔で返され、第一執務局は口を閉ざす。全員の脳裏には以前の「指導」時の記憶が軒並み再生されていた。
 その中で一人黙々と仕事をしているのがアリシュアだ。
 マクレガン氏に抽出してもらった人物たちの詳細データと文字に起こしたボイスレコーダーの記録とを精査する。もう二週間この作業をしているが、こちらの進展は芳しくない。
「そういう訳で」
 にゅ、と差し出された手に作ってあった書類を渡す。受け取ったランティスはそれをそのまま実行委員の女性たちに差し出した。
「これ、関係各所に貼り出してきて下さい」
 合唱オーディション参加条件期間開始のお知らせと書かれた三枚の書面は、ランティスに急かされた実行委員によって第一、第二、第三執務局に貼りだされた。その全てで悲鳴が上がったが、問題の講師は聞く耳を持たない。
 91日――月末日、つまり開始前々日になっても設けられた規定をクリア出来るようになったのは全体の五割に留まっている。執務局一つで五十人として、一から三の合計の五割となると七十五人。合唱団の規定人数は三十名なのでこの七十五人から絞り込むことも出来たが、大半はベテラン職員、合唱のため彼らが抜けてしまっては仕事が回らなくなってしまうのだ。
 各部管理職員を除外すると二十人にも満たなかった。
「これまで通りご自分たちで練習されますか? 私はそれでも構いませんよ」
 それではだめだと判断したから講師を頼んだのだ。
「ランティス」
 書類整理をしていたアリシュアの声が飛ぶ。それを振り返ったランティスは肩を竦めて実行委員たちに向き直る。
「丁寧な仕事をすれば結果は自ずとついてきます。急がば回れですよ」
 焦ってミスを連発していることを暗に指摘したのだが、彼女たちは気付いていない。優しい言葉を掛けられたと思い込み頬を赤くしている。
 そんな様子をアリシュアは憐れみながら見ていた。
 外面が良いので分かり難いが、ランティスは基本的にサディストなのだ。船を沈める人魚、ローレライの二つ名は伊達ではない。





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