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 薄暗い、と感じるほど照明を落とした店内に会話の妨げにならないほどの音量でスロージャスがかかる。
 テーブル席が四つしかないこぢんまりとしたバーだった。表に看板すら出ておらず、導かれなければ一生来なかったろう。
 女二人でカウンター席に腰掛ける。目の前には天井近くから床までぎっしりとボトルが並んでいる。エレンは顔なじみらしいバーテンに手早く注文を済ませた。
 程なく出てきたのは淡い紫色のカクテルだった。普段辛い酒しか呑まないアリシュアの気後れを察したのか、エレンは「美味しいから」と微笑む。
 恐る恐る華奢なカクテルグラスに口を付ける。すると甘ったるそうな見た目に反して酸味が効いていた。
「ね? 美味しいでしょ」
「うん」
 つまみに出されたチーズが更に酒の味を引き立たせる。
 酒のことなら粗方知っていると思っていただけに、これは衝撃だった。アリシュアは初老のバーテンにレシピを乞うたが、企業秘密だとやんわり断られた。
 おかわりを貰い再び口に含んでテイスティングの真似事をするが、今一つよく分からない。
「どう? 気分転換になった?」
 両手で頬杖をついたエレンが僅かに心配そうな色を含んだ目をこちらに向けていた。
 ここ数日の気落ちを見咎めたエレンが連れ出してくれたのだ。もしイリッシュなら根掘り葉掘り探られた筈で、理由を尋ねられないのはアリシュアにとっても有難かった。
 月曜の昼に息子を説教した際に言われた言葉が、思いの外胸に刺さっている。
「……ありがと」
 オレンジ色の鈍い照明を映すカウンターを見ながら囁くように言うと、微笑む気配が伝わってくる。つられて笑いながらアリシュアはグラスを空けた。
 声を掛けられたのは、色々試しながら二人で一瓶分程空けた頃だった。
 奥のカウンター席に居た二人連れの男性客が一緒に呑まないかと誘ってきたのだ。けれどこれをエレンは素気無く追い払う。
「いいじゃん、少しだけ」
「嫌よ」
 食い下がってくるのは片方だけだった。もう一方は最初からこちらを見ようともしない。しつこく絡んでくる相方とは随分対照的だ。
「…………」
 攻防はエレンに任せ迷惑そうな表情を作りながら、アリシュアはこの男たち顔に注視していた。
 酔いが一気に醒めてしまう程の衝撃だった。
 奥に居た男がちらりとこちらを見る。アリシュアはそれを躱すように注文を出した。
 間違いない。
 手前のうるさい男は見たことがある程度だったが、奥の男は――。
 どうして、というのが正直な感想だった。何故、こんなところに居るのか……。
「いいかげんにしろヴィッシュ、女漁りに来たんじゃないんだぞ」
「景気づけと気晴らしとあんたの頭を冷やすためだろ。分かってるって」
「今度は邪魔が入らないように最終点検をしに来たんだ。大事の前の小事と言う言葉を知らないのか」
 軽薄そうな男はエレンから離れ相方に向き直る。
「大事も小事も無えよ、俺の契約はこっちだからな。あんたのご立派な伯父様が何をやろうが、あんたがそれに噛んでようが関係ないね」
 奥の男は重苦しくため息をつきグラスを置いて立ち上がった。分厚い財布を取り出すと、札を五枚取り出してバーテンに差し出す。
「そちらのご婦人方の分も一緒に頼む。騒がしくして申し訳ないなマスター。また来るよ」
 戻るぞと相方を急き立てた男は、アリシュアとエレンの前に立ち詫び言を言って頭を下げた。
 ドアの向こうに消えた二つの背中を見送ると、呑み直すぞと言わんばかりにエレンが注文を入れる。
 エレンは新たに出てきたカクテルを一口飲むと、店長だと言う初老のバーテンに先程の男たちのことを尋ねた。
「一月ほど前からよくいらっしゃいます。顔ぶれは毎度違いますが」
 アリシュアはもう一度口を閉ざしたドアを振り返る。男たちの会話が酷く気になった。





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あきゅろす。
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