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 ぴったりと閉ざされた扉の向こうからは人の行き交う喧騒が漏れ聞こえる。
 昼時で楽しそうなそれとは対照的に、総務省の第六資料室には息苦しくなるほどの怒気が満ちていた。
 床に座らされそれを一身に浴びているカインは、目の前に立ち塞がる母の姿に生唾を飲み込む。こんなに怒らせたのは、子供の頃火遊びをしてソファを一台駄目にしたとき以来だった。
 昨日、霊廟で外務長官に見つかった時から覚悟していたとはいえ、流石に冷や汗が噴き出す。
「行くなと言ってるんじゃない。少し自重しろと言ってるんだ。何だこれは」
 そう言って母アリシュアがカインの前に投げ捨てたのは、電子記名が導入された十ヶ月前からの霊廟の入館記録だった。
 昨日のうちに外務庁長が出力しておいたその一覧には氏名と入出館日時が記されているが、全件数の凡そ四割をカインの名前が占めていた。
 頻繁に行っている自覚はあったが、データとして突きつけられると流石に驚く。上司からこれを見せられた母も相当驚いたことだろう。
「お前、何のために官僚になったんだ。まさか堂々とあそこに入り浸るためだなんて言わないよな」
 勿論そんな筈はない。志を持って踏み込んだ道だった。
 それでも少しでも時間が出来ると自然に足はそちらに向いてしまう。花を取り換えるだけの日もあれば、長居をすることもあった。
 何のリターンもないことなど百も承知である。そんなものを求めて赴いている訳ではなかった。
「……母さんが行かない分、俺が代わりに行ってるんだよ」
「子供みたいなことを言うんじゃない」
 とは言え自分の薄情さを自覚しているのか、母はふいと顔を逸らせた。
「先代には色々便宜を図ってもらった恩義はあるが、今生きてここにいるお前よりも優先させることじゃない」
 カインは一瞬言葉を失ってしまった。
 母が自分を何より大事にしてくれているのは痛いほど分かる。危険から遠ざけようと奮闘していることも。
 だが、その危険とは一体何だ。ゴルデワの世界王? 世界王が自分に何をすると言うのか。
「…………いつまでも俺を子供扱いしているのは母さんの方だろ。優先? そりゃあ母さんから見れば俺なんて弱っちいだろうけど、守られっぱなしでいいなんて思っちゃいない。例え世界王が俺を殺そうとしてたって母さんの世話にはならな――」
 叩かれたのだと分かったのは左の頬がじんじんと痛み出してからだった。虚を突かれたもののここで黙ってなるものかとカインは母を睨み据える。――が、そこに立っていた母はこれまで見たこともない程冷たい目をしていた。
「お前は何も解っちゃいない」
 そう言うと母は息子と目線を合わせるように床に膝を付く。
「――事が明るみに出れば黙っていないのは内閣府と元老院だ。けど、そんな騒動は最初からない方がいいに決まってる。お前の大切な人生にそんな汚点を残してしまったら、私はお父さんに顔向けできなくなるだろう?」
 自分で殴った頬を今度は優しく撫でてくる。
 本当はこの手を振り払って、そんな事はどうでもいいから会いに行けと怒鳴りつけてやりたかった。
 けれどこの意志の固い瞳を見たら、もう自分が何を言っても母を動かすことは叶わないと悟らざるを得なかった。
「…………父さんは母さんのことだって心配してる」
 頬を撫でていた手が止まる。
「嫌がる母さんを無理矢理今の仕事に就かせた事、父さんはずっと気に病んでいたんだ。もう彼女は自由なのにって。それなのに......、父さんが今の母さんの状況を見たら余計自分を責めるに決まってる。……これ以上、父さんを苦しめんなよ」
 昼休み終了を告げるチャイムが微かに聞こえてくる。母はカインから身を離すと立つように命じた。
「もういい、仕事に戻りなさい」
 その声には頑なな拒絶の色が見えた。





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