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 完全な無音というのはなかなか存在しない物だ。静かな中にも音はある。
 空気の流れる音なのか、それとも自分の体内から発せられている音なのか、おおお……、という微かな音を感じる。
 それともこれは視覚的威圧感だろうか。
 天高く聳える三本の金柱を首が痛くなる程長い間見上げていた。特に何を考えるでもなく、見ているだけ。
 講堂内のひんやりとした空気が、多忙で煮詰まった脳を冷やしてくれている気がした。
 ゆっくりと首を下ろす。痛むそれを擦って、そのまま斜め下に目を転じる。
 そこでは最前から部下キャネザの息子が寝息を立てているのだ。持ち込んだのだろう、真っ赤で巨大なマイクロビーズクッションを身体の下に敷き、傍らにはショルダーバッグと本が二冊、開封済みのペットボトル飲料が転がっている。準備がいいことにブランケットのようなものを被っており、まるで自宅の様な寛ぎぶりである。
 正面の献花台には真新しい小さな花が添えられ、その足元には古い花の入ったビニール袋が置いてある。取り換えたのだろう。
 コルドは改めて眠りの王子を見下ろした。
 目元は母親似だろう、起きている時に見るとそれがよく分かる。しかし他の要素、淡い色の金髪に長い手足など、恐らく父親から引き継いでいるのだろう。名前だけしか知らない部下の夫、その血を引く子。
 暫く寝顔を見ていると、何やら妙な気分になってくる。
 これと似た顔を、以前見た気がしてくるのだ。しかし記憶が像を結ぶ前にそれは霧散してしまう。誰だったかなと思い巡らせても、目元の相違が邪魔をする。
「………………」
 溜息を吐きだしてコルドは考えるのを止めた。
 ただでさえ休日出勤で頭が沸騰しそうだったのだ。この霊廟へは頭を冷やしに来たのに、また火を付ける必要はない。
 転がっている本を取り上げ、ぱらぱらと目を通す。随分読み込んだ跡のある大衆小説だった。奥付きを確認するとコルドの生まれる数年前に出版されている第3版だ。
 先頭へ戻って文字を辿る。17ページ読んだところで携帯端末がけたたましく鳴った。
「!」
 音量設定は小さくしていた筈だが、如何せんここは響く。本を置くのも忘れて慌てて廊下へ出る。
「もしもし」
 電話の相手は世界王宅へ出兵した部下だった。様子と首尾の報告を聞く。徒労の色濃い声に労いの言葉をかけて通話を切った。
 堂内へ戻ると流石にカインは起きていた。慌てて身辺を片付けており、コルドの足音に振り返って青い顔をする。
 おはようと声を掛けると震える声で「おはようございます」と返してくる。更にコルドの手に自分の本があるのを見て更に顔を引き攣らせた。
「君はこんなところで何をやっているんだ」
 尋ねながら本を差し出すと、青年は「すみません」と謝りながら気まずそうにそれを受け取り、そそくさとショルダーバッグに仕舞いこむ。
「ここにはよく来るのか?」
「……………ええと…………」
 目を合わせようとしない。その通りだと肯定しているようなものだった。
「君はここが何だか分かっているのかね。神の墓の前でだらだらと……」
「申し訳ありません」
「私に謝罪してもらっても困る」
 すいません、とカインはさらに小さくなる。
 今日は帰りなさいと勧めるとカインは待っていましたと言わんばかりに立ち上がった。荷物とゴミを抱え、コルドに一礼して逃げるように霊廟を出ていく。
 コルドも長居をするつもりはなく、一度金柱を振り返り安らかに眠れと心の中で呟いて堂を出た。
 廊下に出てすぐ、見られているような気がして振り返ったが、勿論堂の中にも廊下の先にも誰もいない。死んだスペキュラーが何かを訴えかけている訳でもあるまい。
 霊廟の受付には入館者を管理する電子帳簿が新たに備えられている。コルドは無人の管理所に入り、帳簿を検めた。





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あきゅろす。
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