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両者の会談は紛糾したが、どちらも諸事情で持っている情報の開示はしなかったので殆ど進まなかった。
なまじ互いに気心が知れている分発言に遠慮は無かったが、核心に迫らなければどうにもならない。
そんな様子を部屋の隅で傍観している男がいた。
タインの予想通り廊下で聞き耳を立てていたテオルディは、二人が盗聴疑惑の検証を行っている間全開だったドアから室内に侵入した。光学迷彩をオンにしたまま床に座り込んで実のあるようであまりない喧々諤々を記録している。
テオルディはこの件で、現在世界王西殿紅隆が持っている情報はおおよそ手にしている。この状況も「知っているから」という理由で任命されたのだが。
そんなテオルディから見ると話の主軸はどんどんずれていき、夕方になってタインが席を立つ頃には、海へ向かっていた筈が着いてみればそこは湖だったという有様だ。更に、違和感はあるもののそこが湖だと気付いていない状態で、可笑しいやら哀れやらでひっそり身悶えていた。
「お帰りですか?」
二人がリビングまで戻ってきたとき丁度紅隆がやって来てタインに挨拶をした。彼は世界王の登場に一瞬身を強張らせたものの丁寧に頭を下げる。
無論、紅隆を呼んだのはテオルディである。
紅隆がタインと挨拶を交わしている隙にテオルディは月陰城へ戻って光学迷彩をオフにすると、記録したデータを近くに居た西殿秘書官のシーヴスに預けた。その足で休憩室に向かい、簡易ロッカーに入れておいた愛剣を握ってようやく人心地つく。
異常がないのを確認し腰に佩く。
剣一本で生き抜いてきた者にとって、これを手放すのは体を半分に裂かれることと同義だ。テオルディは剣士ではあるが剣そのものは使えなくなれば取り換える。その自分でさえそうなのだから、同じ剣を後生大事に使っている者なら尚更、愛剣とは離れるのは辛いだろう。
東殿側近のジースなどはその代表格だ。
以前出向先で剣を取り上げられ死ぬ思いをして以来、片時も側らか離さない。幸い彼女の愛剣は千の姿を持つと言われる魔剣なので変体出来るが、テオルディの剣はそうはいかない。
今の相棒も、量販品とは言わないが同型のものは幾らかある筈だ。至って普通の剣なのである。いくら光学迷彩で隠れてもどこかにぶつけたりするかもしれない。腰に佩いたままで潜入調査任務など出来ないのだ。
たった数時間離れていただけでこの様だというのに。
閉めようとした体勢のまま空のロッカーを凝視する。その実何も見ていない目にはかつて自分の前に立ち塞がっていた背中が映っていた。その腰にはいつも一振りの細剣があった。
乱暴にロッカーを閉め、踵を返して休憩所を出た矢先携帯端末が鳴った。見れば発注依頼した刀鍛冶の事務所からである。進捗具合の定時連絡だった。
その場で連絡を聞き、端末を懐に仕舞う。グラム単位の注文をしたので鍛冶屋としても細かな調整が必要になるのだ。
同じものを作るつもりは毛頭ない。形だけ真似ても、これまで共に血汗を吸って来た一振りとは最初から格が違うからだ。だからデザインも完全に職人に丸投げした。
記憶の中のあの一振りは非常に美しかった。
外見で特徴的なのはその手甲板だ。素材は金属なのにまるで陶器のような滑らかで白い肌を持ち、中央を囲うように赤いバラが楕円を描く。
ガサツな持ち主とは不釣り合いなほどの美剣だ。
美しいばかりではない。刀身は鉄と鋼を打って作ったもので、刺突は勿論骨を断つこともできた。
テオルディのこめかみには、その剣に付けられた傷がある。小さなものだし髪に隠れて見えにくいけれど。
左目を狙われ、寸でのところで避けた際に斬られた傷だった。廊下を歩きながらそこにそっと触れる。
手放せる訳がないのだ。
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