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 歌唱指導をして欲しいという突拍子もない申し入れに、言われたランティスも、聞いていたアリシュアもぽかんとした。
 何の話だ、とアリシュアが漏らすと、女を後押しするように数名の同僚女性がその後ろに陣取った。
 アリシュアは未だに回されるまま仕事を片付けているのだが、彼女たちはまさにアリシュアに自分の仕事を押し付けている張本人たちの一部だった。良く思われていないのも知っているが今度はどんな嫌がらせなのか。
「お願いします!」
 アリシュアの台詞は聞かなかったふりなのか、女は訴えるようにランティスの手を取る。これはイリッシュもよくやる手口だ。
 袖を引かれて振り向くと黎明祭の合唱のことだとファレスがそっと耳打ちしてくれた。
「残業時間中によく話が出ていたんです」
 第一執務局でアリシュアと再会する直前、ランティスは置いてあったギターと楽譜を拝借して一曲披露して見せたという。残業中、その歌声に感激した誰かが合唱指導してもらえないかと言い出したのが最初らしい。成程、残業などしないアリシュアが知らないのも当然だった。
 見ればランティスも困っている様子だ。アリシュアは呆れて溜息を吐き、双方の間に割って入った。
「駄目よ。こいつに指導してもらおうだなんて、絶対にダメ」
 散れ、というふうに手を振るが彼女たちは退かなかった。アリシュアを睨みつける。
「どうして!? 今暇なんだって言ってたじゃない。それにいつもと同じようにしたって勝てないわ!」
 そうよそうよとの同意の声を手を振って止めさせる。
「暇だからって面倒事を引き受けていいなんて言ってないでしょ。だいたい賞状一枚寄越すだけの勝負なんてどうだっていいじゃない」
 言ってしまってからしまったと思ったがもう遅い。アリシュアの発言に目の前の女性陣のみならず周囲からも非難が飛んだ。
 アリシュアは速やかにその後ろに隠れたのでおのずとランティスが矢面に立たされる格好になる。
 指導して下さい! 勝ちたいんです! などと取り縋られ、事態を飲み込めていないランティスにはとんだ災難だ。
「いい加減にしないか」
 騒ぎ立てる部下たちを黙らせたのがこれまで傍観していたタインだった。昨日から出張中のコルドに代わり第一から第三までを代理総括しているのである。仕事に戻れと叱り付け一先ずそれぞれ席に戻すとランティスに非礼を詫びた。
「申し訳ありません、大丈夫ですか?」
「……はあ、何とか」
 着席はしたものの今の騒動に参加した者たちの目は未だ鋭くアリシュアとランティスに向けられている。
 愛想良く振る舞いながらもランティスは今頃背中から出てきたアリシュアを睨むのを忘れない。何の話だったかと首を擦ると
「黎明祭です」
 タインの返答は簡潔だった。
「……れーめーさい……」
 対してランティスは阿呆のように繰り返す。その場でくるりと反転し素早くアリシュアから情報を仕入れた。
「ご迷惑かとは思いますが私からもお願いします」
 背後からの懇願にランティスは振り返る。
 アリシュアには断るよう言われたが、切実そうな表情に押し負けて「いいですよ」と承知してしまった。
 アリシュアの文句をかき消すように歓声が上がる。先程の女性人たちは我が意を得たりと手を取り頷き合っている。
 一人憮然としているのはアリシュアだ。
「何のつもりだ」
「だってこの空気は断りづらいだろ……」
「いつからそんなに優しくなった?」
「ここで俺が拒否したらお前の立場が悪くなるから気を利かせてやってんだろ」
 お祭り騒ぎを尻目に顔を寄せ合ってひそひそと話していたが、ランティスにはいくつか言わなければならないことがあった。
 手を叩いて自分に注目を集めると「ただし条件があります」と話し始めた。その条件に、第一執務局は水を打ったように静まり返った。





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あきゅろす。
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