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 麻酔から目覚めた親友に理由を尋ねると彼女はこう言った。
「だっていらないじゃない」
 本当に何とも思っていない口振りに衝撃を受けたが、今にして思えばそれは恐らく憎悪にまで至るような強烈な嫉妬だったのだ。
 あの当時のアリシュアには自分の人生の中に「結婚・妊娠・出産・育児」という可能性枠は全く存在していなかった。男社会の中を生き抜いてきた自分だ。今更男に庇護される己など想像もできないし、そんな自分を許せる筈もなかったのだ。
 それでも親友の結婚はめでたいと諸手を振って祝ったし妊娠したらしいと聞いて喜んだのに、直後に「堕胎」などと聞かされ心臓が止まるかと思うほど驚いた。気付けば全速力で親友の元に走っていたのだ。
 彼女が子供嫌いなのは百も承知だが、旦那に相談もせず堕ろしてしまうなんて。
 自分には絶対に手に入らないモノ。彼女はそれを見向きもせず捨てるという。
 特に欲しい訳ではないが、実際に見せつけられると忘れていた種保存本能が刺激されてしまったのだ。
 なのに彼女はいつもと変わらぬ涼しい顔で殺してしまった。
 そんな彼女の夫は国営施設で生み出された試験管ベイビーだ。同じ施設で生まれ育った仲間は家族と同義だったろうが、それでも肉親というものに強く憧れており、結婚してからは子供を熱望していた。当然避妊はしないので数十年後、再び親友は子を孕んだ。
 前回の教訓を踏まえてこの時は事前に医者側を抱き込んでいたから、妊娠の報は直ぐに届いた。彼女は当然の如くその場で堕胎する旨を告げ、そのまま手術室へ向かう。医者たちが時間稼ぎをしてくれたお陰でどうにか滑り込むことが出来たのだ。
 以後の経緯はキースレッカに話した通りである。
 一応逐一彼女に確認を取っての作業だったが「うん、うん」と言うだけで聞いていないのは一目瞭然だった。微かな苛立ちとやるせなさの中、胎児の移送を完了した。
 それから更に数十年後、彼女は三度妊娠した。この時は彼女の方から「子供いる?」と話を振って来たのだ。世界的な人口減少が深刻な社会問題になっていた当時の情勢を鑑みての発言だったのか、それとも変化とも言えない程の微々たる前進だったのか、今となっては確かめる術もない。
 前回と同じように申し込みを済ませ、あとは胎児の摘出を待つばかりとなった。しかし安定期を過ぎても、なかなか手術の時間が取れない。摘出自体には問題はなかったが、そうでなかったのが彼女の体の方だった。
 よりにもよって夫の前で悪阻が始まってしまったのだ。
 最初のうちはただの体調不良で押し通したが、やはりバレた。
 その喜びようといったら、見ているこちらが恥ずかしくなる程の狂喜乱舞である。
 彼は地元に仕事を持っており普段は向こうとこちらを行き来していたが、この妊娠期間は殆ど妻の側に居た。妻が「流れてしまった」などと言い堕胎するのを防ごうという作戦らしく、子供に関して、自分の妻を全く信用していなかったのだ。
 彼女としては嬉しいやら鬱陶しいやら複雑だったろう。
 そうして生まれたのがキースレッカだ。
 腹を痛めて産んだ子を、やはり彼女は愛さなかった。子供を抱いたのも周囲にさんざん言われた授乳期――それも乳歯が生えるまでの期間だけだろう。
 赤ん坊の存在は当時のアリシュアの女性本能を再び刺激した。子供を得るという喜びを肌で感じたのだ。
 これら一連の出来事がなければ100%カインは生まれていなかったと断言できる。
 キースレッカはアリシュアにとって今の生活の基礎設計であり、楽しかった日々の鍵であり、そして友人夫婦、果ては自分たちの身に降りかかる災厄の象徴だ。
 あの子を見ていると愛しく、同時に哀しい。
 相反する二つの感情が綯交ぜになって自分たちの中の「キースレッカ」が構成されていた。





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あきゅろす。
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