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仕事を終えて帰宅したのは、子供達が寝て随分経ってからだった。このところ起きている姿をまともに見ていない。ぐったりと疲れた体を引きずってリビングに入ると、上の娘が起きてドラマを見ていた。
おかえり、と気もそぞろな声がフィーアスを迎える。
「明日起きられなくなるよ」
うん、という返事も心ここに在らずだった。
見れば定位置に夫の姿がない。とは言っても居る事の方が少ないのだが、ここ数日は一度も戻っていないようだ。顔を見ようと思えば直ぐ会える距離に居る為か、娘は不自由を感じていない様子だった。
しかし今日のフィーアスにはタインからの伝言という大義名分がある。よし、と我知らず拳を握り、一人夫の書斎に向かった。
「書斎」という体裁だけは完璧に整っているその部屋は、名前通りの使われ方をしたことは殆んど無い。マホガニーの机も黒革張りの応接ソファも景観を飾る要素に過ぎない。この部屋で最も重要なのはそんなものではなく、ドアである。
書斎に入るドアと辺を接した壁の奥にそのドアは口を開けている。
知らない人が見れば何の変哲も無いドアだが、家の外観と照らし合わせれば極めて不自然な位置に存在するのが分かる。本来なら外へ出てしまう位置にあるドアだが、潜った先は依然室内なのだ。
がらりと内装の変わった部屋を奥へと進むたび、消えていた照明がフィーアスを追って点いては消えていく。いくつも部屋を通り過ぎて出た通路はまたもや内装が一変する。無機質な白い廊下を横切って、ようやくフィーアスは目当ての場所へ辿り着いた。
スライドドアを過ぎ、声をかけながら中に入ると、耳に飛び込んできたのは激しい罵声だった。
驚いて足を止めたフィーアスの横合いから「お帰りなさい」と疲れた声がかかる。
「……ご苦労様です……」
訊かずとも状況は分かったのでそれ以上口を開くのは止めた。言い争う声は明らかに夫とヴィンセントのものだ。フィーアスを迎えたレダはいつもの事と気に留めた様子もなく立ち上がる。
「紅隆ですか? 今は無理だなぁ」
そうだろうとも。
何か?と訊ねられタインからの要望を伝えると、西殿の筆頭秘書官はさもあらんと頷いて悪口雑言鳴り止まない奥を示した。
「覗いてみますか?」
楽しそうに訊かれフィーアスは丁重に断った。顔を見たいとは思ったが、ヴィンセントの邪魔をするのは憚られる。代わりにエテルナの所在を尋ねていると丁度良く本人がやって来た。
フィーアスの顔を見た途端、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「妃殿下、お帰りなさいませ」
抱えていた大量のファイルをレダに押し付けると、下へも置かずもてなし始める。
世界王西殿がサンテ入りする際、付き従うのはほぼ彼女だ。今回の訪問の際も同行していた。話を振ると申し訳なさそうに眉尻を下げ紅茶を差し出した。
「随分大仰にもてなして頂いて返って恐縮してしまいました。次に墓参する時は直接乗り付けるように致しましょう」
フィーアスは渋い顔で紅茶を含む。タインが最も懸念しているのはそこなのだ。
「……それもちょっと……」
「駄目ですか?」
「様はばれなきゃ良いんでしょ」
こちらは自分で淹れた紅茶を提げてレダがフィーアスの隣に座る。ね?と首を傾げてフィーアスに笑いかけるので、エテルナはこの馴れ馴れしい男を睨み付けた。
「スペキュラー・スヌド・ギボールの墓参りも元老院の暗殺も、紅隆なら誰にも気づかれずに出来るのに寧ろ何で堂々と表から行ってんのさ。理解できないね」
エテルナが眉を吊り上げて同僚を嗜める。
「暗殺だなんて滅多なこと言わないで。妃殿下、違いますからね」
この一言でフィーアスは逆に不安になる。罵り合いを聞きながら、明日友人にどう言えばと悩んだ。
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