BL短編小説
6
やがてナナカマドの枝が、無数の小さく白い花で飾られる季節になった。
二人の昼食のスタイルは、木の根元を離れ、日陰になる校舎の壁を背にナナカマドを眺める位置に変わっていた。ナナカマドは割りと細身の木なので、夏の日射しを遮るには物足りないのだ。
そよぐ風にナナカマドの枝が揺すられる様を見て、武志が吹き出した。
「武志、またあの時の事、思い出しているのか?」
石井が横目に睨むと、武志の笑いが大きくなった。
「ふっ……ははは、だってさ、圭祐、落ちて来たの花だぜ? 虫じゃなくて。それで食いかけのサンドイッチ放り出すなんて」
未だに友人としてだが、二人は名前で呼び合う程親しくなっていた。
当然、周囲からのカップル認定は強固なものになっていったが、二人は最早否定する気が失せて来ていた。否定したところで、信用されないのは目に見えている。
「そろそろ期末考査だな」
話題を変えようとした石井の呟きに、武志が相づちを打つ。
「んだなぁ。一日に幾つも重なんないといーんだけどなぁ」
下手をすると、一講目から四講目迄びっしり試験、と言う可能性もあり得る。
やがて、ひとつふたつと、試験を行う科目が出てきた。勿論、試験ではなくレポート課題の科目も有った。
大体の講義の試験が終わる頃になると、殆どの学生はげっそり疲れた様子を見せるようになる。武志と石井も例外ではない。無理も無い。二人共、通常通りのバイトをこなしながらなのだ。
講義の予定は無くとも、この時期掲示板の確認は怠れない。試験の結果や追試日程の通知が貼り出されるのだ。
半分程迄、武志と石井は順調に単位を取得していた。
「げ……」
武志はその日貼り出された、産業発展論の結果に呻き声を出した。佐伯優汰のすぐ下、沢木武志の名前がしっかり黒く塗り潰されていたのだ。名簿の塗り潰されていない者が合格者になっている。石井は合格していた。
「なんでダメだったかなー……」
産業発展論を必修としている同じ学科にも、何人か不合格者はいる。いるにはいるが、大抵は不真面目だと定評のある者達ばかりだ。
武志は講義も真面目に受け、試験前にもそれなりに勉強したつもりだった。
「おはよう。武志、どうしたんだ?」
そこへやって来た石井が、唸り続ける武志の肩に手を置いて試験結果を覗き込んだ。
「あれ? 本当?」
石井も訝しげに首を捻ったが、遠巻きに二人を見る学生が増えてきたので、取り敢えず武志の手を引いて掲示板の前を離れた。
「圭祐、お前どんな解答した?」
産業発展論の試験は論述形式だったので、明確な正解はある意味存在しない。しかし、間違った論述を展開しなければ、ぎりぎりの合格点くらいは出る筈だ。
その日も一科目試験が有ったが、使用した講義室に二人はそのまま残り、産業発展論の解答をざっと書き出して照らし合わせてみた。
「俺の主観が入るかも知れないけど……俺より武志の方が的確にテーマに答えていると思うんだけど……」
「俺も間違っちゃいないと思う……なんでだー……」
武志は頭を掻きむしったが、おもむろにバッと顔を上げ、机を平手で叩いた。
「次だ、次! まだ追試が有る! 圭祐、ノート貸してくれ。勉強し直しだ」
「え? さして武志のノートと変わらないぜ? まあ、貸すけど……」
石井はファイルからルーズリーフの束を取り出し、武志に渡した。
「ん、ありがと。終わったら返すな。今日はもう帰って勉強するわ」
「ああ、頑張れよ!」
石井は講義室から走り出る武志に声を投げ掛けた。
そして追試の二日後、追試合格者として貼り出された名簿に武志の名前は無かった。追試を受けた者達は殆ど合格していた。武志以外に合格していない者は、留年覚悟か、必修でないために単位を諦めた者達だろう。
「なんでだ……あいつ等受かってて、なんで俺が落ちてんだ……」
武志は掲示板に張り付いて合格者名簿を凝視したが、どれだけ見詰めても、結果は変わらない。
書類の一番下、講義責任者の名前を見る。中尾講師の名が記されていた。
武志は掲示板から離れて歩き出す。
途中で掲示板に向かう石井と会った。
「武志、どうしたんだ? えらく浮かない顔して……」
「産業発展論、駄目だった……再追試無さそうなんだ。中尾先生のとこ行って相談してくる。」
かなりへこんでいる武志に石井は慌てた。
「え!? 駄目? そんな……何かの手違いじゃないのか?」
「わかんねー。それも含めて聞いてくる」
石井はすっかり意気消沈した武志の背中を見送るしか出来なかった。
中尾講師の研究室の扉をノックすると、「どうぞ」と丁寧な返事が有った。
「失礼します……あの……産業発展論の追試を受けた、沢木武志と言います。俺の追試の得点を確認したいんですけど……良いですか?」
研究室内に入り、おずおずと申し出ると、中尾講師はてきぱきと引き出しから答案用紙の束を出しながら応じた。
「学籍番号は?」
武志の応えに中尾講師の手が束を捲る。
「ほら、これだが?」
中尾講師は椅子から立ち上がり、武志の答案用紙の所を開いて武志へと押しやった。所々赤線が入れられた答案用紙には、「55」と得点が書き込まれていた。
「あの……再追試はしてもらえないですか?」
恐る恐る尋ねると、にべもない返事が返って来た。
「しない。わざわざ追試までしたんだ。何故再追試の必要が有る? 単位が欲しかったら、来年また受講しなさい」
はい、そうですか、などとあっさり引き下がる訳にもいかない。武志は食い下がった。
「そこをなんとか、お願い出来ませんかっ?」
「なんとか、ねぇ……」
講師としては若手の部類に入る、そこそこ整った男らしい顔に奇妙な表情が浮かんだ。
「なんとか、ねぇ……」
同じ言葉を繰り返す中尾講師の視線が、武志を値踏みするように舐めた。
「君次第だ。考えなくもない」
中尾講師は机を回り込んで武志に近づいて来た。
「俺次第?……どう言う事……です……か?」
見下ろされると、小柄な武志は圧迫感を感じてしまう。じりじりと後退りをすると、後ろ腿に机のすぐ側に配置されたソファーが当たった。
ソファーを避けて更に下がろうと、視線を後ろに向けた瞬間、両肩を強く掴まれ押し倒された。
「なっ……」
気が付くと眼前に中尾講師の顔が在り、両腕は各々押さえ込まれていた。
「この体を俺に差し出すなら、考えなくもない」
「ざけんな!」
叫ぶと同時に武志が目の前の鼻に噛みついた。
「このっ……」
ガンッ!
中尾講師が呻いた瞬間、武志のこめかみを衝撃が襲った。当然衝撃で、噛み付いていた歯は離してしまう。
頭の中がうわんうわん鳴り、視界がぐらぐらと定まらない。体にも力が入らなかった。
一旦、中尾講師は武志から離れたがすぐに戻って来て、武志の両腕を掴み上げる。何かで両腕を頭上に纏めてしまった。
腹の上にのし掛かられ、グゥと息が漏れる。漸く視線が定まり、中尾講師を睨み付けた。
「何のつもりだよ! 男相手に何してんだよ!」
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