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BL短編小説
4
 その週の金曜日、再び石井が武志のアパートを訪ねて来た。同様に酒とつまみを携えて。
「石井はさ、皆に噂されるのとか、変な目で見られるのとか、気にならないのか?」
 酒を酌み交わしながら、武志は尋ねた。
「まぁ、少しは気になるけどね。でも、悪い事している訳じゃない。それだけははっきりしているから、言いたい奴には言わせておけ、って感じかな」
「ふーん、そっか……」
「沢木は気になるのか?」
「気になる!」
 即答である。石井は目を見開いた。
「気になっているのに……大学サボったりしないんだ。凄いな」
「凄かない。意地だ。俺はストレートで卒業して、就職も決めてやる! ……でなきゃ、親に申し訳ねぇ。俺が寄り道してる余裕なんかねぇんだ」
 武志の声は後半には弱々しくなっていった。
 石井は武志の部屋を見回した。古さの滲み出ている、明らかに自分の部屋より安そうな部屋だ。この部屋で一番金のかかっている物は、恐らく壁際のカラーボックスに収められたノートパソコンだろう。中古品とおぼしき家具家電達の中で、唯一新品の物だと見てとれた。
「確実に就職して、奨学金だって返さなきゃなんねぇ。ダブってなんかいらんねぇ」
 石井が黙っていると、武志は焼酎を一杯、二杯と煽りながら呟いた。
 明日は土曜日と言う事もあってか、武志のピッチは早い。
「でも……『悪い事してない』か……そうだよな。悪い事してないんだもんな。文句言われる筋合いねぇよな。よし、負けねぇ」
 頬や目元を紅く染めた顔で呟き、更に杯を重ねる。先日石井が持ち込んだ瓶は空になり、新たな瓶を傾けている。
 一度沈んだかに見えた武志の機嫌は、酒量に比例して上昇しているようだ。上気した頬にはうっすら笑みが浮かんでいた。
「可愛い……」
 石井は思わず手を伸ばしていた。
 気が付くと、腕の中に武志がすっぽり収まって居た。
「ちょっ……やめっ、おい! 何すんだよ!」
 武志は腕の中で暴れるが、離してやる事など出来ない。こんな可愛らしい顔を見せられて、落ち着いていられようか。温かく華奢な体が石井を更に煽り立てる。
 そのまま床に押し倒した途端――
「こ…の…ドアホ!」
 ガンッ!
 罵声と共に、額をもの凄い衝撃が襲った。
 ドン!
 頭がふらつき、視界もあやふやな石井の腹部に武志の拳がめり込んだ。
「ごほっ……」
 頭部と腹部へのダブルパンチに、石井は床に突っ伏した。武志はその後ろ襟首を鷲掴むと、玄関へと長身を引き摺って行った。
 アパートの廊下へ放り出された衝撃で、石井は漸く体に力が入った。重たい体に鞭打って武志に追い縋ったが、鼻先で勢い良く扉が閉められた。
「さ、沢木! ごめん。俺が悪かった。部屋に入れてくれよ」
「俺ぁまだ友達のつもりだぞ。てめぇ何考えてやがんだ」
 扉越しに小声で謝るが、武志には怒りを解く気配が無い。
 深夜に差し掛かる時間なので、騒ぐのは憚られる。扉に張り付き、ノックではなく平手でペタペタ叩いたり、カリカリ引っ掻いていると、扉が薄く開けられた。
 慌てノブを握って引くが、ガンッと音がし、チェーンに阻まれた。
「頭冷やせ。今日はもう帰れ」
 武志が隙間から眼鏡を差し出してきた。先程、頭突きを食らった時に吹っ飛ばされたままだったのだ。
 石井が眼鏡を受け取ると、今度こそきっちり扉が閉められ、鍵をかける音が聞こえた。


 翌日の土曜日、昼近くにバイトへ向かう武志の携帯にメールが入って来た。
 案の定石井からだった。昨夜の詫びと、武志の嫌がる事はしないから友達でいてくれるか、と言う問い掛け、そして自分の恋心は真剣だと締めくくってあった。
 武志は携帯を操作し、石井に電話をかけた。
「おう、俺だ。取り敢えず昨日の事は水に流してやる」
 電話の向こうでは石井が心底嬉しそうな声を上げた。
 月曜日の昼休みを一緒に過ごす約束をし、通話を切った。


 そして月曜日の一講目開始前、最前列に座る武志の隣に石井の姿が在った。
 楽しげに語りかける石井と、邪険にする事もなく穏やかに話に付き合う武志に、周囲は驚いた。
「何? あいつらデキてんの?」
「マジ? 同級生にホモカップルとか、有り得ない」
 周りは早くも二人をカップル認定し始めた。
 努めて平静を装っているだけなようで、机の上の武志の拳は硬く握られたままだった 。


 約束の昼休み、いつもの木の下、いつものパンとおにぎりを食べる武志と、惣菜パンとサンドイッチを食べる石井が居た。
 天気は快晴。石井は眩しそうに、木の葉の向こうの青空を見上げた。
「この木、ナナカマドだろう?」
「あ? 石井、花も咲いてないのに良く分かんな。そ、ナナカマド」
 いきなり木の話題になったので、武志は少々面食らっていた。
「調べたんだ。昨年の夏頃から、沢木がこの木を見ているところを良く見かけて……気になってさ。好きなのか?」
「なっ……おまっ……見てたのか?」
 その木のある場所は裏門からは少し離れて、普段人の通らない所だ。見えなくもない距離ではあるが。
「全く……良く見てんな。俺だって花が咲く迄気が付かなかったのに」
 武志の頬は照れの為か、ほんのり染まっている。ころころと良く変わる武志の表情を、石井は嬉しそうに目を細めて眺めていた。
「俺の通ってた小学校にもナナカマドの木が在ってさ、夏には白い花がいっぱい咲いて優しい感じなのにさ、秋には木が真っ赤に染まる。綺麗なだけの桜より、見ていて楽しかったんだ」


 昼食を終え、二人は三講目の講義室に入った。
 ここのところ武志専用の席になってしまった、最前列中央の席の前で武志の足が止まった。
 机の上にルーズリーフが一枚有り、何かが大きな目立つ文字で書かれていた。
『大学に来るなオカマ
エイズがうつる』 
硬く握られた武志の拳が小刻みに震え出した。
 横から覗き込んだ石井は文面を読むと、講義室後方を振り返り睨み付けた。
 バァン!
 机を叩いた石井の平手がもの凄い音を立てた。
「何、阿呆な事書いてるんだよ。俺は沢木を女みたいだと思った事は無いし、これからもそのつもりは無い。」
 石井は目を丸くする武志だけに聞こえるように、「格好良いから惚れているんだ」と呟き、目元を緩めた。そしてもう一度講義室後方を睨み付る。
「大体誰だよ? 同じ部屋に居るだけでAIDSがうつる、なんて思っている奴は。生物系じゃないとは言え、仮にも理系だろ? 感染経路ぐらい常識として知っておけよ。あぁ、因みに俺達は感染していないけどな」
 普段穏やかな石井の怒気は周囲を動揺させたが、本人は大きく息を吐き、真っ先に平常心を取り戻した。
 そして、机の上のルーズリーフをゴミ箱に捨てて席に着く。未だに目を丸くして突っ立ったままの武志を見上げ、その背中を軽く叩いた。
「ほら、座ろうぜ」
「ああ……」
 その講義中、武志は久し振りに集中している自分を感じた。


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あきゅろす。
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