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短編集
2003年(その2)







「……っう」


どこからか、うめき声が聞こえた。
俺は何事かと立ち止まり、声の聞こえる方へと目を向ける。
すると、そこには俺の数メートル先の道路の脇に人間が蹲っていた。
薄汚れたコートを羽織り、髪の毛も髭も伸びきった……所以、ホームレスと呼ばれる人種の人間である事が遠くからでも判断できる。
道行く人々は関わりたくないという明らかな嫌悪感を表に出し、その隣を通りすぎて行く。
誰も助けようとはしない。

まぁ、それが普通の反応だろう。
あんな明らかに面倒事の塊のような汚らしい者、誰も助けたいとは思わないに違い。
俺だってそうだ。

いつもの俺なら、きっと無視して通りすぎていた。

しかし、その時の俺は違った。
俺は久新によって蹴られた食糧を片手に、久新の命令通り家路を急いでいた。
しかし、ハッキリ言って俺は今家になど帰りたくなかった。
久新の命令通り、家に帰って仕事をして、結局帰った久新に嫌味を言われる。

そんなわかりきったクソみたいな未来のある先に、素直に向かいたいと思う方がおかしいだろう。

俺は何か理由をつけて家に帰りたくなかったのだ。
もう、なんでもいいからあの家には戻りたくない。

「大丈夫ですか」

「っ!?」


俺は蹲るホームレスに向かってそう声をかけていた。
そんな俺に周りの通行人が好奇の目を向けてくるのを俺は背中で感じた。
そして、そんな中一番驚いているのは声をかけられたホームレス自身だ。
そんな驚きを隠せずに居る男の顔は意外にもまだ年若いことがわかった。
20代前半くらいだろうか。

こんな若い人でも今はホームレスになってしまう世の中なのか。
恐ろしいな。
それにしても、仕方ないとは言え酷い臭いだ。


「どこか具合でも悪いんですか?」

「っいや……あの、ただお腹が…」

「痛い?」

「……そうでなくて」

「あ、お腹がすいてるんですか?」

「……はい」

そう、どこか悲壮感を帯びながらお腹を抱えるホームレスに、俺は反射の勢いで手に持っていたサンドイッチの入った袋を指し出した。
俺の買ってきた食糧だって無駄ではなかったという事を証明したい。
久新の為に買ったのではなく、俺はこのサンドイッチを本当に困っているこの人に渡す為に買ったのだ。
と、無理やりなこじつけもいいところだ。

「これ、食べて下さい。大丈夫です。さっき買ったばかりのものですから」

「……でも」

「少し歪んでますけど、味とかには問題ないと思います。飲み物もあります」

俺がまっすぐホームレスを見ながらそう言うと、ホームレスは俺と袋をしばらく交互に見ながらゆっくりと袋を受け取った。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

ホームレスと俺。
気まぐれと感謝。
そこは、なんともおかしな空間だった。
しかし、お礼を言われ受け取ってもらえた袋に、なんとなく俺のした事は無意味ではなかったなと思えて、俺は知らぬ間に笑っていた。
そんな俺の顔をジッと見つめていたホームレスは、次の瞬間はっとするとどこか必死の形相で俺の腕にしがみついてきた。

え、何いきなり、怖いんだけど。


「あ、あの!すみません!食べ物貰っといてこんな事まで頼むのはアレなんですけど!」

「……なんでしょう」

「ちょっと、俺、何日も何も食べてなくて……それで、ちょっとまともに歩けないので、近くの公園のベンチまで手を貸してもらっていいですか」


壮絶だな、おい。
俺は、立ち上がろうとして確かに足元のおぼつかないホームレスの肩をしっかり支えると、ゆっくりと歩調を合わせて歩き始めた。
周りで見て見ぬフリをしていた人間達が思い切り目を逸らす。

にしても、ほんとに臭い。
俺はぴったりとくっついた体のせいでより不快な臭いが鼻につくのを感じたが、まぁそのうち慣れるだろと一歩一歩ゆっくり歩く。


「……キミは青葉台の学生さんだろ?どうしてこんな昼間にここに?学校はどうした?」

「えーと、そうですね……なんというか、説明しずらいんですけど」


俺は突然尋ねてきたホームレスに言葉を濁す。
確かにこんな時間を学生服を着た人間が歩いているのはおかしい。
そういえば、よく今まで補導されずに済んだな。

俺がなんとも言えない顔をしていたせいだろうか。
ホームレスは薄汚れた無精ひげの生えまくった顔で、小さく呟いた。

「とても、つらそうな顔をしていたよ。君は」

「っ」

「なにか、辛い事でもあったのかい?」


そう、どこか人を自然と安心させるような声で言葉を発するホームレスは、どこか気品がありなんとも今の彼の状況と不釣り合いだった。
そんなホームレスの言葉に、俺はシャラシャラと音を立てて揺れる歪んだサンドイッチの入った袋を見た。
あぁ、あの歪んだサンドイッチは俺そのものなのかもしれない。

俺の存在はあの主の前では本当に歪みきっている。

「家に帰れと、主人に命令されました。けれど、俺は家に帰りたくない」

「うん、それで?」

「俺は、ここから抜け出したい」

ぽつり、ぽつりと俺の口から出てきた言葉に俺はストンと俺の心に自身の言葉が染みいってくるのを感じた。
そうだ、俺はあの久新の居る家に帰りたくないのだ。
この長い歴史の一部に過ぎない俺の従者としての日々から抜け出したいのだ。

俺は

「自由になりたい」


俺は隣に居るのが見ず知らずのホームレスである事を忘れ、吐き出すように言った。
すると、それまで俺の体に体重をかけていたホームレスの負担が少しだけ軽くなったように思えた。

「キミは、きっと本来の自分の役割とは別の場所に立たされているから、こんなにも不自由を感じているのだろう」

「え?」

「人には大きく分けて二つの役割があると俺は思っていてね」

「………」

「他者を使う人間と、他者に使われる人間。大なり小なり人間はこの二つの役割のどちらかに立ち生きていく」

ホームレスの言葉に、俺は久新を思った。
それでいうなら、久新は言うに及ばず“使う側”の人間だ。
あれが人の下で使われているところなど、想像がつかない。

「俺は生まれた頃から“他者を使う人間”として教育されてきた。けれど、俺にはそれが苦痛で仕方がなかった」

「あなたが?」

俺は思わず聞き返してしまった。
このホームレスが人を使う側の人間だなんて想像がつかない。
というより、ホームレスに使われる人間と言うのはどんな人間だというのだ。

そんな失礼な思考に俺が頭をまわしていると、ホームレスはふふとこれまた上品に笑った。


「そう、俺は使う側の人間ではなかった。己の役割とは別のものをやらされるというのは、それはもう違和感でしかない。不幸な事だよ。だから、俺は逃げ出した」

「…………」

「息をするのも面倒だと思ったね。もう、いつ死んだって全く心残りなんてないような、そんな毎日だった」

「……なんというか、まぁ俺も……そんな感じです」

ホームレスの言葉に俺は大いに共感する。
違和感だらけの毎日。
正直生きていく事に何の魅力も希望もわいてこない。
わお、そう考えると俺の人生もけっこう壮絶な気がする。


「そう思うのは、今、君の立っている役割が君の本来すべき役割とは違うからだよ。俺は一目見てわかった」

「何がですか?」

「君は人に“使われる”人間ではないってね」

「へ?」

ホームレスの口から出た思いもよらぬ言葉に俺は目をむいた。
俺が?この俺が?
まさか。
俺は腐っても18年間下僕として生きてきた人間だ。
生まれる前からそれは決まっている。
そんな俺が“使う側の人間”なわけがない。
そんな生き方、知らない。


「俺はこのまま死んでもいいと思ってあそこに居た。逃げ出して、息をするのも面倒で。けれど、今俺はこうして君と歩いている、不思議だ」

「………はぁ」

「不思議だよ、君の隣だと俺は息をするのが当たり前だと思える。死んでもいいなんて思えない。こうして、俺は自分の足で歩けるんだ」

そう、ホームレスが言ったかと思うと、俺の体にかけられていたホームレスの体重が一気に俺の体から離れた。
俺ははっとしてホームレスの顔を見上げた。
そこには、どこかで見た事のあるようなやわらかい笑みを浮かべたホームレスの顔があった。

「本当に不思議だよ。きっと、俺はまた君と会う。今度は正しい役割を持って」

「そう、ですか」

「……きっと、ではないな。“絶対”だ。俺が貴方に会いに行く」

「…………」

ホームレスはそう言うと、俺の脇から離れてそのまま軽い足取りで歩いていった。
けっこう簡単に歩けてんじゃねぇか。
なんて言えるわけもなく、俺はホームレスの背中を見送った。

こうれが、俺の人生と言う名の“安河内家”の歴史の始まりだった。
しかし、この時の俺はまだ知らない。
その後、俺は久新から従者を解雇され、そのまま高校も留年、そして“安河内家”自体から勘当されてしまうことを。

俺はまだ知らない。
あのホームレスの男がまた目の前に現れるのを。

俺はまだ知らない。
あのホームレスの男が俺に跪いた瞬間、俺とホームレス、いや、福地 日向(ふくち ひなた)との主従関係が始まることを。

俺はまだ知らない。
そして、それが正に1000年以上の長きに及ぶ安河内家と福地家との長い歴史の主従関係が始まる事を。

俺はまだ知らない。
かつて主従関係として長い歴史を持った安河内家と七障子家が国を二分する大きな権力集団に成り上がるのを。


この時の俺は、


知る由もないのだ。





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400年前の事である。
ある旧家の若者が、多くの従者と共に町を歩いて居る時の事だ。

旧家の若者は道の脇にゴミのように捨てられた子供を目にした。
昨年の作物の収穫は続く日照りにより、例年より少なかったと聞く。
飢饉にまではならかったが、このように子供が横たわる姿は珍しい事ではない。

しかし、若者はその時気まぐれを起こした。

若者は蹲る子供に手を差し伸べ、そして一つの握り飯を渡した。


ただ、それだけの事だった。

始まりは、それだけの事だったのである。

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