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素敵書巻
伝えたいのは
 晩御飯も食べて歯も磨いて顔も洗ってあとは眠るだけ、そんな状態で三橋はベッドの上で正座したまま動けずにいた。携帯電話を固く握り締め、傍らの目覚まし時計を凝視しながら。その秒針は着々と回り続け、三橋がこの状態になってからもう何十周したか分からない。震える指先はメール作成画面を開くものの、むにむにと二、三文字打ち込んでは居た堪れなくなって電源ボタンを押してしまい、また振り出しに戻る。その繰り返しだった。
 携帯電話のディスプレイには現在時刻が表示されている。12月10日、23時49分――日付が変わるまで、あと11分。
 
 (どうしよう、あと11分までに考えなくちゃ)

 刻一刻と時計の針は進んでいく。分針が頂点に近づいていくにつれ気持ちは逸り、ますますどうやって伝えたらいいのか分からなくなってしまう。出来が良いとは言い難い自らの頭をフル回転させてはいるけれど、これといった言葉は浮かんでこなくて。オーバーヒートを起こして三橋がベッドに倒れこんだのは、日付が変わる5分前のことだった。

 (一番最初に祝いたいのに、何言ったらいいかわかんないよ…)

 ぼんやりと空白のメール作成画面を眺めていると視界がじわりと滲んだ。あまりの自分の情けなさに、涙が出る。三橋は濡れた瞳を手でごしごしと拭ったが、それは止まるところを知らなかった。

 (明日は、阿部君の誕生日、なのに)

 12月11日。それは野球部の仲間であり尊敬する捕手であり、そして何より――恋人である阿部の誕生日だった。恋人という間柄になって初めて迎えるその日、三橋はどうしても誰よりも先に、一番に祝ってあげたかった。しかし、いざその時を迎えると、喜びや感謝、恋情――そういった阿部に向けられている感情すべてがない交ぜになってしまい、収拾が付かなくなってしまった。元々言語を介する表現能力に乏しい三橋にとって、複雑にもつれ合った感情を整理して文章にするのはそれこそ至難の業であった。
 時間は無常にも過ぎていく。0時にセットしておいた目覚まし時計のアラームがけたたましく鳴り響いた瞬間、三橋の涙のダムは本格的に決壊した。体中の水分を放出せんとばかりにぼろぼろと涙は頬を伝い、シーツに染みを作っていく。こうして泣いている内に他の誰かが阿部に祝いのメールを送ってしまうだろうことは分かっていたが、それでも涙を止める手段も気力も、三橋には残っていなかった。

 (なんで、おれ、こんなにダメピーなんだろ…っ)

 三橋は阿部からたくさんのものを貰った。ひとりぼっちじゃないマウンド、自分に向けられるサイン、バッテリーとしての信頼、温かな手の温もり、不器用な優しさ、ストレートな愛情、抱き締められた時の安心感。挙げればそれこそキリがない。でも、それに対して自分は阿部に何を返せているのだろうか――そう考えたとき、何も見つからなかった。その事実に三橋は愕然とした。阿部から与えられるたくさんの優しさ、温もり、愛情を受け取って、甘えてばかり。自分の気持ちを上手く伝えられない上に、うじうじして中々自分から好意を示すことの出来ないままでは、いつか阿部に愛想を尽かされてしまう。それだけは何が何でも避けたかった。
 ちょうどもうすぐ阿部の誕生日を迎えることだし、これを機に少しでも阿部に応えられたらと考えてはみたものの、結局は何も出来ずに泣いているだけ。これではいつもと全く変わりがない。

 (こんなんじゃ、愛想尽かされてもしょうがない、よね…)

 人間嫌な状況というものは妙にリアルに思い浮かべてしまうもので、阿部が侮蔑の表情でこちらを見やり、踵を返す姿が脳裏に映し出される。それにますます触発されて一際大きい涙の粒が眦から零れ落ちたと同時に、未だ握られたままだった携帯電話が唐突に振動した。ピロロロと電子音が嗚咽と鼻水を啜る音を遮るように鳴り響く。何事かと涙を一杯に湛えた瞳を手元に向けると、着信画面に想い焦がれていた恋人の名前。何が一体どうしてこんな状況になっているのか、すっかり思考がショートしてしまった三橋は震える指で通話ボタンを押した。あんなにとめどなく流れていた涙も、驚きですっかり止まってしまっていた。

 『もしもし?』
 「もし、もし?」
 『わり、寝てたか?』
 「う、ううん!寝てない、よ!」
 『お前、電話しながら首振るなよ。髪の毛がカサカサうるせーから』

 くすくすと笑う阿部の息遣いが電話越しに伝わってきて、それだけで三橋の心は阿部でいっぱいになってしまった。許容量すべてが阿部で埋め尽くされて、息をするのも苦しい。頭の中でぐるぐる渦巻いていた阿部への想いがひとつに集約されて、溢れ出す。堪え性のない涙腺は再び大粒の涙を零し始めた。

 『…あの、実はな、俺――』
 「うええっ、あべ、あべく…っ、お、おれ…!」
 『って、何でお前泣いてんだよ!』

 電話をかけた相手に脈絡もなく突然泣き出されて、困惑しない人間がいるだろうか。阿部もその例に漏れず、その声色は困惑半分焦り半分で少々荒くなっていた。

 「おれ、おれっ、あべく、に、一番最初にっ、でも…っ」

 三橋は懸命に言葉を紡ぐが、只でさえたどたどしい口調に嗚咽が混じってますます聞き取れない。阿部は耳に全神経を集中させたが、それでも話の半分も理解することが出来なかった。思わず溜息をつくと、三橋がひくっと喉を鳴らした。三橋は阿部の溜息が一番怖い。呆れてしまったのではないかと、もううんざりだと思われてしまったかと不安になってしまうのだ。不意に止まった三橋の声にこれはチャンスだとばかりに阿部は口を開いた。

 『ちょっと落ち着け。ちゃんと話聞くから。ほら、深呼吸しろ。吸って、吐いて』

 阿部の声に合わせて、三橋は深く息を吸い込んだ。引き攣れた喉を夜の冷たい空気が通り、泣いたことで上がってしまった体温が幾分冷やされる。ほう、と大きく吐き出すと強張った体が程好く弛緩して嗚咽も収まってきたようだった。

 『どうだ、大丈夫か?』
 「う、うん」

 まだぐすぐすと鼻を啜ってはいるが、どうやら少しは平静を取り戻したらしい。阿部は三橋に気付かれないようにほっと息をついた。三橋に泣かれるのは心臓に悪いのだ。

 『で、何?』
 「お、俺、今日、阿部君の、誕生日」
 『おう、覚えてたんだな』
 「一番に、お祝い、したくて」
 『……』
 「ずっと、何てメール、すればいいか、考えてたんだけど、全然思いつかなくて…」
 『…うん』
 「そしたら、日付、変わっちゃって。阿部君の、誕生日になっちゃって、どうしようって」
 『で、俺から電話来て思わず泣いちまった、って訳か?』
 「う、うん」

 本当は電話がかかってくる前から泣いていたのだが、あんまり恥ずかしいのでそこは伏せておくことにした。
 阿部はどう思ったのだろうか。三橋はもぞもぞと体勢を変えて再びベッドの上に正座し、不安に瞳を揺らしながら返答を待った。が、続くのは沈黙ばかり。普段から阿部から会話が途切れることは滅多にないので、三橋の不安は更に煽られる。

 (怒ってるのかな、やっぱり、呆れちゃった…?) 

『そっか。何だ。ははっ、わざわざ電話する必要なかったって訳か』
 「うえ?」

 電話越しでも分かる位嬉しそうな声色で笑う阿部に、三橋は首を傾げた。

 (阿部君、怒って、ない)

 『言うのちょっと恥ずかしーんだけど…俺さ、一番最初に三橋の声が聞きたかったんだよ。俺の誕生日の一番最初に。そしてあわよくばおめでとうって言ってくれねえかなって。この歳にもなって誕生日に浮かれるなんて、あれだけどさ』

 ぶっきらぼうな口調は、阿部が照れている証拠。三橋は呆然とその言葉を聞いていた。

 『だから、すっげー嬉しいよ。ありがとな、三橋』
 「でも、俺、祝えてない…」
 『俺の為に悩んでくれてたんだろ?それだけで十分』
 「え、でも、」
 『お前も大概しつこいよな。じゃあ今言ってくれよ。』
 「え、え」
 『祝ってくれんだろ?ほら』

 促されて、三橋は思い切り息を吸い込んだ。あれだけ悩んでいた自分が馬鹿らしい。シンプルな言葉でも良かったのだ。阿部の誕生日を祝いたいというこの気持ちがあれば。どうしてあんなに難しく考えていたのだろう。

 「阿部君っ、誕生日おめでとう!」
 『…馬鹿、声でけえよ。でもサンキュ』
 「うんっ!」

 ぼそりと呟かれた感謝の言葉に、三橋は漸く満面の笑みを浮かべることが出来た。

 『でさ、今お前家出てこれる?』

 嬉しさに顔を綻ばせていると、突然の阿部の申し出。三橋は首を傾げた。

 「どうした、の?」
 『あー、実はな、今お前んちの前にいるんだよ』
 「うええっ?!」

 慌ててベッドから飛び降りてカーテンを千切るような勢いで開くと、玄関先でこちらを見上げる阿部と目が合った。ひら、と手を振る笑顔はとても優しい。

 『声だけじゃなくて顔見たくて、さ。電話して出なかったら諦めて帰るつもり、っ?!』

 阿部の言葉は最後まで三橋に届くことはなかった。三橋の携帯電話は話半ばで掌から滑り落ちた。ガタンとフローリングに携帯電話が落ちるのを背に、三橋は駆け出した。思い切り部屋の扉を開け階段を一段飛ばしで駆け下り、スニーカーを引っ掛けて弾丸のように玄関から飛び出した。脇目もふらず一目散に、阿部の元へ。

 (阿部君、あべくんっ)

 そして寒さに仄かに顔を赤くした阿部の姿を視界に入れるや否や、三橋はぎゅっと阿部に抱きついた。

 「ちょ、お前…!」
 「あべくん、すき!」

 びくりと固まった阿部だったが、すぐに三橋をきつく抱き締め返してくれる。その体の冷たさ、抱き締める腕の強さに三橋は腕の中でもう一度すきと呟いた。






end.
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尊敬サイト『Saccharin』の紅月燐サマよりフリーに甘えて強奪してきました!!←おぃおぃ
紅月サマのサイトへは「廉鎖」より飛べますので、是非!!

この後阿部は感激して涙目なまま、何事かと起きてきた三橋母に苦し紛れの弁解をする・・・そうです!!(やっべ、萌えるッ・・・ハァハァ)


紅月サマ!有難う御座いました!!・・・後で報告しにいきます・・・ι


あきゅろす。
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