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心の皺伸ばし…tenpo.kenren

※学パロ



いかにも幼稚で欲張りな子供の考えだが
たまらなく、怖く思うことがある。

子供にしか楽しめないことと、大人になってから楽しめるようになることはどっちの方が多いんだろう。
大人になることで得るものと失うものは、どっちの方が多いんだろう。
自分は大人を、楽しめるだろうか。
自分の成長を、楽しめるだろうか。
もしかしたら自分は今というときを非常に勿体なく、無駄に過ごしているのではないか。
それを思うと、たまらなく怖い。



「水溜りにダイブ」
「牛乳飲んでる最中のヤツを笑かしたり」
「座ろうとしてる人の椅子を引いたりですとか」
「白線の上だけ歩いて移動」
「スカートめくり」
「ピンポンダッシュ」
「泥だんご」
「エロ本回し読み」
「傘でチャンバラ」
「秘密基地」
「落書き」
「落とし穴」

煙草の煙が青空に溶けていくのを眺めながら、風に乗ってくるどこかの講義の声を聴く。昼の屋上は意外と穴場だ。
柵にもたれて煙草を吹かす捲簾を横目に、寝転ぶ天蓬の腹に頭を乗せるが、着痩せする彼の腹筋の上は相変わらず収まりが悪い。でも日にさらされたコンクリートから背中へ温もりをお裾分けされて眠気を誘われる。
いつもながら唐突に始まった、着地点の分からない言葉遊びの内容は、なんとなくくすぐったくて耳に優しい。

「罰ゲームで公開告白させたよね」
「虫を他人の服のなかに投入したりしましたよね」
「立ちションとかするわな」
「それはないわ捲簾」
「下劣極まりないですね捲簾」
「いやお前らの方がエグいだろ」

突き抜けるような蒼天と向かい合いながら今日の夕日はさぞかし綺麗だろうと胸をときめかせていたら、どん、と腹の上に捲簾の頭が勢いよく乗ってきて呼吸が止まった。
下目に睨んだら彼は手をひらひらとさせながら笑う。

「お前はいい加減ストローで飲みモンぶくぶくさせんのやめろよ」
「捲簾だって輪ゴム鉄砲しょっちゅうやってくる」
「大人げないですねえ」
「お前だって家の階段四つん這いで登ってんだろうが」

大学なんてのは人によっては人生最後の長期休暇に等しい。
身体的には大人だが社会的には子供であるうちに部活に打ち込んでみたり、ヒッチハイクで日本一周をしてみたり、ギターを担いで海外に行ってみたり、小さな部品から買い組み立てて車を作ってみたり、図書館の本を読破してみたり、とにかく思いつく限りのことをする。
社会へ出る前にしかできないことをやり切る為に与えられた時間であると解釈して自分史に刻まれる何かをしたいと模索する。
しかし大半が自由を持て余して足踏みをしたまま卒業を迎えるのだ。

「寝ちゃいそう」
「寝てしまいましょう」
「次の授業寝過ごすぞ」
「あれ、二人ともまだ授業あるの」
「ありましたっけ?」
「俺とお前、次の授業の単位落とすと留年」
「留年かあ。それもまた一興だね」
「そうですね」
「そうですねじゃねえ」

ごうっと風が吹いて桜の花弁が目の前を横切った。手を伸ばすと三枚が手のひらに飛び込んできた。
数秒前までは木を彩っていたか、地面を飾るかしていた花弁が今は自分の手に収まっている。
咲かせた花の全てに意識が宿っているとしたら、木はそこにいながら旅が出来るのだ。風が運んで様々な景色を見せてくれるのだ。羨ましいと思わない要素が見当たらない。
これはどの桜の木の一部なのだろう。「君たちはどこに行くの」と花弁にぼんやりと訊ねたら二人がおかしそうに笑うのが聴こえた。

「……そういえば今日は捲簾ちでたこパだね」
「オイまて。初耳だ」
「ああやっぱり」
「では悟浄があなたの家の合鍵を勝手に作ったのも知らないんでしょうね」
「悟空は工学部校舎でオリジナルたこ焼きプレート自作してたよ」
「三蔵はたこ焼き用マヨネーズを自作してましたね」
「八戒はたこ焼きを六個同時にひっくり返すことが出来るんだよ」
「金蝉は今日のたこパが楽しみのあまり昨夜は十九時に就寝したそうですよ」
「どいつもこいつもマジかよ」

げんなりとした捲簾の声と気のない天蓬の声。だがその横顔を見れば同じように目が細まる。
二人が楽しそうだと、自分も何よりも楽しい。

「たこ焼きにはビールだね」
「焼酎の水割りだろ」
「ハイボールでしょう」
「バイト終わったらすぐ行くね」
「あー、今日はじいさんとこか」
「その喫茶店、ヤクザ屋さんの取引き場所になってるとききましたけど」
「ヤクザかは分からないけど厳つい男の人たちがナポリタン食べながら大金のやり取りしてるのはよく見る」

それは平和で何より、と笑う声と同時に五限終了を知らせるチャイムが鳴った。
柵の向こうには早々と校舎から吐き出される生徒の群れ。たくさんの声がうねる波のように鼓膜を弾いた。

「んーじゃ、行くか」
「ああいやだいやだ」

ダルそうに身を起こして研究室に足を向ける二人に倣って自分も腰を上げる。
歩みかけたところで手の中に収めたままの花弁を思い出した。
手のひらの上の僅かにしっとりとしたそれを見下ろして、
少しだけ考えてから口に含んでのみ込んだ。



お酒が飲める。煙草も吸える。車の運転も出来るし、夜中に出歩いても捕まらない。欲しいものにも手が伸ばせて、食べたいものも自分で作れる。
大人になれば出来るようになると胸を踊らせていたことがひと通りこなせるようになった。
なった途端、虚しさを感じるのは、言い知れぬ窮屈を感じるのは、更なる楽しみを求めるのは、なんていうか、俗心だ。

「誰だってそんなもんだ」

相変わらず客のいない静かな店内で、じっちゃんとカウンター席に座りお茶を片手に煙草を燻らせながらぽつりぽつりと言葉を交わす。
埃が陽の光をきらきらと反射させながら勿体ぶるように宙を舞うのを眺めるばかりで、仕事らしいことをしているわけでもないのに給料なんて貰えないと訴えてもこの人は聞く耳を持たない。ガキがいらん遠慮を覚えるなと言う。自分以外の気配があって話し相手がいるというのがどれだけ大きなことかおまえにもいつか分かるだろう、と言う。
だから今日もいつも通り、なんとはなしに漠然と思ったことを掻い摘んで話していたらじっちゃんは競馬新聞に眼を落としたまま笑った。
笑うと決まったところに刻まれる目尻のシワが勲章のようで、すごくかっこいいといつも思う。

「なんだ、学校は楽しくねえか」
「そんなことはないよ」
「そうか。良かったな」
「じっちゃんは楽しいの」
「茶が旨くて煙草が旨くて四季がきて天気が変わるんだから楽しくない要素がないだろう。老いて出来ることに制限が増えていくのだってハンデみたいで面白くて仕方がない。あとはこの馬が当たってくれりゃ言うことなしだ」

言ってる内容の割にはぼやきに近い口調で、赤のマーカーで新聞によく分からない書き込みをしていく。でも紙を滑るマーカーの音は軽やかで、確かに楽しそうだ。
湯呑みを覗き込むとお茶葉が泳いでいた。ゆるゆると何度か湯呑みを揺らすと、沈んでいた葉が面倒くさそうに浮き上がりやがて茶柱になった。人口的につくられた茶柱にも御利益はあるだろうか。
一杯のお茶からでも喜びや楽しみを見出していた人が昔はいた。自分も十分楽しめている部類だとは思うが、多分もっとなれると思う。思ってしまう。

「命の洗濯か」

不意の聞き慣れない言葉に顔を上げると、じっちゃんはずっと睨めっこをしていた新聞を置いて老眼鏡を外して目頭を揉んでいた。

「洗濯」
「日頃の憂いや緊張から解放されて愉悦を得ることをそういう」
「なんか大袈裟っぽいね」
「大ごとなんだろう」
「……そっか」
「まあ、おまえらはおまえらで、やり辛い世代かもしれん」
「やり辛い?」
「自由と便利が過ぎるだろう」
「いいことじゃないの」
「俺がおまえだったら途方に暮れる。規制やシガラミに唾吐いて蹴り破って生きる方が性に合う」
「……そっか」
「楽しみ下手な大人が多いから学校じゃそいつを教えてやれねえんだ。だから自分らで身につけなきゃなんねえよ」

大仕事だな、と笑う目尻のシワに泣きそうになった。
これはもっと稚拙で、未熟で、足るを知らない幼稚な欲なのだ。それを自分は恥じていて、どうしようもなくて。だからこれは、そんな風に言ってもらえるような悩みではなくて。
長く生きた人にこんなことを言わせて、自分はなにをやっているんだろうと、謝罪をしかけるがそれもまた違う気がして言葉を慌てて飲み込み、胃液で溶かして俯いた。
じっちゃんはそんな自分を一瞥してから視線を窓の外に投げて、しばらくそちらを眺めてから重たげに腰を上げた。

「煙草を買ってくら」
「あ、私行くよ」
「てめえが吸うヤニくらいてめえで買う」
「えー」
「あんまし歳上を甘やかすな。だからつまんねえ大人がつけあがるんだ」
「大人の機嫌を取って育てて貰うのも子供の仕事」
「ガキに気を遣わせる大人は大成しねえな」

鼻で笑って、彼は扉の向こうに消えていった。カウベルが鳴り止むまでぼんやりとじっちゃんの気配を追う。
世の中が悪いのでも、大人が悪いのでもない。これは自分の問題だ。
現状に不満があるわけじゃない。不安なのだ。焦っているのだ。
今ならば望みさえすればなんでも出来る。子供でも大人でもない、今の自分しか出来ないことがあるはずだ。
歳をとっていつ思い出しても心が踊るような、浮き足立つような、何度でも人に話したくなるような何かをしたい。
それでいて、価値のあることをしなくてはならない。将来の自分に活きる何かをしなくてはならない。
そんな願望と脅迫めいた気持ちが空回りして時間だけが過ぎていく。思えば思うほど、自分が楽しみ下手になっていくようで怖い。そうしてどんどん身動きが取れなくなっていくのだ。


「篝」


呼ばれて、弾かれるように顔を上げた。
振り向くといつの間にか帰ってきていたじっちゃんが、咥えた煙草をひょこひょこさせながら本日閉店の札を手で弄んでいた。
どうやら早めの店仕舞いを決めたらしい。

「今日は立派な夕陽が見れそうな天気だからな。おまえも帰っていい」

ご苦労だったな、と言われて頷いた。時計を見ると短針は六を目指している。この時間ならもう既にたこパは始まっているだろう。
散歩がてらのんびり向かおうと腰を上げた自分にじっちゃんが「それとな」と続けた。

「バカ共が迎えにきてる」

そう言って顎で指されたのは汚れて濁った窓硝子の向こう。
そこには確かに、よく見知ったバカ共が見えた。楽しそうに手招きをしながら何かを言っている。二人が背にしているのは捲簾の車か。
わざわざ迎えに来てくれたのだろうかと眉間にシワを寄せて、絶えず喋る二人のその口元に目を凝らした。

「き、の、ぼ…………?」

ううむ。自分の読唇術も衰えてきているようだ。
含意は見えないがやたら喚きながら手招いて急かすのでさっさと身仕度を整えることにする。
湯呑みと灰皿を洗ってテーブルを拭いて上着を羽織ってから忘れ物がないか見回した。
そうして改めてじっちゃんに向き直ると、彼はとても優しい顔でそこにいた。

「俺はな、おまえらは、何からでも価値をすくい取る力を持ってると思ってる」

言い聞かせるように丁寧に言葉を紡ぎながらこちらの頬を、すこしカサつく温かい両手で包むじっちゃんの顔はとても嬉しそうで、誇らしそうだった。

「だからせいぜい頭を極限まで使って、まるで無駄かのようなそれらを愉しめ」





「お疲れ様です」
「お疲れさん」
「いやあ絶好の木登り日和ですね」
「おまえ木登り得意そうだな。猫みたいにひょいひょいと」

やっぱりか。
木登り木登りとよく分からない内容ではしゃぐ彼らは会話もそこそこに自分を車の後部座席に押し込んで発車させた。
車内で詳細を尋ねれば、学校裏の丘に佇む木を登るのだと言う。なにを言い出すのだ。
学校裏の木といえば、決して狭くはないこの街で名物扱いされている大木だ。手を掛けて登れそうな枝まで幹が三メートル近くある。樹齢こそ知れないが、成長しきった褐色の樹皮は裂けて剥がれて触れるものを拒む。木登りに挑めるようなそれじゃない。
しかし自分がなにを言おうと聞く耳をもたず、異常といえるスピードで早々に着いた目的地。
改めてそれを見上げて気が遠くなった。いくらなんでもデカ過ぎる。考え直すようにと振り返ると捲簾が車の荷台からどう見ても業務用の脚立を取り出していた。

「……どうしたのそれ」
「三号館校舎が今耐震工事中でしょう」
「……パクったの」
「朝イチで返しゃ問題ねえよ」
「……この木しめ縄ついてるよ。御神木なんじゃないの」
「他にも木はあるのに神様が依り代を選り好みするのは如何なものかと思いますよ」
「神サマなら懐でっかく挑戦者を受け入れるくらいしろってな」
「……杉の木だよ。手を怪我するよ」
「天蓬ー、そこのゴム付き軍手とワイヤーとフック取って」
「ビールとつまみを入れたリュックは誰が背負います?」

想像以上のガチっぷりに呆れた言葉を返しながら、足先がそわそわと落ち着かなくなっているのを自覚する。この二人がこんなに楽しそうだからだ。
それでも拭いきれない不安と逃げ腰グセを発揮しながら、だってさ、でもさ、と口の中で往生際の悪い言葉を転がした。
だって、こんなこと

「……何のために」

漸く絞り出した上滑りする自分の言葉に、二人は呼吸の仕方でも尋ねられたかのような顔をした。

「楽しそうなことやんのに意味がいるか?」
「無意味なことほど楽しいものはなくないですか?」

それらの返事が、今の自分にとってどれだけの力を持っているのか知ってか知らずか、彼らはストレッチをしたり脚立の足場を確認したり軍手を身につけたりしながら軽い調子で続ける。

「今のご時世、意味ねえモンの方が貴重じゃねえの」
「そもそも歴代に名を残している人々は一見意味のないことから成功を導き出しているのです」
「それが無価値かどうかは同じ経験をしたヤツにしか分かんねえよ」

しっかりしろよ、と二人から肩パンをくらう。けっこう痛い。しかしやり返そうにも頭が呆けてしまって、押し出されるように言葉が溢れ出た。

「私ね、今しか、出来ないことをしなきゃいけないと思ってるんだけど、何すればいいのか、分からなくて、まいったなあって」

拙く、目を泳がせながら紡いだ自分に彼らは今度こそ、おかしそうに笑った。

「俺らならいくつになっても何でも出来ると思うけどな」
「捲簾は十年後も階段の手摺りに座って滑り降りてますよ」
「天蓬なんか二十年後も回ってる扇風機の前で宇宙人のマネしてんぜ」
「貴女は三十年後もベッドの上で飛び跳ねて遊んでますでしょうね」
「四十年後も床のタイルの継ぎ目を踏まないように歩いてんだろ」

たのしそうに笑う天蓬が手招きしてくれたのでその懐に飛び込んだ。ぎゅうと隙間なく抱き締めてもらいながら、自分の内側で今にも爆発してしまいそうに暴れまわる様々な感情を噛み砕く。
ああ、そうか。そんなことがあっても良いのか。自分たちなら、出来るのか。

「どうよ、想像つくだろ?想像出来ることは実現出来ることなんだってよ」
「還暦迎えてからまたこの木に登ったら景色の見え方や感じ方が違うんでしょうね、きっと」

たのしみですねえ、という声に何度も何度も頷いた。

子供しか楽しめないことがある。
大人になって愉しめることがある。
自由で膨大で、持て余しやすい恩恵だ。
ただ大人には、理性を取っ払って無駄を楽しむ余裕を持つ為に、子供のときよりほんの少しだけ努力が必要だ。子供の頃みたいに楽しみが自然と降ってくるわけではないから、大人は足と頭を使って探しに行くのだ。
どんな経験もいつか必ず活きるなんてことは言えないが、それでも

「上まで競争すっか」
「罰ゲームはどうするの」
「先に着いた二人にお酌と煙草の火付け役でしょう」
「あ、意外と穏やかだね」
「それとラジオ体操しながら最近の恥ずかしかった出来事十連発を絶叫」
「ちょっと待って」
「はい、よーいドン」
「ちょっと待って!」

自分は今日、言葉が追いつかないほど美しく夕陽が沈む瞬間を見下ろした。天辺の葉が擦れる音を聞いた。大木の存在感を肌で感じた。いつもより軽く感じるビールを飲みながら煙草の煙がより高く、しぶとく登るのを見た。投げ落としたリュックが地面に吸い込まれていくように小さくなる景色を見た。

この経験がどんなかたちで自分に活きるか、それとも活きないかは
いつの日かのおたのしみだ。









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心底楽しめることを探すのって根気がいるよね、というか
人生最後に辻褄が合うようにできてるよね、というか
毎度お粗末様ですすみません、というか!

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