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夏と熱と、なき声と…gojyo

※学パロ






「ヘイ乗りな」


蝉の大合唱が耳に痛い八月真っ只中。
拭い損ねて顎から落ちた汗がコンクリートにシミを作っては一瞬で蒸発するのを目の端で眺めつつ、コンビニの袋からカリカリ君を取り出し封を開けて盛大な溜め息をひとつ。
世間は今夏休み。それなのにこのクソ暑いなか何故制服を着て登校しているかというと補習だからだ。出席日数の計算を一日間違えて現国の単位を落とした。お陰でクーラーもきかない地獄で赤点補習の悟空と共に机に向かうハメになった。死ねる。
冒頭の台詞が飛んできたのは滴り落ちる汗を拭うのも諦めて、重い足を引きずりながら校門を潜ったときだった。
顔を上げるのも億劫で視線だけを向けると、ひとりでちゃっかり補習を免れた同居人がやけにデカい自転車に跨って待ち伏せをしていた。
そういや自分が起床したときにこいつの布団はもぬけの殻だったと思い出す。

「どしたそのチャリ」
「捲簾からパクってきた」
「何で制服なん」
「図書室に本返しにきたから。悟空は?」
「まだ寝てる」
「起こしてあげなかったの。残酷だ」
「暖房入れてきたから今頃飛び起きてんだろ」
「残酷だ。カリカリ君ひとくちちょうだい」
「全部やる。腹痛くなってきた」
「ほんとお腹弱いよね」
「つかお前もなんで起こさねえの。寝過ごすとこだったろ」
「起こしたよ」
「どうやって」
「ちゅー」
「今度からベロちゅーかませ」
「やだよ暑苦しい。てことで乗りな」

目の前の女は相変わらずの無感情ヅラで汗を落としながら親指で自転車の後ろをびしっと指差した。あきらかにテンションがおかしい。暑さにやられたのだろう。

「どこ行くん」
「内緒でーす」
「海か?」
「まじうざい。やばい」
「え、アタリなん?」
「黙って早く乗るがいい」
「天蓬に車出させろよ」
「夏バテで死んでる」
「俺今から補習」
「だからなんだろう」

暑さでやられたついでにおかしなスイッチが入ってしまっているようだ。
シャツのボタンを全部外してパタパタとなかに空気を送り込みながら、働かない頭で考える。
こいつが他人を省みずに巻き込んで我を通そうとするのは珍しい。どうせまたバカな理由からくる行動なのだ。そしてきっと、自分はそのバカが嫌いではないのだ。
我ながらわざとらしい溜め息をついてから、鞄を荷台に投げ入れてその後ろに跨った。

「安全運転でおねげーしまーす」
「運賃はカリカリ君のあたり棒でお願いしまーす」
「贅沢言うなバーカ」
「シルバージェット号発車しまーす」
「バーカ」

篝は楽しげに目を細めてからペダルを踏んだ。ここから海まで順当にいけば二十分弱だが、ふたつの坂道が難関だ。特にふたつめの海岸手前の坂は、地獄のように長く急勾配なのでその倍はみておいた方がいいかもしれない。
そんな計算をしながら細い腰に手を添える。二ケツなんていつぶりだろうかと懐かしい気持ちで過去を振り返るが先週悟空としたばかりだったと思い出す。アイツの無駄にパワフルなチャリの漕ぎっぷりに負けて振り落とされたときに打った頭のたんこぶが痛んだ気がして、慌てて目の前の腰にしっかり手を回した。
しかし校門を出て日に焼かれたアスファルトを進み始めたチャリはふらふらと大袈裟に蛇行して、数メートルをいく間にガードレールを掠り、鉢植えを薙ぎ倒し、猫をひきかけ、散歩してるばあさんに追い抜かれた。
間違いなく歩いた方が速いのだが、それでも運転手は息切れをしながら一所懸命にペダルを漕ぐ。

「あ、今、笑っ、たでしょ」
「俺今けっこー楽しい」
「それは、良かっ、たッ」
「今日のこれ日焼けヤバそうだな」
「悟浄は、日焼け、似合うじゃんッ、建設作業員っみたいで」
「そりゃどーも。お前日焼け止め塗った?」
「八戒が、塗らないとっ、怒るから」
「あいつお前の白い肌好きだもんな」
「うえーい」
「お前やっぱテンションおかしいって」

平坦な道なのに切れ切れな息の返事に笑いながら、汗で張り付いたそいつのシャツの後ろ襟首をつまんでパタパタとさせてやる。

「そういやなんで海なん」
「夏、だから」
「お前海好きだっけ」
「何年ぶり、だろうっね」
「急にどうしたよ」
「蝉をね、笑い返すの」

蝉。その単語で思い出したかのように鳴声が鼓膜を叩きはじめた。
ああ、心地良い。
蝉の鳴き声も、肌を焼く光も、むせ返る熱気も、篝の相変わらず斜めった発言も。

「一般的にゃ蝉は可哀想とか言われてんのに」
「可哀想とは」
「七年土の中にいて一週間しか外に出れねえから」
「ええ、なにそれ」

切れ切れだった声が落ち着いた。いつの間にか坂の頂上まで来たらしい。ペダルから足を離し、重力が導くまま長い坂を下る。ブレーキをかける気は皆無のようで両手を広げながら篝は気持ち良さげに風を全身に浴びて目を細める。

「なんで本番が地上なの」
「蝉にとっちゃ地中が本番か」
「きっと楽しいよ。毎日お祭り騒ぎだよ」
「最後に地上に出てくんのはオマケか?」
「自分がいかに幸せな環境で生まれ育ったか、最後の一週間で噛み締めながら死ねる」
「……そうか。そうかもな」
「最初は蝉は地中が恋しくてないてるんだと思ったんだけどね」
「地中の楽しさを知ることができねえ俺らを笑ってんのかもってか」
「そういうことだよ」
「確かに、そりゃ笑い返してやんねえとな」
「そうでしょ。海に行くしかないよね」
「海に行くしかねえな」
「悟浄ならそう言ってくれると思った」

やっぱりこいつはバカだった。
やっぱりバカな理由が原動力だった。
そんでやっぱり、自分はそのバカが好きだった。
目の前の腰に腕を奥まで回して抱きしめた。汗に濡れた熱い体温同士がぶつかってドロドロの液体になって溶けてしまいそうな錯覚に眩暈がする。
自分が蝉だったら、こいつが自分にとっての地中ってことになるのだろうか。毎日が祭りで、離れたあとはその愉しさを知らないヤツらを笑いながらその日々を恋しがるのか。自分の恵まれていた過去を噛み締めながら死ぬのか。悪くないな。でも

「蝉ってすげえな」
「うん?」
「俺は一週間もたねえわ」

情けない声だった。でも誤魔化す気も起きなくて背中に額をぐりぐりと押し付けた。そんな自分を慰めているつもりか、腹に回した手に小さな手が重なる。
暑さでやられてるのは自分の方だ。
なんだかもうなにがこんなに心細くて情けなくて寂しくて悲しいのか分からないけど
とにかくすっげえ暑いので今溶けてしまえたら幸せなのかもしれないと、更なる熱を求めてそいつのシャツの中に手を突っ込んだら額に肘鉄をくらった。
軽く緩んでいた涙腺を痛みのせいに出来ることに安心した。もう誰に対して見栄を張っているのかも分からない。こいつにか、自分にか、蝉にか。

「ねえ悟浄、海の匂いしてきたよ」
「マジか?お前鼻良いな」
「早く波の音聴きたいな」
「あー、テンション上がってきた」
「サザンが聴きたいね」
「歌ってやろうか」
「お願いします」
「見つめ合ーうとー素なーおにーおしゃーべりーできーなーい」
「選曲センス!」

ソロじゃなくてサザンだってば!と喚いてリクエストをひねり出し合ってる間に長い坂道を下りきってその勢いのまま平坦を抜けた。
いよいよ例の心臓破りの登り坂だ。
これを越えれば、地上でも地中でもない、もうひとつの世界が開ける。
しかし

「あっついいい…!」
「このペースじゃ今日中にゃ着かねえな」
「死ぬうあー」
「煙草吸いてえなあ」
「ねえもう海やめて川にしようか」
「いやそれ距離もっと遠くなんだろ」
「実はみんなの近くにあるんだよ。三途の川っていうんだけどね」
「煙草吸いてえなあ」
「悟浄の非モテ!バカ!私も煙草吸いたい!」
「あーはいはい」

後ろ頭を叩いてから身を乗り出す。グリップを握る小さな手に自分の手を重ねてブレーキをかけさせた。まあ体力と持久力がないこいつにしてはよく頑張った。
篝には高すぎただろうサドルから引きずり下ろして運転手を交代する。

「やった」
「背中に触れる柔らかい感触的なお約束展開も忘れずに」
「Bカップでも実現可能なシチュエーションだといいよね」
「紅のジェット号発車しまーす」
「いけーゴキジェット」
「ぜってえ振り落としてやる」

軽口を叩きながらしっかりと回された細い腕を確認してペダルを踏んだ。少し進んですぐに、運転手を変わったことを後悔した。
だってこんな真夏の真昼に背中に当たる暑苦しいはずの体温が気持ち良過ぎて苦しい。すがりつくように自分の胸元のシャツを握る小さな手に理性が溶けそうになって苦しい。
でもあの有名なジブリ映画だったら後ろに乗った女は坂を登る手伝いをしてくれるのだろうが、こいつはお荷物でいる気満々で、漂ってくる潮風に銀糸を梳かせている。楽しげに顔を綻ばせるそいつを横目で見て、やっぱり運転手を変わらせてくれたことに感謝した。
互いが荷物で運転手だ。形だけの文句を零し合いながら、こうして一緒に遠くへいける。一緒に、いける。

「潜ったら絶対気持ちいいね」
「着替えっ、持ってくりゃ、っよかったわ」
「帰りにめっちゃチャリ走らせれば服は乾くよ」
「お前が、めっちゃ、走らせろよなっ」
「私は今日の体力使い果たしたもん」
「もんとか言うなキモい」
「ていうかペース遅いよね。もっと気合い入れて漕いでくれないと困るよキミ」
「うおってめ、コラ暴れんなっ」
「はっやっく!はっやっく!」
「くそ、海に着いたらっ覚えてろ」
「えーなにやだこわい」
「構い倒してっ足腰、立たなく、してやるわ」
「えーこんな暑い日に海で蝉の笑い声を聴きながら?」
「いっちばんっ暑苦しいこと、してやるわっ」
「えーなにそれ幸せ」

ジブリも真っ青だねー、と言って笑ったその声に、一拍おいて自分も笑った。

地中から自力で地上に上がる蝉は、何を思って土を掻き分けるのだろう。
坂の頂上を見上げながら息を切らしてペダルを踏んで、開ける新しい景色を目指す今の自分たちのように、気持ちを高揚させる蝉もいるだろうか。
ガッカリしただろうか。鼻で笑っただろうか。生憎、地上はこんなにもバカバカしくてちっぽけな生き物が巣くう場所だ。
広大なのに窮屈で、生き物で溢れているのに寂しくて、目が回るほど忙しなくて、たまに押し潰されそうなほど恐ろしくて、吐き気がするほど醜くて、そして時々、苦しいほど愛おしい。
一週間じゃとても理解し難い世界だ。人間が八十年かけても理解が及ばない世界だ。
自分らがその鱗片を見せてやる。ないて寿命を縮めるお前らの口を、一瞬でも噤ませてやる。

空気を掻き分けるようにペダルを押し込みながら、あと数歩でひらける景色に、自分は胸を高鳴らせた。



さあ、ようこそ。









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蝉と青春とセンチメンタルと学生のひと夏をテーマに爽やかに書くつもりだったのに、どうしてすぐこうなるのかと反省する日々です。

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あきゅろす。
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