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悲観論者の幸福…hakkai


八戒の八ってなんの八?



夜。安らかな眠りについた途端に揺り動かされて目が覚めた。
時計を見れば短い針は九を指している。なんてことだ。夜だ。とても夜だ。物凄く夜だ。
のろのろと視線を正面に持ってくれば銀色があった。ぼやけた視界がだんだんと鮮明になっていく。熟睡状態から脳が覚醒していくこの感覚は本当に惜しいといつも思う。
覚醒させた張本人は顔の両側に手を付いて此方の眼を覗き込んでくる。そして悪びれることなく冒頭の質問を繰り返した。
その平坦で涼やかな声音は起き抜け最初に聞く声としては悪くないような気がしなくもないが自分を睡眠から起こすことからして極刑なので何にもならない。

「ねえさんぞー」
「……今何時だと思ってる」
「九時。朝の」
「殴るぞ」
「ねえ。何でってば」
「本人に聞け」
「さあって言う」
「なら諦めろ」
「えー」

何がえーだ。そもそも何だその質問は。どれだけ暇をもてあましているのか。とっとと寝りゃ良いじゃねえか。
拗ねるバカ猫を放って再び寝につく体勢にはいる。今ならまだ安らかな眠りに戻れる気がする。
すると、ずしりと体にのし掛かってきた重み。横目で睨めば腹の上に猿が乗っていた。

「なあ三蔵ー」
「うぜえ」
「まだなんも言ってねーじゃん!」
「うぜえ寝ろ」
「でもまだ九時だし」
「夜だ。非常に夜だ。午後八時以降は就寝時間だ」
「えー」

だから何がえーだ。
そういえば今日は宿が取れず、二人部屋に全員すし詰めだったかと思い出して舌打ちをし、不貞腐れて上で飛び跳ねはじめたバカ猿を全力で蹴落とした。
苛立ちを全身全霊で抑えつつ、今度こそ眠りにつこうと再び寝の体勢にはいる。
すると耳に、なま暖かい吐息。

「さーんちゃん」
「死ね!!!」
ガウンガウンガウンガウンガウン
「うおーっとっとっと」

乱射する弾を笑って避けるチャバネゴキブリ。真面目な話、そろそろコイツは死んで良いと思う。殺しても誰も攻めないだろう。攻めさせるものか。
威嚇する自分からは情報を引き出すことが不可能だと判断したらしいバカ共は顔をつき合わせて話を再開させた。

「やっぱり八百屋の八だってば!」
「だから桁がちげえし。なんでそーなんだっつの」
「将来は八百屋やれってことじゃね?」
「バカ猿」
「なんだよダメ河童!」
「私は八つ当たりの八だと思うな」
「俺は八方美人の八に一票」
「八方塞がりの八の可能性も捨て切れないよね」
「八大地獄の可能性はどうよ」
「あははは、僕は八つ裂きの八かもしれないって思いましたけど」

笑いながら耳の飾りに手をかけた八戒と悲鳴を上げて土下座をするバカ共を遠目に眺める。ぼんやりとしたままサイドテーブルに置かれた煙草にゆるゆると手を伸ばし、くわえて火を付けた。ニコチンが体内を循環するのを感じながら思考を巡らせる。
八戒の八について。そんなもの、仏教や宗教学の知識がないヤツにとっては考えてもキリがない話題だ。しかしコイツらは答えが出ない内容であればあるほど盛り上がる。
どちらかといえば理屈屋である自分や八戒には理解し難いが、自分の言葉で幾重にも思考を巡らせることが出来ることが嬉しいのだと以前、沙弥が言っていたことがあった。
以上から、安らかな眠りを取り戻すには話を切り上げさせるきっかけが必要だということが分かった。
再び盛大に舌打ちをしてやると四つの視線が此方を向く。眉間のシワを自覚しながら一息で言った。

「八つの決め事を守ることで悟りに至る戒律」
「ああ成る程。それで八戒なんですね」
「なに、お前ホントに知らなかったの」
「知らないですって。そんな非生産的なことを知ってどうします」
「八戒って男前だよね」
「ありがとうございます」
「なあ三蔵、決め事って?」

悟空が身を乗り出してきて非常に暑苦しい。当の本人は興味が皆無なのに、何故その他のやつらがこんなにも興味津々なのかわからない。
しかしここで無視を決め込んでまた後で起こされてはたまらないので、額の血管が浮き上がるのを自覚しながら再び一息に言った。

「殺すな盗むな浮気をするな嘘をつくな酒を飲むな化粧をするな娯楽を見聞きするな良い寝具で寝るな」
「なにそれひどい」
「死ねってか」
「ただのイヤがらせじゃんか!」
「僕改名した方が良いですかねえ」
「ははっ確かにお前どれ守ってるよ」
「零戒に改名しなきゃダメだよね。あ、すみません首締めるのやめて下さい」
「でも食べ放題券とかくれんならオレ頑張るけど!」

ああ喧しい。やはり言語での解決は難しいのだ。だからいつの時代からも戦争はなくならないのだ。悲しい話だ。
嘆きながら銃に弾を込め直すこちらの様子に気付いたらしい八戒はさりげなく輪から抜け出してベッドに潜った。

ガウンガウンガウンガウンガウン

喧しく騒ぎ立てる三バカに鉛玉の雨をお見舞いする。最近、弾を避けるのを楽しんでいる節がある猿は最小限の動きで、沙弥は鈎爪で弾き落とそうと試みるので悟浄が慌てて床に沈ませた。
コイツらはいつか真剣に撃ち殺してやろう。蘇生実験阻止が終わった瞬間にしよう。そうしよう。
漸く自分の本気の怒りを察したらしい面々は、渋々といった面持ちで各々の寝床へ戻った。悟浄はソファ、悟空と沙弥はタオルケットにくるまって床に寝転がった。
今日のベッド争奪戦はバックギャモンによるトーナメント。長安にいたときに主に悟浄と沙弥がハマっていた戦略ゲームだ。ポーカーは飽きたからと提案した当人達が負けているのだからおめでたい話だ。
部屋の明かりを消すと静寂が戻ってくる。待ち望んでいた静寂だ。漸く眠ることができそうだ。
重力に促されて目蓋が下りてくる。うとうと、とは先人は上手いこと表現したものだと感心しながら意識が沈んでいく。ぬるま湯に浸かったような心地好さが全身を包む。ああ、あと少しで


「あ、まだあった。おやつ」


こりない猿が何か言った。自殺願望があるらしい。
もはや起き上がる気にも叫ぶ気にもなれず背を向けたまま歯軋りをした。
背後では悟空の呟きに「おやつだあ?」と呆れた声で返す悟浄と「ああ」と納得染みた反応をする沙弥。

「八つ刻ってお茶飲んで休憩する時間だね。それでおやつ」
「へえ、なんかいいな。落ち着くな」
「なんでそンなこと知ってんのよ」
「お茶の本に書いてあった」
「お前、ほんと好きな」
「なんだいいじゃん、八の字!」
「あー、八は末広がりってか?」
「数字を横にしたら無限だね」
「聖書だと復活と始まりと救いの意味なんだってな」
「なンだそりゃ」
「どこで覚えたの」
「前に八戒に教えてもらった」

「なっ八戒」と投げた先から聴こえてきたのは微かな寝息だった。とことん自分に興味が無い男だ。
これでもまだ騒ぐようなら魔戒天浄してやるつもりでいたが、さすがのバカ共も当人が寝たのならと諦めたらしい。
ささやかな就寝挨拶と掛け布団に潜り込む音を最後に、再び室内は完全なる静寂を取り戻した。
柔らかな月明かりが射し込み、虫の音と小川のせせらぎが鼓膜をくすぐる。
待ち望んでいた静寂だ。
漸く安らかな心持ちで寝返りを二転三転繰り返す。しかし先程のような心地好さはやってこない。どうやら目が冴えてしまったようだ。ああ腹が立つ。明日は朝早くに発つというのに。もっと早い段階で黙らせてやれば良かった。朝起きたら真っ先にバカ共をハリセンで滅多打ちにして前歯を砕いてやる。

「いっきし」

脳内で素振りのイメージトレーニングをしていたらオヤジくさいくしゃみが聴こえた。どこのドリフターズだお前は。
横目をやると床の上でタオルケットにくるまったそいつが転がっている。
唸りながらもぞもぞと移動しはじめるみのむしのようなその姿を眺めていたら

「寒いですか、沙弥」

声がかかった。
それにうっかり驚いて、今まさにみのむしに向かって投げつけようと掴んでいた自分の羽毛布団をから手を離した。
わりとしっかりとした口調で発した声の主に沙弥は柔らかな声音を返した。

「やっぱり起きてた」
「あ、バレてました?」
「何で寝たふりするの」
「三蔵の背景に般若が見えたもので」
「え、教えてよ」
「気付いて下さいよ」
「そんな怒ってたかな」
「湯気出てましたね」
「おう、明日謝らなきゃ」
「ハリセンで前歯折られる覚悟くらいはしておいた方がいいですよ」
「治してね八戒」
「考えておきます」
「お礼に今度本格的な狸寝入りの方法教えてあげるから」
「それは助かります」
「うん」
「それで、寒いです?」
「大丈夫。悟空があったかい」
「ああ、体温高いですもんね」
「八戒冷え性じゃなかったっけ」
「ええ、まあ」
「一緒に寝る?」
「いやあ、寝惚けた悟空に蹴られるのはアレなので遠慮しときます」
「防御すれば良いのに」
「寝ながらカウンターとれるのはあなたくらいですよ」

呆れたように言いながら身を起こした八戒は自身の羽毛布団と沙弥のものとを取り替えた。目を瞬かせてからお礼を言った沙弥は、再び掛け布団の中に潜った。このみのむしのような状態から悟空にカウンターを繰り出せるのだからこいつはおかしい。


「八戒」


布団に潜ったまま、沙弥が小さく名を呼んだ。
貴様は本気でそろそろいい加減に寝たらどうだと殴り付けるべくハリセンに手を伸ばす。しかし身体を起こしてそれが風を切るよりもはやく

「あのさあ」

と、一拍をおいて
沙弥はとても、下らない問いかけをした。
思わず鼻で笑いそうになった。悟浄と同じような淡白さを持ってるかと思えば、こういう素直さは悟空と似通ったところがある。
八戒の逡巡は、ほんの僅かの間だった。


ええ、きっと。


柔らかな声だった。しかし芯を感じられるそれだった。
沙弥は「よし」と満足気に呟いて、再びもぞもぞと動いてから今度こそ寝息をたてた。

八つもの"戒め"。それだけの意味を記す名ではない筈だとバカ共が無い頭を絞る。
興味がない自身に興味を持ち、全てにおいて悲観的な八戒の視野を広げる役割を自ら買って出る存在が近くにいる。
それは得難いものであり、容易に喪失するものであると理解している。何の因果か、その喪失感を身を以て体感している者が集まった。
生きる上で、他者の価値を知らざるをえない体験をしてしまうことと、知らずに生きるのとではどちらが不幸なのだろう。
そんな答えの出ない考えが浮かぶ自分は心底、やつらに感化されている。
ただ自分は、その尊さを知っている自分でいれていることを悪くはない、と思えた。

思わず上がった口角を掌で隠して
八戒が手を伸ばし、布団から覗いた銀糸を撫でるのを薄目で見てから
自分も今度こそ眠りについた。








今、幸せ?







─────────────
三蔵パパ視点の八戒ママ話。
そして喧しい子供達。


八戒よ幸せであれ。

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あきゅろす。
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