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爪先立ちの怯者…tenpo.kenren




弱くてはいけない
間違えてはいけない
そう思えば思うほど、自分は弱くなっていく




「好きです」
「誰」

心地よい風が眠気を誘う夕暮れ。二郎とお茶をした帰り道。
西棟の裏道で知らない男に突然愛を告げられた。軍服を着ているので軍人なのだろうが見覚えは見事にない。
舌で煙草を弄びながら無遠慮に眺めていたら、男は思い出したように自己紹介を始めた。

「あ、自分はナタク太子の隊の────って、あの!」

足早に去ろうとした自分の前に、男が慌てて回り込んできた。
ナタクの隊。隊員の誰もかれもが戦闘の全てを大将に任せっきりの腑抜けばかりというのは自分と捲簾と天蓬の常識。言葉を交わすのも不快だ。

「ちょ、まだ話の途中で」
「腑抜けが伝染しちゃう」
「ふぬ……?」
「なので申し訳ないったらないです」

ろくに知りもしない相手から前触れもなく告げられる告白など愛情の押し付けだ。好意が免罪符になると思ってもらっては困る。本当に相手を想うなら相手に合ったやり方を選ぶベきだ。こんな自己満足に自分は付き合ってなどいられない。
ああもしや仲間内での罰ゲームか根性試しかと思い立って気配を探るが辺りに人はいない。では突然の告白にも頷いて貰える余程の自信があるのか、策でもあるのか、策以前に他に思いもよらない理由があるのか。
何にせよこういう独りよがりな男には、何故こんな女を相手にしたんだろうと思わせるのが一番だ。適当にあしらわれ、男は自尊心を守る方を優先し、悪態付いて引き返す。
本当なら自分が下手に出て丁寧に頭を下げてやるのが円満なのだろうがそこまで大人にはなれない。今後の人生の課題にしよう。
決意を胸に、小さく会釈をして足早に男の横をすり抜けた。
無性に、早く帰って二人に会いたいと思った。

「─────っ」

だから完全に油断した。
去ろうとした自分の腕を力加減なしに掴まれた。反射的に振り払うよりも早くその腕を軸に振り回され、壁に乱暴に背中を叩き付けられた衝撃で咥えていた煙草が落ちる。そして理解が追い付かないまま呼吸を求めて開いた口に唇が押しつけられた。
嘘だろう。
こんな無茶苦茶な。自分みたいなのを相手に。ああ目的は好意とか云々じゃなく、こういうことか。神に仕える女より軍人に身を落とした女の方が勝手が良いってか。
自分なりに必死に現状把握に努めていたら顎を強く掴まれ、開いた口の中へぬるりと生暖かい舌が侵入してきた。嫌悪感のあまり鳥肌が立って寒気が背中を駆け上がる。
冗談じゃない。

ゴッ

膝で股間を蹴り上げて、口を離してよろめいたそいつの顎を掌で張り上げてやる。そのまま舌でも噛んでひっくり返って失神するかと思ったが男は踏み留まってこちらの胸ぐらに手を伸ばしてきた。嘘だろ。
伊達に軍人をやっているわけじゃないようだと感心する間もなく、掴まれた襟を引かれて今度は地面にひきずり倒された。衝撃で息が止まったその間にシャツの釦へ乱暴に手を掛けられる。
本当、冗談じゃない。
胸元を掴む男の小指を手探りで探し当てて両手を使い反対側にひっくり返した。パキッと小枝が折れるような音に男が呻くより先に爪でその目を払ってから肘を眉間に叩き付けてやれば流石に脳震盪を起こしたようで、白眼を向いて今度こそ男は地面に沈んだ。

「…………は……っはは、あー……びっ……くりした」

静けさを取り戻した人通りの少ない裏道に、自分のものとは思えないほど上擦った独り言が響く。男の下から這いずり出て、壁に背を預けて息を整えようとするがうまくいかない。
深呼吸ついでのため息をついたら左肩に痛みが走って眉を寄せた。軽く痛めたようだ。こういうときは体術が専門外である自分の身体能力が心底恨めしい。

「…………へたくそめ」

口元に残る気持ち悪い感触に顔をしかめながら袖で唇を拭い、火のついたまま落ちていた煙草を拾って男の眉間で揉み消した。


息は整わず頭はまだ混乱したまま、とにかく誰でも良いからたくさんの人がいるところに行きたくて西棟に駆け込んだ。
しかし人混みにまざった途端、棟内を行き来する人々の目が全てこちらを向いているような気がして、その視線を振り払うように足を更に速める。
触られた全てが余りにも気持ち悪くて、フィルターを噛み過ぎてさっきから煙草を何本もダメにしている。感情を持て余すと煙草に歯を立てるのは捲簾と天蓬からうつった癖だということを思い出すと同時に二人の顔を思い出してしまって、足を止めた。
目を瞑って、深呼吸をして、息を止める。
泣くな。
自分が悪い。隙があった。はじめにちゃんと相手に警戒心を抱いたのだから最後まで油断すべきではなかった。はじめに腕を掴まれたときの反応も遅かった。今、問題視すべきは日頃の鍛錬をなにも活かせなかった自分の至らなさだ。
目の奥と下腹にぐっと力を入れてから歩みを再開させるが一度緩んだ涙腺とぐちゃぐちゃな感情はやり過ごし切れなかったので、舌の付け根を思い切り噛んだ。ぶつり、という音と共に生暖かい鉄の味が口の中に広がる。痛みで全ての感覚が麻痺すればいいと思った。
ああ駄目だ。とっととお風呂に入って着替えてお茶飲んで寝て忘れよう。
今日は捲簾は稽古に、天蓬は会合へ行くと言っていたので二人が帰るのは夜になる。それまでに証拠やらを全て隠滅だ。
なぜか犯罪者のような鬱々とした気持ちで、上司の部屋の扉を開けた。

「おう。お帰り」
「ど畜生」
「なんだコラ」

扉の向こうにはソファにだらしなく腰掛けて煙草を吹かしながら書類を捲る捲簾がいて思わず天を仰いだ。なんで居るんだ。
今だけは会いたくなかったのに、今日はどこまでもツキに見放されているようだ。いったい私が何をしましたか。
もしやさっき二朗とお茶してるときに邪魔をしてきた観音を邪険に扱った天罰ですか。さすがに観世音菩薩様にローリングソバットは不敬でしたか。ジャンピングニーバットでやめておくべきでしたか。でもあれは自分が丹精込めて淹れたお茶に観音が塩昆布と梅干しをぶち込んだからであって、仕方なくて。

「……今日は稽古って言ってなかったっけ」
「天蓬のヤツが俺に押し付けてった書類を渡すの忘れてたの思い出して早目に切り上げた」
「律儀だねえ」
「もっと言って。俺ってホント偉い。ヤバい」

自画自賛しながら煙を吐く彼はいつもと変わらない。
しかしどこか遠くに感じるのは何故だろう。自分だけが日常から外れてしまったような寂しさを感じる。
駆け寄って抱き付いて泣きたい衝動にかられる自分を必死に叱咤した。
弱さを見せるな。見せるな。見せるな。
言い聞かせながら、自分は早急にクローゼットのある寝室へ足を向けた。

「シャツのボタンどうしたよ」

飛んできた声に思わず肩が跳ね上がって足が止まった。
胸元に手をやると第二ボタンまでが無くなっている。あの男に胸ぐらを掴まれたときに毟り取られたのだろう。
適当に濁してやり過ごそうとするが、捲簾の纏う空気が、目線が、何故だかそれを許してくれない。
普段だったら相手が触れられたくないところを察しても素知らぬフリをしてくれるのに。

「……午前中に書庫の整理してたときに引っ掻けたかな」
「背中に草ついてるけど」
「……午後は外で昼寝してたから」
「肩震えてるけど」
「……この部屋寒いね」
「なんで涙目なん」
「……あくびしたからかな」

苦し紛れの返答に捲簾は「ふーん?」と目を細める。勘弁してくれ。頼むから今だけは放っておいてくれ。
探る視線に耐えきれなくて無理矢理会話を切り上げ、逃げるようにさっさと彼のいるソファの横をすり抜けた。
すり抜けようとした。
擦れ違いざまに右手を取られ、そのまま引っ張られてソファに倒された。腰に乗り上げられて両肘を顔の横に置かれて身動きが取れなくなる。
衝撃もなく、あっという間の出来事。しばらく何が起こったか分からなくて、数度瞬きをしてからしみじみと呟いた。

「ほんと、男の人は早業だなあ」
「それ、誰との比較?」
「……さあ」
「左肩いてえの?」
「……どうだろう」
「なんでさっきから俺の口元ばっか見てんの?」
「……はは、自意識過剰」

目の前で煙草をくわえる捲簾の口元から慌てて視線を剥がしながら、我ながら下手くそなカラ笑いをしたら彼は端正な眉を寄せ、まだしらばっくれるか、と呟いた。
そらす目線を追うように覗き込こまれて逃げ場がない。

「言ってみ」
「………………」
「大丈夫だから」
「………………」
「泣いていいから」
「………………」
「篝」

低くて落ち着く声が丁寧にゆっくりと言葉を紡いで自分の弱音を促す。大丈夫だから、ともう一度繰り返しながら指の腹で優しく目蓋を撫でられた。頼むからやめてほしい、泣いてしまう。
情けない。
こんなにも動揺して、嘘もつき通せなくて、女であることを恥じている自分は、情けない。
こんな情けないことをよりにもよってこの人に、言えるわけなんてないじゃないか。
軍人としての教養を受けていなかったら、きっと返り討ちなど出来ずあのままいいようにされていたのだろう。そう考えたら今更ながら恐怖と吐き気が襲う。
自分の身が穢されることが怖いんじゃない。それを知った二人との関係に歪みが生じることが何より怖い。落胆されたら、はれ物に触るような反応をされたらなんて、想像もしたくない。
以前の自分だったら鼻で笑って流せる図太さがあった筈なのに。この人達といる時間が長くなればなるほど自分は弱くなっていく。こんなに弱いやつが捲簾と天蓬の傍になんて居てはいけないのに。
どうしても泣きそうに歪んでしまう顔を隠し切れている気がしなくて、落とされる視線に耐えられなくて、彼の目元を手のひらで覆った。
頼むから隠し事のままで終わらせて欲しい。そうすればいつか忘れて、この出来事はなかったことにできる。

「今は、見逃して」
「なにを?」
「……私は、ちゃんと、できるから」

今日はちょっと失敗したけど、本当はちゃんとできるから。次は間違えないから。
軍人として、部下として相応しくなるから。煩わせないようにするから。
どうか失望しないでほしい。

「……俺がお前の何かを否定することはありえねえから、そんなビビんなって」

呆れたような言葉と一緒に目線を遮っていた手を優しく退かされて、ごつと額に額が押し付けられた。睫毛同士が触れ合うそこから目が反らせない。

「物事を悪い方に考えるお前のソレはここまでくるともはや趣味だな。まあ、どんなにお前が卑屈を拗らせてようが俺らが良い方に軌道修正させてやればいいだけなわけだけど、そんな風に濁されたらやってやれることに限界ができちまう。言葉にできなくてもいいから、せめて隠さないでくれたら助かる」

ゆっくりと言い聞かせる言葉が額から振動と一緒に伝ってくる。まるで縋るような、染み込ませていくような静かな声。
涙を我慢し過ぎて痛む頭で一生懸命その言葉の内容を咀嚼していたら
扉が開く音が邪魔をした。
入口に視線をやるとそこに居たのはもうひとりの保護者。
ああ、もう。次から次へと。

「……夜まで会合があるんじゃなかったっけ」
「今夜小雨が降るらしいと聞いて気が萎えたので帰ってきました」
「おう天蓬。書類そこに置いといた」
「ありがとうございます。ていうかこの部屋煙で真っ白で前がよく見えないんですけど」

男にのし掛かられている女が半泣きであるこの状況よりも部屋の空気を心配した天蓬は窓を開けてからソファに歩み寄り、自分の頭上の空いたスペースに腰掛けた。
逆さまの彼がいやにゆっくりな動作で煙草に火をつけて深く吸い込むその一連の流れを恐る恐るといった心地で窺っていたら、義憤を含んだ視線が落とされて身を固くした。
何も言えずにいる自分をじっと見下ろしたまま、時間をかけて煙を吐いた彼は薄い唇を開いて言った。

「今、この棟の裏に男が転がってましてね」

さすがに顔が引きつった。

「……それは、事件だね」
「現場にはセッターの吸殻が落ちてました」
「……へえ」
「負傷した男性はシャツのボタンを握り締めてました」
「……へえ」
「叩き起こして事情を聞いてみたら女軍人に酷い目にあわされたと」
「………………」

それもう私じゃん。ちくしょうあの男、声帯潰しておいてやれば良かった。
返す言葉を必死に探す自分にかまわず、逆さまの天蓬は私の前髪を綺麗な指で透いた。

「もう少し詳しい話を聞こうかとも思ったんですがうっかり手が滑っちゃいまして。天帝坂から落ちていっちゃいました」
「え」
「すごい体勢で転がっていきました」

前髪を撫でる優しい手付きに似合わない言葉に瞠目した。
天帝坂とは天界では有名な、最悪に長くて急勾配な心臓破りの坂である。上から落ちたらかなりの速さで1分近くは転がり続けるだろう。ちなみにその坂は自分が襲われた現場から十数メートル離れている場所にあるので、うっかり手が滑って落ちれるわけがない。例えば引きずって連れていったりしない限りは。死んだんじゃないだろうか、あの男。

「……えっとさ」
「はい」
「……つまり、何をどこまで知ってるのかな」
「何も。ただ貴女は油断をしたんだろうということだけは分かりました」
「……うん。油断した」
「次から気を付けなさい」
「……ん、ごめん。……でもいきなりキスされるとは思わないじゃん」
「「……………………………」」

観念して小さく呟いたら、彼等は実に呆けた顔を晒した。
呼吸を停止させて瞬きを繰り返すだけの謎の沈黙。
辛抱強く十秒数えたあたりで目の前で捲簾がくわえている煙草の灰が落ちそうだったので胸ポケットの携帯灰皿を差し出したら、まだ長さのあるそれを二人は同時にぎゅっと揉み消した。

「うっそ」
「なにが」
「もしかしてそれだけですか?」
「押し倒されたけど返り討ちにした」
「ンだよ!てっきりヤられたのかと思ったろうが!」
「物事を悪く考えすぎなんじゃないかなあ」

言ってやったら彼らはいっそ笑えるほど大きなため息を吐いてその場で脱力した。
身体を支えていた肘を外して完全に私の上に寝転ぶ捲簾とズルズルと背もたれに沿って項垂れる天蓬を見て、ようやく自分は今までこの部屋の空気がひやりと冷えて張り詰めていたことに気付いた。
二人は項垂れたまま、だらだらとした動きで新しい煙草に火を付ける。

「誰よソイツ」
「知らないよ」
「おい天蓬」
「僕も知りませんよ。篝が原型なくすほど顔をボコボコにしたようで」
「何度か踏みつけただけだよ。あ、似顔絵描こうか」
「お前が描いたみかんの絵を誰もがカンガルーにしか見えないと言った事件を覚えてるか?」
「皆の発想が歪んでるんだよ」
「歪んでるのはお前の絵心だ」

どうやら人相画には期待されていないようなので、なんとか記憶を思い起こし、できる限りの情報を吐いてやることにした。

「えっと……ナタクの隊で、細身で、茶髪で、顔に特徴はなくて、意外と体術に長けてて、身長はキスされたときこの距離でこの角度だったから多分百八十欠けるくらいで、あとは胸掴まれたときに手首がここで指はここまできてたから手はこれくらい大きくて、あとは体温は高めなのかな。あのね舌がね」
「ああはいはいなるほどもう結構です篝」
「見当ついたからもういいから篝」
「え、うそ。二人ともすごいね」

この程度の情報量であっさりと特定したらしい二人が温度のない目で目配せし合うのを見上げながら素直に感心する。すごいなあ、ナタクの隊だけでも何十人といるのに。
もしかして先月の全軍合同訓練のときに組手をした相手だろうか。だとしたら自分の手グセも知られていても不思議じゃないけど。

「それにしてもその程度で全治3ヶ月なんてワリに合いませんねえ」
「言っとくけど私がやったのはせいぜい1ヶ月だからね」
「ていうかそんくらいであんな泥みたいな顔してたわけか」
「泥みたいな顔って」
「今にも首くくりそうな顔」
「そんな風には思ってないよ。こんなに動揺してる自分の女々しさにへこんでただけだよ」
「……あなたは何を言ってるんです?」

おもむろに天蓬が屈んで私の顎を掴んで上に引いた。容赦なく掴むもんだから逃げようとしたが捲簾が退いてくれないので叶わない。首が上に沿って自然と開いた口にするりと入ってきた彼の長く細い指に舌を捉えられて痛みが走る。

「へはい、へんほう、ひは!」
「気持ちは分からないでもないですが手加減というものを知りなさい」
「はえ?」
「思い切り噛んだでしょう。喋り方がおかしいですよ」
「おわ、ホントだ。すっげ血ぃ出てら」
「むやみやたらに自分を傷付けるのはここまでくるともはや趣味ですね」

彼は呆れ顔で人の口のなかを引っ掻き回してから口に布を突っ込んできた。血やら唾液やらが染み込んでいく。疲れきってぐったりと脱力した今の自分ができるのはただこの布がテーブルに置いていた布巾じゃないことを祈ることのみだ。

「女であることを恥じたりしたら許しませんよ」

言い放たれた強い言葉に瞠目する。そして珍しく不機嫌そうに細められた彼の目を見て、ようやく気付いた。

「僕は強い貴女を必要とした覚えはありません」

爪先立ちで歩いていた。
視界は少し変わるがやがて余裕が無くなり、不安定になり、隙が出来て、脆くなる。

「あなたはもっと、自分を許す努力をなさい」

ああ、せっかくここまで我慢したのに。
決して失望しないということを自分に信じさせるためにこんなに言葉を尽くしてくれて
こんな風に怒ってくれて
失望されることに怯えていた自分が一番自分に失望していたことを知って
さっきからずっとフィルターにきつく歯を立てている二人に今更気付いて

すべてがなんだか無性に嬉しくて、優しくて
自分はようやく涙を溢して笑った。







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この後、二人は男を全治6ヶ月にまで伸ばしに向かいます。

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