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陰で咲く…tenpo.kenren

軍医とは難儀な職業だ。
ただ、待つことしか出来ない。


治療の腕を買われた一般の医師が、上からの命令で軍医に転職させられるのは天界では珍しい話ではない。
そして軍医がどの職よりも不評なものであるのも、よく知られた話だ。
東方軍で軍医をしていた頃のことなんかは思い出しただけで吐気がする。名誉と昇進と保身しか頭にない若造ばかり。我々軍医のことをいくら雑に扱っても許される出来の悪い部下とでも思っているようだった。それは相手が自分のような年寄りでも関係ない。
それでも下界の平穏の為と歯が磨り減るほど食いしばって三年こなした業務だが、ある日擦り傷程度の怪我でやたら気が立っていた軍人の一人が無意味に自分の部下の事務員に暴行したことで堪忍袋の尾が切れた。自分は手元にあった鋏でその軍人の喉を突き刺した。
頸動脈の上を2センチでいいから傷付けられればと思った。喉仏を砕いて気道狭窄を起こせれば思った。殺す気だった。
下僕だと思っていた者による思わぬ抵抗に狼狽し、その軍人は咄嗟に後ろへ避けるのが精一杯だったらしい。椅子から転げ落ちて頭を打って失神した男に向かってもう一度鋏を振り被ったが、部下たちに羽交い締めにされて鎮静剤を打たれた。そして一連の流れを目撃していた軍人仲間が上に通報したことで軍法会議にかけられた。
結果、過剰防衛として言い渡された罰は部署異動。犯した罪にしては罰が軽いのは、数少ない軍医をこれ以上減らさぬ為になんとか人員を確保しようとしているからだ。
何から何まで不愉快だった。
叩き付けた辞表は、医師としての責任を果たすことが禊になる云々と綺麗事と打算が混じった汚い言葉を吐かれただけで有耶無耶にされた。
どうすれば辞表が受理されるのだろうか。どうすればクビになれるだろうか。そればかり考えていた。
集会の天帝挨拶中に吐血でもしてやろうか。奇声を上げながら刃物でも振り回してやろうか。宗教を立ち上げて人形に語りかけながら誰彼構わず勧誘して回ってやろうか。
年季の入った回転椅子に腰掛けてメスを手で弄びながらそんな考えを巡らせていたのは、西方軍に異動した初日だった。




「…長……婦長……───…淡悠婦長」

自分を呼ぶ声に意識を引き上げられた。
霞みがかった脳は、こちらを覗き込む若い女を自分の助手だと解釈するまで結構な時間を有した。
窓の外に目をやるとそこには夕暮れ。さっきまで時計の針は三を指していた筈なのに。

「………もっと早く起こしな」
「すみません。婦長が居眠りだなんて珍しかったもので」

疲れでも溜まっていただろうか。いつにない失態にため息をつきながら目頭を揉む。凝り固まった肩を回したら年季の入った回転椅子がギシリと軋んだ。
随分と懐かしい夢をみていた。当時抱いた負の感情を思い出してしまった。気分を何とかすべくデスクに置いたままだったコーヒーを一気に飲み下したが、すっかり冷めきった液体は逆効果でしかなかった。ああ、もう、不愉快だ。
このままでは心配気にこちらを窺う助手に当たり散らしてしまいそうだったので、深呼吸をしてから努めて慎重に言った。

「……今日の業務はもう終わりに」
ガショッ。ガラララッ

帰宅を促す言葉を耳障りな音が妨害した。医務室の扉が、恐らく足で乱暴に開かれた音。
ガサツなことをするんじゃない、と言おうとしてやめた。こんなことをするのは奴等しか思い当たらない。注意など無意味だ。

「ちーす」
「どうもです」
「ちわ」
「お届けものデース」
「ナマモノなんで腐らないうちに然るべき処置をお願いします」
「荷物扱いするな」

騒がしく現れたのは予想通り。西方軍名物の変人三人組。
他の助手達が出払っていて良かった。
軍医への対応が気さくなこの三人の来訪を諸手で歓迎して治療担当争奪戦をする浮かれた助手達と、ナンパをはじめる大将と、そこらのマグカップを勝手に灰皿にして煙草を吸い始める元帥と、ベッドで無意味に宙返りをはじめる斬り込み隊長により、この医務室は毎度混沌と化すのだ。
しかしこの来客の訪問はコーヒーでは成し得なかった効果をもたらした。そんな自分に苦笑する。助手達のことを言えたものじゃない。

「なに。ゴキゲンじゃねえのばあさん」
「何か良いことありましたか」
「え、なに。聞きたい」
「うるさいね。あんまり近寄るんじゃないよ。バカが移るだろう」
「医者が言う言葉かそれ」
「メンタルケアもお願いしたいところですねえ」
「どこもかしこも戦場だよもう」
「ああ、今日はあんたらの隊が担当だったかい。どうりで埃っぽい」
「それはすみません。帰還して直接此処に来たもので」

忘れていたフリをした。本当は知っていた。西方軍第一小隊の出陣を聞くと気が滅入るのはいつものことだ。
そんな状態で変な体勢で寝たりするから、あんな過去の夢を見たりするのだ。

「それで。大将に担がれてるチビ助が負傷者かい」
「うん」
「どうした」
「足捻った」

ずっと捲簾大将の肩に担がれたままだった篝が椅子に下ろされる。
元帥に持ち上げられたその華奢な左足首は変色していた。紫色を通り越して黒ずんでいる。既にかなりの熱を持ち、僅かに痙攣している。捻ったなんて生易しいものじゃない。骨折こそしていないものの酷い怪我だ。腱が切れているかもしれない。
それなりの大怪我のはずなのにいつものようにぼんやりとした表情でいるそいつに嘆息しながら、助手が持ってきた冷たいタオルを当てて処置をする。

「今も痛いかい」
「今は別に」
「麻痺してきたんだね。あんたがこんな怪我するなんて珍しいじゃないか」
「うん、まあ。ちょっとね」
「こいつ敵に足取られて転んでやんの」
「今日はやけに注意力散漫でして」
「刀が手からすっぽ抜けてたしな」
「ドジっ子キャラ狙いなんじゃですか」
「眠かったんだよ」
「なんだい寝不足かい。軍人が体調管理を怠るんじゃないよ」
「ちがうよ天蓬と捲簾のせいだよ」

ねちねちと楽しげに篝をいびっていた二人はぴたりと動きを止め、目を合わせ、同時に首を傾げてみせた。

「僕ら何しましたっけ」
「寝かしてくれなかった」
「そんなのいつものことじゃないですか」
「昨日は特に酷かった」
「イヤならイヤがれよ」
「嫌がった」
「そうだっけ」
「泣いて嫌がった」
「そうでしたっけ」
「疲れたし眠いし腰痛いし最悪だよ」
「篝が嫌がっていただなんて夢にも思いませんでした」
「天蓬と私は見えてる世界が違うのかな?」
「あ、お前の腕が赤くなってるそれって縛った痕か」
「捲簾はいつもきつく縛りすぎだよ」

しょうもない会話をため息まじりに聞き流しながらカルテに筆を走らせていたら隣にいた助手が「婦長」と小声で囁いた。

「前から思っていたんですがこの人たちの関係って、なんというか、いかがわしいというか」
「無視なさい。考え過ぎたら敗けだよ」

どうせ大将と元帥が溜め込んだ書類の処理をチビが夜通し手伝わされたのだろう。腕の赤く擦れた痕は大方、泣き喚きながら逃亡を繰り返すチビを椅子に縛りつけるか何かした痕だ。
変人達の行動パターンを把握できてきた自分に拍手を送りたい。

「もしかしてばあちゃん、さっきまで寝てた?」

いつの間にか会話を切り上げた篝が此方を覗き込んできた。
なにを見て寝ていたと判断したのかは知らないが、こいつは勘がよく働く質のようだ。
以前は女が軍人をやるなんて非常識にも程があると考えていた自分だが、こいつに会った今ではそんな考えは塵と消えた。
小柄でぼんやりとした姿とは裏腹に、頑固で無鉄砲で時に男よりも男らしい。
しかし茶葉や急須を持ち込んで棚を私物化して医務室を喫茶店に改造するのをそろそろやめさせたい。

「……ちょっと居眠りをね」
「珍しいね」
「座って寝たから腰が痛くてな」
「変な体勢で寝ると夢見悪くなるよね」
「そうだな。最低な気分だったよ」
「どんなの見たの」
「思い出させるなバカもん」
「東の軍医生活のことだったりして?」

うっかり驚いて顔を向けると捲簾大将は「お、ビンゴ」と笑った。
傍若無人の大きなガキ大将のような見せかけに騙されて、他に類を見ないほどの頭の回転の早さを持っていることを知らないでいる軍幹部はどれだけいることだろう。バカだと思って油断した者を笑いながら足元をすくう。
自分と同じく東方からの異動組で、やたら目立つので向こうでもしょっちゅう見た顔だったが、今のように楽しげに笑う印象はなかったと思う。
それにしても医務室のベッドをラブホ代わりにしようとするのをやめさせたい。

「ああもしかして、婦長が西に異動してきた初日に挨拶に伺った僕らにメスを振り回して襲い掛かってきたあれとかですか」
「うわ、なっつかし」
「そのあと何故か奇声を上げながらブリッジしようとして腰骨砕けたんですよね」
「篝なんかビビり過ぎて高笑いしてたよな」
「人は本当の恐怖に直面すると笑うって話は真実なのだと確信できました」
「いやあれは本当に怖かったよ、ばあちゃん」

己をクビにさせようと及んだ黒歴史を笑い事にされている。しかしそこに立ち合ったのがこの三人じゃなかったら今自分はここにはいまい。
目が合った元帥が目を細めて微笑んだ。
西に来て、軍医の働く環境の良さに驚いた。聞けばこの元帥の手回しによるものだそう。軍医を対等どころか丁重に扱おうとする姿が失礼ながら意外だったので以前その真意を訊ねたら「だって遠征で負傷して死にかけてた部下が治療を受けたら死ななかったんですよ。凄くないですか?」だなんてお前は本当にこの天界で頭脳明晰を謳われる元帥なのかと問い詰めたくなるような言葉を真顔で打ち返されのを覚えている。
とりあえず下界に行くたび土産としてドアノブカバーばかり買ってくるのをやめさせたい。こんなにいらない。

「どいつもこいつも口が減らないね。硫酸ぶっかけられたいかい」
「すんませーん」
「申し訳ありません」
「ごめんなさい」
「ほれ、手当ては終わりだ。あとは食って寝れ。松葉杖はそこの棚だ」

ああそれは大丈夫です、と当たり前のように怪我人を背負う元帥。それに疑問を投げ掛けることなく彼の首に腕を回す篝。タバコ吸いてえ、とぼやく大将。
どんなときでも全力で自由に振る舞い愉しむその姿は、まるで下界の人間のようだ。どうしてこの長い時間に心の成長を止めることなく、捻れることなく、こんな風に笑っていられるのだろう。
一度、こいつらが戦場で戦う姿を見てみたら分かるのだろうか。そんなことを想う自分に思わず笑いが込み上げた。

「淡悠さんも助手さんも、業務はこれで終わりですか」
「メシ行こうぜ、メシ」
「焼肉の予定なんですが」
「お代は持つぜ」
「我が隊が誇るドジっ子斬り込み隊長が」
「ちょっと。何で私」
「今日の戦績おさらいをしましょうか?」
「脅威の六割を無効化した大将。作戦設定及び指揮に徹した副将。初っぱなに一人でコケて戦線離脱した斬り込み隊長」
「…………………あとでちょっとATMに寄らせて下さい」



軍医とは難儀な職業だ。
ある日突然死ぬかも知れない者達と関わらなくてはならない。
幾人もの見知った顔の死際に立ち会うというのは生半可な精神で耐えられるものではない。
次はこいつらかもしれない。
明日には、医務室に顔を出しに来ることができなくなるかもしれない。

どんな怪我でも治してやる。
何としてでも帰ってこい。
生きることだけは諦めてくれるな。

そう願いながら待つこの心境を、共感できるものはどれだけいるだろう。
こんなに心を痛めて待てる誰かを得たこの喜びを、理解できるものはどれだけいるだろう。
自分の医師としての命を救ってくれた恩人を得たこの幸福と感謝を音にするには、言語はあまりに無能だった。
だから自分は、彼らで最期にするつもりでいる。
軍医人生で最期に関わる、この気の良い若者達が戦場で命を賭けるなら
自分も医師として、生きる者として、持てる全ての命を賭けよう。
もし彼らが何かの為に命を賭けるときが来たら
自分は最期まで味方であり続けよう。


医者である自分は待つことしか出来ない。
だが、待つことが出来るのだ。








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このばあちゃんが長編でからんでくるといいな(願望)と思いながら書いたのですが、説明的で好き嫌いがわかれる話だろうことはちゃんと分かっています、すみません!

元気でフットワーク軽くて潔くてちょっとおかしなおばあちゃんになりたい(願望)!

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