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赤、紅、朱…gojyo

※長編設定含む





いつだか誰かが言っていた。
赤色には、人が溜め込んでいる感情の覚醒を促す働きがあるのだと。

それがもし本当ならば
迷惑な話だな、と思った。





ソファに寝転んでうたた寝をしていた。少し寝ては覚醒し、また眠気に誘われる。それをかなりの間繰り返してから、ふと窓の外に視線をやる。
いつの間にか夕暮れ刻だった。
どろりとした真っ赤な夕日。この色に染まった空を見るといつも気持ちを圧迫されて、心許なくなる。
長く伸ばした髪が視界に入った。嫌な赤だ。この世にはこんなにも人を不快にさせる色があるものかといつも思う。
テーブルのカゴに収められた林檎もグロテスクに映る。煙草を取り出して火をつければその手も夕日のせいで真っ赤に染まっていた。
どこもかしこも、まるで血がブチまけられたかのような景色だなんて我ながら縁起でもないことを思った。
その時

ゴシャア

ノックもなしに扉が開いて、何かが転がり込んできた。ひしゃげた扉の金具が耳障りな悲鳴を上げて揺れる。あーあ、よく壊されるドアだこと。
破壊した張本人は玄関で力尽きたように崩れ、そのままぴくりとも動かない。
煙草の灰を灰皿に落としてから腰を上げ、血まみれのソイツの傍にしゃがんだ。

「生きてるか?」
「…………いきてるといいなあ」

掠れた声で反応したのを確認してから、ぐったりと弱ったその猫を抱き上げる。その下の床には大量の体液がすでに水溜まりのように広がっていた。
どろりとした赤黒いそれに一瞬止まった視線を無理矢理剥がして、赤を滴らせながら寝室に運び、ゆっくりとベッドに横たわらせた。

「……よごしてごめん」
「ばーか」

血だるま状態でシーツや床の心配をするバカ猫───沙弥に苦笑しながら汗や血で貼り付いた髪を撫でてやるとそいつは気持ち良さそうに眼を細めた。
「もうちょい辛抱してろ」とその場を離れ、リビングの棚から包帯や消毒液を取り出しながら煙草のフィルターを噛んだ。
賭博屋という裏商売をやっていれば必ず厄介事が付いて回る。賭けに大敗した逆恨みの乱闘騒ぎなんてのは日常茶飯事だ。その問題事の処理を買って出ているのが居候の沙弥だった。
そしてこいつが怪我をする度に手当てをするのはいつの間にか自分の役目となっている。賭場の店主のジジイに迷惑や心配を掛けたくないのだという。
寝室に戻り、変色したシャツを脱がしてやりながら今日のお勤め内容を問えば、賭博屋の襲撃を企む裏稼業共の情報を入手したとのことで、先にそのアジトを襲撃してきたのだと言う。勇ましいな、オイ。

「うーわ何コレ。痛くねえの?」
「痛いよ」
「何で切ればこんなキズができんのよ」
「その辺に落ちてる錆びた裁ち鋏とか」
「うげ」

華奢な身体中に残された歪な刺傷、切り傷に思わず顔をしかめた。どこよりも酷いのは太股の傷だ。濡れたスラックスを裂くと、さすがの自分でも思わず顔を目を背けたくなる痛々しさだった。
はさみによる傷口は治りにくい上、痛みだってハンパじゃない。
それなのに脂汗こそかいているものの、いつもどおりの鉄壁の無表情を貫けてしまうから、賭場のジジイはこいつの変化に気付けない。

「毎回言うけどよ、医者行ったらどうよ」
「毎回言うけどね、医者行ったらじっちゃんにバレるかもしれないから却下」
「却下じゃなくてよ。コレどう見ても縫合が必要な傷だっての」
「その見立ては大袈裟だよ。自然治癒でいけるよ。悟浄は医者に向いてないってことがよくわかりました」

なにがわかりましただ。
今日も今日とて頑なな聞き分けのなさに嘆息しながら沙弥の上半身を起こして、後ろからのし掛かるようにして抱え込む。胸に当たる小さい背中はかなりの熱を持っていた。

「噛んどけ」

その辺にあった自分のシャツを口元に持っていってやると大人しくそれをくわえた。
細い腹に腕を回して、歪な太股の傷に消毒液を含ませたガーゼを躊躇なく当てがう。その瞬間、駆け抜けたらしい痛みに沙弥は身体を強張らせた。噛んだ布が歯で擦れる音が聴こえる。
行き場なくシーツを握るその小さな手があまりに痛々しかったので、その手を取って腹に回した腕に導いてやった。
色素の薄い瞳に水の膜を張った沙弥は、少し逡巡してから細い指を俺の腕にひっかけた。




「すべてにおいてごめん」

湿布や包帯でぐるぐる巻きになってベッドで脱力している沙弥がぽつりと無感情に言った。
俺の左腕に視線を見やると、激痛の中でもがきながら立てられた爪によって血が滲んでいる。

「今度お前の淹れた茶を焼酎割りにして飲んでも良いってんなら許す」
「ぐう……っなんて非道な……神聖なお茶にアルコールを入れるなんて」
「あー腕が痛え」
「……一杯だけだからね。絶対に一杯だよ」

この程度の引っ掻き傷なんてケガしたうちにはいらないが、弱っているこいつが万が一にも気に病むことのないように軽く茶化してやると、ほんの少し安心したように眼を細めたのが見えた。
その間に血みどろになった床をモップで擦るが、シミが薄く広がっただけで綺麗になる気がしないので途中で投げ出した。寝室へ点々と続く赤黒い跡がまるで殺人現場のような不気味さを醸し出していたが非常な努力で気にしないことにする。

「今更だけど八戒は」
「三蔵ンとこ」
「ああ、そっか。今日は悟空のお勉強会の日だっけ」
「サルがやっと十以上の足し算を覚えそうだってよ」
「でも目の前に食べ物並べて数えないと分からないんでしょ。先生するのにもお金がかかるよね」
「オレが買い溜めしてるピスタチオの減りが最近はえーんだけどそれについてどう思う?」
「悟空の胃のなかだねー」

八戒のヤロウ、とボヤきながらコーヒーメーカーのスイッチを入れた。

「なに飲む?」
「コーヒー」
「だと思った」
「ブランデー入れてほしいな」
「お、それ最高」
「ホイップクリームものせてほしいな」
「調子に乗んなボケ」

今日はなんとなく、こいつがここに来るような気がしていた。勘であって根拠はない。ただ漠然とそんな気がした。
だから八戒には少し早めに家を空けてもらった。
以前サシで飲んでいたときに酔った沙弥がぽつりと、八戒の前では出来る限り背筋伸ばしていたいのだと言っていたのを覚えていたからだ。弱った自分は見せたくないと考えるだろうと思った。

「そういやお前明後日あいてる?三蔵が鍋すんぞってよ。なぜか俺ンちで」
「あける」
「おー、来い」
「でも塩麹鍋はもうやだよ」
「クソ坊主に言ってやって」
「ハマるとほんとしつこいよね、三蔵って」
「俺トマト鍋が食いたい」
「私パクチー鍋が食べたい」
「鍋じゃねーだろそれ」
「そっちこそ女子かっての」

適当な会話をしながら湯気の立つ二つのマグカップを持って寝室に入れば、沙弥は自力で身を起こして壁に寄り掛かっていた。自分もベッドに上がり、並んで腰掛ける。
マグカップを手渡そうと身体を向けたら、ケガ人とは思えない速さで顔に向かって手を伸ばしてきたので咄嗟に躱して、咥えていたタバコをサイドテーブルの灰皿に放った。
沙弥は手の届かない場所で揺れる煙を恨めしそうに見つめる。

「なんで吸わせてくれないのか」
「なンで吸わせると思うのか」
「お願いします」
「ダメ」
「少しだけ」
「はいダメ」
「先っちょだけ」
「仮にも女がベッドの上で先っちょとか言うんじゃありません」
「うあー」

口の中までズタズタになった状態で煙草なんて吸ったら滲みて仕方がないだろうし治りだって遅くなる。
それなのに、こいつに請われると結局折れてしまう自分の甘さが本当にイヤだ。わざわざ新しいタバコに火を付けてやってしまう俺が本当にイヤだ。

「やった。ありがとう」
「あー、自分がイヤだ」
「うおお、口のなかが煙で滲みる」
「あーイヤだ」

ズズッとマグカップの中身を啜ると我ながら良い按梅でできたコーヒーカクテルの味に癒された。

「こんな大ケガ久々じゃねえの」
「そうだね」
「ヘマした?」
「ヘマした。追い詰められた一人が苦し紛れに通行人を人質にした」
「お前ってそんなん見捨てて突っ込むタイプじゃなかったっけ」
「そうなんだけどね」
「ちょっとくらい否定したらどうよ」
「人質にされたのがおばあさんだったから」
「…………お前ってさあ」
「煩い」

なるほど、納得がいった。つまりその人質にされた老人を賭場のジジイと重ね合わせたわけだ。そんで大人しくボコボコにされてやったわけだ。老人好きもここまでくると大したものだ。
どうりで、こんなに落ち込んでいるわけだ。
沙弥の手から、短くなったタバコとついでにマグカップを奪って自分のものと一緒にサイドテーブルに置く。それに疑問の言葉を投げ掛けられるよりも先にその手を引いて抱き寄せた。
血と煙草の臭いに混ざって沙弥の匂いがした。無抵抗でされるがままの沙弥の顔はここから見ることは出来ないが、変わらず無表情のままなのだろう。

「なに」
「なにって。褒めてんだろ」
「なんで」
「任務は完了したんだろ」
「したけど」
「人質にされたばあさんはちゃんと逃がせたんだろ」
「なんで分かるの」
「でもばあさんを巻き込んだことにヘコんでるわけだろ」
「なんで分かるの」
「今日の俺はカンが冴えてんの」
「いつもこうだと良いのにね」
「なんだと?」

とことん可愛くねえな。
沙弥の後ろ頭を掴んで、こちらからは絶対にその顔が見えないように肩口に埋めてやった。
これで少しは弱音が吐きやすくなっただろうとあやすように背中をぽんぽんと叩いてやると、ゆっくりと手が腰に回された。

「お疲れさん」

褒められたくて、賭場のジジイに被害がいく前に裏で奮闘しているわけではないだろうが。
呼んでくれりゃ、ちょっとでも手招いてくれりゃ、どこのアジトへだろうと一緒に行ってやるのに。一緒に、いくらでも血を浴びてやるのに。意地でもこんな大怪我はさせねえのに。
謝りながら手当てを頼みにきてくれるくらいなら、あともう少しくらい俺を巻き込む勇気を出してくれりゃ良いのに。

「……悟浄は私に甘いなあ」
「こんなモンまだ序の口だわ」
「私だめになってしまうよ」
「ダメなくらいが人生楽しめんだろ」
「悟浄の甘やかしは毒だよね」
「毒薬変じて甘露となるってヤツだろ」
「あんまり甘やかしてくれないで欲しいな」
「その頼みは聞けねえなあ」

分かってる。
俺に甘えることに罪悪感を感じていることも、過去の何か後ろ暗いことを言えずにいるということも、これらの弱音を俺に言う気もないことは分かっている。
だからこれは単なる自分のエゴだ。

「お前は俺に甘やかされてしかるべき人間だから」

ちゃんと甘やかされてくんねえと。
言ってやるなり沙弥は俺の肩口に額をぶつけるように押し付けた。
しばらくしてからシャツを濡らす感触を感じて、視界の隅で長く伸ばした自分の赤にまるで縋るように引っ張る沙弥の指が見えた瞬間
全部ひっくるめて何もかもを手放しに嬉しいと思えたことに不覚にも感動してしまって、自分の腕に残る傷をなぞるように爪をたてて湧き上がる感情を逃した。


ひとしきり泣き終えた沙弥はバツの悪そうな、それでも気は晴れた顔付きになっていた。
髪を思い切りかきまぜてやるが、膨れっ面でされるがままになってるこいつは猫よりも猫らしい。

「……お世話かけました」
「だからそういうのいいってのに」

泣き疲れた沙弥につられて自分までぼんやりとしたまま少し冷めたコーヒーをゆっくりと流し込んだらつい気が抜けて、言わなくていい前振りが口からこぼれ落ちてしまった。

「まあ、ぶっちゃけ、アレだな」
「なに」
「……ああ、いや。べつに」
「なに」
「なんだっけな」
「なに」
「なんでもねえって」
「なに」

だめだ逃げられない。
真正面から覗き込んでくる視線から逃げるようにマグカップのなかの黒に向かって白状した。

「だからアレだ、俺はお前の赤は嫌いじゃねえんだなって思ったって話をだな」
「赤とは」
「血の色?」
「サイコパスかな?」
「言うと思った」
「よく分からないんだけど」
「俺もよくわかんねえよ」
「私も赤は好きじゃないけど悟浄の髪と目は嫌いじゃないよ」
「………………」
「それと一緒かな」
「………一緒だと良いな」

難しいな、と眉を寄せる沙弥に笑った。
嫌というほど散々見てきた色が、他とは違うと思えることがあるなんて夢にも思わなかったのだ。
だからこれは礼だ。お前への。

「ほんとよく分かんないけど」
「そう何度も言うことねえだろ」
「嫌いじゃないんだね」
「だからそう言ってんだろ」
「じゃあ、私はまた悟浄のところに来て良いの」
「他のとこ行ったら泣くぜ」

世の中に溢れる赤は、ただの不快な存在ではないのだと思わせてくれたお前に、俺は心の底から感謝をしている。
だから、えも言われぬ心地好さをくれるお前に
今日も俺は出来る限りの感謝を降らすのだ。



いつだか誰かが言っていた。
赤色には、人が溜め込んでいる感情の覚醒を促す働きがあるのだと。

それがもし本当ならば


悪くない話だな、と思った。








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テーマがすぐに迷子になって完全失踪することで定評のある自分です。
迷走の結果、とにかくバカ猫を甘やかすことに全力を注ぐことにしましたのがこちらになります。

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あきゅろす。
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