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耳を塞いで聴く世界…tenpo


耳に入る音が全てとは限らない。
なのに、ここには音が溢れすぎていて
私はいつも肝心なそれを聞き漏らす。


「そんで?その時おまえはどういうアクション取って何を言ったのか言ってごらん」
「胸ぐらを掴んで"部下を盾にしてでも生きてもらわないと恥をかくのはこっちなんだよこのバカ上官"」
「おまえがバーカ」

捲簾の反応は予想通り。
予想通りではあるが自分の不快指数は確実に爆上げしたことはお知らせしたくて、これ見よがしに舌打ちをしたらそこにあった報告書で頭を叩かれた。
言いたくて言ったわけじゃない。向こうが言わせたのだ。自分だってこんな台詞、言いたくなかった。
元を考えたら原因は自分じゃない。

「バカは向こうだ」

床に向かって不満を吐くこちらに、捲簾は困ったように苦笑しながら煙草の煙を溜め息と一緒に吹きかけた。
久しぶりに足を踏み入れた西方軍大将様専用の部屋。持ち主も釣具置き場としか使用していないので、生活感は薄い。
そんな、広くはないが狭くもない部屋の真ん中にぽつんと鎮座した三人掛けソファの両端にそれぞれ腰掛けて投げ遣りな言葉を交わしながら煙草をふかしていた。
二人分の煙が部屋の視界を白に変えていくが窓を開けに行く気は起きない。このまま肺癌になって死んでやる心算だ。
あとで泣いて後悔すればいい、天蓬なんて。

「ヤケになんなってのばか」
「だからバカは私じゃない」
「ほれ、窓開けろばーか」
「……バカじゃない」

言い返しながらも渋々と重い腰を上げて上司の命令に従った。
苛立ち任せにフィルターに歯を立てながら窓を開ける自分を慰めるかのように、少し肌寒い夜風が柔らかく頬を撫でた。吹き込んできた桃色の花弁にも、肩で切り揃えた髪を優しく梳かれる。
あまりに穏やかで静かなその空気により一瞬、先程まで戦場を駆け回っていたことを忘れるなあ、と思ったら肩がぴりっと痛んだ気がした。

「初負傷か。遠征無傷記録は二十四回でストップだな」
「この程度の傷でみんな大袈裟だよ。見くびってもらっては困るよ」
「泣きながらそこのドア突き破って入ってきたやつがよく言えたわ」
「いや私泣いてない。泣いてないよ」
「おう、よく見さらせよこの金具がひしゃげたドアをよ」
「二郎が修理得意だよ」
「てめえで直してどうぞ」

医務室で大袈裟に包帯を巻かれた肩の擦り傷を見て眉を寄せる。
こんな傷よりも、ましてやこの部屋の扉よりも、他の場所の方が重症だ。一昨日悟空に膝かっくんされたときに豪快に転んで擦りむいた膝小僧とか。いまだに痛い。
ああ、もう、ほんと痛い。

「喧嘩すんなら俺が居る場でやれよ。何があったのか未だにイマイチ分かんねえよ」
「だからこうしてドア壊すほど急いで捲簾大将に説明責任を果たしに参ったんだよ」
「自室で喧嘩の内容振り返ってたら居ても立っても居られなくなっただけだろ?」
「なんでそういうこと言うの?」

気遣いのない言い草に睨んだら、肩の包帯を指で弾かれた。軽傷とはいえ名誉の負傷に対してひどいことをする。
そう、名誉の負傷だ。数時間前に天蓬を庇って負った傷。
今日の昼に例のごとくどこからか発生してきた複数の強大な獣は、天蓬の予想でさえも上回るほどの機敏な動きをみせた。
力と持久力がない代わりに高い瞬発力を買われて隊にいる自分はここで仕事をすべきだと判断した。
巨体に似合わぬ跳躍をして迫る横薙ぎの攻撃が、後衛の隊をまとめていた天蓬に向いた。咄嗟に後ろに飛んで避けたとしてもそばの部下たちが攻撃を受けることはなかったろうが、ただ、意識を後ろに向けて危害が及ばないことを確認したその一瞬の逡巡が回避をする十分な時間を奪った。
前衛から後衛に駆け付けていた自分が、その襟首を掴んで地面に伏せさせていなければ彼は腕の一本も失っていたかもしれない。
包帯に巻かれることになった自分のこの肩の怪我は、その際に獣の爪の先がほんの僅か掠ったに過ぎない。その痛みよりも、吹き上がってきた砂埃にやられた眼と喉の方が辛かった。
そうして、地面に伏して咳こみながら目も開けられず涙を拭って痛みをやり過ごしていたら「こんなの冗談じゃない」と吐き捨てた天蓬は、そのまま有無を言わせず自分を戦線から外したのだ。
無茶なことをやったとは思っていない。
ツバをつけるまでもないかすり傷だ。軍人にとっては怪我のうちにも入らない。どんな怪我も死も覚悟のうちだ。
皆、そのはずだ。

「ねえ捲簾」
「なに」
「何で怒られたの、私」
「さあな。現場見てねえから分かんねえよ。俺最前に居たもんよ」
「私がしたことは余計だったのかな」
「余計じゃねえよ。それは否定しといてやる。おまえはよくやった」
「ねえ捲簾」
「なに」
「私、どうしよう」

身を置く場所を、間違えているだろうか。
天蓬を庇ったのが自分じゃなくて、他の同僚だったなら。捲簾だったりしたのなら。彼はひと言礼を言うだけに留めて一緒に戦場に戻ってくれたのだろうか。
異端を嫌うこの天界では女軍人なんて異例は真っ先に白い眼で見られる対象だ。そんな自分を捲簾と天蓬は特別視せず、役割を与えてくれて、対等に扱ってくれる理想的な上官であり、友人だ。
そう思っていた。
これが単なる思い込みだったなら、全て独りよがりな自己満足だったなら、ねえ、どうしよう。

「おまえはどうしたいの」
「……ここにいたい。……ここにいることを望まれたい」
「望まれてると実感したことは今までに一度もねえの」
「……そんなの」

そんなの、しょっちゅうだ。
溜まった重要書類を片すの手伝ってくれだとか、淹れたお茶を褒められたときとか、下界から持ってきた変な味のカップ麺を分けてくれたときとか。
1日のなんでもないやり取りのなかの仕草や言葉尻にのせて、ふとしたときに実感させてくれる。言葉や態度、持てる伝達手段の全てを使って、自分の居場所を示してくれる。
バカみたいに脆くてすぐに乾く自分の心を、この人たちは鼻歌交じりに満たしてくれる。

「そんなら一度くらいあいつの態度がおかしかったからって今までもらったその実感を疑わないでやれよ」
「……そうだね」
「ときには他人を信じる努力も大事よ」
「……がんばる」
「頑張れ。頑張れなくなったら俺に言え」
「……わかった」
「部下は盾ってのは本心じゃねえな?」

声が喉に引っかかって俯いたら、そばに寄ってきた彼の大きな手が前髪を梳いてくれた。
感情任せの言葉だった。言った瞬間の天蓬の顔を、自分は決して忘れないだろう。
対等な関係を喜んでいたくせに、女軍人の異端児という世間の冷たい風当たりから守ってもらっていたくせに、今日の自分は上下関係なんてつまらないものを持ち込んだ。上司を死なせて部下が生き残る屈辱という軍人的精神論を持ち込んで、押し付けた。
涙こそ落ちなかったけれど、あのとき彼は確かに泣いた。声を上げなくても、頬を濡らさなくても人は泣けるのだと初めて知った。
私が、泣かせた。
黙り込んだ天蓬から逃げるように、私は同僚に連れられて先に天界へ戻ったのだ。

「……ごめんなさい」
「天蓬に言ってやって」
「……許してくれるかな」
「あー、どうかなー会ってもくれねえかもな」
「……怒られるかな」
「どうかなー怒ってもくれねえかもな」
「……クビになったりして」
「どうかなーもうすでに敖潤に異動申請書提出済みかもな」
「慰めてよ!」
「十分慰めたわ!」

ついに湿っぽい雰囲気に飽きたらしい。
彼はじれったそうにタバコのフィルターをぎりぎりと噛み締めながら両手で乱暴にこちらの髪をかき混ぜた。

「こんなちっこい頭でなに考えたってロクな答え出ねえんだから、とにかくさっさと元帥サマの部屋行ってこい!」
「あとで行く!」
「日頃涼しい顔して戦場で命のやり取りしてるヤツがこんなことでビビってんじゃねーよ!」
「怒られたくない!」
「腹くくれ!今日の勝ち戦キめて意気揚々と後衛に合流したときの俺ら前衛の気持ちが分かるか?いつの間にかおまえはいないわ、天蓬は膝抱えてるわ、どいつもこいつも真顔で黙々と獣の亡骸に刀を突き立ててるわ!どうしたー篝でも死んだかー?って冗談飛ばしたらアイツら石投げてきやがって」
「あーもうなにその空気やだほんと怖い逃げたい!」

容赦なく追い込んでくる捲簾を黙らせたくてクッションを顔に押し付けたら手首を取られ、体をひっくり返されソファに捩じ伏せられた。

「ちょっと!私ケガ人だって言った!」
「たかだか全治5日の擦り傷だろうが!」
「3日だよ!」
「お大事に!」
「ありがとう!」

咥えていた煙草の灰がこちらに落ちてきそうになって少し慌てた捲簾の隙をついて、後ろ手に捻り上げられていた腕を解き、体を捻って仰向けになって鍛えられたその腹筋に蹴りを叩き込んだ。

「てーめえ、このぞんざいな塩対応を天蓬にもやれってんだよ!」
「できれば苦労しないんだよ怖い!」
「なあにが苦労だ!めそめそじめじめしてただけじゃねえか!」
「早々に捲簾がフォローしてくれればこんなうじうじしないで済んだんじゃないかな!」
「今こうして個人面談のアフターケアしてやっただろうが!」
「延長でお願いします!」
「天蓬本人にケアしてもらえ!」
「だからそれができれば苦労しないんだよ怖い!」
「ああもういっそ気が済むまで殴り合えば良いんでないの?拳で語り合えば良いんでないの?俺レフェリーやるぜ!」
「まずはレフェリー相手にウォーミングアップしようかなあ!」
「あ、そういうこと言う?レフェリーに返り討ちにあう未来を選んじゃう?」
「僕もまぜてもらえます?」
「─────っ」

ヤケクソな応酬に前触れもなく混ざってきた不意討ちの声に、自分は声も上げられずひとりソファから転げ落ちた。
咄嗟に捲簾が後頭部に手を差し入れてくれたお陰で床に頭を打ち付けることを免れた。
しかしとてもじゃないけど視線を入口の方には向けられなくて我ながらかなり強張ってるだろう視線を、何故か苦々しげに眉を寄せた正面の捲簾に固定する。

「おまえ、いつから居た?」
「ご想像にお任せします」
「来んの早過ぎだろ。わざわざ時間指定したんだからこういうときぐらい従えよ」
「自室で喧嘩の内容振り返ってたら居ても立っても居られなくなったんですよ、僕も」
「……おまえ、ほんとにいつから居た?」
「だからご想像にお任せしますって」

あ、この男、自分がこの部屋に逃げ込んでくることを見越して天蓬を呼んでやがった。なんて残酷なことをするんだろう許さない。
怒ってやりたいのにあまりの気不味さと不安で呼吸もままならなくて、酸素が足りないのか頭が膨張したように熱くて心臓が痛い。
身を起こした捲簾が手を引いてくれるままに上半身を起こすと視界の隅に入る、白衣。

「篝」

彼に名前を呼ばれたのと同時に飛び起きて、ソファの肘掛けを踏み台に、先ほど自分で開けた窓に向かって身を投げるよりも早く捲簾に羽交い締めにされた。
後ろに肘を叩き込もうとする自分の行動を先読んだように、さっさとソファに座り直した彼の膝の上に引き戻されて後ろからがっちりと抱き込まれる。
呆れ果てた溜め息が耳をくすぐった。

「よくもまあここで逃げるって選択肢を選べるわ。逆にハート強いわ」
「離して。ほんとに後生だから離して。お願いします離してお願い、うう、お願い」
「あー落ち着け。大丈夫だから。頼むから」

よしよし、とぐずる自分をあやす捲簾の腕の中で必死に足をバタつかせてもがくが、早々に疲弊してぐったりと後ろに身を預けた。
改めて自分の体力のなさを情けなく思う。こんなんで軍人やってるなんて、そりゃあ、だめだよね。
白衣の主はしばらくその場に足を止めていたが、やがてとろとろとした足取りで目の前まで来て、床に膝をついてこちらを見上げた。

「篝」

耳を塞ぎたいのに両手が自由にならなくて、必死に目を瞑って肩をすくめる。なんで耳には瞼がないんだ。
勝手なことをしないでくださいって、やっぱり女が軍人やるのは無理ありますねって、言われる心の準備ができていない。
捲簾に信じる努力をするように言われたばかりだけど、確かにもっともだと思うけど、
私は、今は、貴方たちと一緒にいるための努力で精一杯だから。助けてもらわないでも堂々と隣に立てるように、私が知らないところで死なれないために、努力の全てを注いでるから。
それを否定で突き放されたら、自分の全部が崩れてしまうから。

「篝」
「うう、待って、ねえ、待って」
「ここまで怖がられるのは新鮮ですけどなかなかこたえますね」
「お願い、ちょっと、待って」
「あのね、幻滅しないで聞いてほしいんですけど」
「やだー、幻滅、やだから」
「夢見が、悪くて」

まだ夢のなかにいるかのような、上擦った声だった。
恐る恐る目を開けたら、泣きそうな、困ったような、いろんな感情が煮詰まりすぎてどこかぼんやりとした顔をした彼がいた。

「あなたに、死ぬ覚悟があるのは分かってるんですけど、部下を、あなたを、死なす覚悟が僕にはまだなかったようで」

まだまだだめですねえ、とまるで笑っているかのように顔を歪めた。
自分は混乱したいっぱいいっぱいの頭を必死に回転させる。
悪い夢見ってなんだろう。天蓬は自分が淹れるお茶を落ち着くと言ってくれるけど。寝る前にいつもお茶を淹れてくれって頼まれるけど。お茶は覚醒作用があるから夜はお勧めしないよって言ってもそれでも良いからとお願いされるけど。お茶をわたすとお礼じゃなくて「助かります」と言うけど。昨夜は都合がつかなくて淹れてないけど。
過去に部下を死なせたことがある話は聞いていたけど、部下を守る為に戦ってたって聞いたけど。もう克服したものだと思っていたけど。

「心配をしたら、信用してないことになりますかね」

そんな顔で、そんなこと言わないで。
何かを言いたいのに感情に言葉が追い付かなくて余計に焦って肩を震わす自分に、彼は慰めるかのように表情を緩めて小首を傾げる。
そして彼は恐る恐るといったようにこちらに手を伸ばして、肩の包帯に綺麗な指を滑らせた。そして迷わず、寸分違わず、小さな小さな傷の上に指の腹をおく。

「痕、残らないといいんですけど」
「……残らないよ」
「痛くないと、いいんですけど」
「……痛くないよ」
「それなら、いいんですけど」
「……どっちかっていうと、メンタルの方が重症かな」

いろんな感情が振り切れて疲れたようにぼんやりとしたその表情が辛くて、なんとかしたくて、いつの間にか解放されていた両手を持ち上げて彼の頬に伸ばした。

「……痕、残らないといいんですけど」
「残さないでよ」

濡れてはいない目尻に親指を這わせたら、彼はくしゃりと眩しそうに笑って「残しません」と言ってくれた。

「心配してくれてありがとう」
「ここにいてくれてありがとう」

今それを言うのはずるいな。でもまんまと嬉しくて鳥肌がたつ。なんて単純。
甘やかされているついでに甘えさせてもらおうと、真正面から綺麗な眼を覗き込む。

「今抱き付いたら、抱きしめ返してもらえるのかな」

彼はようやく、いつもの綺麗な笑顔で両手を広げてくれた。

「ええ。どうぞ」

腹に回っていた腕を捲簾が解放したのを合図に、その胸に飛び込んだ。
言葉にはしない謝罪と、感謝をいっぱいに込めて抱きしめ返してくれる強い腕と早く脈打つ心臓の音を感じて、ようやく呼吸が楽になる。
しゃがんだままでも揺らぐことなく受け止めてくれる逞しさを持ったこの人が、いつもは強く香る煙草の甘ったるい匂いをさせないくらい、自分のことを一生懸命考えていてくれていたことに湧く感情が追い付かなくて、必死にその背中を掻き抱いた。
またぐずりそうになった自分をまた見越したかのように、ぱんぱんと後で手を叩く音が鳴った。

「よっしゃ、解決したな?もう良いな?功労者の俺に晩メシを奢る準備は良いな?」
「ここは慰めようと僕たちに奢ってくれるべきところじゃないです?」
「わたしは肉が食べたいよ」
「おうコラ恩知らずども。レフェリー交えた乱闘で決めるか?」
「殴り合いですか。たまにはいいですね」
「私は木刀ありで良いよね」
「好きにしろや。また片手でねじ伏せてやるわ」
「肩狙えばいいんですよ。なんか怪我してるみたいなんで」
「へえ、おまえ怪我してんの?だっせ」
「待ってこれ名誉の負傷」
「次はもっと上手く守ってくださいね」


音が溢れすぎて、私はすぐに肝心な声を聞き漏らす。
強くて優しい彼らの言葉の端、小さな仕草、笑い声のなかにある悲鳴を聞き逃さないように、今日も必死に耳を塞いで耳をすます。






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初めて書いた話が喧嘩ものですよ……
怒られたくないんですよ……

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