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09…挨拶
     

カツン、カツン…と広くて長い廊下に二人分の靴音がこだまする。
目的の部屋が近付くにつれて高鳴る心臓。緊張のあまり、バック転でもしながら叫び散らしてやりたい衝動が込み上げた。そんな自分を落ち着かせようと深呼吸をしてから掌の汗を服で拭う。ついでに額も拭ったが汗はかいていなかった。
西方軍第一小隊へ配属が決まった。変わり者と名高い隊。それをまとめる上司になる方々に挨拶をせん為、今日この東南棟に赴いた。
先に大将の部屋へ足を運んだのだが留守だった。気合いを入れて来た分、肩透かしにあった気分だ。しかし気を抜いてはならない。続く相手は元帥だ。
自分と共に同じ隊へと入隊が決まった、隣を歩く洋閏を見ると顔が強張り過ぎて半笑いになっている。恐らく自分も同じような顔をしているのだろう。第一印象は大事だ。それによって今後の自分の生活が一転する。吉と転ぶか凶と転ぶか。
暫く歩いた後、漸く目的の扉の前に着いた。年期の入ったこじんまりとした扉の筈が、"ズゴゴゴゴゴ"と効果音を背負っているように見えるのは緊張で脳がパンクしきっている証拠だ。
洋閏が喉を鳴らして唾を飲み込んでから丁寧に扉をノックをした。
暫しの沈黙。
また留守だろうか。続けて根気よくノックを繰り返すとやがて「あー、どーぞー」と間延びした声が返ってきて思わず肩が跳ねた。軍師で名高い有名元帥の声。
掌の汗を服で拭い、「失礼します」と意を決して扉を開いた。


「「…………………………」」


目の前の現象を脳が咀嚼して飲み込むまでかなりの時間を有した。
そこに居たのは、様々な太さの紐を床に並べて首を傾げる天蓬元帥。ソファで女性を押し倒している捲簾大将。そして彼に組伏せられているのは見知った顔。
何故か視界がボヤけると思ったらこれは部屋に充満する煙草の煙だ。しかし見れば窓は開いている。煙草は体力を鈍らす。ゆえに軍人は基本、嫌煙者だ。それを空気を濁すまで喫煙を好む軍人がいるとは。

「おー、洋閏と永繕か!」
「…………ッは、い!?」

捲簾大将に名を呼ばれて声が裏返った。慌ててピッと姿勢を正して敬礼する。自分よりも先に冷静さを取り戻した洋閏が声を張り上げた。

「ほ、本日づけで正式に西方軍第一小隊に配属となりました洋閏隊員、永繕隊員にございます」
「改めてまして入隊のご挨拶に伺いました」
「あぁ調度良かったです。彼女を取り抑えるのを手伝って貰えます?」
「来い!早く!あと、そこに落ちてる紙も拾ってこい」

…挨拶に来たと言ったときは普通、この隊における規則だの心得だの軍人としての心構えを説かれる筈だ。命を賭ける者へと成ったことへの叱咤激励を命を預ける上司から受け、身を引き締める為の儀式のひとつと言える。
取り込み中でしたのなら出直しますが…、と声を掛けるタイミングを見計らう自分等にはお構い無しに彼等は会話を続ける。

「天蓬!早く縛るモン持ってこいって」
「えー…絞め縄がどこかにあった筈なんですよねェ…」
「何でも良いっつの!」
「重いウザい離せ。除隊を希望する」
「ったく往生際悪ぃな。いい加減諦めろ」
「殴って気絶させた方が早いですかね」
「かもな。鈍器持ってこい」
「ついでに採寸してしまいましょうか」
「俺さっきスリーサイズ言い当てたじゃん」
「でも服の上から見たサイズでしょう」
「ンじゃ答え合わせってことで」
「はーなーせ!」

いまいち状況が掴めないが、取り敢えず捲簾大将の言った"そこに落ちてる紙"とやらを探そうと視線を落とすと足元に紙くずが落ちていた。何の気なしに拾ったら入隊承諾書だった。重要書類じゃないか。何故こんなにしわくちゃなのか。よく見たら承認の欄に汚い字で名前が殴り書きされているのに気付いた。

「篝、か」

思わず呟くと、捲簾大将と殴り合っていた彼女が初めて此方に視線をやった。相変わらずの無表情だが、一瞬動きを止めたのは驚いたのだと解釈しても良いのだろうか。

「…どーも」
「試験ぶりだな」
「そうだね」
「…なんか知らんけど大変そうだな」
「分かるなら助けろ」
「あー…ワリ。命令だから」
「!?ちょ、……っと待て。おい」

俺と洋閏が加勢して取り押さえたところで漸く、「メジャーを見付けました」と元帥が笑った。
軍人になって初の指令が女を取り押さえるものになるとは夢にも思わなかった。





「私、訴えたら勝てると思うんだ」
「訴える?誰を」
「口八丁でしたら負けませんよ」
「…お嫁にいけない」
「今更じゃねーの」
「興味あったんですねぇそういうの」

大波乱の採寸を終え、窓枠で煙草のフィルターを噛みながら項垂れる篝に、ケタケタと笑いながら追い討ちをかける大将と元帥。
自分と洋閏はソファに腰掛け、同じくソファで寛ぐ上司様方と向かい合っていた。また緊張がぶり返して来た。自分はこんなにも落ち着きのない男だっただろうか。

「…お茶いるひとー」

篝がカエル型の灰皿で煙草を揉み消しながら呟いた。大将と元帥がひらひらと手を上げるのを横目で見てから彼女は台所へ向かった。咄嗟に「自分も手伝います!」と席を立って彼女の後を追った。置いてきぼりになった洋閏の恨めしげな視線を感じたが気付かないフリをした。すまん、洋閏。
遅れて台所に着けば、既に慣れた手付きで茶葉ややかん、湯飲みやきゅうす等を棚から取り出して茶を入れる篝がいた。

「手伝えることあるか?」
「……えー…っと…?」
「あ、俺永繕ね。あっちのは洋閏」
「ども。じゃそこの棚から茶漉し取って」
「おう。………棚…?」
「右から2つ目の棚。4段目の手前」
「お前よく来るんだ、ここ」
「?今日が初めて」
「は!?じゃ何でこんな手慣れてんだ」
「この部屋片付けたの捲簾らしいから。性格知ってれば物仕舞う場所も分かるでしょ」
「……どうやって」
「?性格。手癖とか思考回路辿れば」

わかんねぇよ。
大将と元帥とは昔馴染みなのかと聞けば1年も経っていないと言う。お互いの呼吸のタイミングまで理解し合っている様子だったのに。きっと似た人間同士なのだろう。
更に聞けば、知り合ってから長い間彼等が軍人だとは知らずにいたのだと言う。そんなことがあり得るのだろうか。

「それにしても女の軍人かァ」
「有り得ないよなァ」
「いや、意外とアリだと思えるぞ。お前見てると」
「…有難い、かもだけどマイノリティだから。その考え」
「ていうかあの大将と元帥を見てると何でもアリって気になるな」
「……それは確かに」
「無茶苦茶だよなァ、ほんと」
「その無茶苦茶な野郎相手に何でそんなに緊張してるんだろうね、君達」
「お前が緊張しなさ過ぎなの。俺等はフツー」
「変わり者の大将元帥の隊の配属になっちゃって残念だね」

そう言われて逡巡する。あぁ、面接の待機室で洋閏としていた噂話のことか。変わり者と名高い、この隊の。

「別に入りたくないなんて言ってないだろ」
「志望したのか。物好き」
「うっせ」
「…何か魅力でもあるの、こんなとこに」
「あー、俺と洋閏、同じ道場通ってんの。んで、そこの先輩がこの隊の軍人やってて。その人軍人になって人柄がやたら変わったから」

興味持った、と言えば篝が少し目を細めた。目に見えて表情を変えたのを見たのは初めてだった。本当は表情豊かな奴なんだろう、と根拠はないけどそう思った。
茶が適度に蒸し上がるまで、二人で他愛のない話をした。コイツは気だるげな態度のせいで冷めた印象を受けるが、人に媚びないだけで無愛想なわけではない。姿と物言いは男性的だが、さり気無い仕草や表情は女性的。どこか矛盾を感じさせる女だった。
自由に見せ掛けて、自分で柵を作っている。そんな気がした。

暫くして茶を持って部屋に戻った。既に隊に関する概要についての話を始めているかと思えば、そこには刀を片手に型の稽古をしている洋閏達がいた。

「何してんの、部屋の中で」
「えぇ、型のチェックを少し」
「お茶入れたけど」
「おー、サンキュー」
「…隊の概要って私も聞いた方が良いの」
「いえ別に。特に話すこともないですし」

無いのか。せめて隊のしきたりや在り方も教えて貰いたいのだが。…マジで無いのだろうか。それで軍が成り立つものなのか。
くそ真面目な洋閏は大人しく、正の型を構えたままどこか遠くを見詰めていた。

「それよりこの後篝の技能の記録を取らなきゃならないんですよねェ。申し訳ないんですがお二人共もお付き合いして頂いてもよろしいですか?」
「どうせなら模擬試合すっか!」
「そうですね。かかり稽古なんてみみっちいですし」
「篝、負けたら罰ゲームな
「明日の他の隊員との顔合わせのときに腹踊りお願いします」
「いい加減にしろお前ら」


再び口喧嘩を始めた彼等を入れたてのお茶を啜りながら眺めた。
あぁ、何だか少しだけ分かった気がする。
この上司達を目の前にするとこんなにも気持ちが高揚する理由が。篝を見ると──…どこか遠くに感じる理由が。
彼等は自分の知らない世界を知っている。自分では考えも及ばない思考を持っている。己の信念を持っている。
大した時間を共にしたわけでもないのに、自分の胸の内を締めてしまう程の圧倒されるインパクト。

楽しげに口論を交わすその様子を見て
これから始まる日常を夢見て
口が自然に綻んだ。
凄く貴重な人達と知り合えた気がする。
そう考えたら鳥肌が立った。


その日飲んだお茶は、
忘れられない味になった。

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あきゅろす。
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