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28…祈捧

当たり前の生活はこんな風に前触れもなく、崩れてしまう。



親交のあった近所の住民たちは皆こぞって、痛々しげな瞳で慰めの言葉をくれた。
そして口を揃えて言うのだ。
「仇は紅爪が打ってくれただろう」と。
私は苦笑を返しながら、寧ろ私が皆を元気づける形で、今日もご近所巡りを済ませた。
昼過ぎに沙弥さんの怪我の様子を見に宿へ戻った。大部屋を用意すると言った私に彼等は、猫の脱走を防がねばならないから、と小さな部屋を希望した。猫、とは沙弥さんのことだろう。何故彼女が逃亡すると思うのか私には理解は出来なかったが、万が一あの重症で動かれたりなんかしたら命を落としかねない。と、言うことで窓が1つの二人部屋を貸すことにしたのだ。

「麗蘭です」

扉をノックして部屋に入る。
そこには八戒さんと三蔵さん、悟空さんしか居なかった。彼女はどうしたのか。まさか脱走をしたのか。
聞けば、彼女はただ散歩に出掛けただけだと言う。散歩。散歩ですってよ。全治何年の身体だと思っているのか。指一本動かすことも難しい筈なのに。往来で内臓ぶちまけたいのだろうか。

「何で止めないんです!?」
「治ったんだろ」
「そんな筈ないじゃないですか!あんな大怪我でッ」
「昨日の夜沙弥と手合わせしたけど大丈夫そうだったぞ」
「何してんですか!」
「まぁ、治りの早さって本人の気の持ちようだったりしますから」
「限度があります!」

ぱっくり開いた腹。ズタズタになった背中。打撲、切傷、刺傷、火傷。それが2日で治ったと言う。バカですか。
視線を反らしながら何かをはぐらかす彼等を更に問い詰めようと口を開いた瞬間。

ゴシャアァァ

扉を突き破る勢いで何かが部屋に飛び込んできた。"それ"はその勢いのまま机を器用に飛び越えてベッドに腰掛ける三蔵さんを巻き込んで止まった。
銀の髪と男物の白いシャツに黒のスラックス。あぁ沙弥さんだ。どう見ても沙弥さんだ。走ったのかアンタ。一昨日は血溜まりの中に横たわっていた人が。何故そんな爽やかに汗をかいている。

「あ、沙弥お帰りー!」
「あー………ただいま」
「おやおや。4日前のデジャブですね」
「…ワザとじゃない」
「あれ、悟浄は一緒じゃねーの?」
「もう直ぐ来る。鍵掛けといて」
「……………貴様は……ッ」
「…三蔵。ワザとじゃない」
「るせぇ!!とっとと上から退きやがれ!!」

もつれあったままの状態で平然と会話する沙弥さんにブチ切れて、なんとまぁ懐から短銃を取り出した三蔵さんを悟空さん達が宥める。
何で法師が銃を持っている。
疑問を口にするよりも早く扉が外から叩かれた。恐らくこれは悟浄さんの声。鍵が掛けられた扉の向こうで騒ぐ様子を皆して眺めていたら、やがてその木造の扉は蹴破られた。ただの木片になった扉が宙を舞う。……あぁ……明日大工さん休みなのに。

「あーッ悟浄ドア壊した!」
「うっせぇ猿!こんな脆いと思わなかったんだよ」
「何やってるんですか貴方は…。すみません麗蘭さん。弁償しますんで」
「いえ…もう好きにして下さい…」

沙弥さんが元気な理由や法師の銃器所持も、彼等に関してはツッコミ所が多すぎてきりがないので諦めることにした。

「悟浄の負け」
「病み上がり相手に本気出せっかよ」
「負けは負け。いけ。三蔵に鼻フックで背負い投げ」
「それはまたえげつない罰ゲームですねぇ」
「すっげぇ!命知らず!」
「待てコラ。さっきと内容ちげーぞ」
「三蔵は今怪我人ですからやるなら今ですね」
「八戒!カメラどこカメラ!」
「やってみろクソ河童。その瞬間、今日が貴様の命日だ」

誰かがネタを振って、広げて、茶々を入れて、トドメをさして、締める。コント集団か、あなた達は。鼻フックに挑むまでもなく蜂の巣にされかける悟浄さんや、それを囃し立てる悟空さん達の楽しげな様子を眺めていたら、飽きないなァと無意識のうちに口元が綻んでいた。
その後八戒さんに誘われて皆でお茶をした。旅の話や長安での話を聞かせて貰った。三蔵さんは意外と老人臭くて、悟空さんは意外と視野の広い人で、悟浄さんは意外と純粋な人で、八戒さんは意外とドス黒くて、沙弥さんは意外と女らしい人だった。
たくさん笑った。時間を忘れて話をした。父を亡くした…かもしれない、こんなときなのに。嘘みたいだ。普段、常に抱えていたどろどろとした気持ちを忘れさせてくれた。こんな日が来るとは思わなかった。
悟浄さんが持っていた真っ赤なアネモネの花は花瓶に飾られ、誇らしげに咲き誇っていた。



夜。買い出しから帰ってきた八戒さんと沙弥さんを交えて夕食を終えた。彼等のテンションは日常的なものらしい。まるで宴会のような食事風景に唖然としてしまっていたので何を食べたか覚えていない。
三蔵さん等に挨拶を済ませて部屋に戻ろうとした私の服の裾が引かれた。振り向くとそこには気だるげな銀の瞳。

「麗蘭が寝泊まりしてる部屋は上?」
「?はい。そうですけど」
「…もうひとり寝るスペースあるかな」
「えぇ。私のベッドは大きめなので…」

首を傾げて訊ねてくる沙弥さん。可愛らしく思う反面、あぁやはり女の子なんだ、と残念にも思う。
しかしそれよりも嬉しいことが起きた。短期間の付き合いでも分かる完全受身体質の彼女が自分から今言わんとしていること。それはつまり

「三蔵さん!今夜沙弥さんを貸していただいても良いですかッ?」

たった2つのベッドを賭けたポーカー大会を今まさに始めんとしていた彼等が一斉に此方を向いた。
沙弥さんの脱走疑惑が晴れた今、もう大部屋に移っても良い筈なのだが生憎、タイミング悪いことに他の客室が全て埋まってしまったのだ。
嬉しさの余り噛み付くように言った私に三蔵さんは眉を歪めて呟いた。

「…何故俺に言う」
「泊まんの!?うわー、楽しそう!」
「良かったですねェ沙弥。お友達が出来て」
「添い寝ならオレがお供するけど?」
「それは沙弥さんにお願いします」
「あらら。もしかして麗蘭ちゃんのシュミってそっち?」
「ふふ、ご想像にお任せします」

任せるな、と渋い顔をする沙弥さんを無視して礼を言い、彼女を引き摺るようにして部屋を後にした。
父が行方不明になってから数日。睡眠薬を飲んでも眠れない日々が続いている。気持ちが整理出来ていない自分を取り残して、変わらずに時を刻むこの世界は恐怖でしかなくて。昨夜も冷たいシーツにくるまりながら震えて朝を待っていた。
一応薬を飲もうとピルケースを開けると空だった。あぁ、しまった。今日買い足すつもりがすっかり忘れていた。溜め息をついて水だけ飲んでからベッドに枕を2つ並べてシーツの中に潜り込んだ。

「女子とお泊まりって緊張する」
「やだ、笑かさないで下さい」
「……どういう意味」

だって緊張て。武器を持った猛者達相手に涼しい顔で斬り合っていた人がこの程度で。背中爛れて口から血ぃ出しても無表情でいた人がこの程度で。あれだけ無駄に顔が整った派手な男の人達にを囲まれてる人がこの程度で。

「男性とはあるんですもんね。同じベッドで眠る状況」
「…?いや別に」
「あら。悟浄さん達と半同棲してたって」
「……男?」

本当にこの人は。
つくづく独特な価値観を持った人だ。
何となく、この人達の関係が理解出来てきた。歳も性別も…種族も越え、底で分かり合えている魅力的な関係だ。

「お父さん探すのやめた、って聞いた」

前置き無しのそれに驚いた。隣を見るが、彼女は天井に視線を這わせたまま此方は見ない。
そう。私は父の生存捜索を続けることを諦めた。一番宿舎が込み合うあの時間帯に父がそこを離れることは、まずない。聞けばウチの食事処の常連客だった酒屋の主人や八百屋の夫婦の行方も不明だと言う。お隣さんだった煙草屋のお婆さんも行方が知れない。
諦めざるを得ない材料は揃っていたのだ。
生存を祈るのは諦めた。今の私が祈るのは、出来れば父や皆が痛みも苦しみも感じる間もなかったこと。

「今頃父は、母と再開してるんです」
「…頑張って生きたねって誉めて貰ってるかも」
「だと、良いですね」
「…後、追いたい?」
「──…ぇ」
「お父さんの」

あまりにさらっと言われて理解が遅れた。彼女は天井の木目から視線をやっとこちらに向けた。
その瞳は真っ直ぐで、今私が首を縦に振ったらきっと後を追うのを手伝ってくれるのだろうと思った。この広くて孤独な世界から解放してくれる。

「どうする?」
「………私、」
「……………」
「………会いたい、です」

父に、母に会いたい。こんな他人だらけの世界で独りなんて耐えられない。
怖い。
目の前に用意された膨大な時間が。
足がすくんで仕方がない。

「じゃあ」
「でも、今じゃなくても良い…んです」

人は死ぬ。いつか会うことにはなる。ならば胸を張って会いに行きたい。十分生きたんだと、土産話を抱えて。
きっと、今後を追ったりしたら怒られる。

「そう」
「…はい」
「じゃ、私と一緒」

死ぬ日の為に生きるんだね、と目を細めて言った。死、という人生最後の行事を迎えた時の自分の為に。
前向きだか後ろ向きだか分からないそれが、恐らく今彼女の生きる為の全てなのだと思った。そして私も。

「じゃ、生きるのを選ぶなら泣かなきゃ」

…さっきからこの人は。
随分とワケの分からないマイペースなことを言う。これが本来のこの人なのか。

「私にそんな資格は」
「あいつ等殺そうとしたことなら良い」
「良い…って」
「私が良いって言ってるから良いんだ」
「…"私が"…?」
「紅爪の私が」
「……沙弥さん、三蔵さんに似てきましたね」
「泣くぞ」
「じゃ、私の代わりに泣いて下さい」
「あんたは私が地獄から這い上がるきっかけをくれた」
「……………」
「借りは返さなきゃいけないんだ」
「私はもう十分…」
「震えて泣いて、弱音を言葉にして変わるものもあるって」

私はそう三蔵に教わった、という言葉と同時にふわりと煙草の匂いに包まれた。私よりも一回り小さな身体に抱き締められて、とんとん、とあやすように背中を叩かれた。
すると己の意思とは関係なく涙がこぼれ落ちた。堰をきったように流れる。
泣きたかった。泣けなかった。独りでは泣けない程、自分が弱いとは思わなかった。
静かに脈打つ沙弥さんの存在を表す音が耳元で聴こえる。暖かい音だ。
沙弥さんが男の人なら良かったのになァ、と言ったら、…性転換考えとくよ、と渋い声が帰って来たので思わず笑った。

泣き疲れて目蓋が重くなって降りてくるのを他人事のように感じた。
本当に、驚きっぱなしだ。
ろくに眠れても、泣けてもいないことを静かに察して助けてくれた。
この人には救われてばかりいる。自分が他者の支えになっている自覚なんて彼女自身思ってもみないのだろうが。
結局私は何も返せない。誰かの為に何かしたいと思っても、結局は自分のことで頭がいっぱいなのだ。
私もこの人のようになりたい。
彼女も私と同じく、今は生きることを選んだ。きっとそう思えるようになったのは彼等のお陰なのだろう。
この人達みたいに、私もなりたい。

私にはない世界観を持った人々。
そしてこれからも私は知ることのないだろう世界を知ってる人々。
飄々としていて
でもがむしゃら。
孤独の恐ろしさを知っている人達。
目の前の彼女は散々遠回りをして、居場所を見付けた。
自分もいつか、見付けることが出来るだろうか。

私は重力に任せて目を閉じながら
自分のことを祈れない、不器用なこの人達のかわりに
純と濁を併せ持つ優しい眼をしたこの人達の幸せを
眩しく輝く月に祈った。

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あきゅろす。
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