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25…絶対

それは恐怖を生むほどの、優しさ。



目を覚ましたら外は暗かった。時計を見れば9時を回っている。かなり長いこと眠っていたようだ。頭は大分すっきりしていた。
ダルい身体を起こす。少し寝疲れをした。夢を見ずに眠ったのはいつぶりだろう。
床に足を降ろすと年期の入った床が軋んだ音をたてた。
暗い部屋を見渡すと眠ったままの三蔵がそこに居た。月の光を金糸が鈍く反射させていて非現実的に見えた。
───…私を殺してくれると言う。
独りにしないでくれると言う。
信じて良い、んだよ…なァ。
この人は有言実行の人種だから、疑いはしないけれど。臆病者の私は、今紫の瞳が閉じられていることで不安になる。有無を言わさぬその瞳で、今一度信じさせて欲しい。後で起きたらもう一度聞いて確認しようか。しつこいだろうか。ていうか怪我の具合はどうだろうか。あちこち骨がイッていたそうだが。
いくら視線を注いでも金糸は微動だにしない。死んだように眠る、とはこのことか。

「………………………………………」

ちょっと不安になってきた。
マジで死んでないだろうな。
ていうか昨日の会話からして私の妄想だったりしないだろうな。まさかの夢オチ!?ちょっと待て勘弁してくれ。いくらなんでも笑えない。
パニックになってぐるぐるとマイナス思考を展開させていたら

「──────…っ!?」

何かが手に触れた。
見るとシーツの中から伸びる大きな手が私の手首を掴んでいた。
び……っくりした。

「……………どうした」

寝起き特有の掠れた低い声で唸る三蔵に胸を撫で下ろした。
横たわる彼の顔の横に手をついて薄く開けられた眼を覗き込む。全てを見透かされるようなこの眼はまだ苦手だけれど、紫の中に映った私は酷く安心した顔をしていた。

「……おはよう」
「…………………………」
「相変わらず低血圧だね」
「…………………………」
「…………………………」
「…………このバカ猫…」
「………………………?」
「───…何、泣きそうな顔してやがる」

あぁ、やっぱりあんたは凄い。
他人に心情を読まれる表情など曝したつもりはないのに。
不機嫌に睨み上げてくる彼に目を細めながら髪に触れてみた。
私をあまり甘やかさないで欲しい。寄り掛かってしまうから。どんどんと弱っていってしまうから。
細くて艶のある髪を何度かすいてから、眉間のシワを人差し指でつついてやった。

「何、寝惚けたこと言ってんだ」
「…うぜぇ」
「八戒達はどこ行ったの」
「知るか」
「使えない」
「黙れバカ猫」
「あー喉渇いた」
「枯れて死ね」
「煩いボケ法師」

何故か罵り合いになってしまった。出直そう、と溜め息をついて扉に向かう。本当に喉が渇いてきた。そんな私に、三蔵も鼻を鳴らして背を向けた。
その際に掴まれていた手首からするりと離れる。その温もりが少し名残惜しかった。
そんな変な未練を振り払いながら歩を扉をくぐる。この宿の1階も食堂になっているのだろうか、とか考えながら部屋の扉を閉める瞬間

「俺が貴様よりも先に死ぬことはない」

ハッキリとした声が背中に投げ掛けられた。息を飲んで室内に目を向ける。そこには先程と変わらない、三蔵の背中。

「絶対だ」

三蔵が向こうを向いてくれていて良かった。
そう、何度も泣き顔を見せてたまるか。
私が口を開くよりも早く寝息が立てられた。何だ。狸寝入り、上手いじゃないか。
私が臆病になる度、彼はそれを取り除いてくれるのか。今のように。これからも。
それを思った瞬間。喜びよりも恐怖が私を支配した。彼を信じていないわけでは決してない。もし彼を失ったときの、突き放されたときの恐怖を想像してしまう。
謝罪の言葉を小さく小さく呟いて、今度こそ扉を閉めた。
あぁ、温かい。
私なんかには、勿体無い。





強くなりたい。

「おっちゃーん!青椒肉絲と鶏の唐揚げと桜えびの炒飯と担々麺と酢豚と蟹玉と水餃子と揚げシュウマイを全部大盛り!」

宿の1階にある食堂。思い付く限りの料理を叫ぶと料理人のおっちゃんがテンション高く応じる声が返ってきた。
銃声と、脳が頭蓋骨が飛び散る音。泥に沈んだまま「皆私を置いていなくなる」と訴える震えた声。それらが耳に残って離れない。
思い出せば負の感情に飲み込まれてしまいそうで、一心不乱に食べ物をかきこんでいた。
自分は弱い。呆れるほど弱い。分かっていたつもりだった。全く分かっていなかった。驕っていた。自分は本当に弱い。
このままではまた失う。また後悔する。また何も返せないで。また、
昔のように───…

「……………あれ」

昔……?何の話だ。
自分の思考に首を傾げる。観世音菩薩と沙弥の会話を聞いていたときもこんな気持ちになった。懐かしく、悔しく、胸を締め付けるような罪悪感と感謝の感情の渦が押し寄せた。"ありがとう"、と。思わずあの時は口走ってしまったけれど。
そこまで考えてふと顔を上げると
フラフラと階段を降りて来た見慣れた銀色を積み上げられた皿の間から見付けた。

「沙弥ー!」
「………………げ」
「何だよ!」
「……別に」

彼女に景気良くと手を振り回して叫ぶと、げんなりとした表情でこちらを凝視された。
懐かしい。長安に居たときも、ひたすら食べる自分をうんざりと遠目から眺めてくるのが常だった。
不変を望むことはない自分だけれど、今ばかりはそれが変わらないことが、凄く嬉しい。
沙弥は無視を決め込もうとしたようだったが手を振り続ける自分に根負けしたように、こちらに足を向けた。

「起きて平気なのか?」
「ん。…相変わらずの胃袋だね」
「おう、飯美味いぞ。食う?」
「見てるだけで十分」
「沙弥みたいなのをもやしって言うんだろ?悟浄が言ってた」
「てめぇ今何つったコラ」
「じゃあ食べろって。ちょっとでも」

ほら、とススメると少し不服そうに考えた後「じゃ…スープだけ」と手を伸ばした。
少食にも程があると思う。そのわりに身長は自分よりも頭ひとつ分も上と言うのが納得いかない。

「八戒たちは?」
「んー八戒は麗蘭とこ。悟浄は知らね」
「そう」
「三蔵寝てた?」
「あー、うん」

スープを覗き込みながらぐるぐると無意味にスプーンでかき混ぜる沙弥の目元は赤かった。また泣いたのだろうか。
まだ、死にたいと願うのだろうか。

「なぁ、沙弥」
「ん」
「俺、今から余計なこと言う」

いぶかしげな顔をして顔を上げた。真剣に見返すと沙弥の気持ちが引け腰になったのが分かった。俺が言おうとしている何かに警戒している。
だから直ぐには言葉を続けない。
先を促されるまで待つ。
そうして俺は逃げ道を作ってやる。
沙弥が聴きたくないのなら言う気はない、と。
その逃げ道に気付いたらしい彼女は、凄く複雑そうな表情をした。
そうして暫く考えを巡らせた後。
その薄い唇から「どーぞ」、と呟かれた。

「沙弥、俺と一緒に強くなろう」

勇気のいる言葉だった。
微かに震えていたかもしれない。
これだけ弱っている彼女に、俺は「もっと頑張れ」と言っているのだ。十分頑張った彼女に。それは凄く酷なことだと思う。
しかし、今言わなくてはならない気がしたのだ。根拠はない。勘でしかない。間違っていたら、彼女は今度こそ壊れかねない。

「俺さ、昨日沙弥が"死んだ"とき……逃げたんだ」
「………何、から」
「全部から」

自分の掌を見詰めた。
小さくてマメだらけの手。
人間は強くはない。普通の人間は自分の掌に収まるだけの、自分の背に負えるだけの荷物しか持つことは出来ない。
それでも、自分の限界以上のものを背負わなくてはいけないことになったら。
その人間は、その荷物と一緒に潰れるか、────…誰かの手を借りるしかない。

「俺、強くなるから」
「……………………」
「そんで俺の手、貸すから。沙弥のこと、手伝うから。だからそれまで沙弥は…頑張ってくれよ」
「………私の手は、空いてない」
「自分の分は俺が背負う」
「………借りたその手に見合うものを、私は返せない」
「いらない。それは俺が探して返して貰うものだから」

銀の髪が震えていた。
本当に、優しくされることに慣れていない。
恐らく、この優しさの終わりを思って震えているのだろう。一方的に散々優しくされて、心を許した途端に突き放されて独りになることを恐れている。
それは過去に賭場屋のじいちゃんのことがある以上、仕方がない。
でも、いつかは信じて欲しい。いつかは安心して貰いたい。

「沙弥が怖いって思う気持ち、分かるよ。俺」

長い時間を独りで生きる恐怖。
終わりが見えない。気が遠くなる。途方もない時間。退屈は人を殺せる。孤独だって人を殺せる。
怖いなんてもんじゃなかった。
沙弥はその絶望を、研究室で、長安で経験させられた。沙弥の中の魂も過去に経験させられた。

「その怖さを知ってる俺等だからこそ感じられることって、あると思うんだ」
「……………」
「知ってるからこそ世界の綺麗さが人より分かって、飯が美味くて、生きてることが嬉しいんだ」
「……楽しい?」
「おう、すげぇ楽しい!きっと明日は晴れだぜ!」
「………何を、根拠に」

絶対、明日は今日より晴れる。
そして世界の綺麗な姿を見せてくれる。
そして檻の中からでは予想もつかなかった、その美しい姿を、俺は何度も記憶に焼き付けるんだ。

「悟空」
「ん」
「私は、どう見える?」

消えそうな声でされた突拍子のない質問。
でもこの問いは沙弥の全てなんだろうと、思った。よく分からないけど、そう思った。
俺は首を傾げて少し考えた後、窓の外で視線を止めた。そしてそれは自然と口から溢れ落ちた。

「月」

言うと予想外だといった顔をされた。
そうだ、彼女は月だ。
夜空に浮かぶ銀の月。
前に八戒に聞いたことがある。

「太陽があるから、月は光るんだ」

太陽があるから存在が確かなものになる。
太陽が無くなれば自身も消える。
独りでは生きれなくとも、他者の力を借りれば夜の主役をも張ることが出来るのだ。そしてその光はまた、他の誰かの道標にも成りうる。

「沙弥っぽいじゃん」

笑顔で、そう言った。
月に例えるなんてまたそんなキザな、とか言われるかと思ったけれど彼女は呆けた顔で此方を見返すだけだった。
俺の眼を正面から覗き込む銀の瞳。俺の眼に映る自分を見ているようだった。彼女に自分自身はどのように映って見えるのだろう。
出来れば、弱くて強い人間らしく、眩しく映っていると良い。

「私は、ここにいる?」
「おう」

だって俺がここに居るから。
そう答えると沙弥は今度こそ、嬉しそうに目を細めた。
俺等がいる限り、沙弥は生きている。だから、世界に絶望しないで欲しい。

「絶対、生きたいって思わすから」

だから沙弥は俺が強くなるまで頑張って待っていて。
三蔵の「絶対」を支えるための、俺の「絶対」。"対"の可能性を"絶"やす。
その決意が本当になるように。
俺は強くならなくてはならない。

「…楽しみにしてる」
「おう!」


その日、俺は約束をした。
大事な大事な約束を。
この約束を破るときは、
三蔵が、俺が命を絶やすとき。

もう一度見た窓の外の月は
驚く程、美しかった。


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