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23…夜明

終わりにしよう。




「おや、おはようございます」
「起きてるなら言え、バカ猫」
「お前相変わらず狸寝入り上手いのな」
「沙弥ワリ!俺うっかりした!」
「………………………………」

狭くはないが広くもない部屋を陣取る2つのベッドうちのひとつ。そこで無表情ながら脂汗を落とす沙弥。いつから起きていたのだろうか。悟空は気付いていたようだが。まったく、どいつもこいつも狸寝入りが上手いことだ。
まぁ兎に角、漸くゆっくり話せる環境になったのだ。この機会を逃す手は、無い。

「──…沙弥」

小さく名を呼んだ。
──────一その瞬間。
目の前から沙弥が掻き消えた。
あぁ、やはりか。
別段驚くこともなく溜め息をついて悟浄と八戒に目配せをした。合図するまでもなく、苦笑をした二人は既に床を蹴っていた。
小さな部屋にしておいて良かった。
この距離ならいくら瞬発力のある沙弥でも────…間違いなく捕獲することが出来る。
窓が叩き割られるよりも早く、悟浄がその細い右手を、八戒が左手を掴んで床に引き摺り倒した。
一瞬の出来事だった。
二人分の体重を受けて俯せに押さえ込まれた沙弥が苦し気に呻き声を上げた。

「甘いですねェ。貴女の考えそうなことくらい分かってますよ」
「何年来の付き合いだと思ってンの?」
「一昨日と同じ手は食いません」
「往生際悪ぃってーの」
「観念しましょう?」

楽しげに悪役の常套句を並べ立てる二人に「うゎあ…」と引いた声をもらす悟空。相手が怪我人だということを忘れているのだろうか。
逃亡防止として悟浄が自分の腕の包帯を解いて、床に転がった沙弥の両腕を背中で手早くくくった。

「では僕、沙弥が起きたことを麗蘭さんに報告してきますね。心配してらしたので」
「俺腹減った!食堂行ってくる!」
「ンじゃ俺タバコ吸ってこよっと」

止める間もなく、あとはよろしくー、などと手をひらひらさせながら奴等は部屋を後にした。あいつら全部押し付けて行きやがった。
眉間にシワを寄せて扉を睨んでいたら沙弥が小さく溜め息をついたのが聴こえた。
俺は痛む身体を叱咤してベッドから腰を上げ、そいつの頭の隣に腰を下ろした。床に寝転がったまま見上げてくる気だるげな銀色を見返す。
真っ白い無表情の顔。どこか人形のような非現実的な雰囲気が漂う。まるで作り物のようだ、と頭の隅で思った。
そうだ。
一昨日再会したときにも感じたこと。
いや、もっと前から感じていたことだ。
コイツは時々─…生き物の匂いがしない。

暫く見詰め合った後、先に目を伏せたのは沙弥だった。

「目をそらすな」
「………………」
「此方を見ろ」
「…………やだ」
「その逃げグセ、いい加減何とかしたらどうだ」
「…………煩い」
「貴様は何から目を背けてる」

俺か、過去か、──…己か。
何でお前が俺等から逃げる必要がある。
何をお前が後ろめたく思う必要がある。
何もしていない、被害者だろう。
お前なりに必死に生きた結果だろう。

「……ごめん」
「何がだ」
「……いろいろ」
「言え」
「……やだ」
「おい」
「……言わせるな」
「現実を直視出来てねぇ奴は謝罪する資格はねぇ」
「何か眠くなってきた」
「ぶっ殺すぞ」
「…殺してよ」
「……………」
「…あー………忘れて」

弱々しく脱力して、ゴン、と額を床に打ち付ける沙弥。
反射的にそんなことを口走ってしまう程、弱りきっているのか。
あぁコイツは、あらゆるものから目を背けている。他者から、現実から、自分から。
目の前のことを受け入れているように見せ掛けて、実はただ右から左へ受け流しているだけだ。
床に無造作に放ってあった荷物に手を伸ばして煙草とライターを取り出した。火をつけて吸い込めば煙が肺を支配する。切れた口の中の傷に少し滲みた。
閉めきられた室内に煙が立ち込める。視界が白く濁っていく。

「貴様が見てる現実は」
「…………………」
「まだ、地獄か」

ぴくりと、の肩が震えた。
地獄。
ずっと気にかかっていた。昨日、俺を殺しに掛かるときに麗蘭とかいう女が叫んだ言葉。そしてその女を諭す沙弥自身が言った、"あんたは地獄を見なくて良い"という言葉。

「…………地獄、だなァ」
「………………」
「そう、思わなきゃ気が狂いそうだった」

何かを恨まなきゃ、生きてけやしなかった。
そう、額を床に擦りつけたまま静かに呟かれた。
コイツは何よりも自身が憎いと言った。
死にたい。許されない。
生きなくてはならない。
これ以上自己嫌悪が酷くなれば生きていくなど出来ない。
俺や妖怪を恨み続ける度胸はない。
だから現実を恨んで憎んで生きるしか
負の感情を盾にする生き方しか分からなかった、と。

小刻みに揺れる細い肩に気付いた。
銀の髪を柔く掴んで顔を上げさせた。
顔を再び向き合わせると、その薄い色素の瞳には水の膜が張っていた。

「…だから…言わすなって言った」

嗚咽を抑え込みながら、形の良い眉の間にシワを寄せて言う。
弱音を吐くことは出来ない。
独りで泣くことも出来ない。
弱音を吐いたらもう歩けなくなりそうで。
泣いたらもう立てなくなりそうで。

「貴様には立ち止まることも必要だな」
「……………」
「生き急ぐな」
「……一度立ち止まったらもう歩けない」
「その時の為に観世音菩薩が俺のところにお前をやったんだろう」
「……………」
「1人で歩き続けるなんざ無理に決まってんだろうが」
「……………」
「疲れたってんなら何かに手を伸ばせば良い。人間の強さなんてたかが知れてるんだ。だからそれは恥じゃねぇ」
「三蔵がらしくないことを言ってる」
「うるせぇ」
「……三蔵に助けを求めたら何をしてくれる」
「ジープの後ろにくくって引き摺ってやる」
「……………それは、」

有難い。と、呟くと今度こそ。その細められた瞳から水の粒が溢れ落ちた。何年も溜め込んだ涙が堰をきったように、次から次へと溢れて床を濡らした。いつも通りの無表情で、静かに雫を落とし続けた。
独りでは現実を直視しきれない。そして理屈を捏ねて仮面をいくつも被るから、どれが素顔か自分でも分からなくなるのだ。そうしていくうちにコイツは感覚を麻痺させていった。
自分は今痛いのか嬉しいのか、悲しいのか楽しいのか、何が好きで何が憎いのか、生きてるのか死んでるのか分からなくなって行ったのだ。
だからどこか、非現実的で浮世離れした雰囲気が漂うのだ。
過去が、人が、よってたかってコイツをそうさせた。

「…………怖かった」
「あぁ」
「……あんたのその眼が怖かった」
「あぁ」
「……力強くて説得力が在りすぎるその眼が、怖かった」
「あぁ」
「……自分は生きてないかも…じっちゃんとの約束守れていないかも…と思うと怖かった」
「あぁ」
「その眼を持ったあんたに……生きてることを否定されるのが怖かった」
「あぁ」
「……だから…逃げた」
「あぁ」
「……何も知らないあんたたちが私を仲間に誘うのが、怖かった」
「あぁ」
「……最後にはまた独りにされるなら……最初から独りでいたかった」

あぁ、コイツは
人から傷付けられるのを恐れて
先に自分で自身を傷付けているのか。
先に相手を拒絶して自分を守るのか。
愛され方を、知らない
愛し方を、知らない
大切にされる自分を大切にする仕方と
大切に思う相手を大切にする仕方を知らない。

「──…この世界は、貴様が思っているよりも単純だ」

机の上に放ってあった短銃を手に取って弄びながら、丁寧に言葉をつむいだ。

「地獄に勝る苦痛も、極楽に勝る悦楽も、全てはこの世に存在する」

半端に優しいから傷付いて。
笑いながら現実を嘆いている。
様々な感情に渦巻かれながら
飲み込まれないように様々な方法で自分を守りながら。

「地獄にも極楽にも成りうるんだ、この世界は」

どっちになるかは己次第。

「貴様は今生きている」

不安になったなら何度でも問えば良い。何度でも答えてやる。

「死ぬ手段は何としてでも見付けてやる」

冷たく重い手元の短銃。
弾が入っているのを確認して
銃口をそいつの頭に向けた。
数時間前まで生々しい銃痕が残っていた額に。
突き付けられたそいつは、微塵も動揺することなく目を、僅かに細めた。

「死ぬ日の為に生きれば良い」
「──────…最後は?」

半年前と、──…前世と同じ思いをしないように。"死"が万人にとって苦であるとは限らない。
希望であると考える人間も少なからずいる。死とは人生最後の行事だ。
締め括りも納得いくものにしたいと考えることは間違いではない。

「殺してやる」

噛み締めるようにそう言ってやると
沙弥は、笑った。
銃を突き付けられたまま、笑った。
漸く。
嬉しそうに、全てから解放されたように。
揺れる瞳を更に濡らして
眩しそうに、此方を見上げた。

「途中で投げ出したりしたら、化けて出るから」

昨日の観音とのことを知ってか知らずか。
そんなことを言ってのけるバカ猫に
そいつは面倒だな、と鼻で笑って煙草の煙を吹き掛けてやった。
部屋の扉の向こうから聴こえた3人分のハイタッチの音。
沙弥と目を合わせて
同時に目を細めた。


漸く、
気が遠くなる程長かった夜が、明けた。

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