炭酸 (完結)
炭酸

「ちょっと出かけてくる。」

「そう…暑いから気を付けてね。」

母に見送られてガチャリと玄関の扉を引けば、目が眩む程の光がさんさんと降り注ぐ。
白く大きなつばのある帽子を被り、歩き始めた。
全く進まない大学のレポートを放り出して出かけた事を除けば、いつも通りの散歩にすぎない。

家の前の狭い路地裏を抜ければ、青々と茂る木々が太陽の光を受けてキラキラ光る。

「もう、5年か…」

暑い日差しの中、自販機で飲み物を買って、彼と歩いたのがつい最近のように思い出せる。

待つと決めた冬の日、環は並木道から中学までの道のりを欠かさず歩いた。
出発の約束を守る為に歩き続けている。5年という歳月の中で、並木道の変貌も見届けてきた。
夜になると薄暗くて見えなかった歩道は街灯が明るく照らすし、古くてガタガタだった道路は綺麗に整備された。

そして一番大きく変化したのは木々。以前は広葉樹だったものが、中学校の募金により桜が植えられたのだ。

「春は綺麗な花を咲かせてたのに…もう葉っぱだけね。でも写真は撮ってあるし、いつでも見せれるわ。」

彼が帰って来た時、ビックリさせるんだと皆で撮った桜の写真はいつも部屋に置いてある。

「あ。」

ただひとつ、変わらなかったもの。

それは彼と飲み物を買った赤い自販機。
道は綺麗に整備されたのに、これだけは飲み物の配置もバリエーションも変わらないままでいた。
蜃気楼が映し出すかのように、彼との夏の思い出が脳内に流れる。
もう、随分と経ったものだ。

舗装された歩道はコンクリートの照り返しでとても熱い。体が喉の乾きを訴えるように汗が頬を伝う。

「久しぶりに買おうかな。」

自販機の前に立ち、小銭を何枚か入れる。
帽子のつばを少し持ち上げて、お決まりの飲み物を選ぼうとしたが、環が押す前に後ろから誰かがボタンを押した。

ガチャコと何かが落ちる音がして、後ろの人が飲み物を取り出す。

押されたのは確かに、彼の大好きなあの飲み物。
そしてこの状況を知っている。あの日、彼がすんなりとやってのけたドキドキする事。
こんなことができるのは…。

環は目を見開いて勢いよく振り返った。

「炭酸!いるかい?」

「…っ…あ…」

前より髪が少し短くなって、身長はもう見上げる程で…所々変わったけれど、その笑顔と言葉は間違いなく。
涙が溢れてこぼれそうになるのを必死で堪えた。
これだけは決めていた、帰って来たら言う言葉は彼に負けない笑顔で。

「…おかえりなさい!」

「ああ!ただいま!」



暑い暑い夏の日、シュワッと強く甘く何かが弾ける音がした。




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