Sae's Bible


「やあ、時間通りだね。」

ソファに腰かけていたウメリアスが、手元の懐中時計を開き見、サエ達に微笑みかける。

「やれやれ、姐さんの時計通りなのは何だか癪だねえ。」

「とても好ペースなのだから良いじゃないか。…さて、リーダーさんは決まったかい?」

ウメリアスは静かに立ち上がり、サエに問いかけた。
雰囲気から察したのか、はたまた未来を知っているからなのか、その表情は穏やかでサエに柔らかな笑みを向ける。
慈愛に満ちた眼差しが心地よく、サエは自然と笑みを浮かべながら口を開いた。

「うん。みんなと戦ってみて、それぞれの得意な所とか苦手な所が自分なりにやけど、見えたと思う。
私も自分自身に試したい事できたし…。」

総当たりをし終えた感想は、自分の力不足だ。
今思い返せば、なんとか案をひねり出して潜り抜けたものばかりなのだ。
皆、自分の力を理解して上手に使いこなしていた。
もちろん、全員まだ強くなると思う。

だが、それ以前に自分はどうだ?
初めて見た自分の腕に絡まる謎の鎖。
自分のことなのに、自分でわからないものがある。
あの鎖によって知らないうちに、魔力が制限…いや、強制的に封印されている気がする。

サエの腕に絡みつく3本の鎖。
気づかなければ、存在すら視認できなかっただろう。
けれどたった一度『視て』しまったがゆえに、その存在はサエの中で大きな異物となった。
さもサエの腕の一部ですと言わんばかりのそれは、蛭のように密着して離れない。
そんな、奇妙で陰湿で不気味な感覚。

この蠢く闇に打ち勝たねばならない。
それは厳しい道のりかもしれない。
それでも、皆の役に立ちたい、がんばりたい。

己の秘めたる力を解き放つことは、きっと皆の力になり、救いの手になるだろう。
そう信じて、今は突き進むしかないのだから。
もっと強く。さらなる高みへ。

胸に決意を刻んだサエは、力強く更に話し続ける。

「…まだ、どうしたらええんやーって、焦ったりするしヤケになったりもする。
きっと、ううん間違いなく迷惑かけることもある。
…けど、やりたい。先頭に立ちたい。
自分の力がみんなの助けになるのなら。
だから、私はこれからもっと強くなりたい。
やから…ウメリアスも、これから改めてよろしくなっ!!」

そうしてサエがウメリアスと交わした手は固く結ばれ、互いの誓いをその瞳に宿した。

「では、始めようか。」

そう言ってウメリアスはパチンと指を鳴らす。
みるみるうちに散乱していた本や資料、食器類が元の場所に自ら帰っていく。
ソファ周りが奇麗になったところで、サエ達を改めて着座させた。

「この世界を救う算段を。」

またウメリアスがパチンと指を鳴らせば、今度はソファ前のローテーブル上にアフタヌーンティーが人数分現れた。

急速に始まった接待にサエ達は驚きを隠せずにいたが、ハヤカミスだけは後ろで小さく口をとがらせる。

物音ひとつ立たせず優雅に紅茶を一口含んだウメリアスは、少し恥ずかしそうに頬をかいた。

「そんなにまじまじ見ないでおくれ。
神術を家事に使うのは風情がなくて好きではないのだけれどね…。
今は何分と時間が限られているからね、短縮させてもらったまでだよ。」

お前の仕事を取った訳じゃあないからね、と付け加えられた言葉に、誰かさんはわざと音を立てて紅茶を飲んだ。

くすりと困ったように笑んだウメリアスは、瞬く間に真剣な表情へと変わっていた。
それを見たサエ達も姿勢を正し、耳を傾ける。

「まず、先の話で出ていたハギアコーラーについて説明しておこう。」

「敵はそれに破滅魔法陣を描いて魔力供給を止めようとしている…とお聞きしています。」

ナーナリアの模範解答にウメリアスがにこりと笑って肯定し、説明を始める。

「ハギアコーラー。略式名をハギア。
人々、もしくは精霊が祈りを込めて作ったものや建物が、彼らの長年の願いを魔力として蓄えた場所の事を指す。」

「魔力を貯める場所、ということ?」

「建造物も含むのですか?そのような場所があれば、文献に載るはずですが…」

「聞いたことがないな。」

「物を媒介として、君達は神に祈ったりするだろう?祈った人は無意識にその物に魔力を送っているのさ。」

「あ、教会とか…?」

「そうだね。そしてその物は長い時を経て聖なる祈りの力を貯め込み、聖地『ハギアコーラー』となる。」

純粋なる祈りや願いを通して集まった魔力は、とても清らかで聖なる力。
それは全ての生きとし生けるものへ魔力を巡らせる機関でもあるのだ、とウメリアスは続ける。

「なるほどね〜。
で、世界にいくつかある世界の動力みたいなやつを、壊されないように守らなきゃダメってことでおけ?」

「ああ、まだ正確な場所と数を突き止めるまでには至っていないんだけれどね…。
恐らく、3つだと思うんだ。」

「んじゃそれが見つかるまで私らは何すればいいん?」

「サエ、最初のお話にもあったでしょう?」

首をかしげるサエに対し、
ナーナリアは宿題を忘れた生徒を、優しいながらもなぜ忘れたのか、こんこんと詰めるような口調で話す。

「まずは、杖と貴石の入手。」

「そして、破滅の魔石の破壊ね。」

「貴石は過去に行かないと…だよね?」

キムーア、ジュリー、コバニティがすらすらと答えていく。
そういえばそんなことを言っていた気がすると、サエは言葉にならぬ声を漏らした。

「そうよコバニティ。鳥頭と違ってあなたは記憶力が良いわね、さすが私の妹だわ。」

えらいえらいと妹の頭をジュリーは優しく撫で、そのまま豊満な胸の中へと抱き寄せる。
姉妹愛を見せつけられ、さらに煽られてしまったサエは頬を膨らませる。

「む〜!鳥頭ちゃうもん!」

「そうだよねえ〜。サエたんはアホ毛の生えたチキンだもんねえ〜?」

「せやで!アホ毛の生えたチキン…ってそれアホ毛生えただけやん!ちゃうから!チキンちゃうもん!」

みょんみょんっとアホ毛が上下に揺れ、ぷんすこ怒っているサエの言動に合わせて動き回る。

「動いてる…」
「みょんみょんしてる…」

リホソルトとコバニティは、風に揺れる猫じゃらしのように動くアホ毛を、物珍しそうにその動向を目で追っていた。
そも、アホ毛が動くのなんて当然だし何なら光ることも知っているキムーアは、呆れ顔で口を開く。

「ノリツッコミはいいから、どうするか決めろよアホチキン。」

アホチキンってなんやねんとサエはぶつくさ言いながらも、話を進めるべくウメリアスへと向き直る。

「と、取り敢えず、やることの中で急ぎなんってあるん?ウメリアス?」

「ああ、最優先は魔石の破壊だけれど、サエには召喚獣の入手にあたって欲しい。」

「召喚獣?えっ、もうできんの?!」

「そういえば…加速の間に入る前、召喚獣を保有してると言っていなかったか?」

「ご明察。ではサエ、これをきみに。」

サエの掌に転がったのは、シワレット。
ジュリーの持っていた大切な魔石だ。

「これ…え、でもそれやったらジュリーは?」

「ジュリー、きみにはこちらを。覚醒前のシワレットと同じ治癒能力を持つ魔石、ラリマーだ。」

ジュリーに手渡されたラリマーと呼ばれる魔石は、覚醒前のシワレットに瓜二つだった。
今でこそシワレットの形が変形してしまったため、別の魔石のように見えるが、
色味といい装飾といい、すべてが元のシワレットと寸分違わずそっくりだ。

ウメリアスによれば、ラリマーはシワレットを求めた錬金術師が極限まで似せて作ったものらしい。
二つの相違点は原材料の魔石の違いだけで、ラリマーは純粋なる治癒の魔鉱石のみで作られているとのこと。

治癒の石、という説明にジュリーがピクリと眉根を動かした。

「ありがたく頂戴するけれど…あなたは、私の病を知っているの?」

ジュリーの問いにウメリアスは困ったように微笑むだけだった。
『病』と聞いてサエ達は各々驚きを隠せずにいたが、一番に声を上げたのはもちろん妹であるコバニティだ。

「ね、姉さまはご病気なのですかっ…?!」

服の裾を握りしめ、涙目で姉の瞳に訴えかけてくる妹から目を逸らし、ジュリーはウメリアスの方を見る。
その視線を受けたウメリアスは、子供のわがままを優しく諭すような声色で話す。

「ジュリー。きみ、気づいているだろうに。私に言わせるのかい?」

「あら、なんのことかしら?見当もつかないわね。」

露骨な知らん顔をするジュリーの心中を察したのか、ウメリアスはやれやれと息を吐く。

「悪いお姫様だな。…ああ、コバニティ。そう悲嘆にくれないでおくれ。彼女は生まれながらの放出性魔力症候群なんだよ。」

「ほうしゅつせい?」

「魔力しょうこうぐん??」

「聞いたことがあります。確か、魔力の強さ、多さに身体が耐え切れず、常に魔力を出している状態になる病かと。」

「常にか?それでは体力も削れて、立つのも困難だろう。」

「その症状もあるらしいですが、一番危険なのは、野放しの魔力を制御できずに周囲を巻き込む恐れがあることです。」

「周囲をまきこむってどうなるの?」

リホソルトの問いに、それは、とナーナリアは言い淀む。
想像には難くない。強い魔力が制御もされずに放置されていれば、100%事故が起こる。
酷ければ人を傷付けもするだろう。

その説明をしてしまえば、暗にジュリーは人を傷つけたことがある、迷惑をかけたことがある、と言っているも同じだ。
ジュリーを傷つける発言をしまいと言葉を選んだナーナリアの沈黙は、結果的に本人に口を開かせるきっかけとなった。

「…いわゆる魔力暴走ね。」

あ、とナーナリアが悲しげな表情を作る。
ジュリーはゆるりと首を振り、自分を思いやってくれた彼女へ小さく感謝の意を述べた。
よほど隠しておきたかったのだろう、白雪のような両手が小刻みに震えている。
それでもぎゅっと全身に力を籠め、ジュリーは固く結ばれた口元を緩めた。

「…私は、幼いころから魔力を制御できずに、何度か物を壊したり、部屋を荒らしてしまっていたの。
けれどある日、感情のままに大規模な暴走を起こしてしまって…重傷者と、死者を多く、出してしまったのよ…。」

語られた事実はひどく重いものだった。
自分で制御できなかったとはいえ、死者まで出しているのだ。
苦しげに語る姉のそばで、妹はショックで言葉を詰まらせる。

「ね、姉さまが…死者を…?」

「え?コバニティはそのこと知らんの?!」

「う、うん…私と姉さまは小さい時から一緒に遊ぶ時間が決められていて、それ以外は別々に暮らしていたの…。」

「別々に?姉妹なのに?」

「権力争いだな。離宮でマリオンたちが話していただろう。」

「それはそうやけど…」

権力争いだからと言って、姉妹を引き離して育てるだろうか?
ジュリーたちが幼いころならば、実の姉妹と信じて疑わなかった時期ともいえる。
しかも遊ぶ時間まで決められていたという徹底ぶりだ。
サエが庶民だから、考えが及ばないだけなのだろうか?
王族の権力争いとは、ここまで辛辣なものなのか?
その真意を確認することは、到底叶わない。

「…そうね。もう、すべて、話しましょうか。ここまで言ったら、同じだものね…」

「姉さま…?」

目を伏せたまま、ジュリーは細々と語りだす。

「…コバニティが知らなかったように、外部の者は、耳にもしなかったでしょうね。
この事件自体が国の最高機密に指定されていて、ほんのひと握りの役職者しか知らないもの。」

「その…死者は、もしや国の重鎮だったのですか…?」

「そうだろうな。しかし、どんな身分であろうと尊い命が犠牲になったんだ。
そして王女がそんな難病を抱えているということを、国のすべての者は把握すべき案件だ。」

「………」

同じ王族という立場だからこそ俯瞰的に見れるキムーアの意見は、ジュリーの心に深く響いた。
大粒の涙を空色の瞳に貯めたジュリーの右手をコバニティが無言で優しく包み込む。

「つらいなら、無理に話さなくてもいいんじゃない?だれでも隠したいことの一つや二つあるんだし〜。」

ね、ジュリーちゃんとハヤカミスに肩を置かれた瞬間、はじかれたようにジュリーがその単語を口にした。

「実母よ。」

「え?」

突如打ち明かされた内容に面食らったハヤカミスは、それまで置いていたジュリーの肩から手を跳ね除ける。

「…私は、お母さまを歩けない身体にしてしまった。しかも…最終的にお母さまは、その病で…亡くなったのよ。」

「…っ!!」

コバニティがひゅ、と息をのんだ。
それでもジュリーの手をしっかり握ったまま、か細く消え入りそうな美しい姉の声に、じっと耳を傾ける。

「それで、危険と判断した国王たちが、ブルヴィアという医療国家から、腕のいい治癒魔導士を呼んだの。
その時、処方されたのが…治癒魔法とシワレットだったわ。」

シワレットをブローチのようにし、常に身に着けることでジュリーの病はぴたりと、なりを潜めたらしい。
だがそれ以降も危険視は続き、ジュリーはずっと、王宮の一番奥の部屋に隔離されていたそうだ。
本来なら大勢の傍付き女官を持つ王女でありながら、ジュリーにはアキルノアただ一人のみ付けられたという。

重苦しい雰囲気が漂う中、この際だからとキムーアが名乗り出る。

「心苦しいが、この場を借りて聞いておきたいことがある。
もし回答し辛ければ沈黙で構わない。
その、病と関係あるのか分からないが…。眠りの谷で君の姿が変わったことがあった。
あれも暴走の内なのか?」

「あれは…」

「姿がかわっ…?!?ねっ、姉さまっ、もしや選定者のお姿に…!?」

キムーアの質問にジュリーが眉根を少しだけ寄せ、口を開いた時だ。
コバニティがひどく取り乱し、大きな声を出してしまう。

「コバニティ!」
「選定者?」

「あっ!?ご、ごめんなさい姉さま…!!」

自分をいさめるようなジュリーの態度と、ほかの者の態度でコバニティは理解した。
ああ、このことは他言してはいけなかったのだと。
姉は隠すつもりでいたのに、自分のせいで公にする羽目になってしまったのだと。
コバニティはごめんなさいと小さく繰り返し、浅はかな自分の言動を恥じた。

顔を覆い隠して縮こまる妹の背をジュリーは優しく撫ぜ、慈愛に満ちた瞳で見つめる。

「……少し、長くなるけれど良いかしら?」

「時間的には問題ないよ。それにその話は共有必須事項だからね。きちんと説明しておいてほしい。」

私が話すことを知っていて時間計算に入れていたのね、と苦笑いをしたジュリーは一つ深呼吸をし、話し始める。

「…私達、フェリアベルエルフの輪廻再生は覚えているかしら?」

「ええと…死ぬっていうか記憶を持ったままなんかこう…」

「生前の記憶と肉体情報を持ったまま、世界樹に保管されるのですよ。」

「そして転生の時を待つ…」

「その転生はね、全員に起こりうるものでは無いのよ。」

「えっ!?みんな転生するんじゃないん?!」

「みんながみんな転生していたら、レニセロウスはエルフで溢れかえるだろうが。」

キムーアのツッコミにあ、そうかとサエは納得する。
石にされていた人々はそんなに多くはなかった。
エデンの方がレニセロウスよりも人口が多いかもしれない。
サエが思案していると、少し鼻声のコバニティが小さな口を開く。

「基本的に転生ってね、しちゃいけないんだよ…。自分の死に不満があるってことを証明する行為で、不名誉なことなの。」

「そう。だから私たちは自分の死期が前日にわかるのよ。
死ぬ1日前の夢で自分の死を予感し、心づもりをするの。」

「1日前…?じゃ、じゃあア…」

アキルノア、そう言いかけてサエは口をつぐんだ。
あまりに、酷な質問をするところだった。
ジュリーの話から考えると、
アキルノアはジュリーの命令を受ける前日に、自分の死を知っていたことになる。
知っていて、自分の主人のために、自らの命を投げ出す覚悟を決めたのか?
誰だって死ぬのは怖い。苦しい。生きていたい。
大切な人との別れを、たった1日で呑み込めるはずがない。

アキルノアは、何を想って母国へ駆けたのだろう。
予知夢に見た死に場所で、光景で、何を願ったのだろうか。

そう思うと、涙が零れ落ちそうになる。
此処で泣いては、ジュリーの心の傷を掘り返すことになるというのに。
目にたまる水滴をジュリーに見られまいと俯く。

すると急にフッと前が暗くなった。
バチン!!
頬を叩かれた。
良い音がする割に全然痛くないその平手打ちは、隣に座るキムーアが放ったものだった。

「な、なにするんよー!!」

「すまん、頬に蚊が止まっていたんだ。仕留め損ねたから、皆注意してくれ。」

「も〜めっちゃ、痛いやん…!」

「すまん、すまん。ほらこれで拭くといい。」

キムーアから渡されたハンカチを見て、サエは気づいた。
蚊などいなかったのだ。
頬は全く痛くないのに、キムーアの遠回しな優しさが心に沁みて涙が零れ落ちた。
泣き出しそうだった自分に、泣く口実を作ってくれた。
ジュリーを傷つけないために。
周りを傷つけないために。

「…ありがと、キムーア…」

仄かにオレンジの香りを纏うハンカチに目元を押し付け、サエは小さく感謝を呟いた。


「お優しいことで」
「たまにはな」

ささやかな感謝にキムーアは言葉を返してはくれなかったが、
サエのあずかり知らぬところで、カロラの囁きが交わされていたのは当人たちの秘密である。

「ああ、すまない。話の腰を折ってしまった。続けてくれ。」

濡れたハンカチを受け取ったキムーアが非礼を詫び、ジュリーへ話の筋を返す。

一連の流れを見ていたジュリーはくすりと笑い、では続けましょうかと口ぶりを戻した。

「転生を望むかどうかを本人が決めて、転生を決意した場合、更にふるいにかけられるのよ。その人が本当に転生するにふさわしいかどうかね。」

「そのふるいが…」

「そう。その選定をするものは、私達フェリアベルエルフを創りたもうた永遠神、ディーファ様のお力を身に宿す者。
ディーファ様のお姿をお借りして、選定者としての責務を果たすの。」

つまり、眠りの谷で見たあの姿は、ディーファの姿を借りたジュリーだったのだ。
何故あそこで姿が変貌したのかは、本人にもよくわからないという。

「そして…この選定の力は古くから王家の女性にしか引き継がれない。
選定の力に目覚めたものは、必ず国の頂点に立つ義務があるのよ。」

「姉さまが…選定の力に目覚めていたなんて…そんな…」

青ざめた表情のコバニティを見て、サエは首をかしげる。

「え?嬉しい事ちゃうん?ジュリーが次期女王様決定やん!あ、でもコバニティ的には嬉しくないんか…」

「ちがうの!!私は最初から女王になんてなれないし、目指してもない…。
姉さまが相応しいと思う…けど、…選定者は…」

無意識に三つ編みをいじくるコバニティの表情は、今にも泣き出しそうだ。

「何か…リスクがあるのか?」

「体をね、奪われる可能性があるだけよ。」

「奪われる…?」

「ディーファ様の無意識下の感情もね、力と一緒に、引き継がれてしまうのよ。
そしてディーファ様の、最期の願いは『生きたい』だったそうよ。」

『生きたい』
伝承では、永遠神ディーファは転生を望んだという。
アルティナの力を借りたディーファはエルフを生み出した。
しかし、今のジュリーの説明を聞く限りでは、自らの転生自体は完全にできなかったことになる。
自身の力のみが受け継がれていく状態ではなく、女神でもなく、『一個人』として生まれ変わりたかったのだろう。

その想いが、歪んだ形でジュリーに降りかかっている。

「成り代わられるということですか!?」

「簡単に言えばそうね。
けれど、今まで成り代わられた例はないわ。ただ…記憶の混濁から早死にしてしまう、といった所よ。」

「…力に目覚めたのはいつごろ?」

「10歳のときよ。」

淡々と答えていくジュリーをよそに、サエ達は衝撃のあまり放心状態だった。

どうして、彼女にばかりこんな苦しい運命が待ち受けているのか。
いったい彼女が何をしたというのか。
権力争いに巻き込まれ、女王としての勉学に追われ、妹と遊ぶ時間も制限された。
愛されるべき両親からの愛はなく、強大な力のせいで幼い時より軟禁生活。
まるで、操り人形のごとく未来を決められている。
これだけでも心を砕くには十分過ぎるというのに、唯一の家族と信じ、寄る辺でもあった妹は赤の他人であった。
果てには、神の力が彼女の寿命を吸い、大切なかけがえのない友を奪ったのだ。

壮絶。その一言である。

「もう7年もその状態で…。」

「そんな…姉さま…」

7年という月日が、ジュリーにとってどれほどの負担になっているかは、計り知れない。
だが、コバニティが嘆き悲しむところを見るに、もう命の灯火が残り少ないのだと思えてしまう。

「泣かないでコバニティ。いつかは継承するべきものが早まっただけなのよ。」

「でもっ!でも…あまりにも早すぎて…姉さまの体が、こわれてしまうっ…」

「…ごめんなさいね。」

そういったジュリーは、とうの昔に諦めがついている顔だった。
どうしようもないのだと、抗う術もないのだと、理解している顔だった。
体を震わせて泣き続ける妹を強く抱きしめた後、ジュリーはサエ達の方へ体を向ける。

「皆にも、黙っていてごめんなさいね…。でも決して哀れんだりしないで頂戴。私は、この宿命を受け入れているの。
此度の戦いで果てようと、神の意思で燃え尽きようとも、この命を無駄にはしないわ。」

「ジュリー…」

「大事な人を…あの子を守りたいと願ったから、私は選定の力に目覚めたの。
だからこそ、私は私の命を粗末に扱いはしないわ。
私の、…いえ、大切な人たちのために使い果たすと、そう、決めたのよ。」

想像を絶するような絶望を味わっただろう。
それでもジュリーは大切な人が育った母国を慈しみ、民を愛する。
ほんの僅かな、けれどとても眩く美しい思い出を胸に、力を尽くそうとしている。

その姿勢にサエはああ、なんて美しい人なのだろうと、自分もこうなれたらと思い馳せるのだった。

「ジュリー。きみは…本当に、強くなったね。今のきみならば、その力を制御できるだろう。辛くともよく、がんばったね。」

今までずっと静かに話を聞いていたウメリアスが、娘を想うような温かな眼差しでジュリーを見、柔らかく微笑んだ。

「…ありがとう。」

ウメリアスの微笑みに、ジュリーも飛び切り美しい笑顔を返す。

「さて…そろそろ時間配分が怪しいところだ。サエには分担を決めてもらおうか。」

性急でごめんね、とウメリアスは申し訳なさそうに続ける。

「召喚獣を会得するにあたり、サエに同行できる者は2人まで。破滅の魔石を破壊するのに私が彼の地へ送れる限界は4人だ。」

「ええ!?分担って…魔石の破壊の方は危ないんちゃうん?みんなで行った方が…」

今の今までジュリーの話をしていたところなのだ。
ラリマーがあるからとはいえ、もしかするとジュリーの病状が悪くなる可能性だってある。

サエが唸っていると、ジュリーが意見してきた。

「あら、あなたにしては保守的な考えね?
今は目的に対して時間が足りないのだから、並行して物事を進めるべきだと思うわ。」

「うーん…魔石はどこにあるん?」

ジュリーの今の口ぶりからして、自分の体は大丈夫だから行かせてくれということなのだろう。
それでも心配なものは心配なのだ。

「マーファクトの雪原の先にある遺跡、フィンスターニスの最深部さ。」

マーファクト、やっぱりジュリーは行かせない方がいいか?
でも本人の意志は固そうだし、行かせた方がいいのか…。
ジュリーの力を信用していないわけではない。
でも危険な目にあって欲しくない。
仲間の生殺与奪を、自分が握っているといっても過言ではない。
この判断を間違えれば、誰かが傷つくかもしれないのだから。

先頭に立って仲間を割り当てる。
その難しさがこれほどまでとは、思いもしなかった。
自分では決められない。そう感じてしまった。

「うう〜ん、みんなの行きたい所言ってくれた方がわかりやすい、かなあ?」

結局、人に丸投げしてしまったサエをキムーアは怒らなかった。
今回だけだぞといった風に、自分の意見を出していく。

「まったく、仕方がない奴だな。
マーファクト…我々的には嫌な思い出しかないからな。」

「あら?カロラのは、怖気づかれたので?」

「ハッ、言うじゃないかフェリアベルよ。
だがここは慎重になるべきだ。消失事件があったとはいえ敵国。
私たちのように王族や要人は先に外へ逃がされており、また国へ戻ってきているやもしれん。」

そうだった!マーファクトはキムーアにとって好ましい場所ではない。
キムーアから言われて気づくなんて遅すぎる。
もっと幅広く観察しなくては。
サエは自分の頭の回転の悪さを呪った。

「確かに、顔の広い貴女がマーファクトの者と鉢合わせるのは危険ね。状況が状況だもの。」

「ああ。私はサエに同行するとしよう。」

「生憎と私は顔を知られていなくてね?
同胞の為、世界の為ならば敵地へも参りましょう。」

顔が割れていない、ジュリーに言われるまでサエは知らなかった情報だ。
てっきりジュリーは王女だし顔が知れ渡っているものだと、自分の中で勝手に結びつけてしまっていた。
決めつけや自分の思い込みが、間違っていることもある。
これからは自分の中での情報を確認する必要がある。

リーダーとして頑張らねばと息巻いて皆の会話に耳をそばだてるサエの姿は滑稽だった。
近くにいたハヤカミスはぷすぷすと笑いを堪え、
キムーアとナーナリア、そしてジュリーは生暖かい目で見つめる。

「姉さまがそちらへ行かれるのなら、わたしも行きたい、です…」

「姉妹姫様がマーファクトですか…。
では私はミナルディ様に代わり、そちらへ向かいましょう。
近接武器ばかりでは対処しきれないかもしれませんから、支援に回ります。」

「あら、心強いわ。」

得意武器のことも考えていなかった。
手合わせの時はあんなに気にしていたのに、そこに考えが結びつかなかったのだ。
またしてもサエは己の甘さを痛感した。

コバニティとジュリーはエルフ魔法が使えないから、必然的に近接戦闘になる。
となると支援がなくては立ち回らない。
回復もできるナーナリアがついてくれると安心だ。
きっとナーナリアも、ふがいないリーダーへお手本を見せてくれたのだろう。
やはりカロラの二人は戦術に長けている。
もっと彼女らから学ぶことがありそうだ。

「あたしは姐さんの手伝いがあるから、残りたいなあ〜。ソルトたんは?」

「ゆき、見てみたい…じゃだめ?」

リホソルトはこてん、と首を傾けて自然な上目遣いをする。
その仕草にやられた変態が、天使降臨とばかりに騒ぎ始める。

「いいよ、見ておいで!全力で雪遊びしていいからね!なんなら雪だるまも作っておいで!!」

「あー、じゃあハヤカミスとキムーアが私と一緒で、残りがマーファクトな。」

「やだもうサエちゃん冷たい!スルースキル付けちゃいや!構って!!」

やだやだ〜と顔をサエに擦り付けてくるハヤカミスは、うざい事この上ない。

「うああも〜!わかった!わかったってば!ウメリアス笑ってないで何とかしてぇや〜!!」

べりっとハヤカミスを引っぺがすサエが面白かったのか、ウメリアスはプルプルと笑いを堪えていた。

「ごほんっ。ああ、すまない。
ではジュリー達をマーファクトへ送り届けて来るから、きみたちは先に行き給え。
ハヤカミス、頼んだよ。」

「はいよ〜。」

ウメリアスはハヤカミスに鍵を渡すと、書斎の扉を開けた。

「行ってくるわね。」
「ゆき、見てくる…」
「はわわわ…がんばり!ます!」
「皆さん、くれぐれも無茶はしないように。」

「はいはーい、気を付けてね〜。」
「ナーナリアをよろしく頼む。」
「みんな気ぃつけてな!」

こうして、互いに簡単な激励を済ませた一行は、二手に分かれたのだった。
ウメリアスに続いて書斎を後にした仲間たちを見送ったサエは、ハヤカミスに問いかける。

「ハヤカミス、そのカギは?」

「召喚獣のいる部屋の鍵だねぇ。」

「そんなに小さな鍵でどうやって行くんだ?」

小指ほどしかない鍵で開けるような扉は、あいにく食器棚くらいしかない。

「ん、使い方は庭に来る鍵と一緒だよ。その辺の扉に鍵挿して入るだけ〜。さっそく行ってみる?」

「もっちろん!」

「そんじゃま、いきますか〜。」

かちゃり、とハヤカミスが鍵を回して開いた先は食器棚。
まさか本当に食器棚に鍵を挿すとは思いもよらず、サエは驚きの声を上げる。

「ええっ!?これ、えっ?!」

食器棚の扉は観音開きになっており、先ほどまではそのガラス越しに、白磁の食器が奇麗に並んでいるのが見えていた。
だが、今は大改造にもほどがある劇的ビフォーアフターで、整列していた食器たちは消え、代わりに魔法陣が幾重にも展開されている。
そして、その中心部は紫と黒のもやのようなものが渦巻いていた。

「ハハッ、そんな慌てなくてもいいじゃん!だーいじょうぶ!入り口に手突っ込んだら転送されるから!」

ハヤカミスが入り口と称するのは、中央にあるもやもやだ。

「成程、じゃあ行くか。」

そう言ってキムーアが臆することなく、もやに手を突っ込むと、たちまち体は中央に吸い込まれ、跡形もなく忽然と消えてしまった。
まるで神隠しである。

「うへえ…なんでこんなまがまがしい色なん…」

サエも仕方なく手を突っ込み、もやに包まれた感覚から、反射的に両目をつむる。
恐る恐る瞼を開けば、そこは大きな広間だった。

大広間は加速の間よりも広く、草野球でもできるんじゃないかと思うほどだ。
全体をエメラルドグリーンで統一された此処は、窓が一つもない代わりに床に菊紋型のステンドグラスを敷いて採光を取っているらしい。
更に、広間の天井には星座が描かれており、その星々はダイヤモンドの輝きを放っていた。

「美しいところだよな。」

サエが大広間の装飾に見とれていると、背後から声がした。

「あ、神隠しされたキムーア!」

「何が神隠しだ。あんな素っ頓狂な神に隠されてなるものか。」

変態に隠される筋合いはないと断言するキムーアの股下からハヤカミスがぬるりと出てくる。
ぎょっとしているキムーアをよそ目に、ハヤカミスはキムーアの足の間にできたもやの中から、よっこらせと這いずり出てきた。
その間もぺらぺらとよく口が回るもので、さすが変態は一味違う。

「失礼な〜!せっかく転移させてあげたのにお礼も無しだなんて、ハヤカミー泣いちゃう!」

「お前な…寄りにもよって何故私の股下から出てくるんだ!気持ち悪い!」

「え〜?それは鍵を使ったものの特権というか〜?素敵なおみ足アングルだったよ☆」

てへぺろんぬ☆と謎のポーズを決めてくるハヤカミスを見て、キムーアは言い返しても無駄と悟ったのだろう。
自らの眉間のしわを指で伸ばしながら、ため息をつく。

「ハァ…もういい。
それで?ここでどうするんだ?一通り見たが召喚獣の影も形もなかったぞ。」

「そういえば、なーんもおらんな〜。」

「そもそも召喚獣とはどういった姿なんだ?獣なのか、精霊なのか、人型なのか…」

「んん〜、詳しくはおねいさんもわかんないかな〜。」

「基本は人型だね。」

「ウメリアス!」

キムーアの質問に答えてくれたのはウメリアスだった。
ハヤカミスとは違い、時の神は魔法陣に乗って天井から降下し、サエ達の前に立った。

「無事に行けたのか?」

「ああ、きちんと送り届けたよ。時間になれば私の鍵が発動する。鍵が使えない状況を私が予知すれば、強制帰還すると約束した。」

「時間になればって?」

「時間制限…目的が達成されようとされまいと、一定の時間まではそこに留まるってことかな?
…ほんと、嫌になっちゃうね。2日くらいならお見通しなんでしょ?どうせこの後起こる全てが必然で世界に必要でさ…姐さんは、姐さんはさ、「ハヤカミス。」

「ありがとう。お前はやさしいね。」

ウメリアスはハヤカミスの頭を優しく撫でる。
ただそれだけだ。ウメリアスがハヤカミスに助けを求めることはないし、反論すらしない。
役割に縛られたウメリアスには、この返答しかできないのだ。

「……、」

下唇を噛むハヤカミスの悔しそうな横顔を見て、サエは手を伸ばそうとする。
そこでふと思った。
今、何と声をかけるべきなのか、わからない。
励ますのか?いや、励ましたところでハヤカミスがウメリアスに届くことはない。
未来を知っている彼女に追いつけるのは最早、時間だけなのだ。
サエは、力なく伸ばしかけた手を下した。

救いようのないことに打ちのめされたような顔をしていると、サエの横から力強い声が発せられた。
その声に誘導されるかのように、サエは顔をパッと上げる。

「おい。先程の話だが、召喚獣は全て人型なのか?」

「一部を除いてはね。全てを把握しているわけではないけれど、基本はそうだと聞いているよ。」

「基本は?人型以外もいるのか…。使役するにあたって危険はないのか?意思の疎通はできるのか?」

何故キムーアがそんなことを気にするのだろうか。
もし使役することになるなら、シワレットを持っている自分だ。
もしかして召喚獣に興味があるのだろうか?

サエがアホ毛の横にはてなを引っ付けていると、ウメリアスがくすくすと笑う。

「ふふ、きみの優しさは相変わらず無骨だけど真っ直ぐだね。素敵だよ。」

「え?どういうこと?キムーアの優しさがわからんねんけど?」

「うるさい、お前は分からずとも良い。」

もぎゅっとキムーアにアホ毛を引っ張られたサエは困惑する。
アホ毛を急に引っ張ってきておいて、どうしてだか不服そうにしているキムーアの言動は謎だ。
それを見て微笑んでいるウメリアスもよくわからない。
いったい各々の心情に何が起こったのか、サエには理解できないまま、話は進んでいく。

「安心しておくれ。召喚獣はみな人語を理解している。」

「全部で何体おるん?」

「文献では5体と記されているね。原初の属性に合わせているのだそうだ。
風・水・火・土・雷で5体の召喚獣が各地に封印されている。
そしてその内の一つ、風を司る召喚獣はここで管理しているよ。」

「管理?」

キムーアは召喚獣を使役する、と言っていたがウメリアスは管理や保有、などと表現する。

召喚獣とはどういった存在なのだろうか?
字面の通りなら獣になるが、先ほどウメリアスはおおむね人型だと言っていた。
なら、人として扱った方がいいのだろうか…。
しかし、強力な力を必要とする辺り、身構えておいた方がいいかもしれない。

サエの悩む姿を見て何か判断したのだろう、ウメリアスが口を開く。

「見た方が早いね。」

『アペリオ・アルテミス』

自らの首に右手の中指、人差し指、親指を這わせ、たった一言、呪文をぽつりと広間に落とした。
その瞬間、ウメリアスの前に若草色の魔法陣が展開される。
陣の上に巨大な翡翠色の魔法石が浮かび上がると同時に、じゃらりと天から金色の鎖が落とされた。
落ちてきた鎖は石に絡みつき、ひび割れを作る。
鎖の抑圧に屈した魔法石がパキンと割れた。
その中から鎖につながれた金髪の花嫁は現れ、優雅に腰を折ってこう言った。

「お呼びでしょうか、マイマスター。」

「え…?」

「これが、召喚獣…?」

ふわりと舞う美しい純白のヴェールに包まれた、美しい金色の長髪は玉ねぎヘアーにされ、長くゆるく緑色のリボンでまとめられている。
唯一ヴェールから飛び出しているアホ毛はサエのものとは全く異なり、髪先がウェーブしていて胸下あたりでふわふわと揺れる。

白い肌に、すうと通った鼻筋、小さな愛らしい唇、そして宝石のような煌きを持つエメラルドの瞳。
その宝石を縁取るまつ毛は金糸の束でできた装飾のよう。

花嫁が現れたかと見まごう白の衣装は、ポイントに若草色の布をあしらい、金の刺繍と白のレースが裾を彩る。
腰回りを隠すひらひらとした布で隠れてしまいがちだが、実はとてもタイトな服装で、その豊満な胸元や脚の形をしっかりと見せつけている。

左手に金のブレスレットを身に着けているのに対し、右手と右足には重厚な金の枷。
先ほどの召喚で石を打ち砕いた鎖が枷となり、彼女を離すまいとしているかのようだった。

ひとしきり嘗め回すように見惚れていたサエは、彼女がしゃなりとウメリアスへ体を向けたのをきっかけに、正気を取り戻した。
そんな大げさな、と思わないでほしい。
多くの人の目を釘付けにするくらい、彼女は美しいのだ。
それはもう、囲いたくなるほどに。

「マスター、こちらは?」

「ああ、例の候補者だ。」

「まあ、こちらが…。初めまして、候補者さま。
わたくしはアルテミス。風を司るもの。
あなたさまに神のご加護があらんことを。」

「わわっ、あ、えと、サエ・エトワールです!」

鈴を転がしたような、可愛らしくも澄んだ声。
洗練された美しいお辞儀も相まって、聖女様か何かのように思えてくる。

「サエさま、どうかお手柔らかに。」

「やはり手合わせするんだな。」

「ええっ!?戦うん!?」

アルテミスさん美し過ぎ問題のせいで、全く話を聞いていなかったサエは、後ろにそっと置かれていたキュウリにびっくりした猫のように跳ね上がる。

「いやいやサエちゃん察し悪すぎw
同行者が必要って時点でもうさ、サエちゃん1人では出来ないことをさせるって分かるじゃん?」

「そして召喚獣を手に入れるために何かをするならば、大方の想像はできるものだ。」

お前は出来なかったようだが、と続けるキムーアに軽いデコピンを食らってしまう。

「まあまあ。その通りなのだけれど、説明はさせておくれ。」

「召喚獣はシワレットを持つ候補者と1対1で手合わせをし、召喚獣が戦意を喪失すれば契約を結んでくれる。」

「私1人で戦うん!?」

アルテミスさん美しいし強そうやし無理!と顔に書いているかのようなサエの叫びに、キムーアが落ち着けと肩を叩いてくる。

「んなわけ無いだろう。少しは状況を鑑みろ馬鹿者。」

「あっ、もしかしてウメリアスが助けてくれる感じ!?」

「いや、今回は通常の召喚獣の契約とは違っていてね。契約を破棄する為に2人にはアルテミスと戦ってもらう必要がある。」

「ちょっと待て、2人?」

「私とキムーアとハヤカミスで3人じゃないん?」

キムーアとサエの台詞を聞いたウメリアスが、僅かに眉根を寄せる。

「…ハヤカミス、お前まだ言っていなかったのかい?」

ウメリアスの視線から目を逸らしたハヤカミスは頬を軽く掻きながら、いたずらがばれた子供が白状するように、だらだらと話し出す。

「あ〜2人ともごめんね〜?
あたし、ここではアルテミスちゃんと組むことになるんだ〜。」

「えっ!?なんで!?」

「あたしの仕事に関わってるんだけどね?
一応、『時の守護者』なんて肩書持ってるわけよ〜。サエちゃん、なんか気づかない?」

「え?変態コスプレイヤーちゃうん?」

「それは趣味の部分だね!!もっと根本的な役割があるんだよね!」

「えっえっ、話がよう分らんねんけど??」

時の守護者だったことを、今しがた思い出したサエにわかるはずがない。
回答者、KYのアホ毛に代わりまして、察し名人のキムーア様である。

「守護者ってことは時の神を守るんだな?」

「そーそー!正確には時の庭と時の神を守護する役割があるんだよね〜。」

「なるほど。手合わせだろうと何だろうと、ウメリアスに剣を向ければ、お前が敵になる訳だな?」

「そゆこと〜。」

「えええっ!?ハヤカミス敵なん!?!?」

「はぁいエネミーで〜す☆」

そう言ってハヤカミスは、某RPGモンスターのくさった何たらみたいな待機モーションをする。
そのネタは作者とゲーマーにしか通用しないぜ!とだけ言っておこう。

「まさかとは思うが…手合わせをパスした理由はこれか?」

「そのまさかなんだよねえ〜。」

「自ら手合わせで場を乱すあたり愉快犯確定だ。サエ怒っていいぞ。」

そういえば妙に1対1の手合わせを拒んでいた。
後にここで戦うことを知っていて、かつ自分の手の内を明かしたくないから避けたのだろう。

「ええ〜じゃあ後でデコピンする!!」

「デコピンwwwww軽い処罰www」

「はい、そろそろ良い頃合いだ。手合わせのルールを説明してもいいかな?」
パン、とひとつづみ打ったウメリアスが話の流れを変える。

「あたしは姐さん守っとけばオールオッケーだよね!」

「ハヤカミス、少し黙りなさい。」
「もがっ!?」

少々おしゃべりが過ぎたのか、ハヤカミスはウメリアスの神術により、お口にチャックを本当につけられてしまった。
もごもご言っている一人を除いて、ウメリアスの説明を聞く体制に入る。

「簡潔に言おう。アルテミスとハヤカミスの攻撃をかいくぐり、私の契約印にサエが触れば、君たちの勝ちだ。」

「契約印とはなんだ?」

「わたくしと契約したという証でございます。わたくしたちは契約完了と服従の証明として、召喚者様のお体に契約印を残すのです。」

「服従…?なんか嫌な感じやけど…」

「それで、ウメリアスの契約印はどこに?」

「ああ、見えるようにしようか。」

ウメリアスがパチンと指を鳴らすと、首元に契約の文字が現れた。
翡翠色の魔法文字はサインのようでもあり、刺青のようでもあった。

「それって!」

「私の首を絞めれば終わりだ。」

「そんなん出来ひんよ!!」

「…出来るさ、君たちなら。」

仮にも時の神の首を絞めていいものなのだろうか?
いや、絶対によくない。
ウメリアスはサエの勝利を確信しているようだが、ハヤカミスも敵なのだ。
一筋縄ではいかないだろう。

「少しお喋りが過ぎたようだ。早速始めようか。」

ウメリアスは真剣にね、とハヤカミスに言い残し、お口チャックを解除してやる。
その後ウメリアスはハヤカミスとアルテミスの後ろへ回り、サエ達とは対極の一番端に立った。
加速の間での手合わせと同様に、それぞれ一定の間隔をあければ、戦闘開始だ。

まずは様子を見ようと決めていたサエ達だったが、相手がピクリとも動かない。

「こちらが動かない限り、仕掛けては来ないようだな。」

「ええええ…でも、ウメリアスの首って…」

「触れるだけでいいんだろ。本当に首を絞めるわけでもあるまい。」

「あっ、そっか!」

自分はウメリアスに近づかなくてはならない。
キムーアにはその間、陽動をしてもらうことになる。

「ん〜、じゃあアルテミスたちを引きつける感じで…びゃーっとして、その間に私がウメリアスにタッチする…みたいな!」

「…お前、指示が下手くそだな。」

とりあえず適当にやらせてもらうぞ、と言ったキムーアはハヤカミスたちのもとへ走る。


「マスター、本当によろしいのですか?」

「真剣にやったら負かしちゃうよ?あたし、結構強いし♪」

「ああ、構わない。本気でいきなさい。」

「御心のままに。」
「りょーかい。」

この数秒後、突風で空中へ投げ出されるキムーアの姿をサエは目撃するのだった。


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あきゅろす。
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