Sae's Bible
仲間

サエとナーナリアが笑いあうなどという、珍しすぎて幻覚かと疑う光景に、ハヤカミス達は唖然とした。
驚きのあまり、硬直していたコバニティは、はっと我に返り、審判として締めくくりの合図を高らかに告げる。

「あっえっと、サエの勝ち、です!」

「な〜んかちょっと、仲良くなったかな?」

「そうみたいね。」

先ほどまで横になっていたジュリーが、穏やかな笑みを浮かべてハヤカミスの横に並んだ。

「あれ、もう大丈夫なの?ジュリーちゃん。」

「姉さま!具合は…まだ、どこか痛い…?」

「少し疲れただけなの。もう大丈夫よ。だからそんな顔しないで頂戴、コバニティ。」

顔に「心配」と、でかでかと書いてあるような表情で見つめてくる愛しい妹の頭を優しく撫でながら、ジュリーはさらに続ける。

「にしても、ナーナリアが貴女以外に、あんな素直に笑いかけている所なんて、初めて見たわ。」

「そうかもな。」

眉間が引っ付いてしまいそうだわ、とジュリーに耳打ちされたキムーアは、黒髪のかかる横顔から目を逸らした。
柄にもなく明後日の方向を見ては目のやり場を探すキムーアの表情は、どこか曇っている。
そのしぐさを真横で見ていたリホソルトが、下からキムーアの顔を覗き込む。

「キムーア、すねてる?」

「拗ねていない。」

「超拗ねてるじゃん(笑)」

ケラケラ笑うハヤカミスの頭にげんこつを振り落としたキムーアは、苛立ちを隠せぬまま仲良く談笑する二人のもとに向かう。

所有物を取られてむくれる子供のような背中に、小さな笑みをこぼしながら、ハヤカミスたちも続いた。

主人の機嫌の悪さに気づけない程、会話に夢中になっていたナーナリアの眼前で、アホ毛が思い切り引っ張られる。


「いだだだだ!!ちぎれる!ちぎれる!」

「ミ、ミナルディ様!急にどうしたんですか?!引っ張ってはかわいそうですよ!」

ナーナリアにやんわりと窘められたキムーアは、渋々サエのアホ毛から手を離したが、むすっとした顔のままで口を開いた。

「…、主にこいつが悪い。」

「ええっ!?私なんもしてへんでっ!」

ちょっとナーナリアとお喋りしてただけやん!と無実を訴えるも、逆効果にしかなっていないことをサエは理解していない。

「さっさと次の相手を決めんか馬鹿者。
時間に余裕がないというのに、ぺちゃくちゃ喋るな。」

「す、すみませんミナルディ様…。
私がサエさんの国の料理を聞きたくて、話し込んでしまいました…」

「ナーナリアが謝ることやないで!
エデンのフルーツタルト、キムーアに作ってあげ「わあああ!?」

サエが滑らせた言葉をかき消そうとナーナリアがサエの口を押え、秘密って言ったじゃないですか、と慌てている。

大方、キムーアのためにおいしいお菓子を作ろうと思ったのだろう。
それはとても良いことなのだが、今は状況が悪かった。
初めてといってもいいだろう。
ナーナリアがキムーア以外の相手を優先しているのだから、主人の口がどんどん「へ」の字に曲がっていく。

「…で?次はどうするんだ?」

棘のある問いかけにサエは少し戸惑う。
なんでキムーアはイラついているのだろうか?
自分が思っているよりもお喋りしすぎたのだろう。
キムーアの言う通り、確かに時間は限られているのだ。
加速の間にいるせいで時間の流れに鈍感になってしまっていた。
もっと気を引き締めなくては、そう思ったサエはキムーアに謝罪する。

「キムーアごめん!私ちょっと緩んでたわ!すぐ次やるな!」

「私も申し訳ありませんでした。まだ手合わせが残っているサエを引き留めてしまって…。」

「あ、ああ…。次からは時と場所を考えろよ…」

二人から謝罪を受けたキムーアはどこかバツの悪そうな顔で目を逸らし、歯切れ悪く返答した。

早く手合わせを終わらせてウメリアスの元に戻らなくては、とサエは息巻いて次の指名相手を考える。
あと二人、ハヤカミスとキムーアだ。
正直、剣士であるキムーアとは相性が悪い。手堅く勝利を収めるならば、ここはやはり皆のおねいさんだろう。

「よーし!ちゃっちゃと次行くで〜!
そんじゃあ、ハヤカミー「あ!あたしはパスね〜。」

ハヤカミスを指名しようとしたサエの言葉を、当の本人が軽く遮ってしまった。

「へっ?なんで?」

「またの機会にやるから、いいのいいの!」

「またってお前な…」

「それにさっきサエちゃんと共闘したし!」

「それとこれとは別では…」

「あたしはサエちゃんが先頭に立つのウェルカムだし!」

皆の言葉をのらりくらりとかわして、にっこりと笑うハヤカミスはどこか不気味で不自然だ。
何か裏がありそうだと、さすがのサエでもわかる。
だが、その笑顔は誰にも有無を言わさぬ圧力を持っていた。

「そ、それでええんやったらいいけど…」

いまいちハヤカミスの考えていることがわからないまま、サエは了承せざるを得なかった。
この場にいる全員が怪訝に思いながらも、本人の希望通り、ハヤカミス戦はサエの不戦勝となった。

「…では、最終戦はキムーアね。」

そうだな、と言って笑うキムーアが、息を深く吸い込んで吐き出せば、
周りの空気が糸を張ったようにピン、と張り詰める。

「覚悟するんだな。」

腰の鞘から、すらりと抜かれた2本の刀身。
野営の時、少しばかり教えて貰ったキムーアの愛刀。
利き手に持つ深紅のサーベルは先王の形見、弱手に持つのは脇差と呼ばれるパニージャの刀だと言っていた。
他にもこの剣の特徴は云々と、何時間も熱く語ってくれたが、サエにはちんぷんかんぷんであった。
唯一覚えているのは、キムーアは魔法がからっきし使えない生粋の双剣士で、
弱手の脇差は主に盾の代わりとして使っていることだ。
それが今回の手合わせで活かせるかどうかは、まだわからない。
ただ、今確実に言えるのはキムーアの殺気に勝てる気がしない。

「…これ私殺されへん?大丈夫?」

「多少の損傷はすぐに治りますから。」

「多少って!確かに治るけど痛いやん!」

「サエ、ふぁいと。」

「ああ〜めっちゃ嫌や〜!!」

「はーい始めようね〜!」

他人事で面白がっている外野の皆に背中を押されて、サエはキムーアと向き合う。
ギラリと光る捕食者の獰猛な瞳が、縮こまるアホ毛の生えた獲物をとらえる。

「ほんっまに!お手柔らかにやで…?」

「さあ?手が滑るかもしれんが、よろしく頼む。」

互いに武器を構え、合図を待つ。
初手はどうしたものか。
ナーナリアのような中距離型も苦手だが、剣士相手は特に苦手だ。
相手の得意な間合いに入ってしまうと、タコ殴りされてKO。
キムーアの一撃がどれほど重いか分からないが、程度によっては防御壁を1発で粉砕される可能性だってある。
ナーナリアの時よりも更に注意深く、タイミングを見極めないといけない。
サエは大きく深呼吸し、前方の赤を見据えた。

「ハイ、はじめ〜!」

ハヤカミスの間の抜けた号令があたりに響いたと同時に、ぐんっとキムーアが右足を踏み込んだ。
そこだけは見えた。
そう、そこだけだ。
気付けばもう、舌なめずりをしたキムーアが眼前に迫っていて、ちりっと肩口が熱くなる。

「ひいいいいっ!!」

右肩が赤く染まる。右手が上手く持ち上がらない。
回避すらできなかった。
いや、そもそも動きを追えていなかった。

「剣こわい剣こわいめっちゃ速いっ!!」

「双剣使いは速さと手数の多さが売りだからな!よく覚えておくがいい!」

右手を庇いながらサエは迫りくる殺気から必死で逃げる。
後ろに死神がいるようにも感じるこの恐怖は、冷や汗と焦燥感を駆り立てる。
果たしてこれは「手合わせ」なのだろうか?
もはや「死闘」の域に入っている気がしてならない。

「ぎゃあああっ!!」

「阿鼻叫喚ね。」

サエの絶叫を聞いて、ジュリーはあらあらと微笑む。
どうやらサディスティックな目線で試合を観戦しているらしい。

「ミナルディ様が…とても生き生きしていらっしゃいます…」

ナーナリアは幼い時よりキムーアの相手をしているからか、
愉悦の表情を浮かべるキムーアの顔を見て、何かを察したようだ。
明らかに遠い目をしているナーナリアの横で、リホソルトが小首をかしげる。

「サエは…たのしくなさそう。」

「そりゃあ、あんだけ追い回されて剣振り回されちゃあねぇ〜。」

観衆と審判の目線の先で、サエは泣き叫びながら全速力で部屋中を駆け回る。

「おいおい、逃げてばかりではつまらんぞ。」

「しゃあないやんかぁああ!!」

「ったく、ではこれでどうだ?」

詠唱もできず防御魔法すら唱える隙も無い。
パニック状態に陥っているサエを見かねたキムーアが、その俊足をぴたりと止めた。

「おっ?とまっ…え?」

剣を持つ手元を見つめる伏し目がちな瞳に、迷いの色はない。
腰を深く落とし、左足を素早く後ろへ下げ、重心を前に集める。
そして左右の腕をクロスし、腰元で双剣を構えた。

この構えで、いやそれ以前の予備動作でサエは気づくべきだった。
あまりにも無駄のない、洗練された剣技に見惚れている暇などなかったというのに。

キムーアの視線がサエの瞳を射抜く。
目と目が合う瞬間、好きだと気付いた…はずがない。むしろ逆だ。

『や ら れ る』

それだけが脳内に浮かび、ドッと汗がにじみだす。
逃げなければ、避けなければいけないのに、足がガクガクと竦んで動きやしない。

颯のごとく双剣が空を切り刻み、その勢いのまま地面にたたきつけられる。

ドゴォオオオッッッ!!!!!

叩きつけられた場所から急激に床板が割れ、亀裂が蛇のように地面を蛇行しながら、サエの足元へと走ってくる。
砂埃と瓦礫を引き連れて、疾風迅雷の剣技がサエを襲う。

「何それ何それ何それぇえええ!!!」

「かっこいいだろう?」

「怖いわ!!!」

間一髪。
体は避けたサエだったが、トレードマークのポニテと長いローブがすっかり切られてしまい、
イメチェンしたかのようになってしまった。

「うう、髪の毛切ったんいつ振りやろ…」

元に戻るとはいえ、髪を切られるというのは、やはりショックなものだ。

肩につくかどうかといった長さになってしまった髪を指でいじくりながら、
鮮やかな黄色いローブを目線でたどる。

「あーあーバッサリいってるやん。」

足元まであったローブの長さは今や、お尻がぎりぎり隠れる程度の長さになっている。
しかも前方に飛んで回避したせいで、
前のほうは長く、後ろがやたらと短い変な形のローブになってしまった。

「すまん!やりすぎたな…」

審判に一時休戦のポーズをとった後、キムーアがサエのもとへ駆け寄ってくる。

「悪い、ショックだろう。元に戻るまで休むか?」

「ううん、むしろ髪の毛とローブだけで済んで良かったと思う。
それに手合わせなんやし、キムーアが謝ることちゃうよ。
これからもしかしたら、髪の毛切られたりするかもやし、良い予行練習になったわ!」

「しかし、髪は乙女の命というだろう。すまなかった。」

ざっくばらんになり顔にかかっていた髪の毛を、サエの耳にかけてやりながら言ってくるあたり、
本当にこの人は王女じゃなくて王子なのではないか?と錯覚する。

「う、うん…だいじょうぶやから…。ほんま、謝らんでええで…」

サエですら顔を赤らめてしまうほどだ。
となれば、この言動と状況に反応しない変態はいないわけで。

「いいぞミナサエもっとやグフォッ!!

ナーナリアの正拳によりハヤカミスはおなかを押さえてうずくまる。
良い拳だ…効いたぜ…と無駄にキメ顔をしてくるので、まだ審判は続行できるだろう。

「ナーナリア…いつも、キムーアの手合わせしてる…だいじょうぶ?」

「ええ。慣れればあれ位、可愛いものです。」

「アイテムで強化とかしてる…んだよね?」

「いいえ。」

「素手でクマを倒してくるぐらいだものね…。」

ジュリーがつぶやいた一言から、全員の目が死んだ魚のようになり、思うことは一つとなった。

(サエ…死ぬなよ…)

さて、あんなにイケメンだった王子…いや違う。
王女はいったいどこへ行ってしまったのか?
今サエを追いかけまわしてくる夜叉が、同一人物とは到底思えない。
しかも魔法は一切なく、己の力だけで戦っている。
ほぼ魔法のみで戦っているサエからしてみれば、もう意味不明の戦闘力だ。
そのうち自分で「私の戦闘力は53万」とかなんとか言いだしそうな強さである。

「キムーア握力おかしいってぇえええ!!」

「ふっ」

「ひいいいっ!!」

不敵な笑みを浮かべて剣が振り落とされる。
せっかく再生しかけていたローブがまた、盛大に破れた音がした。

「違うぞ、これは」

「うああっ!」

宙で体を大きくひねったキムーアが、サエの方へと剣が向けられる。
まだキムーアの俊敏な動きに目が追い付いていないサエは、剣を避け切ることができなかった。
とっさに背を向けてしまったせいで、
左肩から背中にかけて斬られてしまい、傷口が焼けるように熱い。

「いっ…!!」

背中の痛みでうずくまるサエをキムーアが待ってくれるはずもない。
軽やかに片足で方向転換し、体勢を整えると、真正面からサエの懐めがけて踏み込んでくる。

「ぐっ!!」

正面からの攻撃だったお陰で、双剣を杖で受け止める事は出来た。
だが、筋力の差だろうか?
グググッと、押し負けてしまう。

「力学や物理学を組み合わせているんだ。自分が使う力を最小限に抑え、最大の攻撃力を引き出しているに過ぎん。」

「りきがく?!ぶつりがく?!嘘や!キムーア勉強嫌いそうやのに!」

「失礼な。私はいわゆる理系だぞ。」

理系には断じて見えない。
今は体育会系のゴリラにしか見えない。
あの王子フェイスを見た時のときめきを返せ。

「嘘やん!!!理系とか眼鏡やん!!」

「お前の中の理系のイメージは眼鏡なのか…なんてベタな…」

「だぁってカイザーとかそれっぽい!やん!」

「あれは文系だろうに。」

「うぎゃっ!!」

ブンッとキムーアが剣を左右に振ったせいで、膠着状態にあった武器のぶつかり合いが急に解き放たれる。
その反動でサエは後方へ杖を持ったまま、尻もちをついてしまう。

「おい、面倒だから終わらせてもいいか。」

「やだやだやだやだ!!!」

とにかく距離を離さなくては、その一心でサエは痛みに耐えながら走りだす。

「ガキなのか、お前は…」

走るだけでは簡単に追いつかれてしまう。
でも杖で詠唱しているだけの余裕はない。

「はっ、はっ…」

息切れがする。もう足もおぼつかない。
後ろからの足音が近くなる。
何かないか、そう思ったとき背中から滴ってきた血がサエの掌を伝う。

「血…」

本来は危険なことなのだ。
しかし、方法がないわけではない。
ジュリーの血を使った魔法と同じ原理を使えば、
杖を媒介とする通常時よりも速く、魔法を発動することができる。
今は加速の間、ずるい考え方かもしれない。
またハヤカミスに怒られるかもしれない。
それでも試してみたかった。

「…大丈夫、いける。」

足を止めてキムーアの方へと体を向ける。
杖を地面に刺し、血の付いた左掌から右手の人差し指で血を掬う。
左手の甲に手早く逆三角形を描き、その中に簡易魔法文字の『f:s』を描いた。

あとは唱えるだけだ。
自身の血液に魔力を送るイメージをし、
両手の人差し指、中指、親指の順につけ、手で菱形の空間を作る。
手の甲の魔法陣がぼんやりと光れば、準備完了。

『フレアストーム!!』


ヴォンと掌の前に赤く燃え盛る魔法陣が出現し、その中心から紅蓮の竜巻が渦巻きながら放たれる。

ゴォオオオオッ!!

フレアストームの効果時間は早い。
何せ詠唱で詳しい指定をしていないからだ。
効果、対象、範囲などを指定しなければ、魔法は媒介を向けた先にしか飛ばない。
まっすぐにキムーアごと呑み込んだ火炎が沈下した時、
双剣を盾代わりにして膝をつく剣士の姿があった。

「ほう?」

地面に刺していた双剣を引き抜いたキムーアはゆらり、と立ち上がった。
赤い瞳の奥に闘志が燃えている。
鋭い眼光がサエを突き刺す。

「あ、あ、」

「やればできるじゃないか…」

多少焦げ付いた髪を思い切りかき上げて、舌なめずりをする姿は、深夜に丸腰で殺人鬼と遭遇してしまった絶望感を彷彿とさせる。

「ひ、ひいいいいっ、すみませんんんんんん!!!!」

サエの断末魔もさることながら、観客席も大わらわであった。

「ちょおおもう何あれ!?
サエちゃんの魔法も危険だから腹立つんだけど、それよりもキムーアのインパクト強すぎでしょ!!
何あれ!?極悪人の顔じゃん!!
ほんとに王女なの!?悪役だよ!視線で人を殺せるよ!!」

ツッコミどころ多すぎるってばよ〜!!と、叫ぶハヤカミスに、ナーナリアはがっくんがっくんと体を揺さぶられる。

「…ミナルディさま、楽しそうで、何よりです…」

ハヤカミスに揺さぶられるがままのナーナリアは、
死んだ魚を通り越して昇天したマンボウのような目になってしまった。

「コバニティ大丈夫!大丈夫よ!あの人は味方よ!」

あわわ…と顔面蒼白で震えるコバニティを、ジュリーは慌てて抱きしめて、よしよしと頭をなでて落ち着かせようとする。

「キムーア、すごい。」

唯一、目を輝かせたのはリホソルトだけであった。

「なんだ、外野が騒がしいな。」

「そんな人殺しそうな顔しいぎゃああああ!!」

格段に上がってしまった殺意の剣がサエの右腹をかすめる。

「人聞きの悪い…私はほら、さわやかだろう?」

ニヤァと口角を上げたその笑みは、さわやかとは到底程遠い。
背筋の凍るような狂気で体が硬直していくのがわかる。

「ハ、ハイ…サワヤカデスウ…」

これ勝てるのか…?勝たせていただけるのか?
そんな思いがサエの心を巡る中、キムーアが急に距離を詰め、
鍔迫り合いのように剣を杖に重ねてきた。
そしてサエの耳元に顔を寄せ、小さく口を開いた。

「…で。いい加減、策は思いついたのか?」

「へっ?」

柵?さくさくパンダ?
あっ、裂く?え?引き裂かれる?
急に何を言っているのだろうこの殺人鬼は?
全く頭が働いていないサエを見かねたのか、キムーアが再度小声で問いかけてくる。

「私を負かす策は思いついたのかと、聞いている。」

「あ〜なるほど!え、え〜と、考え中?」

へらへらと笑って答えるサエを見て、キムーアは大きくため息をつく。

「ハァッ…さっさとしてくれ。
出来れば完膚なきまでに、全員が納得するようなものにしてくれ。」

「キムーア…もしかして今まで待ってくれてたん?!」

「だったら何だ。」

「おぅわっ」

この会話を怪しまれないためだろうか、一度引き下がったキムーアはまた、サエの杖に剣を押し当てる。

「私は、世界を背負えん。選ばれたのはお前だからな。」

「きっ、」

つまり、キムーアは最初からサエに勝ってほしいと思っていたのだ。
手を抜けばお互いのためにもならず、ナーナリアも納得しない。
だから、サエが自分で勝ち筋を見つけるまで試合を長引かせていた。
キムーアにそこまで自分の力を信じてもらっているとわかり、目頭に熱いものが込み上げてくる。

「ならば…私は、私の最善を尽くすのみ。」

「うぐっ!!!」

この程度の攻撃で負けてくれるなよと、キムーアの思いが重たい一撃から伝わる。

「…阿呆のお前の道を切り開いてやるだけだ。」

そう言ってくれたキムーアの表情は、今までで一番柔らかいものだった。
こんなにも心が温かく、実力のある人に、信頼されている。自分の力を認められている。

それだけでもう、十分なくらいだ。
けれど、前に進むために倒さなくてはならない。
これからこの人のように、強くなるために。

「うんっ!」

キムーアにここまで御膳立てしてもらったのだ。
絶対に勝ってみせる。
その期待に応えて見せる。

今まで戦って、キムーアの戦法は多少わかった気がする。
攻撃をして膠着状態になると体勢を立て直す。そしてまた、素早く攻撃に戻る。
膠着状態というのは、お互いの筋力差が大きく反映されるものだ。
双剣を扱うキムーアは手数が多く疲れやすい。
だから鍔迫り合いで無駄に体力を消費したくないのだろう。

その点を踏まえて考えると、キムーアの弱点もおのずと見えてくる。

「任せて!今、思いついたわ!!」

「ああ、派手に頼む。」

そう言ってふわりと笑んだキムーアが一時後退した。
また体制を整えてこちらに向かってくるだろう。
その前に完成させなければならない。
右親指の皮膚を手早く口で切り、その切り口から出た血で杖に魔法文字を書き連ねる。
さらに、自分の掌に簡易魔法陣を描き、深呼吸する。
あとは手筈通り、唱えるだけだ。
サエは両手で杖を固く握りしめる。

『パラライズ・シールド!』


キムーアの剣がサエに振り落とされる瞬間を狙い、シールドを展開する。

「なっ!?」
バチバチバチッ!

シールドに触れた剣先からキムーアの体中に雷が瞬く間に巡る。

「くっ…からだが…!!」

麻痺状態にするパラライズと、シールドを掛け合わせた魔法がうまく効いて良かった。
しかし喜んでいる暇はない。
効果時間は5秒にも満たないだろう。
急がなくては。
杖を地面に刺し、三本の指を合わせる。

『グラビティキューブ!』


「ぐうっ!!!」

紫に怪しく光る四角い魔法体4つがキムーアを囲み、六面に薄紫色の魔法陣を展開する。
箱に閉じ込められた形になったキムーアは、内部に流出する強重力のせいで剣を落とし、地に伏した。

「へへ…わたし、の、かち…」

その様子を見届けたサエは魔法による急激な血液の使用により、ぐらりと膝をつく。
だがこのままでは完全とは言えない。
共倒れではいけない。サエが気を失えばキムーアの魔法は解け、キムーアの勝利になってしまう。
地に刺した杖を伝って何とか立ち上がり、先ほど柄に描いた魔法文字に触れた。
意識が朦朧とする中、その魔法文字を読み上げる。

『a:h(オールヒール)』


サエの足元にオレンジ色の魔法陣がきらきらと展開され、傷が回復していく。

すう、と魔法陣が消えたころにはすっかりサエは回復しており、しっかりとした目で重力の箱に捕らえたキムーアを見つめていた。

「こ、れは、サエの勝ち…だけど…!」

「貴女バカなの!?あんな魔法…!!」

「でも、きず…ぜんぶ治ってる。」

「せやろ!後で発動できるように魔法文字に魔力を分けておいて、残った魔力で捕縛魔法を発動させてん!」

我ながらぎりぎりな戦法だけど、と言いながらサエはキムーアにかけた魔法を解く。
魔法を解いたそばからキムーアがぐいぐいとサエに詰め寄ってくる。

「おっまえな…そんな無茶する馬鹿があるか!普通に捕縛できなかったのか!」

「だぁってキムーア速いし、唱える暇ないもん!
無詠唱は出来るか分からんかったし、それ以外やとすぐ発動できるのあれぐらいやしさ〜。」

口をとがらせるサエの頭をキムーアは小突き、あきれた表情でさらに口を開く。

「もうするんじゃあないぞ。前は私が行く。お前は後ろでのんびり詠唱してろ。」

小突きついでにすっかり元通りになったポニテをひっつかみ、サエの顔にぺしぺしとあててくる。

「ふがっ!ぺっぺっ!口に入るからやめっ!」

「それでも〜?自傷する魔法は危険だから外ではダーメ!
加速の間だからいいや〜って思ったんでしょ〜!」

「あはは、バレてら。」

バレバレだよ!とハヤカミスにお叱りを食らってしまったものの、
状況を加味してそれを利用するのは良い案だけどね、としぶしぶ許してくれた。

「かなりぎりぎりだったけれど、まあそこは私たちがカバーするしかないわね?」

「そうだな。」

ジュリーとキムーアは子供を持つ親のように、慈愛に満ちた表情でサエを見る。

「本当、手のかかる方ですね、サエさんは。」

前より雰囲気が柔らかくなったナーナリアが、口元を隠しながらも小さく笑むのが見えた。

「わ、私もお手伝いする、よ!」

姉の陰に隠れていたコバニティも、ふんす!と小さく息巻いている。

「うん、わたしはねるけど…」

おまえは寝るんかーい!とツッコミを入れたサエにキムーアが向き直る。

「サエ・エトワール。」

「えっ?!あっ、はい!」

「君を、我らのリーダーとしたい。」

「よろしくて?」

「うんっ!!これからもよろしくな!!」

こうして、一行の頭は決まった。
自分で先頭に立つことを決心し、皆にその力を認めてもらえた。
出会った当初に比べれば大きな進歩だといえよう。
そのことにサエは感慨深く、そして笑みがこぼれて仕方がなかった。
だが、笑ってばかりはいられない。
これからもっと非情な戦いが待っているのだ。
パンッと自身の両頬を叩いたサエは、仲間たちと加速の間を後にした。


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