Sae's Bible
めぐる思考

にじり寄るジュリーを回避しようと、ハヤカミスは近くに立っていたキムーアの傍へすすすっと寄りながら、苦し紛れの弁明を始める。

「い、いや待って待ってちょっっ!!事故!事故じゃん今のは!!ねえ!キムーアさん!?!?」

「何故私に助けを求める…。まあ、よくあるラッキースケベというやつだ。そう目くじらを立てるなジュリー。」

見られて減るもんでもあるまい、と続けるキムーアの言葉にナーナリアは目を見開く。

「ミナルディ様…見たのですか…?」

「仕方ないだろう。捲れたんだ。」

「…へえ?キムーアも見たのね。」

「…〜っ!!や、やだぁ…」

「コバニティだいじょうぶ…わたしは見てないよ?」

「うう〜…で、でも、二人はみっみみ、見た…んだよ…ね…?」

「おう見たぞ。」
「ごちそうさまでした!」

「安心なさいコバニティ。すぐに記憶ごと頭をそぎ落としておくから。」

悪びれる素振りもなく感謝の意を述べる目撃者たちに、鎌の切っ先が迫る。
首を落とされる恐怖を感じたハヤカミスは、両手を顔の位置まで上げて、笑顔を張り付けたまま口を大きく開く。

「ちょ、ちょ〜っと待とうジュリーちゃん!次の対戦相手わかんないし!ね!!そうだよねサエちゃん!!?」

「つぎリホソルトな〜。」

自らの首がかかっているハヤカミスをよそにサエは、明日の天気を呟くような声で次の対戦相手を決めた。

「サエちゃんそこ空気読まないで!!KYの個性無くなってるよ!!」

「わ、私は審判があるか「私が代役を務めますので、しっかり絞られてきてくださいミナルディ様。」

「なっ、ナーナリア!それはないだろう!たかがパンツくらいで…「たかが?」

キッと主人を睨むナーナリアの目はとても冷ややかだ。
何年かぶりに見た彼女の静かな怒りを受けて、キムーアは目を泳がせる。

「いやほんの少しの話だ、何より同性じゃないか!恥ずべきことでも罰せられることでもないぞ!!」

「あらだめよ。特にあなたは中性的だもの。女性であろうと男性であろうと、動物であろうとありとあらゆる全ての動植物と距離を詰めそうだわ。」

「うんうん、それは一理あるよね。あたし的にはもうナーナリアちゃガッフォァ!!「何の戯言ですかはしたない!!大体!次期女王ともあろうお方が下着などで騒いではいけません!!」

囃し立てるハヤカミスの口を目にもとまらぬ速さで物理的に黙らせ、ナーナリアはキムーアに対して声を荒げる。
いつも小言を零す時よりも眉は吊り上がり、余裕なく下唇を噛むナーナリアとは対照的に、
キムーアは哀愁を瞳にのせ、以前より少し伸びた黒髪を一束掬い上げて言葉を吐く。

「お前…昔に比べて本当に頭固くなったな。昔は風呂も床も共にしたじゃないか。」

「ミナリアキタコグッファ!!!!」

「ななななな何を仰っているんですか貴女は!!!
幼いころの話を引っ張り出さないでください!!
昔は昔!今は今です!!もうお立場も関係も違うのですからわきまえてください!!!」

いつもの冷静さなど消え失せたナーナリアが、
また興奮収まらぬ変態を地面にたたきつけ、髪を撫ぜる優しいぬくもりをも振り払った。
キムーアの手を払った事に遅れて気づいたナーナリアは、自身の手を震わせる。
そして、ひと呼吸してからキムーアに謝罪し、こう続けた。

「私に…従者に、このような馴れ合いは、必要、ありません。
付き従う人間には、すべからく全員等しい扱いをせねばなりません。
あなた様のお立場で、『特別』を作って良いのは、将来、貴女と生涯を共にする国王のみ。
幼馴染という特別は、不要です。
更に…私は貴女に主従の誓いを立てた身。
どうか、下々の声をお聞き入れください。
ミナルディ・キムーア・カロラ様。」

頭を下げて淡々と述べる姿は、まさに主人の更なる成長と栄光を望む従者の鑑である。
だが、そこにキムーアが求める『ナーナリア』の姿は無い。

「ナーナリア…」

何故、幼馴染だと友人だといけないのか。
ジュリーは生前のアキルノアと友であり、主従の関係でもあった。
とても仲睦まじく、時に切り替えては話し合っていた。そのようには出来ないのだろうか。
傍から見ても、キムーア達がすれ違っていることは明白だ。
このやり取りに、サエは物悲しく、もどかしく思ったのだった。

こんなに的確に明言されるとは思ってもみなかったのだろう、キムーアは眉根を寄せて顔をしかめる。
その左手に力を込めたものの、やはりその行き場はなく、自らの傍の壁が力強い想いを受けるだけだった。

ガンッッ!!

ぱらぱらと崩れる欠片。拳を離された壁は円形状に大きくひび割れている。
きゃっ!生の壁殴り執行☆とか騒ぐハヤカミスと、
鋭い眼光を想いの先へ向けるキムーア以外、ぴりぴりとした場の空気に充てられて口も開けない。
明らかな主人の今までにない怒り。
ナーナリアはこわばる身体を、鉛のように重くなってしまった己を後ろへ引き下げる。
じりじりと下がるナーナリアの両肩をキムーアが乱暴に掴み、壁へ彼女の体ごと縫い付けた。

ナーナリアの肩がみしりと音を立てる。
今の今まで、こんなに強く痛く力を振るわれたことがないのだろう。
黒曜石の瞳が戸惑いの色に染まる。
深い二つの赤に映る自分の情けない顔、僅かに期待している表情に、ナーナリアは俯いて嘲笑する。

「出過ぎた真似をいたしました。申し訳ございません…。どんな罰も甘んじて受け入れる所存。」

その言葉が、キムーアの心を砕いた。

「…変わらない…」

キムーアの奥底で、しんしんと降り積もった言葉の雪。
彼女のために降り続き、大切に積み上げられたそれは、無情にも当人の声で雪崩れていく。

「昔も…今もっ!!変わらんだろう!
いつもお前はそうやって下らん線引きをする!
対等な関係であると言っているだろうが!!」

遂にキムーアがナーナリアの着物の衿首を掴んで引っ張り上げた。
襟首を掴まれ、無理やり目線を合わせられる事となったナーナリアは、
どうして解って頂けないとばかりに、切れ長の目元に激情と確固たる意地をみせる。

「ちょ、二人とも「対等な訳が無いでしょう!あなたは女王となるお方で!私は従者です!!その事実は変わりません!!」

ハヤカミスやジュリーが止めに入ろうとするも、キムーアの強い力によってあっけなくはじき出される。
二人の間で長くくすぶっていた関係性の問題にメスが入ったのだ。

「その前に幼馴染だろう!!いかなる時も共にあり、常に背中を預けてきた!!
お前は私にとって唯一無二の存在であってそこらの従者ではない!!」

「それでも!!今は状況も周囲の人も違うのです!!
いつまでも子供のような屁理屈をおっしゃらないでください!!」

いい加減聞き分けてくださいと、襟首を掴まれたままだったナーナリアがキムーアの手首を掴んで引きはがそうとする。
あのナーナリアがキムーアに対抗しようとしている程だ。相当頭に血が上ったのだろう。

「それは周りばかり気にして動けなくなっているお前の言い訳だろう!!
私とお前の関係など皆に知れ渡っているのだから堂々とすればいいものを!
飽きもせずに一人で勝手に思い詰めてこそこそ逃げ回るな!いい加減素直になれ!!」

手首を掴まれたせいで更に苛立ったキムーアは、ナーナリアが嫌う舌打ちをして両手を乱雑に離す。
突然自由になった襟首の反動は大きく、ナーナリアは一瞬前のめりになったが、
すぐさま姿勢を正して、乱した本人に見せつけるように襟首や着物をきっちり整える。

「お断りです!!」

この態度がまた気にくわなかったキムーアは、先ほどよりも大きく舌打ちをし、
わざと女王の振る舞いには相応しくない、高圧的で見下すような視線をナーナリアに向ける。


「なんだとこの頑固頭!!」
「聞こえませんでしたか?おことわりです、と申し上げたんです!!」

売り言葉に買い言葉。
ここから言い争いはどんどん熱と声を上げ、理性と知性が下がっていく。

「貴女に私の立場や想いはわかりません!想像もできないでしょうね!だから勝手な考えや理想を押し付けないでください!」

「じゃあ教えてくれ!お前の考えも思いも受け入れてやるから一度話してみてくれ!」

もはや内容が子供の喧嘩であると理解はしていた。
だが止められない。頭が回らないおかげで口先から言いたくない暴言や罵声が壊れた蛇口の水のように勢いよく流れていく。

「嫌です!!黙秘します!お断りです!絶対…絶対絶対絶対ぜーったいいやです!!」

これがナーナリアの素なのだろうか。
自制心が外れて頬を膨らませる姿はまさに少女だった。
そして対抗する彼女もまた、素は幼くあった。

「ああああこんの!!だからお前は皆からカタブツと言われるんだっ!!」

「理性的なんです!!どこかの誰かさんと違って!!」

「あー!そうかいそうかい!!どこの誰だろうなあ!
こんなクソ真面目な年寄り臭い女に言われるなんて散々だよなあ!!」

「年寄り臭いは余計でしょう!自由人!!」

「うるさい泣き虫!!8歳の時に悪夢見たとか言ってゼルバに泣きついていたくせに!!」

「あれは6歳です!!それに泣きついていたのは老師じゃなくてメイド長のアニラです!!」

「どっちでもいいんだよバーカ!結局泣きついてるだろバーカ!!」

「トラップ部屋に潜り込んで前髪切り落としてくるバカよりマシです!」

「主人にバカとか言うなよバカ従者!」
「人の話を聞かないからですバカ主人!」

「アァッ!?なんだと!?」
「やりますか!?」


「「チッ!!」」

二人は揃って似たような舌打ちをして相手に背を向けた。お前ら本当仲良しだな…と生暖かい目を向けるサエ達にも気づかず。

「…くそっ…」

小さく漏れた後悔は誰にも届かない。
キムーアはまた壁に想いをぶつけると、打ち付けた拳を下げながら、ずるずると下へ辿り、壁にもたれかかって胡坐をかいた。
左膝を立てて利き手を力なく置き、後頭部を壁に預ける様は真面目な彼女が見れば間違いなく注意してくるものだ。
しかし今、怒ってくれることはない。
キムーアに背を向けたまま胸の前で腕を組み、人知れず溢れる涙を堪えるのに精いっぱいなのだから。

「……どうして、こうなるのですか…」

寂し気な問いかけに応えてくれるものは無い。

何をどう間違えたと、二人は落ち着いてきた脳に問いかける。
互いの意見を譲る気配は全く無く、かといって互いを嫌っているわけではない。
むしろ相手を尊重するあまり、大切に思うあまり、から回って、どんどんすれ違っていく。
それは二人とも理解していた。
それでも、ナーナリアは立場や地位、自らの置かれた身分に囚われ、キムーアは自由と共有に焦がれる。
この場で、改めて両者が譲ることはないと再確認した二人は、大切なものから目をそらした。

二人の怒涛の言い争いが途切れた中、コバニティはおろおろと責任を感じて身を固くしていた。

「ど、どうしよう…わ、わたしの、パ…ンツの、せいで二人が…」

「うん、違うから気にしなくていいよコバニティちゃん。これはね、めっちゃめんどくさい痴話げんかっていうんだよ。」

「なにが痴話げんかだ!!」
「どこが痴話げんかですか!!」

余裕があれば流してしまうハヤカミスの発言さえも引っかかる。口を揃えてしまうのに、肝心なところは揃ってくれやしない。
ナーナリアは唇を噛み、キムーアは壁にもたれかかって小さく舌打ちをした。

「ほらね。」

「ほんまや痴話げんか〜!」

「ねえ、対戦…しないの?」

退屈していると頬に書いたようなリホソルトが、口を少し尖らせる。

「あらそうね、くだらないことをしている場合じゃなかったわ。」

その掛け合いを聞き、おっ!いよいよやな!と意気込んだサエは腕を伸ばしたりして無駄に有り余る体力でストレッチをする。
その時、ハヤカミスが声を上げる。

「あ〜!ちょっと待って!ちょっと待って!あたしも参加したい!」

「先に記憶をそがれたいのね、わかったわ。」

「違いますごめんなさい許してください!」

杖を鎌へ変えようとするジュリーにハヤカミスは素早く慣れた様子で土下座する。
あまりに綺麗な土下座の形から、
ジュリーは色々と悟ったのか、ウメリアスも大変ね…と呆れて物も言えなかった。

「ええ〜じゃあ1対2?一度に二人は難しない?」

「ちがうちがう、あたしはサエちゃん側!」

「え?でもそれじゃあリホソルトが一人で二人同時に相手することになるけど…」

「いやいや、神様ナメちゃいけないよ〜サエちゃん。
今のソルトたんならサエちゃん一人なんて余裕でしょ。ねえソルトたん?」

「うん。いま、ぜんぜんねむくないし…ぜっこうちょう。」

相変わらずゆったりとした口調だが、ダブルピースして見せるリホソルトは今までになく元気だ。
そういえば珍しくリホソルトが寝ていない。
いつもなら1時間に一度は眠い眠いと言ってうたた寝しているというのに。
やはり世界樹と大地の影響を受けないこの部屋だと、体調も眠気も問題なく過ごせるのだろう。

「一人だと勝てないの…?」

「確かに、リホソルトの本気って見たことがないかもしれないわ…」

出会った当初は操られていた上、既に魔力バランスは崩れていた為、絶好調とは言い難い。
此処に来る前など、世界樹が崩壊したせいで体調は悪化するばかりだった。

「それに〜、あたしの戦ってるとこ、ちゃあんと見てないでしょ?
見ておいて損はないよ〜。」

「そういえばそうやんな。ルーン魔法使うってくらいしかわからんかも…」

「あたしの得意な間合いとか見て、しーっかり指示出してよ〜?」

かくして、ハヤカミスの意見とリホソルトの秘めたる実力から、この対戦では特別に2対1と認められた。

「さて…始める前にお話しておかなくてはね?」

「お話?」
「あっちのだよサエちゃん。」

未だ顔と背を背けて離れる物々しい雰囲気の二人に、ジュリーは臆することなく話しかける。

「喧嘩をすると物理的に距離も遠くなってわかりやすいお二方。」

「なっ!違うぞこれはっ!」
「ちがいます!」

「あら、喧嘩ではないのね?若輩者にはそう見えてしまったの。ごめんあぞばせ?
では『年上のお姉さま方』、きちんとお話合いの上、この対戦の後にご参加頂けるかしら?」

「「アッハイ。」」

サエ達の側からではジュリーの表情は伺えないが、二人の瞳孔がこれでもかと開いて片言にしてしまう程度には恐ろしい重圧が投下されたのだろう。
可哀想に二人はそそくさと正座で向き合い、外部からの圧迫を受けた面接のように話し合いを開始する。

「ふふっ、これで安心ね。さあ、さっさと新ルールで始めてしまいましょう?審判は私がやるわ。」

「ジュリーめっちゃこわいやん…」

「あら、何かしら?」

「何でもございません!!」

「さあ、三人とも前へいらっしゃい。」

「お手柔らかに〜。」

「ソルトたんのパンチラきぼんぬ〜。」

「何言ってんのハヤカミス。」

「久しぶりだから、むずかしいかも。」

「えっ!?久しぶりって…えっ!?!?
前にしてんの?!いつ!?えっ!?」

対戦前に騒ぐサエにジュリーが素敵な微笑みを向けてくる。
この笑顔の後ろに『何くっちゃべってるのかしらこのお馬鹿喉元掻っ切るわよ』みたいな心の声がありありと見える気がする。
微笑みの爆弾怖い。

「アッゴメンナサイ!!」

結局リホソルトのパンチラ疑惑は何だったのかよくわからないままだ。
いやこんなくだらない事考えたらあかんやつと、サエは頭を振って邪念を払い、杖を構える。

「では、がんばってね。」

ジュリーが杖を頭上に向けて手首を回す。すると始まりの合図としてパンッとバラの花弁が舞った。
実に優雅な幕開けとなったリホソルト対ハヤカミス&サエの戦いで、先制したのはリホソルトだ。
ふよふよと既に1mほど地面から離れているリホソルトは、オーケストラを指揮するかのように両手で魔法球を操る。

「おおっと」
「うぎゃああっ!?」

「始まってすぐ、こうげきするサエのまね」

柔らかく、且ついたずらっぽく笑うリホソルトの攻撃は、サエの真似など凌駕した恐ろしい術だ。
リホソルトの扱う神術は無詠唱。
しかも指先でちょいちょいと意のままに扱えるそれは、視認できるだけでざっと20ある。
よく熟した大きなスイカ程の球が指揮者の手の速度と同等か、それより早く飛び交いサエ達に攻撃させる暇を与えない。

逃げ惑うサエに対し、ハヤカミスはうまく身を捻りながら球をかわして、リホソルトへと間合いを詰める。

「ははっやるねえ〜ソルトたん!」

漆色の傘の留め具を指で弾いて外してから、ハヤカミスは両足で地面をしっかり蹴り上げる。
浮遊する神様の真上に飛び上がると、傘を片手で大きく回して広げ、その切っ先をリホソルトにむけた。

『6のken、イグニス!』


傘の内側でkenという文字が炎に包まれて浮かび上がる。途端、傘の先端から三つに連なった炎の円環がゴォッッとリホソルトに襲いかかる。
放たれた炎がリホソルトの胴体を締め上げようとするも、攻撃を読んでいたようで、するりと炎の輪を掻い潜る。

「ふー。」

それどころか、女神の吐息ひとつで炎がかき消されてしまった。

「や〜っぱ読まれてるか!」

「笑うてる場合やないで!うおおっ!?」

ぱひゅん、とサエの頬を魔法球が掠める。
ハヤカミスは傘を広げて防いだり、飛んだり跳ねたりと軽やかに回避する。
杖が重くてハヤカミスのように身軽では無いサエは、
杖のリーチを利用して自分に直撃する前に杖に当てていく。
鋭く尖った杖の先端でぷすぷすと魔法球を刺していく様は、投げられたリンゴをレイピアに刺していく曲芸を思わせる。

「なんだ?サーカスでも始めたのか?」

「あら、話し合いは済みまして?」

「あー…まあ、そう、だな。」
「…お騒がせいたしました。」

サエ達が部屋中を駆けずり回る中、キムーアとナーナリアの話し合いが決着したらしい。
2人は未だ微妙な空気のままだったが、平静は取り戻したようだ。
ジュリーの問いに言い澱み、目線を宙に漂わせる2人の仕草が鏡のようだと気付いていないのは、本人達だけである。

「仲直り、した…の?」

「仲直りとか喧嘩がどうとかそういう問題ではないのでご心配なく。」

おずおずと様子を伺うコバニティに、容赦なく竹を割ったように答えるナーナリアの態度を目の当たりにしたキムーアは、大きく項垂れて眉間に指を当てた。

「はぁあああ〜…」

「…大変ね、貴女も。」

「全くだ。」

一悶着あった2人の事など、サエ達は構っていられなかった。
魔法球を動かすのに疲れたのか、リホソルトが急に防御へ身を転じたのだ。
ふよふよと宙を泳ぐリホソルトは、サエとハヤカミスの攻撃を余裕の表情でかわしていく。
たまに指をパチンと鳴らして部屋の隅から隅へ瞬間移動するものだから、たまったものでは無い。
消えたり浮いたりを繰り返すせいで、追いかける側は神様に弄ばれるシャトルランで息を切らす。

「はっ、ハヤカミスっ、そっちっ!」

「あ〜!もうっ、わかってる、よっ!」

『11のis、グラシエス!』


『ウィンドボール!!』


「だああああ〜!!もう!!当たらん!!」

詠唱をしている間に逃げられる。
機敏に動くリホソルトに少しでも当たるように、詠唱の短い魔法を選んでいるが、それでも遅い。
ハヤカミスも同じく苛ついており、ついに抗議の声をジュリーへ向ける。

「ちょっと審判さ〜ん!!ずっと浮いてるのって反則じゃないの〜!!」

「浮いている敵も多いでしょう。」

審判から即却下を頂いたお陰で、空飛ぶ綿飴のような神様が地面を駆ける姿は見られなくなった。

「お前も神の端くれだろう、少しは浮くなり何なりして見せろ。」

「んな無茶な!!」

「えっハヤカミス浮かれへんのっ!?」

「浮けないよ!?あたし正確には神じゃないもん!」

「ええっ!?だって最初会った時に神様おちょくってるけったいな神様や☆って言ってたやん!!」

「さっすがサエちゃん!一言多いよ!
立場的に面倒臭くていろいろ端折っただけ!
対人的には神様でも、神界なんかでは精霊の強化版みたいな扱いだから…っとぉ危ない!」

ハヤカミスが浮けない。
ハヤカミスが、浮けない。
時の守護者とかいうやたらカッコイイ肩書を持っていながら、飛べないし浮けない?
仕事で神様(ウメリアス)おちょくって遊んでる神様とか自分で言っておいて、宙に浮かぶことすらままならないと?
サエは目の前が真っ暗になった。
たかがハヤカミスが飛べないだけで、そんなに絶望するのか?こいつアホなのでは?
いや知ってたアホだった、と言われてもいいくらいにはハヤカミスの参戦に実はガッツポーズしていたのだから仕方がない。
リホソルトが1対1では到底敵わないから手伝うみたいなこと言ってカッコつけてた癖に、
そんな言い出しっぺの言葉と実力に期待して安心して、これは勝ったと高をくくっていたのに、浮くことが出来ないなんて…。

と、脳内でひとしきり考えた末に思いつめた表情になってしまったサエに、飛べないお姉さんがちょっと!と声をかける。

「そんな絶望を絵に描いたような顔しないでサエちゃん!」

「だってそれじゃあどうやっ、うおあっ!!?」

「おしゃべりばっかり、攻めてこないの?」

「攻めたい!めっちゃ攻めたい!」

「やだサエちゃんその台詞とっても興奮する!」

「真面目にやらんか変態が!!」

サエのストレートな下克上攻め宣言萌ゆる〜!と、妄想を全身に垂れ流す精霊の強化版(変態)の額に罵声と小石が剛速球でクリーンヒットした。

ごすっと。ごすっと鈍い音を立ててそれは地面に落ちる。
直径が小指の半分もない小さな石が、ハヤカミスの額に鮮血のミニ噴水を作り上げた。

「いったあああ!?!?ちょぉっ!?審判〜!外野から石が!石が飛んできたよっ!!」

「あら、ごめんなさい?よく聞こえないわ?」

「駄目だサエちゃん!審判が仕事してないよ!」

『ウォーターボール!』


ハヤカミスの訴えをフル無視したサエは、自身の中では最高速度の水球をちょろちょろ動き回る眠り神めがけて繰り出し続ける。
それでも1発すら命中することはなく、逆に球返しを食らってしまう。
サエ達に容赦なく光球が襲い掛かる。

「えええ!無視された!!おねいさんさみしい!!」

「ちょ、も〜!!ハヤカミスうるさい!はよ援護して!!」

「扱いヒドイよサエたん!!」

そうぶつくさ言いながらも、ハヤカミスはリホソルトの光球を傘で風船を破裂させるように壊していく。

三人の位置を全体的に見られる位置にいる外野組ですら、目薬が欲しいほどにリホソルトの動きは素早い。

「本当に目で追うのがやっとだな…」

「今は…この本来の力を出せていないのよね…」

「…世界樹、わたしのせい、だよね…」

罪悪感、哀愁、葛藤、永遠に終わらぬ自身への責め苦が、彼女の表情から零れ出る。

そう、確かにコバニティの行動により世界樹は枯れ果てた。
あの惨劇は操られていたと言えど、自分のした愚行であり第三者から見れば許されざる行為なのだ。
コバニティは自らの意志を取り戻した時から、この罪に対して悔やみ、悩み憂い続けている様子だった。

「過ぎたことを悔やんでも仕方ありませんよ。」

「そうだ。何回も言うが、あれは君のせいではない。」

キムーアとナーナリアはコバニティに声をかけてくれたが、自己嫌悪と罪の意識にとらわれている彼女には気休めでしかない。
未だ俯いたままでいるコバニティの両肩を包んだのは姉だった。

「それにしても、ハヤカミスの進言が無ければ、今頃サエは負けていたわね。」

「ああ、間違いない。
あの変態…サエと一緒になってぎゃあぎゃあ騒いではいるが、
全て事前に回避しているし、何よりサエが魔法を打ちやすいように立ち回っている。」

「戦い慣れていますね。」

話を逸らしてくれた姉、その意図を汲んで会話を続けてくれた二人に、コバニティは瞳を潤ませた。
この優しい、大切な人たちの力になりたい。
殺伐とした大人社会の中で、陽だまりと安らぎをくれた姉を、
姉の愛する国を助ける一つの支えになりたいと、コバニティは心からそう願った。

怪力娘の心に強い意志が灯ったことなど露知らず、サエとハヤカミスはリホソルトの動きに翻弄されるままの低迷状態にあった。

「どないしよ…このままじゃ…」

「サエちゃんこっち!!」

ハヤカミスは傘を開いたまま、打開策を探すサエの腕を引っ張り、審判や外野組がいる部屋の隅まで駆ける。

「わわっ!?えっ!?」

「ちょっ、ハヤカミスなんなん!?」

「頭ひっこめといて!」

隅に集まる全員を自らの背中に隠し、口早に危険を促したハヤカミスの足元が、群青色の光を放った。
魔力の開放による淡い水色の光がハヤカミスを囲み、数多のルーン魔法陣が展開される。

『21のlagu、ウンダ!』


左から右へ傘を振り切ると共に、大きな波がハヤカミスの前に生まれる。

「っ!」

津波となって押し寄せるそれを、リホソルトが回避することは不可能だ。
ハヤカミスの後ろしか逃げ場所はなく、彼女の傘より前方は横も含め全てを海の如くのみ込んでしまっている。
ごぼごぼとリホソルトが水の流れに呑まれ沈んでいく。

「サエちゃん!」

傘がカタカタと小刻みに震えている。元々長時間持続できない魔法なのだろうことがサエには分かった。

「わたしだって…!」

長い詠唱で大打撃を与えたいが、唱える時間は無さそうだ。かといって短時間詠唱の魔法では威力に欠ける。

詠唱なんて、無ければいいのに。
リホソルトのようにすぐに魔法を使うことが出来れば、もっと戦いやすくなるのに。

そう思ったサエの手に力が入る。
途端、全身から有り余るほどの魔力が両手から杖へ集まるのを感じた。

「ん…?」

いける?そう思ってしまった。
今まで感じたことのない、膨大な魔力。
これを全て使えば、きっと詠唱もいらない。
大丈夫、自分の力なのだから制御できる。

グッと改めて掌に魔力を注ぎ込むと、魔力を使わせまいとしているかのような、鎖のようなものが手首に絡みついていた。
が、瞬きの間にそれは消え失せており、怪訝に思ったものの、サエは再度、魔力を注ぎ込んだ…次の瞬間。

「むぎゃあっ!?」

杖からバチバチと稲妻が放電され、両手から伝わる凄まじい魔力の奔流に耐えきれず、サエは杖を放り投げ、盛大に尻もちをついた。

「…な、なに、してんのサエちゃん…」

突然のことに目を白黒させるサエの周りで、一同は騒然とする。
ここは一時休戦となり、リホソルトもサエの身を案じて近寄ってくる。

「今、」

「…詠唱なしで魔法を放とうとした…?」

「失敗に終わったがな。」

「でも、杖は反応してた…」

「末恐ろしいわね…」

放り投げられた杖は未だバチッバチッと魔力を放出している。

「サエ…わたしのまねしようとした…?」

こてん、と首を傾げて問うリホソルトの言葉に、サエは戸惑いながらもこくりと頷く。
首を縦に振ったサエを見た仲間たちは、揃って目を丸くした。
特に、ハヤカミスは開いた口が塞がらないといった様子であったが、すぐさま悪態をついてきた。

「は?え、もしかしてサエちゃん無詠唱魔法使おうとしたの!?バカなの!?死ぬの!?」

「えっそうなん!?」

「無詠唱魔法は、詠唱を無くす代わりに通常の何倍もの魔力が必要なんだよ!?
その分魔力を補えないと、肉体や血液を代償にするから危険なの!オーケイ?!」

「え〜!?そうなんや…」

ハヤカミスの警告をよく聞いて心に留める。
だが、それにしては不思議な感覚だった。
ハヤカミスの言うような、肉体や血液を代償にしている悪いものでは無かったのだ。
むしろ、自分の奥底でまだ力が眠っていたのかと思うほどに、魔力が溢れた。

それに、一瞬だけ見えたあれは何だったのだろうか?
酷く邪魔なものに感じたあの鎖は、魔力を制限しているように思えた。
あれさえ無ければ、うまく魔法が発動していたかもしれないのに。

「とにかくっ!!」

少し不貞腐れるサエの頭上に、ハヤカミスの声が直撃する。

「ここでは無詠唱も出来るかもしれないけど、外に出たら間違いなく流血沙汰になるからね?
いつでも出来るとか、自分は魔力強いとか過信しないよーに!
サエちゃんや皆に何かあったらあたし、姐さんに怒られるんだからっ!」

「わ、わかったって〜。」

ハヤカミスの言うように、ここは特別な空間なのだ。
だから変な力が働いたり、鎖の幻覚なんかが見えたのだろう。
そういうことに、しておこう。
今は手合わせに集中しなくては、とサエはお尻周りに付いた服の汚れを払った。

もう何事もなかった顔をしている杖を拾って、
軽く素ぶってみる。
特に何も起きないし、魔力も増えていない。
ちょっと損した気分になったサエは、はぁっと小さくため息をついた。

「…もういいな?ジュリー、始めてくれ。」

「そうね、では…始め!」

サエに反省の色が伺えたので、手合わせ再開となり、ジュリーの号令で各々武器を構える。

中断前と同じく、先制攻撃をかけてきたリホソルトの光球は始めた時と比べると格段に肥大しており、スイカ二個分に成長していた。

「おっとぉ!?」

「ほんっと、ソルトたん早すぎ!それチートだよ〜!」

『9のhagall、グランドー!』



ハヤカミスはリホソルトの攻撃を相殺すべく、自身の周りに雹を解き放つ。
透き通る青を秘めた雹は次々とリホソルトの光球へ磁石のように固着し、地面へ落ちていく。

「ハヤカミス!」

雹と光球が合体した石が多くある所の陰にサエは潜み、ハヤカミスを小声で呼びながら手招きする。

『10のnied、アールーキナーティオ!』


合図に気づいたハヤカミスはリホソルトの目を欺けるよう、錯覚魔法をかけた。
すると、ハヤカミスの体が二つに分かれ、本体の方は半透明となった。
分身の方は傘で顔を隠しながらリホソルトと対峙する。
雲隠れしている状態のハヤカミスがサエの元へ駆け寄ってきた。

「手短にね、あれ1分持たないから。」

「リホソルトの出る位置、ある程度分かんの?」

「まあ、大体ね〜。」

「それってどうやって…うわわっ!」

論より証拠と、ハヤカミスはサエの頭を押さえつつ、死角になる物陰からリホソルトの様子を確認する。

「…よーく見ててよ。」

リホソルトが姿をくらますと、ハヤカミスは瞬時にサエの手を引く。
くいと顎先で合図を送る先は足元。
小さな影が部屋の右隅に向かって移動していくのを目で追う。
影が止まった瞬間、その場にリホソルトがふわりと現れる。

「まあ、予測できるだけで反撃までの速度は追いつかないけどね…あっ!やば魔法切れそう!
そんじゃサエちゃん、何か思いついたら教えてねん☆」

ハヤカミスはそう言い残し、リホソルトの前に出て、サエが隠れている場所から離れるように誘導する。

普段ちゃらんぽらんな癖に本当によく周囲を見ている。
その代わり攻撃が遠慮がちになるのか、魔法の最大火力をわざと出していないようにサエは感じた。

それにしても厄介だ。
リホソルトの次の出現場所を読めるようになった所で攻撃のポイントにならなければ意味がない。
どうやって移動しているのか分からないが、姿が見えない相手を、捕まえることなど出来るのだろうか?
コバニティの時は姿が見えていたから、目を閉じさせて拘束することが出来た。
だが、リホソルトは何か誘導しようにも浮いていてかつ素早いせいで、避けられる危険性がかなり高い。
一度失敗すれば警戒されて、次の作戦難易度が跳ね上がってしまう。

「……うーん…一体どうしたら…捕まえる…出てくる影を捕まえる…」

「ん?出てくるときは影から出るんやんな…?リホソルトの陰の中に仕込んで特定の場所にしか行けないようにすれば…」

「うん、いけるかも!」

サエはふと、思いついてしまった。
少し手間だが、慎重に、気づかれずにうまくやれば、捕縛出来るはずだ。

サエはリホソルトが次に出現するポイントを注視する。
影が止まる。色濃くなる陰り。
ふわりとその地面に触れるのはリホソルトのつま先。
まだ、確信は持てない。確実に仕留める為に、もう一度。
リホソルトの動きを、現れる時の仕草を、地面や全体の様子を捉えるべく、サエは集中する。

「まーたロクでもない事考えてるぞ、アイツ。」

「あのアホ毛、わかりやすいわよね…」

「えっ、えっ?アホ毛?」

「コバニティさん、アホ毛です。あの動いてるアホ毛、様子がおかしいでしょう?」

「は、はあ…」

ひょんひょんと世話しなく動く謎の毛束EXを宿すその人は、新しい遊びを考えついた子供のように、にんまりと口角を上げる。

「ハヤカミス!少しだけ時間稼ぎよろしくっ!」

「ええっ!?ちょ、何する気〜!?」

突然部屋中を駆け回り始めたサエに、ハヤカミスは困惑する。
勿論急に動きだしたサエをリホソルトが見逃すはずもなく、足止めするため光球を放とうとする。

「なにかわからないけど…とめるよ。」

「おっと、行かせないよ〜ん。サエちゃんからの初のご命令だからね!」

『ansur・thorn!』


ドドドッとハヤカミスの傘の先端から強烈な魔法弾が連射される。
まるで機関銃のようなそれは追尾機能も搭載しているらしく、リホソルトか物体にぶち当たるまでは地の果てまで追い続けるようだった。

「む、ハヤカミスやっと本気だした…」

「あははっ!たまには本気も出さないとね〜☆」

ばっちりウインクでキメてくるハヤカミスの魔法弾を掻い潜りながら、リホソルトが急に踵を返す。

「じゃあ…わたしも、もう少しいじわるする…」

『Bonam noctem.』


リホソルトが慈愛に満ちた顔でそれを口にした途端、温かく真綿のように柔らかな雲が部屋の天井を飲み込む。
天井に集まった雲が、部屋の光を食い尽くし、闇を落としていく。
真っ暗になった部屋に圧倒され動けないサエ達を置き去りにしたまま、雲は燦然と輝く星々を天井一杯に散りばめた。

「こ…れ、ぐっ…!」

「催眠魔法…!」

星に魅入られたのか、はたまた闇に呑まれたからなのか。
それとも単に、「夜」だから眠いのか。
異常なまでの睡魔がサエとハヤカミスに襲い掛かる。

「やすらかに、おねむりなさい…なんて。」

「っ、だ…から、いやなんだよね…神サマって…」

ぐらり、ハヤカミスの体が傾いた。
ここで自分も眠るわけにはいかない。
サエは今にも落ちてしまいそうな瞼に、杖を握る手に力を入れた。
今咄嗟に頭に浮かんだ魔法でリホソルトの神術が破れるかなど、分かりはしない。
だが、やる前から諦めるようなことはしたくなかった。

「なんとかなる!!」

願いを、希望を込めて詠唱した。
最短で、最大出力で、目が冴え渡るように。

『唯一たる日輪、灼光の精霊よ
微睡みの淵にある全ての者に覚醒たる絶唱を!
ブライト・モーニングソング!!』


夕日と朝日を一纏めにして人型にしましたみたいな、なんとも目に痛い精霊たちが、AAAA~と古代の言語で一斉に歌い始める。
その歌声は歌詞を理解すれば美しく聞こえるなどの次元を超えて酷い物であり、
高級な目覚まし時計や口うるさい幼馴染のモーニングコールが、オペラのように感じるほど五月蝿かった。

「っ!?」

「へへ〜!これで目ぇ覚めたやろ?」

「ソーネ、目も頭も冴えちゃったよ。」

詠唱した本人も直撃したハヤカミスも耳がキンキンするものの、近づけば声は拾えた。

一方、催眠魔法を破られたリホソルトは一番近くで傍聴してしまったせいで、耳が聞こえないのは勿論の事、動きが遅くなっている。
ここにおいては好都合だった。

「ハヤカミス、よぉ聞いてな。」

サエはすかさず思いついた作戦をハヤカミスに共有し、二人でにやりと笑った。

ちなみに外野組はというと、端的に言えば無事であった。

「リホソルトの催眠魔法は強力ねぇ。」

「ナーナリアが結界を張っていなかったら、全員眠っていたか、サエのあの音痴魔法で耳が潰れていただろうな。」

「審判が行動不能では判定も出来ないでしょう。」

本来なら審判が結界なり防御なりするところですが、と続けるナーナリア。
するとジュリーは手合わせの様子から視線を逸らさぬまま、笑みを浮かべる。

「あら、私が咎められているのかしら?」

「そういう訳では…。ただ責務はきちんと果たさねばならないと言いたいだけです。」

「ふふふ、貴女は本当に真面目ね。石橋を叩きすぎてはダメよ?足元から崩れてしまうわ。」

「…私が、崩れると?」

ジュリーの言葉に空気を尖らせ、瞳孔を開くナーナリアは普段よりも随分と沸点が低い。
先ほど主と衝突したばかりで気が立っているのか、今にも手が出そうな忠犬をキムーアは宥める。

「おい、あまりいじめないでやってくれ。」

「あらあら、いじめてはいなくってよ?真面目な方って少し突くと面白いんですもの。」

「ね、姉さま…」

くすくすと上品に笑う姉は大層楽しそうだが、
喧嘩は嫌だと、コバニティは震える全身で訴えた。

「ああそうね、今は審判だったわね?ちゃんと務めなければ、また誰かさんに怒られてしまうわね?」

「……」

ナーナリアの眉間に皺が寄る。
ジュリーの煽りに乗らなかっただけマシだが、心に押し込めた分がいずれ爆発するのは目に見えていた。

「ナーナリア。ハァッ…勘弁してくれ…」

お前の爆弾処理は随分手こずるんだよと、キムーアは独り言ちた。

冷ややかに強かに爆弾の起爆スイッチが入った頃、ハヤカミスはサエの指示通りにリホソルトの相手をしていた。

「よっ、と!」

「まだ逃げまわるの?」

「だぁって、もう少しかかるみたいだし〜。」

ハヤカミスは作戦の内容を聞いているので、サエの状況や進行具合が把握できる。
しかし、外野組から見ればそれは理解不能な行動だった。

「…それにしても、サエは一体何をしているんだ?」

「ずっと駆け回りながらリホソルトを見ていますが、魔法の気配は無いです。」

リホソルトの相手をハヤカミスに任せっきりで、杖を構えたまま部屋を走り回るサエの行動は謎でしかなかった。

「でも…杖を上下させてるよ…?」

「…もしかして…」

コバニティの言う通り、サエは杖を細やかに動かしていた。その杖の先は間違いなくリホソルトに向かっている。
キラリと杖の先に何かが見えた。
それはリホソルトが空間移動するたびに、数を増やしているように見える。
なるほどね、とジュリーは唇に指を沿わせて小さく笑う。

「姉さま、何かわかったの…?」

「ふふ、見ていればわかるわ。」

ジュリー以外が首を傾げる中、ハヤカミスはリホソルトをサエに近づけまいと絶妙な間合いで立ち回っていた。

「サエちゃーん!まだ〜?」

「あと1本!」

「いっぽん…?」

「はいはい!じゃあこれでラストかなっ!」

『ansur・thorn!』


「おんなじのは通用しないよ…っ!」

ハヤカミスが放った魔法弾を余裕綽々で避けるリホソルト。
それがハヤカミスの陽動とも知らずに。

「…っ!!」

魔法弾を避けていたら何故か進路が狭まっていく。
空間移動しようにも、常に見えない何かが足元にあるせいで思うようにいかない。
ついにはサエの前に来てしまったリホソルトはやっと嵌められたと気づくも、もう遅い。

『幻糸に隠されし黄橙の魔袋よ
今こそその糸口を開き彼の者を包み封じ込めよ』


「あっっ!?」

リホソルトは空間移動が出来ない理由に今更気づいた。
ずっと足元で見えない糸が編まれ続けていたのだ。移動するたびに自らの影の中で糸が増え、より細かく編まれていた。
自ら自分を陥れる袋を編んでいたのだ。

『キャプス・ウィーヴィング!』


「捕まえたで!!」

「ぐっ!!」

ブワッとリホソルトの足元から突如現れた編み袋は獲物を丸のみにし、ご丁寧に蝶々結びまでしてリホソルトを袋の中に閉じ込めた。
見ての通りの袋のネズミと化したのだ。

もはやリホソルトが動くことはままならないことを確認したジュリーは宣言する。

「そこまでよ!全員武器を下ろして!」

サエが杖を下ろしたことにより、糸は緩やかにほつれ、リホソルトを床に下ろした。

「う〜…負けちゃった…」

「いやあ〜!うまくいったねサエちゃん!」

「正直出来るかわからんかったけどな!」

「にしてもなんでみかんネットwwwもっと他にあったでしょ蜘蛛とかさ〜。」

「だって部屋全体に仕掛けるサイズやと、その分でっかくなるねんで!嫌やん!きもい!
それにちゃんと糸動かせんと困るもん!」

自分の思いつく媒体で糸と関連するものが蜘蛛とみかんネットしかなかったのだ。
当然、蜘蛛なんか気持ち悪いから出したくはなかったが、それ以前にあまり直視していないので細部が分からなかった。

オリジン魔法は自分の記憶やイメージをもとに魔力媒体として再現抽出する。
細かく分からないものは細かく動かせない。
その点、みかんネットは本来のミカンを入れるものとしても知っていた。
だが、サエ的にはお店で兄の一風変わった薬を入れて販売する袋として扱っていたのだ。
その影響なのか魔法にも袋としてのイメージを組み込みやすかった。
まあ、そのおかげで魔法の糸を何十本も用意する羽目になったが、結果は見ての通りだ。

「仮に蜘蛛だったら私は卒倒していて、判定どころではなかったわ。」

「まさか影に魔法をしこんでるなんて…インチキだよ…」

リホソルトは口先を尖らせてサエの魔法にケチをつける。

「あり方はともかくとして、お前…あの糸全部をずっと隠していたのか!?」

「へ?うん。めっちゃ集中力いったけどな〜!」

「魔法の気配を極限まで殺して動かすって…」

「並大抵の技ではないわね。」

「うん。くやしいけど…サエすごい。わたし、ぜんぜん気が付かなかった。」

「ほんまに〜?そうかな〜?私すごいかな〜?!」

えへへ〜と緩み切った顔で笑いながら、サエは照れ隠しで頭を掻く。
今まで阿保だアホ毛だと言われてきた反動で、サエのニヤニヤはとどまる所を知らない。
そんな上機嫌のアホ毛をぴしゃりと黙らせたのは、心の不発弾を抱えた彼女だった。

「調子に乗らないでください。統率者ならば、あの程度出来て当然です。
それに作戦が良くとも他への指示が遅かったので、頭の回転率が乏しいようですね。」

「ナーナリア!お前さっきから変だぞ!八つ当たりなんてお前らしくもない!」

「八つ当たりなどではありません!!
ただ私はっ…、私は…ミナルディ様以外の者の命を受けるなど…。
私は、ミナルディ様こそ将に相応しく、仕えたいと思うだけです。」

「…だが…、…。」

なぜ自分の想いは届かないのかと苦悶の表情を浮かべるナーナリアに、キムーアは言葉に詰まってしまう。

「ふふっ、主人冥利に尽きるわね?」

「…難しいものだ、本当に…」

二人の心がすれ違う様をまた目の当たりにしたサエは、これは早く何とかしなければと思った。
ナーナリアに自分の力量を認めさせれば、もしかしたら何か変わるのでは?
そう思い立ったサエは一人ひそかに意気込むのだった。

「さあさあ、お次は誰かな〜?」

「ナーナリア!ナーナリアがいい!」

「承知しました。」

サエが間髪入れずに指名したナーナリアは、皆の予想とは裏腹にあっさりと承諾してくれた。
サエもてっきり恨み言の一つでも浴びせられるかと身構えていた手前、拍子抜けである。

「あれれっ?もう機嫌はいいのかな?」

「…お前、わざと煽っていくのはよせ。関係がこじれて愉しいか?」

「いやいや、わだかまりがあったら後で面倒かなって思っただけだよ〜。」

「問題ありません。私が勝ちますので。」

どこが問題ないんだよと、全員の心が一つになった瞬間である。
一見、平然と立ち振る舞っているように見えるが目つきは鋭いわ、握っている弓が握力で軋むわ、私が勝ちます宣言で、もう最高潮に理性が吹っ飛んでいる。

「エトワールさん、お相手願います。」

「アッ、ハイ!」

初めて見るナーナリアの素の怒りは、サエの体を強ばらせたが、いつも理性に縛られている彼女が感情を露わにしているのは、なんだかとても嬉しく思えた。

「じゃ、審判はコバニティちゃんね!」

「ふえっ!?わ、わたしですか!?」

「いいじゃん、いいじゃん!新鮮でさ〜。」

「やって御覧なさい。」

突然の審判任命にコバニティは慌てふためいたが、ハヤカミスと姉に背中を押され一歩前に出る。

「ええと…お、お二人とも前へお願いします…!」

「宜しくお願い致します。」

「ああいえっ、こちらこそどうも!!」

ナーナリアは弓を手にしたまま、腰にそれを添え、上半身を軽く倒す。所謂、手合わせ用の正式な挨拶だった。
そんな律儀なお辞儀をされたのにつられ、サエも慌てて見様見真似の礼を返す。
二人が武器を構えたのを確認したコバニティは、声を張れるように両手に力を込めて胸の前に置く。

「は、はじめてだしゃいっ!」

精一杯の可愛らしい声が響くと、サエの眼前には弓矢があった。
間一髪、杖で防ぎながらも後退したサエだったが、当たっていれば致命的だったかもしれない。

肩と太もも、目を狙ってきた。
どれか一つでもあたっていれば、この後の機動力の低下は著しい。
この場では自動回復するとはいえ、即座には動けない。そこを更に追撃されたならば…たまったものではない。
だが、今のナーナリアの弓矢は、回避できた。
そう、回避できたのだ。サエの杖は中々に重い。
それを持ちながら後退しても当たらなかった。
つまり、元々外れていたのだ。
弓矢の照準が大幅にぶれている。

「いける…」

サエは小さく呟いて、かさついた唇を舐めた。


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