Sae's Bible
古の庭

「あ、来ましたよ…え?」

「ジュ、ジュリー…か?」

「姉さま…」

ジュリーの変わりようを見て、ナーナリア達は一瞬固まる。
無理もないだろう。あんなに取り乱して皆から姿をくらましたかと思えば、唐突にイメージチェンジをしているのだから。
キムーア達の表情を見て、その戸惑いを感じ取ったサエはジュリーの様子を伺うもそれは杞憂に終わる。

「ごめんなさいね。遅れてしまって。」

全く動揺の色を見せず、背筋をしゃんと伸ばして立つ姿には意思の固さが表れている。

「いや、まあいいんだが…そ「ジュリーちゃんお洋服チェンジしてるー!えろやかー!かわいいー!ふーう!」

「黙れ変態!」

ハヤカミスは通常運転なのか、それともジュリーに気を遣って場を和ませようとしたのかわからないが、
またいつかのようにキムーアから後頭部をはたかれた。

「姉さま…そのお衣裳…」

騒いでいるハヤカミス達の陰に隠れて、こっそりとジュリーの服の裾を摘まみ、コバニティが小声で話しかける。
どうやらコバニティはドレスについて何か知っているらしく、今にも泣き出しそうなほど心配している。

「…後で、二人でお話ししましょう、ね?」

ジュリーが心優しい妹の頭を撫ぜるのをきっかけに、二人はどちらからでもなく手を繋いだ。
そんな二人の小さな会話などサエ達は露知らず、まだハヤカミスを中心に騒いでいる。

「ねえ、えろやかってなに?」

こてんと首をかしげて、リホソルトは知らなくてもいいことを変態に問いかける。

「エロティックで艶やかなことだよー!いいねいいね!
露出いいよー!おねいさんは大興奮だよー!」

「あはは!ハヤカミスきもーい!」

「サエたそってたまに笑顔で抉ってくるよね!そんな所も良いと思う!」

サエとハヤカミスが馬鹿話をしている中、
ナーナリアは一人冷静だった。

「あの、何の経緯があってこうなったのかは追々聞くとして、先を急ぎませんか?
あまり安全な場所とは言い切れませんから。」

「うん!そだねー!じゃあパパッと行きますか〜!」

「そんな鍵ですぐに行けるのか?」

「もっちろーん!鍵なんだから、鍵穴さえあればどこからでも行けるよ。」

ハヤカミスは鍵を手に扉へ身体を向ける。

「え?そこ?離宮の正面扉だよ…?」

そう。ハヤカミスが鍵を入れようとしている鍵穴は、一悶着あった離宮の正面扉である。
コバニティは勿論、サエ達も少し不安気にハヤカミスの手元を見やる。


『大いなる古のルーン 3のThorn 鍵のIng 庭を示せ』



鍵を鍵穴に差し込み、ルーン魔法と思わしき呪文をハヤカミスが呟くと鍵はかちりと回り、
両開きの扉が勢いよく左右に開かれる。
扉の向こうは白に輝き、明らかに離宮ではない。

「空間で繋げるってか?面白い、行ってやろうじゃないか。」

「貴女が行くのであれば私も参りましょう。」

「ちょっと待ってえや〜!」

「ん〜、ちょっと眠くなってきた…」

「リホソルトまだ寝たらあかんで!ほらほら!」

未知なるそこへ足を踏み入れることに躊躇したが、恐れることなくキムーアが先陣を切ったのを皮切りに、
ナーナリア、サエ、リホソルトと後に続いた。

「コバニティ、行きましょう?」

「で、でも姉さま…。何も見えないし…真っ白で…とても、怖いの…」

扉が徐々に閉まり始めても、未だ踏み出せずにいたのはコバニティだった。

「もだもだ言わずに入って入って!さくっと行きましょ〜!
繋がってるのほんの少しの間だけだからさ!」

「え?え?でも、え?」

「行きましょう、コバニティ。」

妹の為を思い、ジュリーはコバニティを落ち着かせようと手を優しく握る。
足踏みしていた妹を扉へと導き、真っ白な空間へと歩を進めた。

「ね、姉様っ、まっ、待って!」

姉妹がきちんと向こう側へ行ったのを確認したハヤカミスは、扉が閉まるぎりぎりでするりと通り抜けた。
全員が白の空間へ消えた後、離宮の扉は何事もなかったかのようにぴったりと閉じられ、鍵は跡形もなく消えていた。

一行が白の空間を抜けた先は、4本の支柱に囲まれた丸い場所。
足元には青々と茂る芝生が敷かれ、色とりどりの花が丁寧に花壇へ植えられている。
唯一の通り道であろう一本の長い石橋の下は、どういう原理で流れているのかわからない滝が、
青空と雲の狭間へ雨のように落ちていく。

「わああ!すごいー!何ここー!」

「なるほど。確かに庭だな。」

「あの魔法陣は?」

頭上には複雑なルーン魔法を五重に配置した大きな魔法陣がゆっくりと右や左に回り続けている。

「あれは転送装置〜。実はこれ、結構な魔力を消耗する超難しい魔法だったりするんだ〜!」

さあ褒めてもいいんだよと言わんばかりに、ハヤカミスはドヤ顔で胸を張る。

「へいへいすごいな〜。ほら早く案内しないと阿呆が何かしだすぞ。」

ほれ、とキムーアが指さす先には花壇の枠縁を足場にして、
少し離れた空を上下左右に浮遊する飛び石に乗ろうとか考えているであろうアホ毛の姿。

「ぎゃああサエたそ危ないからヤメテ!」

「何やってるんですか!!危ないですよ!」

「これどうなってるん?すっごいなあ〜浮いてんで!!」

サエが足場にして立っている場所は、いつ下へ落ちてもおかしくない程スレッスレの所だ。
この阿呆は下が雲に覆われているから大丈夫とでも思っているのだろうか。

「ええ浮いているわね。魔法で浮かせているのね。いいから此方へ戻ってらっしゃいサエ。」

「あっあぶないよっ…!」

全員が肝を冷やして、早く降りてくるよう注意するが、魔法に関するものについて特に好奇心旺盛なサエは、
空中浮遊する飛び石がどこに向かうのかで頭が一杯らしい。

「サエたそ!!そこから落ちたらシャレになんないから本っ当にヤメテ!!
あたし姐さんに殺されちゃう!」

「だ〜いじょうぶやって〜おうわっ!?」

しっかりしてるから、と言いかけた矢先に足を踏み外し、お空と雲に軽く挨拶をしてしまう。

「「サエ!!」」

アホな行動によりついに落っこちたかと思われたが、
サエはすぐにふよふよと宙を漂い、庭の中へと舞い戻る。
それはリホソルトがとっさに使った魔法だった。神の扱う神術は詠唱が必要ない為、指で対象をなぞって念じれば放たれる。
その素早さと英断のお蔭でサエは空の藻屑、もしくは超高速直滑降で大地に埋まらなくて済んだ。

「たっ…たすかった〜…。ありがと〜リホソルト!」

「あぶないこと、もうしない?」

珍しく真剣な瞳でサエを見つめるリホソルトは、小さな子供に言い聞かせるように話す。

「しないしない!」

早く下ろしてほしい為に、二つ返事で了承したサエだが、この約束がのちに大切なものとなることなど当事者たち含め、誰も予測できないだろう。

「うん。やくそくね。」

ぱちんとリホソルトが指を鳴らせば、サエの体は静かに降ろされた。

「ハァ〜…長い寿命が人間寿命まで縮まった気分だよ〜。も〜案内するからちゃあんとついてきてよ?」

「はーい!」

ハヤカミスを先頭に石橋を渡り、向かいに見える大きな時計塔へと入る。
時計塔の扉の前でハヤカミスが紋章に手をかざすと、扉は花びらを散らすように消えた。
様々な魔術的文様が彫られた塔の中に入れば、そこは時計塔にふさわしく、円形の室内に形も大きさもバラバラな時計が壁一面にかけられている。

「時計がやたらとありますね…さすが時の神といった所でしょうか。」

カチコチ、ボーンボーン、と多くの時計が不規則に針を進める光景は物珍しく、サエは目を輝かせて部屋中を見て回る。
それとは対照的に、コバニティは壁の時計やあちこちにある不思議な水晶、怪しげなスイッチに怯える。

「はいはい!サエたそ走らなーい!ソルトたん寝なーい!コバニティちゃんびくびくしなーい!
あたしとはぐれたら姐さんとこ行けないからね〜!みんなしーっかりついてきてよー?」

「そんなにややこしい道順なの?」

パッと見たところ、螺旋階段らしきものがあり、それを登っていけば簡単に最上階へ行ける気がする、と皆が口を揃える中、
ハヤカミスはしたり顔でチッチッチッと舌を鳴らして口を開いた。

「あの螺旋階段ダミーだから登れないよ〜。それどころか一段目踏もうものなら落とし穴作動するから気を付けてね☆」

何故そのような罠を仕掛けているのかと、一同が少し困惑する中、リホソルトは寝ぼけ眼でふらふらとうたた寝できる場所を探す。
階段は座れないなら壁でいいかと、時計や装飾のない丁度良い壁にもたれかかる。

「あっ…!」

罠があるような場所で壁に背を預けたのがいけなかった。
ぐらり、と背後の壁が動き、闇の中へと吸い込まれそうになる。

「リホソルト!危ないから、私たちと一緒に居ましょうね。」

言われたそばからリホソルトが落ちかかり、ジュリーはコバニティと繋いでいる方とは違う手を差し伸べた。

「あの…なぜこんな罠を?そんなに侵入者が多いのですか?」

「少し前に暇で暇で暇潰しにやってたクイズ本の迷路にある日突然はまってね、自分でも作ってみたくなったから、中に迷宮作っちゃってさー。
その時に塔も増やしたりして楽しんでたんだけど、後から冷静に見返したら、やたらと難しくてめんどくさいことになってた〜☆」

「お前本当にろくなことしないな。」

「だって暇だったんだもーん。」

「怒られなかったの?」

「めっちゃ怒られたよ!それ以前に呆れてたけど!」

「こんな部下を持って、胃が痛くなりそうですね…」

「ハヤカミー!これなにー?」

先ほど落ちかけた前科持ちのサエは、まだ懲りずに好奇心の赴くまま、壁に取り付けられた怪しげな赤のレバーを指さす。

「あーダメダメ!そのレバー引いたら溶き卵みたいにかき回されて物理的に地上へ叩き落とされるよ!
スクランブルエッグになるよ!」

「物理的に…?」

「スクランブルエッグ…?」

どこかカロラ国のトラップ部屋を彷彿とさせる気がして、キムーアとナーナリアは今までより更に注意深く足を運ぶようにし始めた。

「レバーとかボタンとかスイッチは基本危ないから触らないでね〜!
特にサエたそとソルトたん!」

「さ、さわってないで!」

「さわってない。」

「ほんと触んないでよ〜。じゃ、今から上に移動するからね!」

まるで信用ならない二人を連れて、ハヤカミスは傘でいくつかの床石をノックする。
すると叩かれた床石が呼応しあい、ルーン文字が浮かび上がる。

「ルーン魔法や!ルーン!ルーン!」

ルーン魔法に興味が出てきたサエは、ハヤカミスの詠唱や魔法陣を食い入るように見つめる。

「はははっ!じっくり見ててもいいけど、陣は踏まないように気を付けてよ〜?」

見たところで習得できる訳がないのだが、それでも自分の師匠の魔法に興味を持たれるのはまんざらでもない。
少し派手目に演出してやるかと、ハヤカミスはわざと傘を大きく振り回して魔法陣を展開させる。


『大いなるルーン 4のAnsur Daegより上昇』



ハヤカミスの詠唱が響くと、部屋中にあたたかな光が広がり、そのまぶしさに目を瞑る。
次に瞼を開いた時には、一つ上の階層の、そっくり同じ内装の部屋にサエ達は立っていた。

「成程な。ルーン魔法を使わないと移動できないわけか。」

「そゆこと〜。
あたしは嫌だったんだけど、姐さんがとにかく危険で使い勝手が悪いから何とかしろってうるさくってね〜。
仕方なく後から外出専用のテレポーター…あ、さっきのやつね。
取り付けたは良いんだけど、それもルーンじゃないと開かない仕様にしたから、
実質あたしと姐さんしか行き来出来ないんだよね〜☆」

そう言うと今度は壁石を傘で叩く。
届きそうもない高い位置の石には簡単な魔法弾を的確に当てていく。
先ほどよりも発動に必要な数がいくらか多いようだ。

「来訪者の事はまるで考えていない構造なのね。」

「親父のトラップ部屋より酷いな。」

「先代様は肉体の状態はどうであれ、出られるようにはなさっていましたからね。」

「それはそれでひどくない?」

ミンチになってハンバーグの部屋と溶き卵にされてスクランブルエッグの罠ならどちらも良い勝負だろう。

「ねえハヤカミス、この時計たちはなに?」

リホソルトの問いかけにハヤカミスはああそれね、と口を開く。
1階と同じく壁に掛けられた無数の時計たちは、止まっているものが多いように見受けられる。

「ここら一帯の時計は未来を示す時計だねぇ〜。」

「未来?」

「そ。簡単にいえばヒトの寿命の時計。」

世界中の人々の寿命を表す時計の過半数からは、針の動く音も聞こえない。
これが示す意味を。分かりたくはないと思った。

「…ほとんど、止まってるで?」

「そりゃあそうだって!今の状況考えてみなよ〜!」

現在、世界人口の過半数はカオスフィアによって消し去られたり、石化してしまっている。
簡単な理屈で動いているものだ。しかし、そう簡単に飲み込める状況ではない。
これらがすべて止まった時、いったいどうなるのか?
考えるだけでもおぞましい、底知れぬ恐怖に襲われそうだ。
皆がそれぞれに思いはせる中、コバニティは恐る恐る質問する。

「あの、こんな…高いところに並べてて、大丈夫…?落ちて、壊れたりしたら…」

「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ。落ちても割れても壊してもヒトの寿命が突然尽きることはないから。
これらは姐さんが未来の時間を管理しやすいように作ったもんだし。」

「一つ聞きたいのだけれど、その時の神はこうなることをご存じだったの?」

ジュリーの言う『こうなること』が何を示しているのか。いや全てなのだろう。
ハヤカミスは彼女の質問に少し言葉を詰まらせた。

「…、勿論知ってるよ。
だからこうして、あたしが世界を救える可能性を持つ君たちを、迎えに来たんだから。
言ってなかったっけ?」

「はっきりとは、言われていないな。」

「あらま!そりゃ、めーんご☆」

「…」

ハヤカミスの明るい振る舞いに、ジュリーだけは眉をひそめた。
この小さな異変にサエは気づくことはなく、今疑問に感じることの整理をし続ける。

「う〜ん。時の神さんはなんで、自分で何とかしようって思わんのやろ?
時を管理できるんやったら、簡単にこの事件も解決できそうやのに。」

「やりたくても出来ないから。」

サエの何気ない言葉にハヤカミスは即答した。

「え?それってどういう…?」

「神にはお仕事がある…。仕事にさからうことはできない…」

ハヤカミスが答え辛そうだと感じたリホソルトは、神という立場としてサエに教える。

「仕事、というとリホソルトでいう大地と世界樹の調整か?」

「そう。わたしは大地と世界樹のためにうごく…。この世界の調和をまもるために、永遠からつくられた。
だからわたしは、この世界をきずつけられない。」

もし自らの手で世界を傷つけようものなら、自分の存在が消滅してしまうかもしれない、とリホソルトは続けた。
この説明を受けてもまだピンと来ていない察しの悪いアホ毛を見かねて、ハヤカミスが重い口を開く。

「…人間はさ、神って万能だと思っているでしょ?実は人よりも、自由の利かない不便なものなんだよ。」

「え?なんでもできるわけじゃないん?」

「成程ね…少し疑問に思ってはいたのよ。
でも周りが当然のように受け入れるから、私もこれが自然なことだと勘違いしていたわ…」

「この世界の、神々の多さに。」

そう。ティファトスには何百何万と神が存在する。
その大半は大した仕事ではないが、人々の小さな願いに呼応して作られたものだ。
そして、リホソルトや時の神のような重要な位置に属する神々は文献にまとめられている。
歴史の勉強が苦手なサエですら、神に関する書物が地元の小さな本屋に棚一つ分あることぐらいは知っていた。

「神は与えられた役割にしか対応できない。ゆえにその仕事の数だけ神々がいる、ということですね?」

「まー簡単に言えばそうなるね。そしてカースト的にはその下で動くあたしらがいるってわけ。」

「え?え?ちょっと待ってや。
じゃあ時の神さんは時の管理は出来るけど、時を動かすんはできひんの?」

「時を巻き戻す魔法は使えるよ。出来ないのは世界への直接的な干渉。
だから自分でカオスフィアを倒したりできないし、消えてしまった人々を戻すことも出来ない。」

「そんな…」

自分が直接動くことは許されない。これから何が起きるか知っていながら、何も手を下せない。
世界が時を止めない限り、続いていく苦悩と罪悪感にさいなまれる日々を送るのが神の仕事だというのか?

「あの人はずっと…ここで、独りで、世界を見守り続ける。そういう役割の神だよ。」

「見守るだけ、か…」

あまりにも残酷な、心が水底にゆっくりと沈んでいくような思いをしてまで、時を管理している神がいる。
誰にも真の仕事内容を知られることなく、ただ万物の時を見守り、自らの時を生きることはない。

「わたしは、サエたちに会って、空の青さを知ったよ。
たのしいことも、かなしいことも、まだ少しだけど…この数日でたくさん知ったよ。
でも、その仕事だと…。」

外に出られない。新しい発見もない。喜び合うことも支えあうこともない。
まるで以前の自分のように思えてならないリホソルトは、胸を締め付けられる思いだった。

いくら神であるとはいえ、強靭な精神力など最初から持ち合わせてはいない。
自らの役割を無理やりにでも呑み込んで、全うするしかない日々をただただ送る。
サエはそれを聞いて初めて、この世界のあり方はおかしいのかもしれないと感じたのだった。

「はいはい!聞きたい事は山ほどあると思うけど、これ以上は姐さんから話してもらって!
その方が手っ取り早いしね。」


また現れた魔法陣の光に包まれて、サエ達は時計塔の最上階の部屋にたどり着く。
1つしかない出入り口から部屋を後にすると、まっすぐに道が伸びている。
目の前に広がるのは、今通って来た塔よりも数十倍は大きな規模の時計塔。
蔦の絡まる白磁の柱に囲まれた、七色に淡く光る石畳の渡り廊下を進みつつ周りを見渡せば、
巨大時計塔の他にもいくつか、塔がそびえたっている。
空が今まで以上に近く、真下は雲の海が広がるのに太陽で目が眩むことはない。
ボーン、ボーンと、時計塔に取り付けられた非常に大きく複雑な構成の時計が低い鐘の音を響かせる。
廊下を渡り切り、時計とルーン魔法陣が幾重にも付けられた厳重な扉を、ハヤカミスが鍵を使って開く。

「さあ、着いたよ。」

開かれた先は、時計塔というには似つかわしくない、どちらかといえば神殿のような円形の部屋だった。
澄んだ水がさらさらと壁の端を流れ、白の石膏柱が一直線に並んでいる。

「ここが…」

不思議な文様の彫られた柱の道を進むと、まるで天界と下界を繋ぐような、荘厳な両開き扉の前にその人は立っていた。
2メートルはある重厚な長杖を手にし、白を基調とした司祭服を思わせる衣服。
柔らかな金髪はウェーブがかかり、その後ろ姿だけでも、聡明で落ち着いた女性であると思わせる佇まい。

「姐さん、お待たせ。」

ハヤカミスが声をかけると、その人はゆっくりと振り返る。青空のような瞳がサエ達を優しく見渡していく。

「あんたが、時の神さん、なん?」

美しさと神秘性に言葉を失いかけたサエだったが、なんとか話しかける。
サエの声、一行の姿を改めて見て、彼女は切れ長の目にうっすらと涙の膜を張る。

「ああ…やっとこの時が来たんだね。
私は時の神、ウメリアス・ラプラス。
ようやく君たちと会うことが出来た。歓迎するよ。」

本当に待ちわびたと、一行を前に膝をかがめてお辞儀をする。

「私は「ああ、名乗らなくとも君たちのことは君たち以上に知っているよ。ありがとうサエ。」

「なぜ私たちのことを知っている?」

キムーアの問いに答える前に、まあ座って説明しようじゃないかと、ウメリアスに奥の書斎へ通される。

「おわっ、散らかしすぎやろ〜。」

「すまないね。丁度探し物をしていたんだよ。」

分厚い魔導書や歴史書、経済紙などが少々乱雑に押し込まれた書棚。
何かを熱心に調べていると物語るような乱れ具合の物書き机。

「みんな、そこ座って〜。」

深い緑色のシックなソファに全員腰掛けると、ハヤカミスが慣れた手つきで戸棚から茶葉を取り出す。

「姐さんはいつものね〜。」

「珍しいね、お前がすんなり美味しい紅茶を出すなんて。」

ウメリアスはハヤカミスが淹れた温かい紅茶を一口飲み、ちょっとした皮肉を言ってみせる。

「え〜?いつもの紅茶ブレンド珈琲オンザウインナーが良かったって?」

「…今はやめなさい。」

ハヤカミスの言う謎ブレンドの紅茶も気になる所だが、逆にしてやられたウメリアスは深く息をついた。

「…では、長くなるけれども聞いてほしい。」

そして、話し始める。

「私は、時を司るもの。
そして、この世界の崩壊の時を『ある一定の時』まで、巻き戻す役目もアルティナ様より任されている。
ここまで言えば、考え付くだろうか?あいにく直接的な表現は立場上出来ない。」

一定の時まで巻き戻す役割も任されている。
それがどうして自分たちのことを知っていることになるのだろうか?
サエ達が頭を抱えていると、ハヤカミスが口火を切った。

「姐さん。あたしが言う分にはいいんじゃない?あたしの憶測として言えば問題ないでしょ?
というか歴代のあたしならそうしてるはずだよね?言い回しが少しずつ違うだけで。」

「…いいよ。」

ハヤカミスの提案に、ウメリアスはやはり君はそう言うんだね、と呟いた。

「えっと、ど、どういう…?」

「あくまで、あたしの憶測だけれどね?
この世界は幾度となく、カオスフィアによって崩壊寸前まで追い込まれてる。
姐さんは皆と何百回、何千回と出会って世界の結末を一緒に見てきたんだと思う。」

「それって…!!」

すでに未来の世界は崩壊を迎え、カオスフィアに軍配が上がっている?
自分たちは奴に屈するのか?

「私たちは崩壊を止められない…のですか?」

「そうじゃないよ。姐さんが崩壊する前に、
多分だけど…みんなが生まれる前の年くらいに時を巻き戻してる。
そしてやり直すんだ。次は崩壊しないようにって、見守りながら…。
また姐さんはここで、皆に出会う時を待つんだよ。」

そうか。だから彼女は初めて会った時、心底嬉しそうにしていたのか。
あの瞬間はウメリアスにとって『再開』であり、『再会』だった。
それが何千回目の出会いだったとしても、ウメリアスは世界を救うために、時を巻き戻し続けてきた。
巻き戻す分だけ関わった人間との思い出も、出会いも全て無に帰して、記憶を頼りに今度は間違えまいと独り戦う。
考えるだけでも、常軌を逸している。

「ウメリアス…、ウメリアスは…なんかい、悪夢をみてきたの?今はなんかいめ?」

「…それは、答えられない。すまないね…。」

「姐さんは未来に関わる一切を話せない。
これから起こる事象や心理に、直接変化を与えてはいけないから。」

「でもそんなんって、ウメリアスだけ辛いなんて…いくらなんでもあんまりやわ!!」

「いいんだよ。それが私の…アルティナ様との約束で、引き受けた役目だ。
それに案外この仕事にも楽しみはあるからね。大丈夫。私はこれでいいんだよ。」

大丈夫なはずがない。
親しくなった人から忘れられ、初めましてを繰り返すのだと考えるだけで、心が酷く痛む。
独りで苦しむ必要はないのに。
やはりこの世界の神のあり方は間違っていると、サエは改めて思った。

「さて、せかして申し訳ないが時間がない。
カオスフィアとこの世界の現状、どうすればいいかについては私が順を追って説明する。
まず、君たちからの質問を受けようか。
答えられる範囲で答えよう。」

質問を受けると聞いてすぐに口火を切ったのはジュリーだった。
ジュリーは今までずっと繋いでいたコバニティとリホソルトの手を素早くほどき、ウメリアスの真正面に立つ。

「早速で申し訳ないのだけれど、私の従者を返してくださる?」

「…そうだね、そう言われると思っていたよ。結論から言おう。
アキルノア・ホルストの肉体と記憶はまだ、君に返せない。」

「何故?だったら何故奪ったのよ。」

「奪ったわけじゃ「あなたに聞いていないわ。私はこの人に聞いているの。」

ぴしゃりとハヤカミスの意見をねじ伏せて、ジュリーはウメリアスをにらみつける。
国王に向かって烈火のごとく激高したのとはまた違う。
まるで凍てつく氷のような、非常に冷え切った瞳をしている。

「ねえさま…」

理性を持ったまま、確固たる目的のために主張を続ける姉の背を、コバニティは不安気に見つめる事しかできなかった。

「君がそう言うのも無理はない。
まず転生をさせなかった理由は、彼女にはまだ役目が残っているから。
そして今は返せない理由が、肉体の損傷と記憶の損傷が激しいから。」

「役割って?あの子は私を救ったわ。もう十分でしょう?死して転生も出来ない中途半端な姿で、一体何をさせるつもりなの?」

まだ役割があるから生かす。それは世界を存続させるために必要だから?
だとすれば、それは死の冒涜になり得るのではないだろうか?
世界が終わるのを食い止めるのにどうしても必要な存在だとするなら、アキルノアも報われるのか?
分からない。何が正しくて誰が間違っているかなど、今のサエにはわからなかった。

今までの経験からジュリーの訴えは重々理解しているのだろう、ウメリアスは本当に申し訳ないと言葉を詰まらせる。
それでも伝えねばならないことを冷静に言葉を選んで慎重になっているのがひしひしと伝わってくる。

「…すまない、その役割については、未来に関わること…現段階では教えられない。
ただ一つ言えるのは、決して彼女の死を冒涜しているわけではないし、こちらで責任を持って完全に輪廻再生へと還すと約束する。」

「だから何だと言うの?未来に関わるから語れない?ふざけないで頂戴。
もうあの子との未来はないの。庭でお茶会もできない、笑いあうことも支えあうことも喧嘩することも…。
何もかも…すべて、全て閉ざされてしまったのよ?」

ついにジュリーがウメリアスに手を出した。
胸元を引っ張られて、ウメリアスは前のめりとなり、ジュリーと目線を同じにする。

「落ち着いて下さい!時の神に何たる無礼を!」

「何も知らないくせに話に入ってこないで頂戴!」

止めに入ろうとしたナーナリアを裏拳で突き飛ばし、ジュリーは徐々に冷静さを欠き始めていた。

「ナーナリア!」

キムーアがナーナリアを受けとめ、ジュリーにやりすぎだと伝えようとした時、本人が弱弱しい声で話し始める。

「…私はどうしたらいいの…?あの子にどう顔向けすればいいの…!」

ぽろぽろと大粒の涙がウメリアスの服にこぼれおちる。
静かに体を震わせるジュリーを優しく抱き、ウメリアスは辛い思いをさせてしまうし酷なことを言う私を許してほしいと、今一度サエ達の目を見つめて口を開く。

「カオスフィアを、倒してほしい。この世界を、彼女が、愛しき者たちが生きた美しくも残酷な世界を、救ってほしい…。
全てが終わった時、全てはまた始まりを迎える…。お願いだよ…もう、あなたたちしか…頼めないんだ…」

それは、悲痛な叫びだった。
ウメリアスに抱かれたジュリーもその言葉にギュッと手に力が入る。

「また、新たな始まりが来るのか…?」

「そう。世界が救われるならば。」

「…。」

皺と涙にぬれてしまったウメリアスの服から手を離し、ジュリーは小さく頭を下げた。

「姉さま…」

「…間違いなく、再生へ向かうのね?」

「はい。必ず。」

「必要な存在なのね?」

「彼女が居なければ、ダメなんだ。それ以外の道はない。」

「道具として扱うのでは、ないのね?」

「断じて。必要なのは彼女の意思だから。」

「そう…わかったわ。今しばらく、貴女にあの子を預けましょう。」

「ありがとう…本当に…」

ウメリアスはジュリーが確認する内容に一つ一つ丁寧に答え終えた。

「…もう質問はないかい?」

一行は首を縦に振り、次の言葉を待つ。

「では、まず君たちに問いたい。」

「君達はそれぞれ違う目的を持って、ここまでたどり着いたのだろう。
だがここから先は生半可な気持ちでは通用しない。」

「…君たちに、この世界を救う覚悟はあるか。」

酷く重い言葉に、サエ達は目を見開いた。

「奴は、カオスフィアは本気だ。
彼は世界に失望し、絶望し、怨望し、破滅を望んだ。」

「わ、わたしも?ねえさまたちのお話ですよね…?」

コバニティは自分がそんな大それたことを出来るはずがないと思い込んでいたらしく、ウメリアスに恐る恐る確認を取る。

「いいや、ここにいる全員に話しているよコバニティ。それにね、世界を救うのは君達だけじゃあないよ。」

「ティファトスに残る者全てだ。
君達はいわば核。世界に直接関わる実行者だ。」

自分たちが先頭に立って世界中に残る者たちと共に戦わねばならない。
先頭に立つ責任をサエは知らない。後について来る者の命を預かることだと、サエはまだ理解していない。
今、サエが思うのはただ一つ、『救いたい』だけだった。

「これから多くの苦難が次々に君たちへ降りかかるだろう…いや、はっきり言おうか。」

「…常に死と隣り合わせの戦いになる。」

「死に、立ち向かう覚悟はあるか。
世界を救うに至る理由は何でも構わない。
唯一つ、覚悟に繋がるならば。」

「…っ。」

死ぬ覚悟、と直接的な単語を言われるとやはりひるんでしまう。しり込みしてしまう。
逃げ出したくなる。

「覚悟、そんな、わたし、弱いのに…!」

「…みんな今は弱いで。
兄弟の行方追ってきただけやのに、こんな、世界を救えって言われて…死ぬかもしれんって言われて、怖くないって言ったらウソになる。」

「そう、だが…私には民を、国を救う責任がある。」

強く曇りなき眼で、キムーアは力強く言う。

「私はミナルディ様の決断に従います。」

ナーナリアはいつもと変わらずキムーアの後ろに控え、膝を折る。

「あの子の命を…、国を、取り戻したい。このままでは何も変わらないから…」

失くしたもののために、心を強く持ったジュリーは決断する。

「…はじめて見た時の、青空を…守りたい。この世界を守りたい。
調整者としてではなくて、リホソルトとして…」

自分が守るべき世界ではなく、自分の歩く世界を守るために、リホソルトは想いを告げる。

「あたしは姐さんのエンドレス残業を止めるお手伝いならなんだってするよ。まあ、割とこの世界も気に入ってるしね。」

ハヤカミスの言葉はおちゃらけているが、その意思の固さは誰よりも強いものだとわかる。

「コバニティは?どうすんの?」

「わっ、わたし…、とても弱いけど…。
それでも、姉さまやみなさんや…故郷のためになるのなら…が、、がんばる…よ。」

まだ頼りないが、勇気を振り絞ってコバニティも一歩を踏み出した。

「うん。私も怖いけど…カオスフィアにタケシミアが操られてるっぽいし、
兄弟げんかのついでやと思って…いっちょ世界救ったるわ!!」

軽い口調で見栄を張るサエだったが、内心不安が押し寄せていて手が震えた。
それでも、ぐっと手に力を込めて落ち着かせる。世界も大切だが、まずは兄弟を救わなくては。
あの二人をひっぱたいて、『おかえり』を言わなければ家には帰れない。
何としても、三人で故郷へ帰るのだと、サエは改めて心に誓った。


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