Sae's Bible
姉妹の秘密

翌日、サエ達はマリオンとモーリスの案内で離宮東棟のとある部屋の前に立っていた。

「では、私たちはここでお待ちしておりますね。」

とても事務的な一言を区切りに、マリオンは扉脇へ下がり、モーリスは無言のまま唯一の通路である階段前に直立した。
携えた武器が敵襲に備えたものだとわかっているのに、二人の冷え切った態度はサエ達への敵意のようにも見えた。

そんな中で、ジュリーだけは扉のみを見つめていた。

「謁見の間…」

思い詰めるでもなく、震えるでもなく、姫としての威厳と誇りを持ったジュリー・ベルベット・レニセロウスの姿がそこにはあった。

「…いい?開けるで!」

重い翡翠の扉をサエは両手でゆっくりと押し開いた。
扉の向こうは謁見の間と呼ぶに相応しいきらびやかな空間で、部屋に似つかわしくない雰囲気を纏う一人の王が力なく玉座に座っていた。

「…モーリスか?今は話すことなど…っ!?」

片手で人を払おうと少し頭を持ち上げた王は、来客の一人に目を奪われた。

「お父様」

「なっ、コバニティ?コバニティなのか!?」

「お、お父様…」

「おお愛しい娘よ!どれだけ心配したことか!よく顔を見せておくれ!
こんなに痩せてしまって!可哀想に!」

娘達の姿を見るや否や、王は真っ先にコバニティへと駆け寄り、そのか細い肩を抱いた。
姉妹への愛情の偏りは初対面のサエ達でも痛いほど感じた。
それはジュリーにとってあまり好ましくないものであろうと、その場の誰もが思ったが、当の本人は全くの無表情で妹と父親の再会を眺めていた。

「………」

「ジュリー…?」

いつもこんなものと諦めているような、まるで心を捨ててしまった人形のようで、サエが心配になり声をかけようとした時、ジュリーは王へと体を向けた。

「お父様、お話があります。」

ジュリーの真剣な眼差しに小さく溜息をつき、王はコバニティから離れるとまた玉座に腰を落として、ジュリーの顔も見ずに一言こう言った。

「…その前にこの者達は何者か?説明しなさい。」

確かに国の状況や心情を思えば、初対面の武装集団など、たとえ娘の知り合いであろうと警戒はする。
そう考えれば王の言い分は最もだが、それにしてもジュリーに対する態度は「王」としてのみで、「父親」としての片鱗は感じられない。
サエは少しムッとして意見しようとしたが、 キムーアがそれを止めた。

「申し遅れました国王。私はカロラ国第一王女、ミナルディ・キムーア・カロラ。以後お見知りおきを。この者たちは我が従者にございます。
突然の訪問と無礼、御許し頂きたい。」

「えっ、えっ、」

突然従者ということになるのはもう慣れてしまったので良しとしよう。
それよりもだ。キムーアが、あのキムーアが敬語を使って腰を折り最敬礼している姿にサエは驚愕した。

「成る程、カロラの…。私は知っての通り、レニセロウス国王、アロルド・ベルベット・レニセロウスだ。何がどうなってしまったのやら…あの事件以来は堕落した毎日を送るだけだよ。」

いやあ参ったねと苦笑する言動からは、国王としての自覚や民への気遣いなど一切見受けられなかった。
その態度にキムーアは苛立ちを覚えたようだが、掌に爪を立てて表情を作り続けている。

「お父様、真剣なお話ですわ。」

「あ、ああ…わかった。ではコバニティは席を外し「それはダメー。」

珍しく静かにしていたハヤカミスが、にへらと笑ってコバニティを自らの背に隠す。

「貴様!王に向かってなんと無礼な………あ、貴女は…どうして、ここに…」

従者の無礼だと怒る王は漸く発言者と目を合わせた。
そしてハヤカミスの顔を見て愕然とし、今までの高慢な態度が一変する。

「やっと気付いた〜。時の女神さまからのお使いだよん☆
コバニティとジュリーの秘密、レニセロウスの隠しているもの、洗いざらい吐いてもらう必要があるんだよね〜。」

「そんなっ!!何故その必要が!?この子達にはまだ早い!」

「残念だけど〜、…アンタに拒否権は無いんだ。」

「…………」

とても冷ややかに逃げ場を作らせない物言いのハヤカミスから、王はただ頭を垂れるしかなかった。

「お父様…?」

「何を、隠しているの?」

王の手が震える。
怪訝そうに問い掛ける娘たちを前に、王が何も弁解しなかった様子を見て判断したのか、ハヤカミスは懐から金の粒が入った水晶を取りだし、それを指先で遊ばせる。

「手っ取り早く見て貰うから、所々の説明はちゃんとしてよ?」

「……わかった…」

「んじゃいっきまーす!皆しーっかり、おめめかっぴらいて真実を見てね〜!」

言い終わると同時にハヤカミスが手の内で転がしていた小さな水晶を叩き落とすと、砕け散った破片が様々な文字となって金に光る魔方陣を床に作り出す。

「わっ!?」

「…床、きれい…」

「さぁて、時間旅行を始めようか。」

ハヤカミスの黒い傘が魔方陣の真ん中に突き立てられると、サエ達のいる空間がぐにゃりと歪み、どこかの庭が代わりに映し出される。

「んん?ここどこ?」

「見てればわかるよサエたん。」

映し出される庭はどんどん奥へと進んでいく。
それはまるで映画を観ているような感覚に近かった。
薔薇が咲き誇る中、誰かがテラスに佇んでいる。
その後ろ姿を見たジュリーは息を呑んだ。

「……っ!」

「わっ、きれいな人!
ジュリーに似てるし…もしかしてこの人がジュリーのお母さん?」

「…ええ。母の、メルセデス・ベルベット・レニセロウスよ。」

長い長い金の髪が揺れて、淡い紫のドレスに身を包んだ女性が振り返る。
ジュリーと同じ、海のような青の瞳だった。

『メルセデス様、お茶にしましょう』

『ふふっ、私もそうしたいと思っていたのよ。クロエ』

奥の部屋から紅茶を持って現れた、クロエと呼ばれた女性は、親しげにメルセデスと話す。
エルフには珍しい緑の瞳と薄い茶色の髪で、丸渕の眼鏡と白衣が知的な雰囲気を印象付ける。

「…クロエ?」

「クロエ・ブランシャール、先代女王メルセデスの専属女官だ。
二人はとても仲が良かったよ…幼い頃からずっと一緒に居たからだろう。」


こうして端から見ると二人は姉妹ではないかと錯覚するほど、仲が良い。

『クロエ!このお洋服どうかしら!』

『まあ、とてもお似合いですよメルセデス様!アロルド様もそう思われるでしょう?』

『いや、その…少し肌を見せすぎではないか?』

『あらあら』

『ふふふっ』

「わ、」

メルセデスの笑い方は、ジュリーにそっくりだった。
それを伝えようとサエは口を開いたが、母を見つめる娘の顔があまりに悲痛なもので、いつの間にかサエの口は固く閉じられていた。

「…………」

何故そんな顔をするのだろう。
私なんて、両親の顔すら覚えていないのに。
会えるだけで、触れたことのある記憶が残っているだけで幸せなのに。

ジュリーの憂いに満ちた横顔に、サエの心が黒くとぐろを巻いていく。
いけない。私がこうではいけないのだ。
両の瞼をぎゅっと瞑り、また大きく見開いて、映し出される過去に目を向ける。

「あ、流れが早くなった?」

「重要な記憶だけを見せてるから、要所要所で時流が早くなるよ!酔いやすいから気をつけてね〜!」

「記憶…」

次に写し出されたのはお腹を大きくしたクロエとそれを支える男性が、王の前で涙ながらに訴えかけている場面だった。

『クロエ!お前…!』

『すみません、アロルド様。私…どうしても生みたいのです。この子を…』

『ハーフエルフは禁忌の子だ!この国にあってはならない。残念だが災いとして死刑に処すほかない』

『王様…申し訳ございません!しかし、どうかこの子は…この子を産ませてやって下さい』

ずっと後ろからクロエを支える白衣の男性が、必死に王へと掛け合う。
どうやら彼とクロエに子供が出来たらしい。
お腹の張り具合から、もう臨月に近い。

「誰なん?この男の人。」

「クロエの夫、ハンス・ブランシャールだ。宮廷医官長であり、私の古き良き友だった。」

「この人…エルフじゃない…」

「そう。彼はマーファクトの者だ。そして…クロエは彼の子を身籠った。
彼らは堕胎出来ない所までずっと子供を隠し続けていたんだよ…。」

「だから、ハーフエルフ…」

「でも!なんでハーフエルフやとあかんの?」

「簡単だよ〜サエたん!単純に他国の人と交わるなんて、やだばっちい!って思い込む偏見がレニセロウスでは当たり前なだけ。」

「…森が汚れると、昔からの言い伝えであるの。だから…ハーフエルフは消されるのよ…」

神聖なる世界樹を守るエルフが、混血になると力が薄まってしまい、魔力の恩恵を受けられなくなるかもしれない。
お役目を果たすため、一族だけが受けられる恩恵を他に渡さぬため、フェリアベルのエルフは他国交流を避け続けたのだ。

「そんなんって!おかしいと思わへんの!?エデンは色んな国の人居たし、仲良しやったよ!」

「各国で風習は違います。エデンではおかしくても、レニセロウスでは当然として扱われるんですよ。」

「もっと広く考えるんだな。」

そう言って風習だと呑み込むキムーアとナーナリアは、当事者になった事があるか、もしくは傍観した事があるから平然としていられるのだろう。

「…むぅ……」

ハーフでもクォーターでもいいじゃないか。
エルフも人も精霊も関係ない。皆それぞれだから楽しく、時に悲しく、それでも発展出来るのだと近所のお爺ちゃんは言っていたのだ。
サエには全く理解し難い習わしだと、顔をしかめた。

「あ、流れが…」

結局、ブランシャール夫妻は王の命令で牢に入ったようだ。
そして次なる舞台は裁判の上にあった。

『ハンス・ブランシャールは連続殺人犯である!我々国議会はブランシャール夫妻の死刑を要求する!』

『待て!証拠はあるのか!』

『被害者が奴の白衣のボタンを握っていたのだ!間違いなかろうて!』

「どういうことだ…?」

「ハンスとクロエはこの国の医療を良くしようと力を尽くしてくれていた…が、それを堅物の官僚達は良しとしなかった。」

積極的に他国の医療を取り入れようとしたために、国と風習が変わるのを老兵たちは恐れたそうだ。
そこで、彼らは思い付いた。不穏分子を消してしまえばいいのだと。

「まさか、濡れ衣だったの…?」

「そう。医療ミスで何人も死んだのは官僚達の汚い策略だった。証拠も偽装され、国民に晒し者にされては王族も打つ手が無かったのだ…」

「ひどい…」

「彼らもですが…何より医療ミスとして葬られた無関係の人々が、一番哀れでなりません。」


判決が下った後、時はせかせかと流れていく。
処刑当日の朝を迎えた夫妻が、剣を携えた王へ最期に訴えていた。

『…王様、私共は良いのです。けれど、この子は…この子だけは助けてやって下さい』

『ハンス、しかしこの子は…』

『アロルド様、どうかお願いでございます。無理は承知です。それでも、この子だけは助けて下さいまし…!この子は、レニセロウスに必要な子です!どうか…どうか…!』

『ハーフエルフは汚れなのだ…すまない』

『王!!』
『アロルドさま!!』

赤く染まる過去が広がっていた。王が、その手で夫妻を切り捨てた。
さすがに血を見慣れたキムーアやナーナリアも眉を潜め、サエは顔を背けてしまった。

「……なんて、ことを…」

「…っ、うっ……!…」

あまりに惨い画面にコバニティはえづき、冷や汗を流す。

「コバニティ、大丈夫?」

「……っは、だ、大丈夫…。見るよ、見ないと、だめだから…」

おぞましい過去が流れていく。
まだ王が剣を持っている所から、夫妻が亡くなった数十分後だろう。
亡骸は運ばれたのか、すでに見当たらなかったが、一人の兵士が
王の前におずおずと歩み寄る。

『王陛下、その…申し上げにくいのですが…』

『その赤子はなんだ』

『クロエの、御子です』

『なっ、なぜ、何故生きている!?クロエの首ははねただろう!』

『も、申し訳ございません!!その、遺体を確認しましたら、赤子は生きていたのでございます王さ、グアアッ…!!

王は兵士の首までもはねた。
ハーフエルフの存在を知ってしまったからであろう。
首を無くした兵士の身体が赤子を抱えたまま、ゆったりと崩れる。
急な振動に驚いた赤子が母を求めて泣いている。
その泣き声に向かって、王は剣の切っ先を向けた。

『悪く思うな、お前の血がいけないのだから…』

丁度、剣を振り上げた時。

『アロルド、何を…しているの?』

『メルセデス…』

女王の登場からまた時の流れが少し早くなる。
次の場面へ切り替わるまでの数秒間、王へ様々な念のこもった視線が集められる。
それは娘達も例外ではなく、特にコバニティは父が殺人を犯していた事がショックでならなかった。

「なぜ、首を、はねたのですか?」

「この時は…ああするしかなかったんだ…知られてはいけなかったんだ…!」

「…………」

王の答えに改めて失望した娘は、ただ、時流が止まるのを待ちわびた。
もう何も聞くまいと心に誓って。
次第に時流が緩やかになり、次の場面が映し出される。
どうやら王との幾度かの問答を通して、女王メルセデスの結論が出たらしい。

『この子を、私たちの子にしましょう』

『何を言っているんだ!ハーフエルフだぞ!!』

『…私は、恐ろしいの。全部言わずとも、貴方なら分かるでしょう?お願いよアロルド』

『…わかった。だが、姫もこの子も同等に扱うのだ。格差があると大臣どもに勘づかれるからな。』

『ええ。さあ、母と参りましょうね…コバニティ』


目を、耳を、疑った。

「………」


「ハーフエルフが…」


「コバニティ…」


「そんな…では、血の繋がった…姉妹では…」

これまでにない動揺と多くの感情の渦がジュリーを襲う。

「これが、お前たち姉妹の繋がりの秘密だ。コバニティ・ベルベット・レニセロウスは…ブランシャール夫妻の愛娘であり、ハーフエルフで唯一の生き残りだ…」

王が認めた言葉に、ジュリーは愕然とした。
今まで自分が妹として親よりも大事にしてきたものが崩れていく。
血の関係が崩れていく。
姉妹だと唯一の家族だと、信じて疑わなかったものが、偽物だった。
本当の姉妹でないけれど、私たちは姉妹なのですと言い張って生きていけばいいのか?
いや、違う。出来ない。
偽物は本物には到底追い付けないしなれないのだから、もはや姉妹もどきに成す術はないのだ。

もう、唯一の家族には戻れない。

だが、今までの関係が崩れていくのだと、認めざるを得なかったのは姉だけではない。

「……やっぱり、…そう…だった。」

妹もまた、感じ取っていた。

「やっぱりって貴女…知っていたの!?」

「ううん、その…聞いてしまったの。女官達が噂していて、気になっていたけど…あ、あの人が…」

「あの人?」

「カオスフィア…」

「うん、あの…人がね、『お前は哀れな孤児で、育ての親も慕っている姉もお前を信用していないし、期待してもいない。お前は無価値だ』って言われて…気づいたら…」

「あいつに操られていたってことだね〜。ま、洗脳するには十分過ぎる精神的ダメージだよね。」

「…下衆だな。」

「何故、隠していたのですか…お父様」

今のジュリーには、カオスフィアの事よりも王を問いただす方が先決だった。
相変わらず、自分の娘と目すら合わせない父親に心底愛想が尽きたが、ここまでするとは思っていなかった。

「すまない…これについては私とメルセデスが悪いのだ。
話そうと思った。話そうと思ったのだ。
だが…姫、君は力を持ちすぎたよ…」

力を持ちすぎた。
言葉の深い意味は分からないが、その一言がジュリーの引き金を引いてしまった。
それは紛れもなく明らかだった。

「……でしょうね。そうだと思いましたわ。
いつまでも変わっていらっしゃらないのですね。
いつも、私を怖れて…目も合わさず、隠して隠れて逃げる!!」

「ち…違うのだ、これには訳が…」

「言い訳は見苦しいですわお父様…いえ、汚らわしい人殺し。犯罪者。
罪も無い者をよくも手にかけられましたわね?」

「な、なんという物言いだ…お、王に向かって無礼であろう!」

「貴方こそ…無礼極まりないわ。
私は、このレニセロウスの女王となる身。
王である貴方よりも地位は上…お忘れかしら?」

正論でしかないジュリーの意見に、王はたじろいで更に口をモゴモゴとさせながら負け惜しみ染みた言葉を並べ立てる。

「ぐっ、…確かに、そうだが…。そ、そんな脅しの様なことをしてはいけないのでは?やれやれ、今まで一体何を学んだのか。」

「風を統べる国の誇りとなれ。
王座に相応しくあれ。
国の頂点に君臨せよ。
…そう言い続けたのは貴方でしょう。」

「そっ、それは!第一王女であるのだから、当然であろう?」

「確かに私は王位後継者です。けれど、あそこまでする必要があって?
外界を絶ち、交流も宮殿関係者のみにしては、正しい視野を持てるとは思いませんわ。」

「仕方なかった!大事な王女に何かあっては困るだろう?只でさえカーバンクルに狙われていたのだから…」

だから、君は外に出てはいけなかった?
狙われただけで外界との交流を全て絶つ必要があるのか?
王の主張には、まだ他の理由がある。サエはそう確信していた。

「では何故、コバニティは出したのですか。」

「…ね、姉様…」

「貴女を責めている訳ではないのよコバニティ。私は、これの考えを問うているの。」

「先の記憶を見ただろう?!コバニティは我らの子ではないし、実質王女の器ではないんだ。狙われる心配もない。」

「そんな腐った台詞をよくも「ミナルディ様」

聞き捨てならんと憤りを感じたキムーアが口を挟みかけたが、ナーナリアがそれを制した。

「…それにしてはコバニティばかりでしたよね。私よりも、コバニティに沢山のものを与えていたように見えましたけれど?」

「何を言っているんだ、君の方が貢ぎ物も多かっただろう?何が不満だと言うんだ。
私は第一王女を立てるように努力してきた!」

そういう話ではないだろう。
ジュリーが言いたいのはそんな下らない事ではないだろう。
具体的な理由は分からないが、その食い違いはサエでも感じることが出来た。

「…本当に、何も分かって下さらないのですね…。」

「分かっていないのはそちらだろう?
大臣達も味方に付けさせて、立派な女王とすべく多くを買い与えて、ここまでしてやった私の努力を知らないのはお前だ!」

ああ言えばこう言う。
お膳立てをした、手柄を立てたのだとつらつら言葉を並べ立てる王を見ていてサエはとても哀れに思えた。

「………」

「ジュリー…?大丈夫?ジュリー?」

リホソルトの呼び掛けに、ジュリーは利き手で心臓の辺りをぎゅっと押さえ、貫くような凛とした声で問いかける。

「私の…私の自由を奪って、選択肢を奪って、ただ一つの道だけにして…
私を生き人形にしたのは誰ですか?」

「そ、だからそれはっ…「お黙りなさい。」

一歩、また一歩とジュリーが着実に王へ近づく。
それとは逆に王は後退り、狼狽えて無意味に両手をばたつかせる。

「私の力ばかり欲したのは誰?
作り物の王女に仕立てたのは誰?
愛を与えずに育てたのは誰?
全部、全部っ…貴方でしょう!!!」

今まで我慢してきた怒り、哀しみ、憎しみ、寂しさ、空しさ、全ての負の感情が籠った心の叫びが部屋中に突き刺さる。

「…あ、あ…すまない…」

娘の感情に押し潰され、言い返す事など出来る筈もなく、空っぽの父親は精神的にも物理的にも追い詰められた。
もう後退ることも出来ず、王は壁を背にしたまま無様に謝罪し続けた。

「謝罪は聞きたくないわ!!
今更何だというの!?私を知ろうともしなかった貴方に!!
あなた方夫婦は実に滑稽ね!
娘に頭を垂れてゴマをするしか脳がない父親と、娘を畏れて貢ぎ物を沢山寄越す母親!
夫婦して実の娘を叱ることもしつけることも出来ずに、只ご機嫌伺いだけするのよ!
よくもまあ腐った考えの大臣たちと瓜二つの思考で国を統べようなどと言えるものだわ!」

「本当にっ…本当に、申し訳…ございませんでした…!」

「どんなに額を擦り付けても、貴方だけは…いえ、あなたたちだけは許さないわ…!!!」

怒りが頂点に達した者の力とは計り知れないものだ。
あっという間に部屋を走り抜け、扉の向こうではマリオンとモーリスのうめき声とド派手な破壊音が爽快に鳴り響く。

「ジュリー!」

「姉様っ!」

「私が追いかけるから、皆はすぐに荷造りして!これ以上ここにおったら多分あかんと思う!」

「おっけー、外で待ってるよ〜!」

ハヤカミスの声に了解したとサエはひらひら手を振って、弾丸のように部屋を飛び出していった。

「今回ばかりは空気を読んだみたいだな。」

「さてさてぇ?君には鍵を返してもらわなくっちゃねえ?」

「あ、あ!待ってくれ!頼む!」

鍵と聞いて、王は勘弁してくれと人目を気にせず泣きわめく。

「鍵?」

「古の庭へ行く為の鍵だよ〜。」

「なぜこんな者に貸したのですか?」

「コイツじゃないよ!
うちのお人好しな時の神さんがもんのすごく昔にエルフに貸して、それを回収しそびれてからずーっとエルフの王に受け継がれるものになっちゃったんだってさ〜。」

「これは王にだけ継がれるんだ…!私はいずれ時の神に合間見える!」

娘にこてんぱんに論破されたというのに、まだ馬鹿げたことを言うこの男は、ある意味王の器に合っているのかもしれない。

「や〜だね〜!時の女神に会うのはアンタじゃないよ?思い上がるな…愚王。」

懐から出した鍵を床に置いて、王は膝を折ったまま言葉にならぬ声をあげ続けた。

「中々言うじゃないか。」

「そりゃあねー!あたしも言うときは言っちゃうよん☆」

「ハッ、良い性格だな。嫌いじゃない。」

「おっ、おっ、もしかして株が上がっちゃった??その調子でどんどん仲良くなれたら素敵なんだけどー?」

無様な雑音が後ろから聞こえる中、部屋の扉を開ければ負傷した従者達がこちらを睨んでいた。
的確に急所だけを狙った打撲痕や部屋の散らかり様を見れば、ジュリーが阻むもの全てを壊して回っていった事を物語っていた。

「おやおや、君のお姉さんは大層お怒りの様子だねぇ〜。」

「従者にあるまじき態度ですね。」

「躾のなっていない犬を相手にするなナーナリア。」

「貴様ら一体何をした!!」
「アレを狂わせた罪は重い!この犯罪者どもめ!!」

腕が折れているのか、右肩を庇いながら毒を吐くマリオンには、もう出会った当初の穏やかさは見受けられない。
モーリスに至っては何とかジュリーを止めようとしたのだろうが、もはや立つことも難しいようで、負け犬の遠吠えよろしくキムーア達を責め立てる。

マリオン達がこのように主人の前で激昂するのは初めてだったのだろう。
コバニティは普段との接し方とのギャップに戸惑いを隠せずにいたが、言葉を見据えて真実を問いただすだけの冷静さは欠いていなかった。

「アレ…?姉様のことを言っているの…?あなたたちも私たち姉妹の秘密を知っていたの…?」

「違いますぞ姫様!我らはあなた様をお守りしようと!」
「コバニティ様はその者どもに洗脳されているのです!私達と共に居りましょう!ね、コバニティ様!」

「…早く行きましょう。」

「ああ、それがいい。」

「姫様!なりません姫様!」
「お待ち下さいませ!」

どんなに懇願されようと、コバニティが後ろを振り向く事はなかった。
彼女の中で、もう結論は出ているのだろう。
自分はエルフの第二王女であると、少し頼もしくなった背中が物語っていた。

「何してるんだ、ったく…置いて行くぞ?」

「リホソルト〜、行くよー?」

「先に行っていて。すぐにおわるから。」

キムーア達を先に降りさせ、リホソルトは1人、従者達を前に手をかざす。
一切の無駄なく、無表情に、彼らの心情など無関係に、無慈悲に、問答無用に、それは行われようとしていた。

「な、何…」

『おやすみなさい、エルフの子たちよ。』

「あ………」


一体なにをしていたのやら、5分も経たずにリホソルトはキムーア達と合流した。
しれっと戻ってきたリホソルトに、ハヤカミスは色々と察したようで、冷やかし半分で口を開いた。

「何もそこまでしなくっても良かったのに〜。」

「ジュリーの分を代わりにしただけ。」

「あ、あの、何をしてきたの?もしかして…」

不敬を働いていたとはいえ、昔から良くして貰った従者だ。
まさかその命を奪ってしまったのだとしたら、少々後味が悪い。

「殺してなんてないよ。それじゃあ二人への償いができなくなるもん。」

「え、じゃあ一体何を…」

「…ナイショ。」

「神とやらは怒らせるもんじゃないってことですよ。」

「え?え?」

「何の縁だか神には知り合いが多いからな。おー怖いねぇ、くわばらくわばら。」

果たして従者はどうなってしまったのか、それはリホソルトにしか分からない。
おどおどと戸惑うコバニティを連れて、キムーア達は離宮を出た。
一方その頃、サエはジュリーが立て籠った部屋の前で声をかけ続けていた。


「ジュリー!」

どんどんと扉を叩き続けたサエの手は赤く腫れ上がっていた。

「なあ…ジュリー!ここ、開けて!」

扉の向こうにいるジュリーへとサエは訴えかける。

「………私は、ジュリーと両親の間にどういう事があったんか知らん。
だから何も励ましたりは出来ひん…。
でも、でもな、ジュリーはもう私にとって大事な仲間やからっ!
やから…その…えーと、話したくなくてもええねん!
ただ…一人では、泣かんといて…!私も泣くから、こっちに来て!!」

今の率直な自分の気持ちだった。
この先もジュリーと共に行きたい。間違いなくこれから先、厳しい道のりになる。
もっともっと傷つくだろう。それでも誰1人欠ける事なく前へ進みたかった。

心に届いたのだろうか、小さな声が聞こえる。

「…あなたと居たら、私の痛みは消えるの?」

「それは…「消えないでしょう。決して消えない痛みだとわかっているわ。消してはいけないものなの…わかっているの。わかっているのよ!!!」

やはり、アキルノアのことだった。
これ程までに彼女らが互いを必要としているとは、気づかなかった。
ただの専属従者と姫ではなく、幼なじみでもない。
もっと、深く大きな繋がりがある。
大切な秘密、もしくはそれに値する何かが二人にはあったのだろう。

「どうしてこんなに悲しいの…!!?どうしてアキルノアなの…!?
どうして、どうして……私の居場所は、無いの…?
私が死ねばよかったのよ…
どうせ親にも必要とされていないのだから、私が死ねばよかった!!
なのにっ、私のせいであの子が…!!!私が…、私が…っ!」

自分のせいだとジュリーは結論づけてしまっている。
果たして本当にそうなのか?
確かに命令を出して、レニセロウスへアキルノアを派遣したのはジュリーだ。
しかし国が襲われているような事態であったとあの時は知らなかったのだ。
もし襲われていなくとも、もしジュリーが命令を出さなくても、
サエ達は結果的にレニセロウスへは行く事が決まっていた。

大体、もしや仮定の話をし続けても今となってはどうすることも出来ない。
だったら、アキルノアの意思を汲んでやるべきだ。
アキルノアのしたかったことを、やり残したことを、
自分達が守り、貫き通すべきだとサエは思った。

「ちゃうよジュリー!アキルノアはっ!
アキルノアは、最期に笑ってたやんか…!!
ジュリーの為に命懸けて、守ったんやんか!
アキルノアが守り抜いた命を…捨てたらあかんっ!!!」

「だから生きろと!?そんなのあんまりだわ…!
あのこに守られた命を大切にしても、何も戻りはしないじゃない…!!
帰る場所も、待ってくれる人も、大切な人も、
妹との絆も、両親からの愛も、みんな失ったままよ…!
私にはもう何一つとして、残っていないわ…。
私の居場所なんてないのよ…!!!」

「ジュリー!!一人で抱え込むんじゃなくて、手を繋いでくれれば、私はここに居るから!
アキルノアの代わりにはなれへんけど、隣に居るから!
実の妹じゃなくたってコバニティもおるやんか!
待ってくれてる人がおるやんか!!だからっ…!!出て来て…」

貴女を私も皆も待っているんだ。
居場所が無いなんてことはない。
誰しもあるのに、一部の人はそれに気づいていないだけなのだから。
周りを見渡してほしい、サエは何としてでも伝えたかった。
隣どころか、いろんな人に囲まれて守られていることに。

「………アキルノアは消えてしまったのに、私はそれを切り捨てて、あなたたちと歩むの…?そして私はあのこを忘れてしまうの…?」

「忘れへんよ!!みんなの中にアキルノアとの記憶が残ってるやろ!
ジュリーの中にもアキルノアの思い出と意志が残ってるやろ!アキルノアは消えてない!ジュリーが想い続ける限り消えない!」

第一、物理的にも完全には消えていないのだ。
ハヤカミスが意味の分からない魔法で古の庭だとかいう所にアキルノアの遺体を飛ばしてしまった。
まだあのちゃらんぽらんに聞くことは山ほどあるし、恐らく古の庭で分かる真実があるのだろう。

「私が、想い続ける…」

「せやで!やからアキルノアの為にも……ジュリー?」

返事がない。扉の向こうでは何やら物音がする。

「……ジュリー?なにしてんの?ジュリー!?」

物音だけはする。まだ、生きている。
ジュリーに限って死に急ぐことはないだろうと踏んでいたが、万が一にも今までの会話で地雷があって、そういう考えに至ったとしたら。
とうとう、音も止んでしまった。
サエはいてもたってもいられず、扉を叩いたりノブをガチャガチャと回し続けた。

「ジュリー!開けて!ジュリー!!」

もう壊すしか無いと、助走をつけて体当たりしようとした時だった。
扉が開き、中からすっかり変わってしまったジュリーが出てきた。

「……母様に頂いた服がこんなところで役に立つとは思いもしなかったわ。」

「…ジュリー、そのかっこ…」

今までのジュリーを覆すような、まるで正反対の露出度の高い真っ白なドレス。
髪はきっちりとまとめられ、靴も5センチはある背の高い白のヒールになっていた。
あまりに大胆だが、この白の統一感は間違いなく、喪に伏する姿を意識している。

「…葬式は、白の衣装に身を包むのでしょう?
私は、自分の命を戒めるの。今、私の命がある理由と、確かにアキルノアが居たという存在証明を私自身が示すの。
そうすれば、一緒に居られるでしょう?」

「………うん、そう…やね。」

喪に伏する形式では間違っていない。
間違ってはいないのだが、どこか歪んだものを感じたのは気のせいなのか…。

「さあ行きましょう。一刻も早く此処を出たいわ。」

「…うん。」

キムーア達をこれ以上待たせてはいけないと、早急に荷物をまとめて部屋を出る。
ジュリーは先程まで来ていた服を、必要ないと言って捨ててしまった。
それは何故か、サエにはとても悲しかった。
靴を鳴らして突き進むジュリーの後を、もやもやとした心持ちでサエは歩いた。





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あきゅろす。
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