Sae's Bible
月夜を駆ける日溜まり

「ふはー!ご飯おいしかったー!」

「そう言ってもらえると嬉しいわねぇ。」

「あ、マリオン!」

綺麗にぺろりと平らげた皿達を前に、マリオンがあまり目立たない奥の扉から現れた。
なんでも、奥の扉は食堂と厨房を繋ぐ使用人専用通路らしい。

「何名か出て行かれたのを見てね、もうそろそろ入っても良いかと思ってねぇ。」

「よかったあ!丁度わたし一人やったからさ!お片付けとかどうしよっかなあって思っててん!」

「フフフ、サエは優しいのねぇ。私が片付けるから、自由にしてね。」

「そお?どうしよっかなあ〜。食べてすぐにお風呂はつらいしなあ〜。それに、あー、んー…」

ジュリーの所にも行きたいが、キムーアのことも気になるし、どうしたものかとサエは唸る。

「そういえば、ここに来る途中でキムーア様をお見かけしたわねぇ。」

「キムーア?まだ寝てなかったんや。」

「ええ。二階のテラスの方へ向かわれましたよ。」

「ふぅん、そっか!ありがとーマリオン!ごちそうさまっ!」

「はい。いってらっしゃい。」

母のような温かい笑みを浮かべたマリオンを見送られて、サエは食堂を飛び出した。

「二階のテラス〜っと、あ。」

二階へ上ってきょろきょろと見渡せば、少し開けた場所に見慣れた黒の短髪を見つけた。
そっと後ろから近寄って、手摺に肘をついて月を眺める彼女の背後を取る。
びっくりする顔なんてレアだと思い描きつつ、サエは大きな声を出すために思いきり息を吸い込んだ。

「わあっ!!!!」

「まだ寝てなかったのか?お子ちゃま。」

サエが大きな声を出すと同時にキムーアは待ってましたとしたり顔で振り返る。

「ええーっ!なんで驚かへんのーっ!!」

「気配で気付くだろうが、アホ。今度はもっと足音を殺してくるんだな。」

サエのおでこをつんと人差し指で押したキムーアは、テラスの手摺を背にして横に立つサエへ首を向ける。

「で、何の用だ。」

「ハヤカミーがキムーア色々溜めてるって言ってたから、私が聞いたろと思って!」

何の躊躇いも無く放ったその言葉に、キムーアは一瞬目を見開いたが、すぐに軽く溜め息をついて呆れた顔でサエを見やる。

「……お前、バカか?」

「へ?」

「ハァ〜…愚問だったな。アイツめ…余計な事を吹き込みやがって…」

「で?で?溜めてるん?私聞くで!!」

屈託の無い笑顔でこうも言い寄られては、さすがのキムーアも口を開くほか無かった。

「……ふぅ、まあいいか。話してやるが、他言するなよ。特にナーナリアにはな。」

「うん!わかったあ!!」

「お前以外の連中は薄々勘づいているかもしれんが…。
最近、ナーナリアの機嫌がすこぶる悪い。そして私を避けていやがる。」

「避ける?別にいつもと変わらん感じやけど。」

「うわべだけなんだよ…。
私が気付かないとでも思っているみたいだが、いつもより会話が少ないし、早く終わらせようとするし、何にしても淡白だ。」

話している途中でその節々を思い出したのか、キムーアの左手に力が入る。

「照れてるだけちゃう?」

「だったらいいんだけどな。」

「なんか、心当たりあんの?」

「カスコーネだ。あの戦闘の後からナーナリアは…思い詰めた顔ばかりしていた。」

「でもあの人に何か言われたとかじゃないんやろ?」

「アイツの言葉で少し引っ掛かるものはあったが、殆どが私に向けての挑発だった気がする。ナーナリアがどう受け止めたかは分からないが…」

「う〜ん。じゃあ一人で勝手に考えてぐるぐるしてるだけなんちゃう?ナーナリアも溜め込みそうやし。」

「大いに有りうるな。全くアイツは…何の為に私が居ると思っているんだ。私は、そんなに頼りないのか…!」

胸が張り裂けそうな程に苦しくてもどかしくて、それでも変えることが出来ない自分が情けないと、キムーアは手すりにドンと拳を叩き付ける。

「ぷははっ!」

「なっ、何が可笑しい!」

「だってキムーアもそうやん?似た者同士やから、相手の事よう分かるんやなあって!」

「似た者同士…」

自分では真逆で、だからこそお互いの足りない所をカバー出来るのだと考えていた。
言われてみればそうかもしれないなと、キムーアは今まで想像もしなかった線を脳内に描く。

「二人とも相談とかせんやん?やっぱ年上やし、すんごい大人やなあって思うけど、なんや私と変わらんなって思う時もあんねん!」

「私とナーナリアが子どもだと言いたいのか?」

「あああええっと、バカにしてる訳やないで!!」

「ふっ、わかっている。自分でもそう思う節があるからな。」

「これからはな!もっと頼ってくれてええねんで!仲間やねんから、嫌な事も嬉しい事も苦しい事も話そ!
私だけ話してたら恥ずかしいやろ?」

子供みたいに笑って、至極当たり前のように頼れと言うサエにキムーアは目を丸くした。
今まで頑なに誰の手も借りず生きてきた彼女にとっては、驚くべき言葉だったのだ。

「ハハハハハッ!」

それと同時になんて滑稽なのだろうと思い、キムーアは久々に大きな声で腹を抱えて笑った。

「ぬぁっ!?なんで笑うんよー!」

「わかった、わかったよ。」

涙が滲むほど笑ったキムーアが、突如真剣な面持ちになる。

「へ?」

グッと右の二の腕を掴まれ、半ば強引に引き寄せられると、キムーアの燃えるような赤の瞳が近くなった。

「お前を…サエを、仲間とやらを信じてやるよ。」

「っ!うんっ!!」

初めて、目を見てまともに名前を呼ばれた。
今まで話すことはあっても、一定の距離で線を引かれていた感覚があったが、この瞬間、少しは歩み寄ってくれたのだろうか。
そう思うと、もっともっとキムーアを知りたいとサエの心は疼いた。

「ま、すぐには無理だけどな。」

そう言ってキムーアは、二の腕を掴んでいた手を放した。

「うん!ゆっくりでもええよ!やから一緒に、がんばろーな!」

「…ああ。」

「へへへっ!」

互いの拳を当てて、嬉しくなったサエが満面の笑みを浮かべると、キムーアも釣られてニッと笑った。

「おらっ、さっさと風呂入って寝ろ。」

「えーっ!まだ9時やん!」

「私はひとっ風呂浴びてくる。また明日な。」

「はーい。おやすみぃー!」

キムーアが部屋へと戻ったのを見届けたサエは、ジュリー居るかなあと考えながら一番端の部屋へと向かったが、部屋はもぬけの殻だった。
きっと食事をしに行ったのだろうと、階段を降りていると話し声が聞こえた。


「ジュリー?誰とむぐっ!?「しーっ、静かに。」

階段を降りた所で、物陰に居た何者かがサエの口を塞いで引きずり込む。
一体誰かと思い、顔を上げるとそこにはいつもより少しだけ凛々しい皆のおねいさんが居た。

「ハヤ「声大きいよサエたんっ。」

「……わ…」

再度注意を受けて、ハヤカミスの視線の先を見れば、マリオンと年配の男性がこそこそと何やら話し込んでいる。

「あれ誰?」

「多分モーリスって人だと思うよ。ほら最初に言ってた…」

「そっか、あのおっちゃんがモーリス…」

この位置からでは顔はよく見えないが、年配の割にがっしりした体つきだと分かる。
王の護衛をしていると聞いたから、恐らく並の一般人よりは力があるのだろう。

会話を盗み聞きするのは悪いことだと兄から教わったが、人気の無い場所でこうも怪しげに話しているのを見ると、やはり人の心情としては聞きたくなるものだ。
サエとハヤカミスは息を潜めて、二人の会話を聞く為に耳を研ぎ澄ませる。

『無事で何より………けれど王女様は、相変わらず……………………でね………怖いわ……』

『…にしても、姫様が戻られて………………国はやはり王女様が…………………』

『王女様は……が……………なんとも…………姫様ならきっと……… 』

『そうね……あの方々も……………………や、カロラの…………』

『とにかく王女様を………………』

『わかったわ。』

結論が出て仕事に戻るのだろうか、モーリスは厨房、マリオンは食堂へと入って行った。
用心の為に二人の姿が完全に見えなくなって暫くしてから、ハヤカミスは口を開いた。

「もういいかな。」

「なんやったんやろう…」

「王女様と姫様の使い分けでしょ。」

「ハヤカミーも気付いた?なんか嫌な感じやったなぁ。」

どちらが『王女』で『姫』なのか。
また、何故それを使い分ける必要があるのか。 いくら考えてもサエには分からなかった。
それよりも日だまりのような温かさを持つマリオンが、全くの別人に見えた事がショックでならなかった。
彼女に母というものはこんな感じなんだろうなと、無意識下で勝手に重ねていたのだ。
それに気付いてしまった今、なんともやるせない、言葉にし難い空虚がサエに押し寄せる。

「…マリオン、優しい人やと思ってんけど…」

「人ってのは見かけによらないもんだよ〜。
サエたんは素直で信じやすいから、皆より沢山傷つくと思うけど、信じる事をやめちゃだめだよ。」

「それって…みんなよりいっぱい傷つくのをやめたらあかんってことなん?」

「うん。そうなるね。ごめんね。」

サエに一番厳しく辛い事を強いていると、重々承知だったハヤカミスは少しへたっているアホ毛ごとサエの頭を撫でた。
そしてハヤカミスはサエの目を覗き込むようにして、こう続ける。

「でもさ、サエたんは今一人じゃない。
さっき仲間って言ってくれたのはどこのアホ毛だっけ〜?
サエたんの持論で話せば、仲間は助け合うものなんでしょ?」

「私は…そう思ってる。」

「じゃあサエたんが沢山傷ついても、私が助けてあげる。仲間が助けてくれる。
だから、信じてみてよ。ね?」

「うんっ…信じてるな!」

「あーあ、なぁんか久々にカッコイイこと言っちゃったな〜。ギャップおねいさんに胸きゅんしちゃダメだお、サエたん!」

そう言って大きく伸びをすると、いつものおちゃらけたハヤカミスに戻っていた。
先の真剣な眼差しや口調はすっかり姿を消してしまって、サエは何だか勿体なく感じていた。

「普段からちゃんとしてればキムーアにも怒られへんのにー!」

「だ〜ってそれだと楽しくないでしょー!何事も楽しく自由でなくっちゃあね☆」

バッチリ笑顔でピースするハヤカミスは、とても生き生きしていた。
嗚呼、確かにこっちのほうが『らしい』な、とサエは釣られて笑った。

辺りをもう一度見渡してから、隠れていた階段下から出て、部屋へ戻るハヤカミスと別れようとした時だった。
二階への階段を数段上ったハヤカミスが、くるりと振り返る。

「あ、そうだ。おねいさんが最後に教えてあげよ〜う!」

「ん?なにを?」

「ジュリーちゃんの居・場・所。」

ハヤカミスと別れた後、彼女からジュリーが裏庭の方へ行ったのを目撃したと聞いたサエは、すぐに裏庭へと向かった。

「裏庭って言ってたけど…」

庭なんだからそんなに広くは無いだろうと簡単に予想していたが、思ったよりも随分広い。
宮殿からして驚くというのに、裏庭でこの広さだなんて到底考えられない。
サエの家の近所にある広場くらいあるんじゃないかと、改めて庶民と王族の差を感じた。

規則正しく植えられた花壇や木々の合間を適当に走り回ると偶然にもそれを見つけることが出来た。
人目を避けるように作られたのだろうか、大きな木の陰から始まる細道は人一人分程の幅しか無い。
くねくねと二三曲がり、徐々に勾配が大きくなる。
カーテンのようにしだれた蔦を掻き分けると、一線の光が射した。

「わっ」

薄暗かった道から突如開けた明るさに、サエは目を細めながら、一歩を踏み出す。
割とすぐ目が慣れ、地に伏せていた顔を上げると同時にサエは感嘆する事となる。

眩しさを感じる程に月が近い丘は、群生する薔薇で覆い尽くされていた。
月光が地上の白を更に美しくし、丘から望む夜の海は静かに青を波立てる。

「きれー……」

「そうでしょう?」

探していた声が後ろから聞こえ、サエは勢いよく振り向いた。

「ジュリー!!ここにおったん!?私めっちゃ探して「サエ」

「はっ、はい!」

サエの言葉を遮ったジュリーは、丘の一番高い所に立つ。
何を思っているかは分からないが、ジュリーは今までで一番穏やかな表情をしていた。

「ここからの海がとても綺麗なのよ。…あのこが、好きな場所。」

ジュリーの言う場所は、海からの波風と森のそよ風が交ざり合う不思議な地点だった。
髪を通り抜ける風からは潮の香りがして、足元の小さな白薔薇を爽やかに揺らす風は草の匂いを纏わせる。

飄々としていながらも、傍に居てくれる。
好きな場所というのは、こんなにも本人に似るものなのだろうか。
サエですら分かる共通点をジュリーが分からない筈がない。
だが、言わなくては。伝えなくては。
似て非なる此処に居ても浮かばれないと、今一度進むための後押しをすべく、サエは口火を切った。

「…ジュ、ジュリー!あんな「励まそうと思って、来たのでしょう?私がいつまでも塞ぎ込んでいるから。」

「…うん。」

悟られていた。いや、悟らせたのかもしれない。
月を見上げるジュリーの横顔は薄く微笑んでいるのに、何処か悲壮で、瞳の奥は哀しみに深く深く沈んでいた。
まるで光の届かない深海のように。

「サエにね、いくつか教えて欲しいの。いいかしら?」

「私に出来ることやったら何でも答えるで!」

「いつか本で読んだのだけれど、エデンや他の国では御葬式というものを行うのですってね。それは具体的に何をするの?」

レニセロウスには葬式の概念がない。
命尽きた者は年月を経て生まれ変わるからだと、カイザーから聞いたのをサエは思い出した。
文字での知識しかないというのも納得がいくが、ここでジュリーに教えても良いのか?
賢い彼女に、それを教えるのはいけないのではと、何故か一瞬胸がざわついた。
しかし、心とは裏腹に口はとうに動き始めていた。

「もうだいぶ前で曖昧やねんけど、近所のおばあちゃんが亡くなった時、皆真っ白な服着て、お花をおばあちゃんに沢山あげて、皆で埋めてあげんねん。
なんていうか、すごく悲しいけど、ありがとーって皆で見送る感じかな。」

「そう…この国とは、全く、違うのね…」

「……そうやな。」

二人の間に、暫しの沈黙と風が流れた。
なびく髪を耳にかけ、ジュリーは落ち着き払った様子で、サエに問いを投げ掛けた。

「サエは、弟さんに会って…どう受け止めたの?」

「……正直、深くは考えへんようにしてた。
多分、お兄ちゃんも操られてるんや、と思う。
タケシミアとも…もっかい戦わなあかん。
でもな、やっぱり私はタケシミアとお兄ちゃんとお店したりピクニックとか行きたいねん。
一緒におりたい。
だから、私が元に戻したるって決めてん!」

「そう…サエは、強いのね。」

意気込むサエから目を反らして腕を組むジュリーには、弱いという逃げ道と諦めが感じられた。

「ジュリーかてコバニティ元に戻したやん!怖かったし傷ついたけど向き合ったやん!
だからジュリーも強いねんでっ!」

「でもっ!!!……でも、あのこは…アキルノアは、私がっ…死に追いやったようなものなのよ!?」

「…ジュリー、「 私が命令さえ出さなければ!!あのこは生きていたわっ!! 」

後悔と自責の念で固く握り締められた拳を震わせて、ジュリーは声をあらげる。

サエにも言いたいことは分かっていた。
そうだったかもしれない。
だが、もう過ぎたことなのだ。
選択が間違っていようといまいと、過去は変えられない。

「じゃあそこでずっと思い出に浸って泣いてんの?動かへんの?」

「っ!!」

ジュリーは眉間に皺を寄せ、悲痛な表情で唇を噛む。
拳はまだ固く握り締められたままだ。
ジュリーが押し寄せる葛藤に口を閉ざす中、サエは続けた。

「アキルノアは、ジュリーの為に動いとったけど、それってジュリーの目的の為でもあるやん?
ジュリーの目的って、コバニティ救うだけちゃうやろ?
レニセロウスの為やないん?」

「そう、よ。でも…それでも…あのこが居ないと駄目なのよっ…!!
でないと私、私は…また、一人になってしまうわ……!」

サエの主張は酷く正しかった。
余りにも無垢だった。
故に、彼女の泥々とした感情がここぞとばかりに疼く。
心の奥底に閉ざして仕舞い込んでいたものが、ジュリーの口から漏れた。

「一人になる…?どういうことなん?」

「………、なんでも無いの、忘れて頂戴。もう、行きましょう?寒いわ…。」

館へ向かう最中、黙り込んでしまったジュリーに何とか笑ってもらおうと、サエは頭の中で必至に話題を探す。

「なっ、なあジュリー。さっきんとこ、凄いきれいなバラいっぱいやったな!」

「あのバラは…アキルノアが植えたのよ。」

「アキルノアが?そもそもなんであそこにバラ植えてるん?あんま見えへん所やのに。」

「…まだ幼くて、毎日のように遊んでいた頃、あのこったら此処を秘密基地にしようだなんて言い出してね?
私とコバニティが好きなバラを植え始めたの。」

懐かしいわと思い馳せるジュリーは、その青の瞳に憂いを帯びて、今にも露と消えてしまいそうな儚い小さな笑みを浮かべた。

「それがあんなに沢山になったん?すごいなあ!」

「いいえ。バラって難しいから、全然上手く育たなくてね。
アキルノアがしょぼくれていた時にコバニティから話を聞いたマリオン達が手伝ったのよ。」

「マリオン?…あっ!!!」

「どうかしたの?」

「そういや、ジュリーに聞きたかってんけどなぁ。マリオン達が王女様と姫様を使い分けてたの何か分かる?」

「!!」

王女と姫、その二つを聞くとジュリーは目を見開いた。

「ジュリー?」

「それ…誰から聞いたの?」

「誰って、マリオンとモーリスさん?」

「二人から何を聞いたの?」

「えっ?えっ?」

「答えて!!」

「っ、いやあの、二人が話してるのをたまたま聞いてもうただけで内容は…」

突如酷い剣幕で怒鳴るジュリーに、サエはたじろぎながらもボソボソと答える。
ふざけて怒られた事はあっても、こんなに敵意を剥き出しにした怒り方は今まで無かった。
この質問が彼女にとって、そこまで感情を揺さぶるものだと、思いもしなかったサエは、初めてジュリーに恐怖を覚えた。

「そう…ごめんなさいね。いきなり大きな声を出して。」

「ううん、私こそごめんな?」

それからはお互いあまり喋る事もなく、ギクシャクした空気の中で階段を上る。
割り当てられた部屋が近づくと、ジュリーの足が止まった。

「サエ、私は別の部屋へ移るから先に戻っていて。」

「えっ、でも…「自分で何とかするから大丈夫よ。サエには気を遣わせてしまうけれど、ごめんなさいね。もう少し、一人になりたいの。」

にこりとして、また明日ねと言うジュリーはその場に立ち尽くすサエを残して、階段を足早に降りてしまった。

「ジュリー…」

結局、何も出来なかった。
ジュリーは重要な事を何も話してはくれなかったし、更に追い詰めたような気がした。
ジュリーの、苦しいのをひた隠すような偽物の笑顔が、サエの心の中にべったりと張り付いていた。

「あかんなあ〜…」

一人になった部屋で、改めて感じる空虚は兄弟の顔を連想させる。

悲しくない訳がない。辛くない訳がない。
でもそれは自分だけじゃなくって、前を見る為の一歩を踏み出さなくてはいけないと、教えてくれたのは弟。

諦めて立ち止まる事は何とも馬鹿げていると、過去を振り返るのは経験を思い出すだけにしろと、教えてくれたのは兄。

「…よしっ。お風呂入って寝る!」

大切な事を教えてくれた、大切な兄弟の為に、道を正そう。
サエは自らの両頬を打って、決意を固めた。
すぐじゃなくてもいい。
遅くても、近付いているはずだから。

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あきゅろす。
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