Sae's Bible
真っ直ぐな主張
暴れまわった森を抜ければ、離宮はもう目の前だった。
香り立つ花々の庭園と緑を基調とした宮殿は、まるで春の森のような暖かさと鮮やかさを合わせ持っていた。
「うわあー!!きれー…!!」
「緑を取り入れた宮殿というのも、中々趣があるな。」
「カロラは植物が育ちにくいですから、とても珍しく感じますね。」
庭園の入り口から敷かれた道は、草花の為の水路と共に真っ直ぐ離宮へと続く。
「ここは…お母様の為の離宮なのよ。」
「お母さま?」
「ええ。もう亡くなられて10年になるわ。」
庭園奥の右の隅にある彫刻は、お母様をモデルとして作られたのよ、と続けたジュリーはそれを見ようとせず、ただ空を仰いだ。
「お母様はとても美しく聡明で、歴代の女王の中でも随一の魔力の持ち主だったのよ。」
「へえー!じゃあジュリーはお母さん似なんやな!」
サエの言葉にジュリーの足が止まる。
小さく息を吸った後、ジュリーは一切振り返らずにうつ向いて、口を開いた。
美しい髪の隙間から見えた瞳は、輝きを失った深い海の色をしていた。
「違うわ。私はお母様と似ても似つかない…国の為にへつらう小さな器なの。」
「うつわってなに?」
「どういう、意味ですか?」
沈黙、そして違和感。
当然の問い掛けを聞いて、ジュリーの小さな背中は微かに揺れる。
「はいはい!暗くならないー!」
「お前な…」
にぱっと笑って一気に空気を変えてしまったハヤカミスの気遣いに、一行はどこかほっとしていた。
「それも含めてー、レニセロウスと姉妹のお話は王様に聞いてみよーう!
…丁度、起きたみたいだしね。コバニティたん?」
「えっ!?」
ハヤカミスの言葉に全員がコバニティの方を見る。
ナーナリアの背で眠る少女は動かず、背負っているナーナリア自身も一定の呼吸しか聞こえないと言う。
「起きてないんちゃう?」
「隠したってダーメ。森に居た時から起きてたでしょ〜。起きないわけないよ!あーんな爆音戦闘の中でさぁ〜。ほらほら、顔あげてごらんなさいな!」
「……、…姉さま…」
ハヤカミスが軽く揺さぶってやれば、コバニティは恐る恐る顔をあげた。
それに伴いナーナリアは彼女をゆっくりと背から下ろした。
「っ!コバニティ、あなた…!!」
「…ごめんなさっ、わたし…!わたし……!なんてことを…!!」
コバニティは両手で顔を被い、地面にぺたりと座り込んで泣きじゃくる。
妹の哀れな姿を見ていられず、ジュリーは直ぐ様駆け寄って、強く抱き締めた。
「…コバニティ、あれは貴女じゃなかったのよ。だから…違うわ。」
「それでも!!わたしは…血に、染まって…匂いがこびりついててっ…!!ふ、うっ……っ、……」
「コバニティ!」
この手で多くの人を殺め、この体で多くの血を受けた。
その事実は変わらないけれど、ジュリーにとって何よりも大切なのは、自分の妹が戻ったということ。
乾いた血で汚れてしまったコバニティの手を顔から退けて、日に当たった若葉のような黄緑の目を見据える。
「ね、えさま…」
「大丈夫…大丈夫よ…」
「姉さま…こわい…こわいの…あんなに、たくさんの血…わたし…!」
ジュリーがぽんぽんと背中を優しく叩いてなだめてやる中、キムーアがこの問題に踏み込んだ。
「操られていた時の記憶は…あるんだな?」
「あ、う……ええと…すごく、曖昧で…でっでも、その…ポートレイムとか…っ、ぅ、やだっ!…うううっ…」
「辛いでしょう。無理して思い出さなくても良いんですよ。」
「でも、わたしっ…、思い出さなくちゃ…!血…血が…ひっ、こんな…たくさんっ、やだっ…やだっ!姉さま!姉さま!」
ナーナリアの配慮にコバニティは大きく首を振る。
思い出さなくてはならない。
忘れてはいけない。
大切な命を奪ったのだから、全部思い出すんだと、それだけは目覚めてから最初に誓っていた。
けれど、体にべったりと付いた血は怖くて仕方なかった。
「コバニティ!落ち着いて!大丈夫だから!」
コバニティは優しい姉にすがりついた。
まだ脆弱な自分をコントロールする術など見つからなくて、そんなことも出来ないのだと悲しくて、情けなくて、また泣いた。
「混乱しているな。」
「もう陽も暮れてるし、休んだ方が良いね。ハヤカミーさん腹ペコなんだけど何かあるかなー。」
ふらつくコバニティをまたおぶろうとしたナーナリアの手をそっと退け、ジュリーは妹の肩を支えて離宮へと歩みを進めた。
「お父様はどこにいるのかしら…」
重たい扉をキムーアに開けてもらい、懐かしい建物の中へ姉妹で立つ。
サエ達も後へ続くが、まず外装にも引けを取らぬ内装のきらびやかさに言葉を失った。
「うひょー!中もきれいやなあー!きらきらぴかぴかやん!」
サエが鏡のように磨かれた広間を駆け回っていると、階段の上にある中央の扉が勢いよく開いた。
「何者!」
大型のチャクラムを手にした年配のメイドが姿を現し、すぐに身構える。
「…!マリオン!マリオンね!?」
ジュリーが大きな声で名を呼ぶと、メイドは警戒を解き、武器を収めて駆け寄って来た。
「王女様方っ…申し訳ございませんわ。用心の為とはいえ刃を向けてしまって…」
マリオンと呼ばれたメイドは、操られた国の者たちに襲われる事を危惧し、常に武器を携帯していると言う。
「何を言うの、貴女の判断は賢明だわ。さすがメイド長だけあるというものよ。」
ジュリーによれば、このメイド長はもう随分長く王族に仕えており、武器の腕も中々のものらしい。
「ほんによくぞご無事で。王女様、そちらの方々は…?」
「旅の途中で会った人達よ。とても世話になったの…良くしてあげて頂戴。」
「まあまあ!長旅でお疲れでしょうに!申し遅れました、私はマリオン・トルイユと申します。」
「私サエー!よろしくー!」
サエに続いてそれぞれマリオンに名乗り、挨拶を交わした。
キムーアは念のためか、カロラを省いて名乗り、身分も伏せていた。
それに合わせてナーナリアもキムーアとの主従関係を隠し、上司であることのみを告げた。
「所で王女様、アキルノアは何処に?また道草でも食っているのですかあれは!」
マリオンの問いにジュリーは一瞬固まる。
彼女は知らないのだ。…あの最期を。
「あ…ええと……あのこは、少しお使いに出しているのよ…。そっ、そういえば、他に誰かいるの?」
「さようですか、お使いに…。ここにはモーリスが居ますよ。今は王様のお部屋の警護に当たっているかと。」
「そう…。ありがとう。お父様の為に動いてくれたのね。お父様はどこに?」
「王様はお疲れのご様子で、もうお休みになりましたよ。お話は後日になさいませ。」
マリオンと話している最中、コバニティがそっとジュリーの服の裾を握りしめる。
「どうしたのコバニティ?」
「ふ、う…姉さまっ…早く、早く着替えたい…!やなの…これ…っ…」
目に涙を溜めてすがるように懇願する妹の服は、血が乾いて茶色に変色しつつある。
古い記憶を辿って、コバニティの部屋は確か三階の角だったと特定し、マリオンの方へ向き直る。
「…私がコバニティを部屋に連れていくわ。マリオン、後は頼むわね。」
「かしこまりました。」
「ジュリー…無理しないでね?」
「ありがとう、リホソルト。
私たちは三階の角部屋に居るわ。用があればノックして頂戴。」
リホソルトに柔らかく微笑んでみせ、ジュリーはコバニティを気遣いながら、部屋へと向かって行った。
姉妹が去った後、サエ達はマリオンに連れられて離宮の中を案内してもらった。
サエ達が通されたのは二階にある三つの客室だった。
「皆様、お部屋はこちらのお好きな所をお使い下さい。全て浴室とお手洗い付きとなっています。
お食事は一階の食堂にご用意致しますね。その他何かございましたら、私、マリオンを呼んで下さいませ。」
そう言うとマリオンはしなやかに御辞儀をして、階段を降りていった。
「ハァ…。何かと気を張ったな…少し休むか。行くぞナーナリア。」
「あっ、はい!」
何かと警戒して、常に精神を研ぎ澄ませていた為にどっと疲れたのだろう。
キムーアは黙り混んでいたナーナリアを呼んで、一緒に部屋へ入る。
「うひょー!ミナリア!ミナリア!部屋覗き見出来ないかな…」
それを見たハヤカミスは、興奮気味に扉の鍵穴から中の様子が見れないか等を試み始めた。
「サエ、どこで寝る?」
「んー。どこでもいいねんけど、ジュリー心配やし、様子見て来よっかなあー。」
「わかった。じゃあ…わたし、ハヤカミスと一緒のとこつかう。」
「うん!じゃ、また後でー!」
リホソルトの体調も気にかかったが、今日はジュリーの元へ行こうと決めていた。
もしかしたら追い出されるかもしれないと思いながらも、サエは姉妹が居る三階へと階段を上る。
「ジュリーとコバニティ大丈夫かな…」
三階の角部屋、翡翠色の扉を開いてひょっこり顔を出してみる。
『姉さま、わたし…アキルノアを…』
『言わないで!!』
『…っ…姉さ『お願い…もう、言わないで。まだ、私も気持ちの整理が出来ていないのよ…』
声は聞こえるのだが部屋には居ないようだ。
漏れてきた二人の会話を耳にして、やっぱり何とかしないといけない気がした。
サエはうろうろと歩き回り、声は備え付けの風呂場からすると気づいた。
「ジュリー!コバニティどないー?」
何の躊躇いもなくドアを勢い良く開けると、エプロンを身に付けたジュリーに背中を流してもらっている全裸のコバニティと目が合った。
「ッ!?きっ、キャァアアッ!!?」
コバニティは暫く目を見開いて固まっていたが、自分の姿を思いだして己の身を抱き叫んだ。
「わああっ、ごめんごめん!!」
まさか叫ばれるとは思ってもみなかったサエは、両手をわたわたとさせて全然だいじょぶだよ!だとか落ち着かせようと色々話しかける。
各々よくも分からない状態で狼狽える二人を見るに見かねたジュリーは、縮こまる妹にタオルをかけてサエへと体を向けた。
「サエ!!入る前はノックをしてと言っているでしょう!!」
「あー、うん。」
美人は如何なる状況でも美人だった。
ジュリーが綺麗であることには、出会った当初から感じていたが、今は更にそれを感じさせる。
いつもの上着は脱いでいて体のラインが良く分かるし、袖は肩口まで思いきり捲り上げていて白く長い手が大胆に見える。
長いスカートを水で濡れないように裾を纏め上げている為に、湯水の熱で少し桃色に染まった素足がこれでもかという程さらけ出されている。
「私ぶにぶにや〜…」
同じ女なのにこうも違うのかとサエは項垂れ、ジュリーの手足と胸元へ羨望の眼差しを送る。
「サエ〜?早く出ていってくれると助かるのだけれど?」
「うわっ!?えへへ、ごめんって!!」
「あ、あうう…姉さまっ…」
「サエ、お願いだから少し部屋で待っていて頂戴。」
恥ずかしさで顔を赤に染める可愛らしい妹の為に、ジュリーはサエから見えないように立ち塞がる。
「えー、女同士やねんからそんな恥ずかしがらんでも!」
「ふえっ…わ、みっ、見ないで下さいぃ…」
「コバニティは恥ずかしがり屋の照れ屋なの!ほら、早くなさい!」
ぽいっと風呂場から摘まみ出されてしまったが、ちょっとはコバニティについて知れたようで、サエはにまにまと口角を緩めていた。
部屋で待つこと十分、汚れをすっかり綺麗に流したコバニティは一段と白く見えた。
ふわふわと揺れる薄い緑のネグリジェは彼女の長い金髪を引き立てる。
「わあっ!コバニティかわいいー!」
「あっ、あ、ありがと…う…」
「コバニティ、そこへ座っていてね。久しぶりに髪を結ってあげるわ。」
ジュリーも身なりを整えながら、コバニティに化粧台前の椅子へ座るよう声をかける。
言われた通り、大きな鏡のある化粧台の前にコバニティが腰掛けるとジュリーはリボンを手に妹の髪を結っていく。
「めっちゃさらさらやんなぁ〜!ええなあー!二人とも肌も白いし羨ましいわあ〜!」
「…あっ、ああぅ、えっと、わたしより姉さまの方が…」
「コバニティ、うつ向かないで。綺麗に編めないわ。」
「は、はいっ姉さま!」
「ジュリーみつあみ上手いねんなあ!
わー!コバニティの髪きれー!さらさら金髪ー!ながー!」
「ふふっ、こうして編むのは久しぶりね…。何年振りかしら?はい、出来たわ。」
最後にリボンをきゅっと結べば、コバニティの背で綺麗に整った三つ編みが揺れる。
「みつあみ…ありがとう、姉さま。」
姉に結って貰った三つ編みを肩から前へ垂らすように持って、コバニティは柔らかく微笑んだ。
「じゃあ私は部屋に戻るわね。明日はお父様に会わなければならないし…」
「あっ!ジュリー私と同じ部屋やで!一番はしっこ!」
「わかったわ。サエも程ほどにして部屋に戻るのよ。」
「うん!」
簡単に畳んだエプロンをソファにかけて、ジュリーは部屋を後にした。
ジュリーが立ち去ってから、コバニティはそわそわと落ち着かない様子で三つ編みを両の手で触り続けている。
サエは口を開きかけてはつぐむコバニティの姿を見て、何を迷っているのだろうと不思議に思った。
「なんか聞きたいこととかあるん?」
「あの…えっと…その、姉さま…姉さま、ここに来るの嫌がらなかった…?」
「嫌がる?ううん、普通に案内してくれたけど…なんでなん?」
「ええと、別に…なんでもないの。ただ…聞きたかっただけ。」
「そうなん?」
ただ聞きたかった、そう言うコバニティの表情はどこか曇っていた。
サエが顔を覗きこんでいるのに気付いたコバニティは、慌てて椅子から立ち上がった。
「あっ、あの、私もう休むね。」
「え、もう?ご飯は!?」
「あ、いいの…食欲ないから。」
「うーん、それやったらしゃあないけど…力出んくなるから食べた方がええで!
言ったら多分マリオンが用意してくれるわあ!」
私はぺこぺこやから食べるでと言わんばかりにサエの腹の虫が鳴る。
ぐきゅるるるという大きな音に二人でくすりと笑い、部屋の戸口へ足を進める。
サエが廊下へ出た所で、コバニティがくんっとサエの服の裾を引っ張り引き留めた。
「あの…」
「んー?」
サエは食堂へと歩き出そうとしていた足を戻して、口ごもるコバニティの言葉を待つ。
サエが向き直ったからか、コバニティは服の裾をぱっと離して、両手で三つ編みを撫でるように触る。
「ど、どうしてそんな…わたし、に優しくしてくれるの?
わたし…あんな…あんなこと、したのにっ…」
「へ?あんなことって?」
「だっ、その、攻撃…したりとか、町を…あ、アキルノア、に…皆に…あんな、酷いことを…!」
ポートレイムの一件やサエ達と戦った時の事、アキルノアの事を、コバニティはしっかりと覚えている。
間違いなく自分がした全てを、理解して罪悪感を持って、関わらないように壊さないようにと震えているのだ。
サエには分からないが、これだけは変わらない事実だと一つ言える事があった。
「でもそれは、コバニティが望んでやったことちゃうやろ?」
「え…」
サエの力強い言葉に、コバニティは目を見開き、三つ編みを触り続けていた手をピタリと止める。
「ちゃうやろ?操られて、しとっただけやろ?」
「う、うん。でも…」
操られていただけ、そこにコバニティの意思は無い。
けれどそれは逃げではないか、やったのは自分だという真実は変えられない。
また三つ編みをいじり出した両手は微かに震えていた。
「ならええねん!確かに迷惑とか、色々あった。…アキルノアの事もあった。
でもな!いつまでも縮こまるよりは、ちゃんと、ごめんなさいして前向いて、今度はコバニティが助けてあげたらええことやろ?」
「わたしが、たすける…」
「そ!私はな、もうコバニティは仲間やーって思ってるから、何か困ってるんやったら助けるし、私もコバニティのこと頼ったりする!」
ニカッと照れ臭そうに笑うサエは、とても単純な話をしているけれど、その単純さにコバニティの心は揺れた。
きっと、彼女等について行ってはいけないと頭の何処かで勝手に確定させていた答えが消え、抑え込んだ想いが姿を見せる。
「仲間…、わたし、仲間でいいの?ついて、行ってもいいの?」
「もちろん!」
「あっ、あ…あり、ありがとう…エト「サエやで!」
「…!ふふふっ。ありがとう、サエ。」
今日初めてサエへ向けた笑顔は、姉の笑顔にもよく似た可愛らしいはにかみだった。
「うん!これからよろしくな!コバニティ!」
花が綻ぶような笑みにつられて満面の笑顔を返したサエは、あったかくして寝るんやでー!と付け足してコバニティの部屋を出た。
それからサエは腹の虫を黙らせるべく、三階から食堂のある一階へ降り始めた。
ふかふかの絨毯が敷かれた廊下は、幾つかのシャンデリアの蝋燭が灯り、天井壁に彫られた紋章が浮かび上がっていた。
細やかな縁飾りと、大樹カレリウムをモチーフとしたステンドグラスから、沈みかけた陽の光が階段を照らす。
床に映る世界樹を横目に、二階から一階への階段へ差し掛かった時だった。
「おや、エトワール様。」
「あ!マリオン!」
「丁度お呼びしようと思っていたのですよ。エトワール様、お食事はいかがなさいますか?」
「うん、もらうー!」
「ではご用意致しま「あっ、マリオン!」
「はい?」
「あんなあんな、敬語いらんで!それから私の事は名前でいいから!」
「ふふふ、わかりました。では、サエさん。スープも飲む?」
「うん!!」
先に食堂で待っていてと言われ、サエは食堂の大きな飾り扉をよっこいしょと開いた。
「あ」
「あ!なぁんや、みんな食べに来とったん?」
食堂へ入ると姉妹を除いたいつもの面々が勢揃いしていた。
リホソルト以外はもう三人共食べ終えたらしく、食後に各々好きな飲み物を飲んでいるようだった。
「煩いのが来た…」
「うるさいってなんやの!」
「エトワールさん、食事中ですよ。」
「だってキムーアが…うぐぅ…」
ナーナリアから静かに注意を受けて反論しようとしたが、キッと睨まれてしまったサエは思わず口を閉ざす。
一睨みで黙ってしまったサエの様子が面白くて、キムーアとハヤカミスは肩を揺らす。
「まっ、まあまあ!楽しくていいんじゃない?ほらほら、サエたん座りなー。」
ぶふっと笑いながらも、ハヤカミスは立ったままのサエを隣の席へと手招いた。
うわーいと席に着けば、マリオンが温かな食事をテーブルへ並べていく。
「ありがとー!にしてもおいしそうやな!いただきま〜す!」
もしゃもしゃとパンを頬張るサエの前にトウモロコシの香り立つコーンスープが置かれた。
「スープもどうぞ。」
「マリオン、しばらく外してくれないか。」
「かしこまりました。」
丁度全ての料理を出し終えたマリオンは、キムーアから指示を受け、丁寧に一礼してから食堂を出た。
コツコツと足音が遠退いて数分後、ハヤカミスが片肘をつきながら、ニヤニヤと意味深に笑う。
「…で?マリオンちゃん追っ払って何の話かなあー?ルディちゃん。」
「…これからの事だ。」
「ジュリー、つらそう…」
「むぐむぐ「サエたん」
サエは食べながらも会話に加わろうとすると、ハヤカミスから飲み込んでからにしなよと笑われてしまった。
「彼女が、亡くなりましたからね。」
「ああ。だが…私達ではもう、変えられない。それより、とうとう身近な所で死者が出た事を重視すべきだ。
…アキルノアを、『犠牲者』にしてはいけない。アイツの死を、私達は無駄にしてはいけない。」
「ぷはっ、せやんな!私らでがんばって突き進めば大丈夫!
ここで諦めとったらアキルノアに怒られてまうわ!」
一通り口をつけて、ある程度腹が満たされたサエは水を飲んでから会話に入った。
「そうだね〜。でもさ、前に進むのは全員なのかな?」
「ジュリー…」
今の彼女の様子からして、ここで足を止める可能性は高い。
しかしカオスフィアから狙われている事を含めて、共に旅していくべきだし、何より此処で欠けられてはハヤカミスが困ると強く主張する。
となると、もう手段は限られてくる。
「やっぱ、うーん、言った方がええよな!えーと、死んだ訳やない!心に生きてるんやー!とか!」
「いや、精神論言っても多分ダメだよサエたん!」
「「せーしんろんってなに?」」
「駄目だ、馬鹿と無知が紙一重だ。」
キムーアの言葉にサエとリホソルトは目をぱちくりとさせて、意味が分からないと揃って首をかしげる。
そんな中、ナーナリアが眉根をひそめて重たい口を開く。
「あの…」
「ん、なんだナーナリア。」
「…私は、自分の気持ちの整理をすべきだと思います。この状況で動けない他人に、構っている暇は無いかと。」
ナーナリアの発言に、食堂が静まる。
彼女の意見は理解できなくもない。
要するに構わず自分で解決させるべきだという事。
だが、こいつだけは黙っていなかった。
「ちょ、他人ちゃうやん!仲間やろ?励ましたり何か、なんか出来るんちゃうん!?」
「サエ、落ち着いて…スープあぶない。」
リホソルトは口と手を大きく動かして主張するサエから、テーブル上のスープが溢れないように少し遠ざけた。
熱くなるサエとは正反対に、ナーナリアは至って冷静にサエの意見へ反論していく。
「ではエトワールさんは、相手の事情を知らずとも、信頼されていなくとも、的確な助言が出来ると?」
「それは心で伝えればなんとかなるやん!」
「前に何も知らないくせにと言われましたよね。
そこから察するに彼女の問題は、簡単に他人が入り込めないものだと、暗に言っている訳です。」
「う、そこはっ、仲間やねんから頼ってやもええんやでって言って話してもらう!」
「それは相手に仲間という認識がなければ成立しません。」
「…ぐ、…だから、せーしんろんで…「出来ないでしょう?一方的な感情で動いて、意見を押し付けているだけです。
『仲間』?仲良しごっこも大概にして下さい。
所詮は他人同士だと分かっていないようですね。
いくら貴女が信用していても、相手が返して来なければ無意味なんですよ!」
「ナーナリア、言い過ぎだ。」
流石にサエへの風当たりが強すぎると感じたのか、キムーアがナーナリアをたしなめる。
ナーナリアの言葉も一理ある。
完全には信頼されていない事ぐらいサエにも分かっていた。
それでも。
「……でも、仲間やもん。ジュリーとアキルノアは一緒に…リブラから歩いてきたもん。
ここにおる人だけやなくて、途中で会った人や助けてくれた町の人達も、みんなそうやで。
今の世界で、カオスフィアに立ち向かおうと思ってる人や精霊たちは、みんな同じ想いやろ!?
私は、それも引っくるめてみんな仲間やと思ってる!!」
「…………」
サエの訴えに圧倒される。
真っ直ぐに見据えるオレンジの瞳に曇りは無く、まるで太陽のように熱く物語る。
ナーナリアとキムーアは目を背けてしまったが、ハヤカミスはケラケラと笑っていた。
「あはは、嬉しいねえ〜。私も仲間なんだ。」
「…ふん。お気楽な阿呆だな。」
「む、アホって言った方がアホやねんで!」
「じゃあお前はもっと阿呆だな。」
そう言ったキムーアは何処か嬉しそうに、サエのアホ毛をわざと引っ張って髪の毛をぼさぼさにした。
何もテーブル越しにやらなくてもいいじゃないかなどと、小さく文句を言いながら、すっかり鳥の巣になった髪の毛を手で適当に直していく。
何だか見られているような気がして、ふと顔を上げた。
すると向かいに座るキムーアが敢えて声に出さず、口パクでアホと伝えてくるものだから、サエの頬は風船のように膨れる。
その一部始終を見ていたハヤカミスが、隣でニヨニヨ笑っているのに気付いたサエは堪らず、食べかけのパンを思いきり引き千切って水で流し込んでやった。
そんなやり取りなど露程も知らないリホソルトが、食事の手を止めてサエの肩を人差し指でちょんちょんと叩く。
「サエ、わたしも…サエのこと好きだよ?」
目を細めてやんわりと笑うリホソルトは本当に愛らしく、感謝の意も込めて抱き締めようと椅子から立ち上がったのは、サエだけでは無かった。
「ソルトたんまじ天使!!!」
「リホソルトっ!!」
「やめて、ふわふわ汚れる。」
「リホソルト!?」
顔面をぐいっと両手で押されて、思いきり拒絶されたアホ毛と変態は自分の席へ戻る。
「クーデレごちそうさ…ゴホンッ。
えー、とにかくさ!サエたんはジュリーちゃんと話してみなよ。」
「アクアさん…今までの話をちゃんと聞いていましたか?」
ハヤカミスの提案を聞いて、ナーナリアはうんざりとしたような顔で問いかけた。
それに対して当の本人は相も変わらぬテンションと話口調で答える。
「うん。ばーっちり聞いてたよ☆
でもさ、それってあたし達が出来ないだけで、この子は出来るかもしれないでしょ〜?
自分が持ってないからって、持ってる人を責めるのは筋違いだと、おねいさんは思うなあ〜。」
間延びした話し方のせいで、軽い内容に聞こえるが、よく聞いて考えればとても重厚で、ナーナリアが押し黙るには十分過ぎるものだった。
「…すみません、弓の手入れがあるので先に失礼します。ミナルディ様も程ほどにして早くお休み下さい。では。」
冷たくそう告げたナーナリアはテーブルに紅茶の入ったカップだけを残して、足早に食堂を去ってしまった。
「おいっ!!ナーナリア!」
「あらぁ〜、怒らせちゃったかな?ごめんねえ、ルディちゃん。」
「今のはアイツが悪い。私から言っておくから気にするな。」
空になった隣の席を見て、キムーアは小さく溜め息を吐く。
「まあとにかく、さ。
サエたんは、ジュリーちゃんに自分の気持ちぶつけてみな?
失敗してもいいからさ、思ったことやればいいよ。
その方がサエたんらしいし、あたしも見てて楽しいからね〜!」
「ハヤカミーが…ハヤカミーが、なんか良いこと言ってる!!」
「だってー、みんなのおねいさんだからねん☆ねー!ソルトたん?」
「ハヤカミスひっつかないで。食べにくい。」
またも冷たくあしらわれたハヤカミスは、そこも可愛いぞこいつぅと楽しげに、野菜を食べているリホソルトの頬を優しくつついた。
「調子いいんだか、しっかりしてるんだか…。
お前が本当に使いにくい奴ってのは、よくわかった。」
「うん!よく言われる〜!」
「ねえ…はなし変わるんだけどね、コバニティいっしょに来るの…?」
リホソルトの話題に空気が一変する。
「…私としては、この国に残るべきだと思う。」
「んー、ハヤカミーさんはニティたそも来てほしいけどなあ〜。みつあみっ娘かわいいし、お着替えさせたい!」
「何言ってんだ。あの不安定具合見てなかったのか?」
「あのこ…ついて来ちゃだめなの?」
「いや、ダメという訳ではないが…精神状態からして、良くはないだろうな。」
「めっちゃ普通やったで?ジュリーと話してたら落ち着いてたみたいやったし。」
「え?」
さらりと至極当たり前のように飛び出したサエの発言に、キムーアは驚きを隠せなかった。
「コバニティも一緒に行きたいってゆうてたよ。」
「はっ!?」
ついでにコバニティの話をすれば、キムーアはもう驚く所か、呆れさえも見え始める。
サエの隣で話を聞いていたハヤカミスはというと、げらげら笑う始末。
なぜそこまで笑われなければならないのか、さっぱり分からずサエは首を捻る。
「ははは!サエたんってばもう姉妹部屋突撃したんだ?しかもニティたそとお話済み!想像以上だねえ〜!」
「え、あかんかったん??」
「なんというか…空気的に遠慮するだろ…普通…」
「さすがサエたんっ!空気読まない裏切らない!ぶふっ!」
「ちょっ、ハヤカミー笑いすぎやで!」
腹が捩れる程笑うハヤカミスの肩をぽかぽか叩いていると、キムーアが落ち着いたトーンで話し掛けてきた。
「サエ、本当になんとも無さそうだったのか?」
「うーん?私はそう見えてんけど…」
「あー笑った。
おねいさんは明日の話を聞いても受け止められるなら、連れていってもいいと思うよ。妹属性かわいいし。
どっちかって言うとジュリーちゃんの方が心配、かな?」
にっこりと笑うハヤカミスからはその言葉の真意が読み取れない。
彼女は一体、姉妹の何を知っているのだろうか。
唐突に訪れた僅かな沈黙を破ったのはリホソルトだった。
「明日、なに話すの?」
「んー?人間関係どろどろで、やだ何この人達怖い!もう人間不信になっちゃうよ!の話〜☆」
「予想はしていたが…言うか?普通。」
「いいじゃん!心構えできるっしょ??」
「ハァ…あまりいじめてくれるなよ。」
全くこいつは…と呆れつつも、軽く受け流している辺り、キムーアはそれなりに聞く覚悟があったのだろう。
ぐいっと水を一口で飲み干して、キムーアは颯爽と席を立った。
「あれ?キムーアどこ行くん?」
「そろそろ頑固頭の冷えた頃だからな。ちょっと叱ってくる。」
「いってらっさ〜い☆ナナリアちゃんによろしくぅ〜!」
ハヤカミスがばちーんとウインクすると、まるでキムーアの頭に星がぶすぶすと刺さったんじゃないかと思えた。
案外それは間違いでは無かったようで、扉を開けようとしていたキムーアが顔だけ此方へ向けて、心底めんどくさそうに眉根を寄せる。
「いちいちポーズを付けるな、うっとおしい。」
「え〜!!おちょくるのが私の生き甲斐なのにぃ〜!もう!ルディちゃんのおこりんぼさんめ!」
「うるさい黙れその名で呼ぶな。じゃ、お前ら早く休めよ。」
「おやすみルディちゃーん!」
「キムーアおやすみー!」
扉が閉まってから小さく、黙れハヤカミスと聞こえたような気がした。
キムーアが食堂から出てすぐ、ハヤカミスが何やらオーバーに両手を広げて口を開く。
「いやはや…ルディちゃんも大変だねぇ〜。」
「キムーアが?大変なんナーナリアちゃうん?」
「従者と主じゃ、主のが大変なんだよ〜。あたしも一応従者だからわかるわぁ。」
「あ、ええと時の神さんやっけ?」
「そうそう姐さん。
あたしのはナーナリアみたいなゴリゴリの従者じゃなくて、バイトっぽい感じでゆるいけどね!」
「ハヤカミス、ちゃんとしてたの?」
「ひどいソルトたん!でもほぼしてなかった!姐さんごめんねてへぺろ☆」
「さすがハヤカミーやな!」
その姐さんとやらは酷く疲れているに違いない。
リホソルトは会ったらふわふわで包んであげようと心の中で密かに決めた。
「そんなわけで、キムーアも色々と溜めてると思うんだよね〜。何とかしてあげたいけど、あたしじゃ怒らせるからなあ〜!」
「そっか、キムーアかあ…」
ちらちらとサエを見ながら言うハヤカミスの思惑は手に取るように分かりやすいが、ターゲットとされている当の本人はまるで気付かず、ふむと考え出す。
「ごちそうさまでした。」
「おっ、ソルトたん食べ終わったー?残さず食べてえらいねー!」
自分の頭を撫でまくり抱き寄せようとするハヤカミスに、リホソルトは少し頬を膨らませて払い除けた。
「子ども扱いしないで、ハヤカミス。」
「あたしからしたら、姐さん以外はみんな子供みたいなもんだよー。何年生きてると思ってんの!」
「わたしも沢山生きてるよ。」
「甘いねえ〜!大量の生クリームより甘いよソルトたん!
あたしはソルトたんがこぉおんな小さい時から知ってんだから!」
「む…もういい、寝るもん。サエ、おやすみ。」
ハヤカミスがわざと煽っていると漸く理解したリホソルトは、席を立って扉の方へと足を進める。
「おやすみリホソルト!」
「サエたんおやすみぃー!つってもおねいさんはこっからがゴールデンタイムだけどね!!」
「ハヤカミスいくよ?」
「やーん!待ってソルトたん!」
まだ少し残っている食事と、にこやかに手を振るサエを残して、二人は嵐のようにその場を後にした。
食堂を出たハヤカミスとリホソルトの足は、割り当てられた部屋へと向かっていた。
「ねえ、ハヤカミス。」
「んー?なあに?」
リホソルトに話しかけられて、前を歩いていたハヤカミスが軽い足取りで振り向く。
目を細めて笑みを浮かべる彼女の顔は、月明かりに照らされて少々不気味だ。
「なんであんなこと言ったの。」
「バレバレか!まあ分かりやすくハッパかけないとサエたん気づかなそうだったしねぇ。」
「ジュリーのことも頼んでるのに…」
「うん、そうだね。頼りすぎ?」
「……」
リホソルトは肯定出来なかった。
サエに頼るなと言えば、誰がする?
自分は到底出来る訳がないし、かといってハヤカミスに頼むのは何だか駄目な気がした。
肯定も否定も出来ずに黙るリホソルトを見て、ハヤカミスが口を開く。
「でもさ、あの子は今頼られた方がいいんだよ。これから引っ張っていくのは…多分あの子だから、知っておかなきゃね。」
そう言う彼女の瞳は曇りなく、強い眼差しだった。
こんなに真剣になって考えているのに、どうしてちゃらんぽらんな風を装っているんだろうと、リホソルトは不思議で仕方なかった。
「ハヤカミスずるい。全部お見通しみたいで。」
「全部なんて見通せないってぇ〜。姐さんじゃあるまいし!あたしが見えるのは、運命だけだよん。」
「む…なんかかっこいい…」
「だぁって運命の神様だからねー!!」
「私も神様だもん…」
「はいはい!後はサエたんに任せようか。上手くいくといいんだけどねぇ…。」
ちらりと後ろを振り返ったハヤカミスの表情に、陰りがあった事を知る者は居ない。
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