Sae's Bible
笑う者と立ち向かう者

「よっ、と。」

ナーナリアは木陰でも一番風が通る場所へコバニティを木に寄り掛からせた。

「…出来る限り拭きましょうか。」

そよそよと風がすり抜ける中、顔に付いた誰の血かも分からぬものを優しく拭う。
大体の血を拭い終わった時、風と共に柔らかな薔薇の匂いが鼻を掠めた。

「何奴!」

香水からうっすらと感じた気配を素早く辿り、木の上へ矢を放つ。

「おぉっと、バレちゃった?」

木から軽やかに降り立ったのはナーナリアとキムーアにとって忌まわしき人物。

「貴方はっ!!」

「あっは、久しぶりだねェ。ナーナリアちゃん。」

彼が髪を整える仕草と共にじゃらじゃらと音を立てる装飾品の数々、先程よりもキツく感じる花の匂い。
独特の話し方を疎ましく思うが、今はそれどころではない。
危険を察知したとはいえ、無防備なコバニティの傍を離れてしまった。
どうにかしてコバニティを此方へ動かさなくては、とナーナリアは考えに考える。

「……。何故貴方が此処に…まさか!」

「ぴんぽーん。そのま・さ・か。俺ってば、カオスフィア様の配下なんだよねェ。
それから…相変わらず甘いよ。」

「…コバニティさん!!」

男が眠るコバニティの額をなぞる。
最悪の予想が当たってしまった。
ナーナリアは自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。

「どうしたんナーナリア!」

騒ぎを聞き付けてサエ達が武器を手に駆けてくる。
あの男の姿を見て、キムーアだけが目を見開いた。

「コバニティ…!」

「っ、貴様は!!」

「やあ相変わらず下品だねェ、ミナルディちゃん。…少しは身なりに気をつけたらどうかな?」

「お前は相変わらず香水臭いんだよ下衆が。」

キムーアは冷静に言葉を交わしているように見えるが、殺気はサエですら分かる程のもの。
無意識だろうか、既に剣へも手がかかっている。

「キムーア、誰なん?知り合い?」

「…国と王を裏切ったクズだ。」

「クズとは失礼じゃないかな?国どころか人一人すら守れない小娘の分際でさァ。
まァ…礼儀に反するから、名乗っておこうね。俺はイレネオ・カスコーネ。
よろしくしたくないけど、退屈はさせないでね仔猫ちゃん達。
てな訳で、サッサとおっぱじめようか。」

カスコーネがコバニティの頭を片手で掴むと、彼の装飾品の一つである金の腕輪が魔力を放つ。

「コバニティ!!」

「お、この子も治癒してくれたんだ?助かるねェ。ほら、仕事だぜ」

詠唱はしていない。
にも関わらずコバニティの首元には銀細工の飾りが施された魔石が妖しく光る。

「………。フフフ、ジュリーおねえさま…おねえさまおねえさまおねえさま…」

ゆっくりと瞼を開く彼女の瞳に輝きは無かった。

「そんな!!どうして!?」

「ハハハっ!悲劇のヒロインかなァ?…操る道具なんて、幾らでもあるのさ。よっと。」

またもカスコーネは詠唱無しでコバニティの斧を世界樹の側から此方に移動させる。
斧を動かす最中、アキルノアにかけていた結界ごと彼女を斬りつけた。

「ぐあああっ!!」

幸いにも結界のお陰で肩を掠めただけだったが、アキルノアは痛みから一瞬目を覚ました。

「アキルノアっ!!」

「…っ、う…あ…」

しかしまだ動くことは叶わず、ジュリーに向かって言葉にならない声を発し、気を失った。

「あれェ?持ち物返して貰おうと思ったんだけどなァ。何か、斬っちゃった。
ほうらコバニティ、お前の獲物だよ。」

カスコーネは気絶したまま動かないアキルノアを見てわざとらしく言うと、斧を持ち主の手に渡す。

「アキルノア…っ、ああっ…!」

「アキルノア?なあにそれ?だれ?ねえおねえさま。おねえさまは私だけなのよ。私を見て…ねえ!おねえさま!!」

泣き崩れるジュリーに反応してコバニティが斧を引きずりながら一歩、また一歩と近付く。

「ひっ…!」

「怖がらないでおねえさま。ああ、きれいなお顔…もっときれいにしてあげるね。」

コバニティは恍惚の表情でジュリーを舐めるように見た後、酷く冷めた目で世界樹の傍らに倒れるアキルノアを見る。

「やめて!!アキルノアは関係ないでしょう!!」

ジュリーの心からの訴えはコバニティに届かなかった。
目にも止まらぬ早さで世界樹へと駆けて、躊躇う事なくアキルノアへ斧を振り落とす。

「させるか!!」

「早い…!」

「くそっ!!頼む…!!」

『 第四章七十六項!制約九令発動!執行せよ! 』


機動力のあるキムーアやナーナリアの弓矢ですら追い付けず、カイザーも簡易結界を詠唱するが間に合わなかった。

「アアアアアッ!!」

先程ダメージを受けた結界は完全に砕け散り、斧はアキルノアの腕を切り裂いた。
噴水のように血が噴き上がり、地面を赤黒く染める。
激痛にもがき倒れ込んだアキルノアの左腕は、肘上から下が無かった。

「…あ…あ…っ、イヤアアアアッ!!!!」

ジュリーの悲痛な叫び声が辺りに響き渡る。

「あははっ!素敵な声ね、おねえさま。もっと聞かせて…?」

コバニティは切断されたアキルノアの左腕を拾い上げて、ジュリーの方へ軽やかな足取りで歩いてくる。

「いやっ!いや…来ないでぇええっ!!」

「ジュリー!!」

取り乱すジュリーを落ち着かせる為、この惨状を見せない為、サエは震える彼女を抱き締める。

「酷い…ジュリーがどんな気持ちで戦ったと思ってんねん!!」

「気持ち?そんなの知らないよ。知る必要も無いよね?君達、ここで死ぬんだからさァ。」

「サエ、ナーナリアとコバニティを食い止めろ。眼鏡はアキルノアの治療を急げ。
アイツに魔法は通用しない…私一人で決着をつける。」

「……うん。わかった。任せて!」

サエとナーナリアはコバニティからジュリーを守るように武器を手に立ち塞がる。

「眼鏡ではなくカイザーだ!全く…!」

コバニティがジュリーにしか目を向けないと判断したカイザーは自身に速度補助魔法をかけ、アキルノアの元へ向かう。

『 第六十五章十三項!制約九十二令発動!執行せよ! 』


アキルノアとリホソルトに結界が再び張られたのを確認したキムーアは、すらりと双剣を抜いてカスコーネの前に立つ。

「サシで勝負?笑っちゃうよ、何回負けたら気が済むのかなァ?」

「今ここで国と王の仇をとらせてもらう!!」

言い切らない内にダンッと踏み込んでカスコーネとの距離を詰め、双剣を振るう。
しかし行動が読まれ、剣は勢い良く空を斬っただけだった。

「おーおー、熱いねェ。ミナルディちゃんってば本っ当、昔と変わらないね。」

保たれたその間隔はカスコーネが最も得意とする中距離魔法攻撃を繰り出しやすいもの。
的確に放たれる魔法弾は人体の弱い部分とされている箇所ばかりを狙ってくる。
それらを軽やかに回避し、一気にカスコーネの元へ踏み込む。

「昔とは違う!!」

ギィンッと刃のぶつかり合う音が響く。
キムーアの攻撃は読まれていた。

「違う?何言ってるのかな。相変わらずダメな戦法でさァ…一つも成長してないよ。」

カスコーネは隠し持っていた長い刃渡りのハサミでキムーアの剣を受け止め、わざとキムーアに顔を近付けて言う。

ハサミと剣が刃を重ねる中、少女はそれはそれは愉しそうに笑っていた。

「アハハハハッ!ねえ、おねえさま。
おねえさまはこの人達が大事なの?大切なのね?
だったら奪ってあげる…おねえさまの愛らしい泣き顔見せて!おねえさま!」

「ちょ、はやっ!?」

コバニティはアキルノアの腕を投げ捨て、あっと言う間にサエの脳天めがけて斧を振るう。
杖が斧より長かったお陰で振り払えたが、懐に入られたら一貫の終わりだろう。

『 月輪結界、零式発動! 』


「エトワールさん!今の内に!」

「ジュリー!ちょっとだけ走るでっ!!」

「…う、サエ…下ろして、私も…」

ナーナリアが張った結界を盾に、カイザーの元へジュリーを運ぶ。

「うっ…は、私も戦うわ…」

「無茶言うな!お前真っ青じゃないか!」

「無理せんとってジュリー!私らでなんとかするから、カイザーの治療受けて!」

「でもっ…!!」

「あいつらを信じろ。それに…この人は長く持たない。傍にいてやれ。」

「……っ。ひ……ぅ…さ、ま…」

カイザーの治癒が追い付かない程の出血。
想像を絶する痛みと苦しみだろうに、それでもアキルノアはジュリーを探して微笑みかける。

「ここよ…!ここに、貴女の傍にいるわ…!」

目が見えず空を掴み続けるアキルノアの右手をぎゅっと握り、ジュリーは顔を近付けた。

「そ、ば…作りま…ゴホッゴホッゴホッ!!…ね、ひめさま…」

「…っ、また、不味かったら…お仕置きよ…!」

ジュリーが精一杯の笑顔で言うと、アキルノアは目を細めて笑ったまま気を失った。


「くっ…このままでは…!!」

「あかん!近すぎて詠唱出来ひん!」

素早さが格段に上がったコバニティは二人に攻撃の隙を与えなかった。
やっとの思いでコバニティから遠ざかり、ナーナリアは袂から一枚の札を出した。

「…、悩んでいる暇はありませんね…」

一瞬躊躇ったそれは、ナーナリアにとって扱い難いもの。それでも今は選択肢が無い。

『真聖剣解放、転移変換術壱式発動! 』


カッと眩い光が辺りを照らすと札が弓に貼り付き、使い込まれた形の古い大剣へと姿を変える。

「ナーナリア剣使えるん!?」

「その場しのぎ程度ですから、サエはなんとか詠唱を短くして下さい!」

コバニティの斧を大剣で防ぐが、扱いに慣れていないせいで足元がもたつく。

「えええ!?ナーナリアまでそんな難しいこと言わんとって!」

「貴女の魔力なら可能です!」

「ああもう!やるだけやってみるわ!」

詠唱短縮は簡単な事ではない。
自分の魔力を最大限まで引き出して常時保ち、発動呪文を新たに構築し直す必要がある。

「ふー……」

精神を集中させ、魔力を一点に集める。
発動させる魔法は決めてある。
後は呪文を再構築するだけ。

「サエっ…早く…!!」

コバニティの力に押され、ナーナリアが大剣ごと後退させられる。
とうとうナーナリアが片膝を着いた時、後ろから凄まじい魔力の豪風が吹き荒れる。
複雑な魔法陣が大小連なり、サエの足元で光り輝く。
そして、完成する。


『 力を取り去る英知の十剣よ
天翔より駆けて円舞せよ
彼の者に光剣の呪縛を放て

ドレインソードサークル! 』


魔法陣から現れた十の光の剣がコバニティの周りを囲みながら回り、ピタリと止まった瞬間。

「アァアアアアッッ!!!」

剣から放たれる光の呪縛魔法がコバニティの魔力を奪い去った。

「成る程…!魔力を奪ってしまえば、私達だけでも勝てます!」

操られている時は魔力や体力の消費を感じないが、魔力自体が底を付けば疲労は免れない。

「よぅし、たたみかけるで!!」

疲れから今まで軽々と振るっていた斧を両手で引きずるコバニティを前に、サエとナーナリアは連続して攻撃を開始した。

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あきゅろす。
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