Sae's Bible
涙に濡れる

『コマンド! ヴィッティマ・コンパリーレ! 』

コバニティが杖を一振りすると、彼女の足元に何かが空間移動魔法で現れる。
手を縛られたまま横たわる血塗れのエルフは、サエ達のよく知る人だった。

「……カハッ…姫、さ…ま…」

「アキルノア!!!そんな…っ、なぜ!」

「ジュリー!」

「落ち着いて下さい!」

アキルノアに駆け寄ろうとするジュリーをサエとナーナリアが両側から押さえる。
妹とアキルノアを交互に見て、言葉にならないまま唇を振るわせたジュリーは一筋の涙を流す。

「国に行ったからな…まさかとは思ったが…」

「ここから見える範囲では出血多量、右腕骨折、頭部損傷、目もあまり見えていないだろう。…危険な状態だ、一刻の猶予も無いぞ。」

アキルノアを人質にされては動くに動けない。しかし早く手当てをしなければアキルノアの命が危ないのもまた事実。

「ねえ、武器を捨てて。」

「くっ…」

「……」

武器を捨てれば反撃は難しくなる。アキルノアを何としてでも救いたいサエ達はそれに戸惑う。
ここで素直に従っても良いのか。

「…従おう。」

「けれどリホソルトさんが…」

「一先ず容態は落ち着いた。魔法を止めても支障は無いだろう。」

世界樹の傍らで眠るリホソルトは加護が奪われた直後よりも穏やかな表情を浮かべている。

「アキルノア…アキルノア…私が、あんな…行かせたから…っ!!」

「ジュリー!落ち着いて、な?」

自分を責め続けるジュリーの右手をサエがぎゅっと強く握る。
その言動に少し落ち着きを取り戻すが、ジュリーの震えは止まらなかった。

「はやく!」

「アアアアアッ!!!」

「…っ!」

アキルノアの左腕に斧が突き立てられ、コバニティの服や顔に赤黒い染みが飛び散る。
ジュリーがショックで鎌を地に落としたのを切っ掛けに、カイザー、ナーナリア、キムーアと順に武器を手放す。
ただ一人、サエだけは杖を手放せずにいた。

「サエ、杖を置け。」

「……いやや。置いても置かんくっても、アキルノアが安全になる訳じゃないやん!」

手放した所でアキルノアが解放されると決まった訳じゃない。かといってこのまま持っていれば危険に晒されるのはアキルノアだ。
それでも、サエは杖を手放したくは無かった。

「分かってる!しかし今は!!…こうするしか、ない。」

「……っ。」

キムーアの手が杖にかかり、杖の先端が地面へと向けられる。サエはそれに抗い、両手に力を込める。

「あはは!返してほしいんでしょ?ほらほら、はやく!」

「グアアアアッ!!」

にこやかな笑顔でアキルノアの腹部を愉しそうにぐりぐりと押し潰すコバニティの様子は、まさに狂気であった。

「…っ!やっぱり許されへんわ!!ごめん。ごめん…ジュリー。
私、どうしても、こんなやり方っ!!」

血を吐きながらもがき苦しむアキルノアを見ていられないと、サエは杖をコバニティに向けて魔法攻撃しようとする。

「焚き付けただけだったか。」

「ったく、お前はもう少し頭を使うべきだ。」

「……。」

キムーアとカイザーがサエの行動に呆れつつも、手放した武器を拾い上げる。
そんな中、ジュリーは鎌から元に戻ってしまったスタッフを手にして目を伏せた。

「…ジュリー?大丈夫ですか?」

「…サエ。ここは、私に任せてくれないかしら。」

顔を上げたジュリーの目には揺るぎない決意が見え、敵となった妹に戸惑っていた先程までとは違うと感じ取れる。

「…うん。わかった。」

ここは引かなければならないと流石に理解したサエは一歩下がり、ジュリーに道を譲った。

「ねえ…何が望みなの?私の命ではないの?」

「もちろん、お姉さまは死ぬの。私がきれいな姉さまを赤で染めてあげる。でもそれじゃカオスフィア様に怒られちゃうの。」

つまらないけど仕方ないもの、と口を尖らせてコバニティは言う。
どうやらカオスフィアに陶酔している訳ではなく、深層心理を上手く操作されて自ら従属しているようだ。
それならば解決策はいくらでもあると考え、ジュリーはそっとスタッフを持ち直す。

「怒られる…?何が必要なの。」

「そ・れ。おねえさま一人でここまで持ってきて。そしたら…これ、返してあげるよ。」

コバニティが指差す先にあるもの、それはジュリーがいつも身に付けている青い結晶のペンダント。
さして何かに使える訳でもない。ただ幼い頃のトラウマを少しでも軽くする為に付けている御守りの様な物だ。

「理解し難いわ。何故これを欲しがるの?」

「理由なんて知らないよ。ねえ、交換するの?しないの?しないなら…この人とお別れだけど。ねえどっち?」

「うあああああっ!!!」

笑顔で振り落とされた斧がアキルノアの傷を抉り、コバニティはどんどん赤に染まっていく。
その様子をジュリーは真剣な面持ちで見ていた。

「ジュリー…渡すな。」

「ちょっ、何言ってんのキムーア!?交換せんかったらアキルノアが!!」

「理由を知らない、と言う事はカオスフィアにとって重要なものである可能性が高いですね…」

「裏を返せば俺たちが手放してはならないものってことか。」

「……んー…。」

キムーア達が言うことにも一理ある。だがこのままでは本当にアキルノアが危ない。
サエは大して役に立ちそうもないペンダントなんだから、渡してしまえばいいんじゃないのか、そんな簡単な事ではないのかと考え続ける。

サエ達がそれぞれに考えを巡らせる中、ジュリーは目を閉じて息を整え小さく口を開いた。

「大丈夫、大丈夫よ。」

「ジュリー…」

「ありがとう。」

「…ま…だめ、で…」

「……。」

アキルノアがか細い声で制止する。
一瞬、この選択は正しいのかとジュリーの心が揺れる。
それでも、やらねばならない。

「さあさあ!早くちょうだい!」

一歩、また一歩とコバニティに近づく。
その度にアキルノアの血、コバニティの服や斧に付着した赤黒さ、独特の匂いがジュリーを圧倒する。
後退りしたくなるのを堪え、ジュリーは左手に力を入れる。

「手を、出しなさい。」

「ハイハイ。斧でこの人を真っ二つにしないか心配なの?」

コバニティは嘲笑いながら斧から手を放した。
大人しく従う所から相手の行動を先読みする事は苦手なようだと感じ取れる。

ジュリーは武器を捨てた瞬間を見逃さなかった。

「……っ!」

「えっ、

コバニティの魔石が、砕け散った。
ジュリーが左手に握り締めていたスタッフの尖端で突いたのだ。

「…っ……コバニティ…」

操る媒介が砕けたと同時に倒れこんだコバニティを抱き止め、地面に座り込む。
洗脳を解く為とはいえ、妹を攻撃してしまった。
コバニティの胸元には5センチ程の切り傷が出来、細く血が伝っていた。

「……さま…泣か、な…で…」

「…アキルノア……アキルノア、私…」

傷だらけのアキルノアが赤く染まった手を伸ばし、ジュリーの手に重ねて柔らかく微笑む。
ぼろぼろと溢れ落ちる涙を止めるなど、出来る訳がなかった。
傷ついた二人の傍に寄り添い、声を出さずに只々涙するジュリーの両肩に温かな手が優しく置かれる。
ハッとして振り返ると彼女らが居た。

「とにかく治癒しようや!私も出来る限り手伝う!」

回復魔法が苦手なのに懸命に二人の傷を癒そうと詠唱するサエ。

「カイザー!全体治癒魔法出来るか!」

てきぱきと手足の止血をしながら的確な指示をするキムーア。

「出来るが気休めだぞ。」

重傷のアキルノアの為に魔力を大量消費する全体治癒魔法を発動するカイザー。

「お願いします。ジュリー、歩けますか?」

コバニティの胸元を隠せるよう配慮し、ジュリーを気遣うナーナリア。

「……ありがとう…ありがとう皆。」

ジュリーは初めて、この人達に出逢えて本当に、本当に良かったと心の奥底から思ったのだった。


何とかアキルノアの止血に成功し、木陰になる世界樹の下に横たえた。
隣で木に寄りかかって眠るリホソルトは、まだ起きる気配がない。

「リホソルト、まだ起きないのか。」

「うん。」

「…相変わらず世界樹の老朽化は止まらない、か…」

「当たり前だ。そう簡単な作業ではない。
世界樹の調整は最長で丸一日かかると文献にも記されているからな。」

「一日ずっとやんの!?そんなん体壊すで!」

食事等の面ではサポート役のミューリットやセークリットが補う事で保たれるとカイザーは言うが、それにしても無防備だ。

「まあ確かに危険なんだが、これを見ろ。」

「なにこの銀色の膜?こんなんあったっけ?」

コバニティの魔石を砕いてから、リホソルトの身体を薄い銀色の膜が繭のように包み込んだと言う。

「恐らく神術です。私達は膜をすり抜けてリホソルトの体に触れますが…」

ナーナリアが落ちていた小枝でリホソルトの身体へ触れようとすると、膜と共に身体をもすり抜けてしまう。

「どういうことだ。
何故突然に術を使うんだ?そもそもリホソルトがかけたものなのか?」

「推測に過ぎないが、リホソルトの防衛本能から神術が突如発動したんだろう。
その効果は外敵から存在を認識されなくする事と僅かながらの結界。」

試しにカイザーが気を失っているコバニティの手をリホソルトの手に重ねようとするが、手をすり抜けて地面に着く。

「なるほどね…だから私達は触れるし認識出来るのね…」

「えーっと…つまり仲間には見えるけど、敵からは見えへんねんな!じゃあ安心やん!
アキルノアにもそんな魔法かけれたらええねんけどなあ〜。」

「神術は特別なものだ。そう簡単に真似は出来ん。」

「見えないとはいえ、私達の行動で存在を知られる可能性があるわ。また襲われたら大変だし…どうにかしないと…っ、」

ジュリーが立ち上がろうとすると、視界がぐるりと回るような目眩に襲われる。

「ジュリー!大丈夫?」

「無理をするな。心配せずとも俺が結界をかけておく。」

ジュリーに代わりカイザーがリホソルトとアキルノアに結界を重ねがけしていく。

「ジュリーほんまに大丈夫?」

「…ええ。変化魔法を使うといつもこうなの。」

「変化魔法?」

「スタッフを大鎌に変化させる魔法の事。あれは私の血と大量の魔力を消費するから、あまり使えないのよ。」

そういえば、ジュリーと初めて会った時も鎌を出して疲労していたとサエは思い返す。

「成る程。だから助けた時に鎌を持っていたのですね。」

「血を必要とする魔法は疲労から始まり、貧血や心臓発作を引き起こし高確率で死に至る。
今後は何があっても使わない方が良いぞ。」

「そうね…気を付けるわ。」

「今すぐには難しいが…材料が揃い次第、薬を処方してやろう。」

コバニティの治療に当たりながらカイザーは怪我の状態を診て懐から小さな小瓶に入った薬を出す。
そこでふと、サエは思った。

「カイザーって、お医者さんなん?」

「は?」

「確かに治癒魔法や薬に関して詳しいが、本の虫の堅物だよな?」

「嫌な言い方をするな魔導書士だ。」

治療で忙しいというのに突然何を言い出すんだコイツらと言いたいのだろう。
カイザーは眉間や額に皺を寄せて苛立ちながらも治癒魔法をかける。

「で、お医者さんなん?本の虫なん?それより魔導書士って何すんの?」

「だあああ!!やかましい!!
いいか、一度しか言わんからよく聞けこの阿呆ども!
俺は魔導書士であり医者ではない!医学に通じているのは魔導書士が多岐に渡る分野の書物を暗記しなければ魔導書に精通出来ないからだ!
つまり!魔導書士とは様々な知識を完全に理解し何百何千とある魔導書を管理する魔法文献史料学研究機関の研究員の事だ!分かったか!!」

「長い。煩い。だるい。」

キムーアが指で耳栓をして至極興味無さげに淡々と言えば、治療を手伝っていたナーナリアが間髪入れずに口を開く。

「ミナルディ様!真実でも口にしては失礼ですよ!」

「ジュリー、カイザーが意味分からんねん。」

このサエの一言がただでさえ短いカイザーの堪忍袋の緒をざっくり切ってしまった。

「貴様らぁあああああ!!!!」

「あらあら、煩いわよ眼鏡。さっさとコバニティの治療に戻りなさい。私の妹に何かあったら眼鏡を顔に縫い付けるわよ。」

こめかみに血管が浮くほど怒っていたカイザーだが、ジュリーの言葉でサッと血の気が引いていく。
いやこれ自分が悪いのか違うだろうしかしでも、と早口でぶつぶつ一人言を呟き結論に至った言葉はこれだった。

「…ナーナリア包帯取ってくれないか。」

「ご自分で取って下さい。」

「おま「ナーナリアに不満でもあるのか陰険堅物ちび眼鏡。」

結局、ナーナリアの補助を少しばかり受けながらカイザーは無言でコバニティの治癒に集中した。

暫くして、コバニティの治療が終わった。
操られていたからだろう、身体の限界に気付かず戦い続けていたらしく、傷の数はとても多かった。

「あの、コバニティさんはどちらに運びましょうか。」

「洗脳が解けたという確信はない。向こうの木陰に運んでおけ。斧はこちらで管理する。」

「……そう、ね…」

「御意。」

本当に洗脳が解けたのか不明な状態のコバニティをアキルノアに近付ける訳にはいかず、少し離れた場所にナーナリアが彼女を運ぶ事になった。

コバニティを抱き抱えて木の側に降ろすナーナリアの背を、ジュリーはじっと見詰めていた。

「ジュリー。大丈夫やって!大丈夫。
そりゃあ目が覚めたらビックリするとは思うけど…そこはほら、カバー出来る!」

「サエ…ふふっ、ありがとう。」

まだ笑顔は引き吊っているが、ジュリーの心がほんの少しでも休まればと思いつつ、サエは笑顔を返した。

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あきゅろす。
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