Sae's Bible
予兆
「え、誰?」
「阿呆!この方こそ教皇様だ!」
サエのすっとんきょうな声に、カイザーが即座に怒鳴りつける。
カリカリしたカイザーとは反対に、白と赤の法衣を身に纏った白髪の老人は、
穏やかな眼差しでサエ達に微笑み軽く会釈した。
「あ、そうなん?私サエ〜!潜入に来てん!」
「リホソルトだよ。よろしく。」
「可愛らしいお嬢さん方、私はマウロ・ヴォルタ。よろしくのぅ。」
「よろしくない!潜入しに来ましたじゃないだろうが!」
「ホッホッホ。カイザー君、潜入ならとうに知っておりますじゃ。シスターに扮していた御三方も私の書斎にお通ししているよ。」
船で別れた三人はシスターとして町の教会を調査していたらしい。
その調査中、ちょっとやり過ぎた神父様が警備隊に見つかった所に、
運悪くマウロ教皇が通り掛かり、笑顔の黒いシスターに助けるよう精神的脅迫を受けてしまった。
大きな荷物を持ったシスターらしからぬ女性にペコペコ謝られたよと、マウロ教皇は笑い飛ばしながら語った。
「ええなあシスター!ジュリー達ええなあ〜!」
「やかましい!ゴホン…で?説明してくれるんですよね?教皇様。」
「まあ取り合えず君たちも着替えていらっしゃい。姫君達が書斎でお待ちかねですぞ。」
それぞれ別室で着替えを済ませたサエ達は、マウロ教皇に連れられて書斎へと歩みを進める。
先刻までこそこそと潜入をしていたのが、まるで嘘のように廊下を堂々と歩き、数ある珍しい品をマウロ教皇に説明して貰うという特別待遇を受けていた。
マウロ教皇の後に続いて書斎へと向かう中、サエは首をかしげていた。
「姫君…たち?あれ?ジュリーだけやなかったっけ。」
「阿呆!キムーアの事だ!」
「キムーア、かっこいいから忘れてたんだよね…?」
「そうやねん!王族って感じ無いやん?ハンターとか山賊っぽい!」
「ほう…?ハンターはともかく賊は許しがたいな。」
お喋りに集中していたサエは、書斎の扉が開かれていた事に微塵も気づいていなかった。
よくよく周りを見れば体は書斎に入り込んでいて、ハンターっぽい姫君がいつの間にか目の前に立っていた。
ハッとして逃げようとした時には既に遅く、サエのアホ毛があっさり捕まる。
「あだだだだ!キムーア痛いー!!」
「お止め下さいミナルディ様!それ以上引っ張るとちぎれてしまいます!」
ナーナリアに注意されたキムーアはサエのアホ毛からパッと手を離し、つまらなさそうにそっぽを向く。
「あらリホソルト、そちらは大丈夫だったかしら?」
「うん。いつもどおりだよ。そういえばね…」
ジュリーに話しかけられたリホソルトは嬉々として、あんなものを見た聞いたと報告する。その姿は面白いものを見つけた子供と優しく見守る母のよう。
「ええい静かにしろ!教皇様、収集がつかなくなる前に早急に説明を!」
段々と擦れ始める話題と女子のお喋り好きに苛立つカイザーが声を荒げた。
突然の大声にサエ達は一瞬ピタリと口をつぐむものの、ひそひそと会話を続けた。
「相変わらずじゃのうカイザー君。しかし時間が無いのは事実、簡潔に答えようかの。」
「あれ?そういやカイザーとマウロさんは知り合いなん?」
「それは今関係無いだろうが!」
「関係あるわよ。私達は名目上『仲間』でしょう?」
カイザーはジュリーの言葉に眉根を寄せ、目を伏せる。
その様子を見ていたマウロ教皇が困ったように微笑み、口を開いた。
「カイザー君と私は職員と常連客の間柄さね。私は本が好きでしてねえ、よくカイザー君が働いていた図書館を利用していたのじゃよ。」
「仮にも教皇である方が貸出し期間を破っても良いのでしょうか。そのような方こそ約束事は守るべきだと思うのですが。
ああ!貴方は常識の無い方でしたね失礼しましたマウロ教皇様。」
張り付けたような笑顔で憎たらしい嫌味をすらすらと言ってのけるカイザーだが、マウロ教皇は痛くも痒くもない様子でサエ達に微笑みかける。
「さすが、いつにも増して饒舌ですな。カイザー君は王族の方々にもこのような調子で?」
「知るか、本人に聞け。それからこの話はもうどうでもいい、早く説明しろ。」
「ミナルディ様、口が悪いですよ!慎んで下さい。」
「お気遣いありがとうお嬢さん。
さて…事件が起きた直後の事ですじゃ。
デレク坊っちゃんから御内密の文を頂きましての。
坊っちゃまのお仲間6名が南に潜入する。見つけ次第彼らを国外へ逃がして欲しい、と。」
「あれ?デレクも知ってんの?」
マウロ教皇の口からデレクの名が出た瞬間、キムーアとジュリーは顔を見合わせた。
「我が教会は昔、ウィルドース家の後援を受けておりましての。
御忙しい御両親に代わって幾度か、坊っちゃんのお世話を致しましたのじゃ。」
「成る程。しかし貴殿に私共を助ける義理はあるまい。
向こうに引き渡すつもりでは無いのか?」
キムーアは突き放すような言い方でマウロ教皇に問う。
その物言いにサエは憤りを感じたが、ナーナリアにそっと肩を捕まれ、開きかけた口を閉じる他なかった。
「あなた方が疑うのも無理は無い。
ですがのう、私がウィルドース家を…坊っちゃんを裏切る等、到底有り得ぬのじゃ。
さあ、こうしてはおられませんぞ。
早々にこの国を出なくては。
何やらレニセロウスが不穏な動きをしておるでのう。」
「レニセロウスが…!?」
「左様。教会を襲った者どもはレニセロウスへ向かったのじゃ。」
「……そう、なのですね…」
思い詰めた様子のジュリーをサエは放って置けず、彼女の小さな手をぎゅっと握った。
その時、町の方から無数の銃声と人々の悲鳴が大聖堂にまで響いた。
「何!?今の音!?」
「もしや奴らが?」
「…っ!魔物です!無数の魔物が町に!」
書斎の窓から慎重に覗き見れば、森にしか生息しない魔物達が狂ったように町中を暴れ、人々を襲っている。
武器や魔法で対抗しているようだが、はっきり言って劣勢だ。
魔物の数が多すぎる為、既に人の血肉を貪る獣の姿も見える。
「…君たちは早くここから出なされ。地下階段を降りて真っ直ぐ行けば国から出られるでな。」
マウロ教皇が壁にかかった絵画をぐるんと反転させ、何やら一言唱える。
たちまちに絵画は壁と共に左右に分かれ、地下へと続く階段が現れた。
「しかし教皇!」
「私が、守らねばならんのだよ。向こうは任せたよカイザー君。」
マウロ教皇は杖を携え、振り向くことなく書斎から出ていった。
「…くそっ!!」
マウロ教皇が出ていった扉や外の悲惨な光景を見渡し、カイザーは悔しそうに唇を噛んだ。
「ぼんやりするな!急げ!」
「せやでカイザー!マウロさんの為にも頑張ろ!」
「分かっている…!」
カイザーは苛立ちながらも、先に脱出したサエ達を追いかけて階段を駆け降りた。
教皇に言われた通り、真っ直ぐ続く道を進む。
「なあなあ、デレクとレオはどうするん?」
「目的は同じだ。後から来るだろう。」
早口でそう告げるカイザーはどこか辛そうに眉間に皺を寄せていた。
サエは具合でも悪いのかと聞こうとしたが、またしてもナーナリアの静かな制止が入った。
「それにしても、何故魔物が?」
「……うっ…」
話の途中で頭を押さえ、ふらついてしまったリホソルトの体をサエは受け止める。
「どうしたん?頭痛いん?」
「ん、大丈夫…ありがとう。」
「おい。出口みたいだぞ。」
重たい鉄の扉を開くと、鬱蒼とした木々が目に飛び込んできた。
扉を隠すように生える草木を掻き分けて少し開けた場所に出れば、ジュリーがこなれた様子で森を見渡した。
「ここは第二の石碑を抜けた辺りね。」
「第二のせきひ?なんなんそれ〜?」
「国の者だけが知っている目印みたいなものよ。森はとても広いから、正解の石碑が3つあるの。」
「正解の、という事は不正解があるんだな。」
防壁の代わりみたいなものなのよと、ジュリーは苦笑いする。
その表情から察するに、恐らくカーバンクルを危惧して作られたのだろう。
「レニセロウス国へはまだかかりますか?」
「全力で走ってくれれば半日で着くわよ?」
「いや、それは流石に辛いだろう。潜入やらで神経を使っているしな。」
「仕方ありません。途中で野宿しましょう。」
「野宿やって!野宿!」
「アホ。」
「いだっ!」
野宿という言葉に目を輝かせるサエの頭をキムーアは平手で叩く。
「ジュリーは、アキルノアのように風を使えないのですか?」
「使えるけれど、ここでは無理ね。石碑が目視出来る場所まで行かないと。」
森に置かれた石碑にはエルフの魔法を感知して魔法を発動させる機能があるけれど、
石碑のある場所まで行かなくてはならないから不便なのよねと、
ジュリーは溜め息混じりに続ける。
「移動魔法が使えればと思ったのですが…。」
「今は魔力を温存すべきだろう。恐らく…いや、必ず国で戦闘になるからな。」
まだ距離があるせいか、はっきりとは確認出来ないが、レニセロウスの方から何かが崩れるような音が微かに聞こえてくる。
「ああ、そうそう!私から離れると貴女達は国の防衛魔法で迷い続けてしまうから気をつけて頂戴ね?特にサエ。」
「名指しされた!なんで〜!?」
「まあ、9割方有り得るからだろう。」
「あれ?誰かこっちに来んで!」
薄暗い森の中、何者かが一直線に此方へと向かって来ている。
サエ達は何かあった時のために身構え、目を凝らす。
するとリホソルトが目を見開き、言葉にならない声と共に震える手で指差した。
「あ…あ……っ!!」
「リホソルト…?」
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