Sae's Bible
走る風と船
翌朝、サエ達は応接間でパスポート取得の為の書類処理に取り掛かっていた。
「……。うん、記入漏れも無いね。じゃあこれで完了!お疲れ様。」
デレクが書類の記入欄を細かくチェックし、封筒に入れて印を押した。
「ふぁああ!終わった〜!」
「ああ、頭が痛い…」
「ナーナリア大丈夫?ごめん…私が人の文字を知らないから…」
「いえいえ、お気になさらないで下さい。」
見た目こそ人のようだがリホソルトは眠りの神。
今まで一度も人の世界を知らなかった彼女には書類で書くべき当たり前の事が無い上に、現世での文字すら知らない。
その為、ナーナリアが代わりに書面で矛盾が無いように情報操作を行ったのだ。
「それじゃあアキルノアさん、頼んだよ。」
「まっかせなさぁ〜い!!」
アキルノアはデレクから封筒を受け取ると懐にしまう。
「アキルノア、気をつけて行くのよ。道草してはだめよ。」
「ジュリーちゃんはアキルノアのお姉さんみたいだな!」
「どちらかといえば母親だろう。」
先にレニセロウスへ向かうアキルノアを見送るべく、サエ達は屋敷の玄関口へ集まる。
「アキルノアまた後でな!」
「アポニテ、私と合流するまでちゃんと姫様を守れよ!!」
そう言い放ったアキルノアが珍しく真剣な表情で何やら呪文のような詩を唱えると、彼女の足は緑色に輝く風を纏う。
トンッと軽く踏み出した足から玄関扉を凄まじい突風が駆け抜けた。
暫くサエ達は飛び出して行った風の音に聞こえなくなるまで耳を澄ました。
「…行ったか。さて、私達も発たなくては。どうやって行くんだ?」
「船の予約をしてあるから、それでヴァイスベローへ行くよ。ちょっと遠いから船で半日かかるけど。」
デレクは乗船チケットを懐から取り出し、ヒラヒラとさせる。
「船!?楽しみ〜!!海めっちゃ綺麗やんなあ〜!」
サエは船を絵本で知ってはいたが、乗った事は無い。
先に見た海といい、まだまだ自分の知らないキラキラが世界にはあると改めて実感した。
「ジュリー、ふねって何?どんなもの?」
「そうねえ…実際に見た方が理解しやすいだろうから、船内で説明してあげるわね。」
「…ありがとう。」
優しく引き受けてくれたジュリーの手をリホソルトは両の手で包み、微笑んだ。
その姿にジュリーも思わず頬を緩める。
「そろそろ出ようか、荷造りは大丈夫かな?」
「俺は嫁がいれば大丈夫だ!!」
「大丈夫じゃねぇよ、この馬鹿が。ちったぁ黙れや筋肉馬鹿が。」
相変わらずなレオとキムーアの漫才をよそにデレクは屋敷の者達と話をしている。
おそらく今までの諸事情や今後、屋敷の管理について話しているのだろう。
「ミナルディ様の言葉遣いが前にも増して悪く…私の力不足ですね…。」
「元からやからしゃあないで、ナーナリア〜。」
「だああああ!!喋っていないで動かないか!船の予約時間に遅れるだろう!!!」
ついにカイザーがキレてしまったので、皆仕方なくのらりくらりと動き出す。
「ぴりぴりすんなってカイザー〜。いーじゃん!予約してんのデレクだしよ〜!」
「あはは、人事みたいに言わないで欲しいなあ。
これで予約に間に合わなかったら皆が困るし、アキルノア君と合流出来ないだろう?」
とても優しげな微笑みで柔らかにゆったりと話すデレクを見て、カイザーが凍り付いた。
「デ…デレク、そう怒るな。おい!!早く船着き場へ行くぞ!」
「あれ怒ってんのか?」
「めっちゃ優しー笑顔やねんけどなあ〜。」
「…ウィルドースさんにはジュリーと似たような気配がします。」
ナーナリアがぼそりと呟いた言葉はジュリーの耳にしっかり入っていた。
「あら、それはどういう意味かしらナーナリア。」
「お気になさらず。」
ジュリーの微笑みを避け、ナーナリアは足を進める。後ろから冷たい気配がしているのは気のせいだ。
そして一行は一部のどす黒い微笑みに寒気を感じながらも、ポートレイムの船着き場へと向かったのであった。
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