向日葵の君 優しい人3 真選組屯所に茜がやって来て、もうじき一ヶ月。 茜は屯所内を動き回るうちに、土方の足跡が何となくわかるようになってきていた。 煙草の匂いが強く残っているのは、さっきまでそこに土方がいた跡。 襖の隙間から煙が漂ってくるのは、大抵その部屋に土方がいる印。 彼の気配がする襖を開ける時は、いつもほんの少し緊張してしまう。 それは決して彼が怖いからではなく、むしろ顔が見られるだけで嬉しいからだった。 他の隊士達といる時の土方は、気軽に声をかけてくれる隊士達をよそに、素知らぬ顔で煙草を吹かし横目でチラリとこちらを見るだけ。 けれど一人でいる時は、いつも茜に何か用を頼んでいく。 今も頼まれたお茶を届けに行くと、筆を取っていた土方は手を止め話しかけてくれた。 「足首はだいぶ良くなったみたいだな」 「はい。お蔭さまで痛みもなくなりました」 捻って痛めていた足はここ数日ですっかり良くなり、引きずって歩くこともなくなってきた。 「そうか。良かったな」 「はい……」 怪我が治れば行き先を決めなければならない。 けれども未だにはっきりと答えは見つかっていなかった。 「あれから考えてみたか?」 「はい。よく考えてみて……ここに置いていただけるなら、そんな幸せなことはないなって思います」「そうか」 土方の目元が一瞬だけ緩む。 「ただ……中には快く思わない方もいらっしゃるんじゃないかって、それだけが不安なんです」 土方の好意で助けてもらっただけの自分が、本当に此処にいてもいいのか。 何かあれば土方の立場が悪くなるんじゃないか。 茜が一番悩む理由はそれだ。 「関係ねェだろ。単に俺は仕事を世話してやるだけだからな」 土方は煙草を灰皿に押し付けながら、事もなげに言う。 「土方さんの迷惑になりませんか?」 「迷惑になるなら最初から相手にしねェよ」 土方はちらっとだけ茜を見て、少し面倒そうな声を出した。 だけど口元は微かに綻び、手は所在無さげにライターを玩び出す。 恥ずかしがり屋の少年のような土方の仕草に、こっちまで照れくさくなった茜は、次の言葉が思い浮かばず話を変えた。 「あの、お茶のおかわりは?」 「ああ、もういい」 「わかりました。じゃあこれ片付けますね」 笑顔を作り、湯飲みに伸ばした腕に、突然土方の腕が伸びてきた。 「な、なんですかっ!?」 驚いた茜の声が裏返る。 「危険な目に合わせたくねェんだよ」 「え……?」 「此処にいれば安心だろ? 俺の目も届く」 「……」 思いがけない言葉に土方を見ると、真っ直ぐな瞳と視線がぶつかった。 勘違いするなと言うのが無理と思えるような言葉だが、土方の表情からは言葉以上の意味を感じ取ることはできない。 縁あって出会った自分のことを、心から心配してくれている。 それだけは、はっきりと伝わった。 ただの子供扱い。そうとしか思えない。 「あの、手……痛いです」 触れられた手首から身体中が熱くなって苦しい茜は、本当は痛くないのに嘘をついた。 「ああ……悪かった」 戸惑う茜に慌てて手首を離した土方は、煙草を取り出すとさっきから手の平の中に握らているライターで素早く火をつけた。 その一連の動作を茜が黙って見つめていると、土方はフーッと煙を吐き出すと同時に何故か小さく鼻で笑った。 「どうかしましたか?」 「いや、何もない。悪い」 なに必死になってんだ、俺は。 土方は途切れた口調で何故だか謝り、灰皿に灰を落とす。 思い出し笑いのような、自嘲じみたような、心当たりのない土方の笑いに茜はその真意を探りたくなるが、思い直した。 土方の言葉だけでなく表情や仕草までを意識し始めたら、もうこれまでのように話せなくなってしまうだろう。 そしてこの時初めて、此処にいたいのだと、土方の近くにいたいのだと自覚した。 「土方さん」 「ん?」 「私を此処で働かせてください。しっかり働きますから」 「本当か!?」 驚いた土方は自分で吐き出した煙に小さく咽せて咳込み、その様子に茜は思わず吹き出しかける。 「よろしくお願いします」 「ああ。俺から話通してやるから、まぁ頑張れ。お前なら大丈夫だろ」 「はい。色々と良くしてくださって、本当にありがとうございます。」 もう普段通りの調子に戻り、少し素っ気なく話す土方に笑顔で頭を下げ部屋を後にした茜は、廊下に出るなりひとつ息をついた。 悲しいこと、苦しいこと、辛いこと。 それらをやり過ごすために作り笑いばかりしていたけど、これからは気持ちを隠すために笑顔を作ろう。 少しでも長く彼の近くにいられるように。 [*前へ] [戻る] |