向日葵の君
優しい人1
「あっ土方さん。お疲れ様です」
夜、自室へ向かい廊下を歩いていた土方は、風呂敷袋を抱えた茜と偶然鉢合わせた。
「今朝はありがとうございました」
「ああ」
素っ気ない返事に茜の笑顔が萎んだ気がして、土方は少し胸が痛む。
茜を前にするといつもこうだ。
別に気を使ってるつもりはないのに、その表情を曇らせてはいないかと、やけに敏感になっている自分がいる。
「怪我はどうだ?」
少し会話を広げてみようかと思った土方は、珍しく自ら切り出してみた。
「お蔭さまでもうほとんど治ってます。もう大丈夫なんで、そろそろ此処を出ていかないとって考えていたところなんです」
そう言って茜は笑ってみせるが、剥がれた爪はすぐには戻らない。
確かに最初、ここにいるのは怪我が治るまでと言ったのは自分だ。
だが、何もかも失くしてしまった茜が今の状態で出ていこうとするからには、何かあてでもあるのだろうかと、土方は不思議に思う。
「治ったら行くところあんのか?」
「ないです」
茜は肩を竦め笑った。
「なら、どうするつもりなんだ?」
「……」
今度は首を傾げ困った顔で笑う。
何なんだ? この女
まだ引きずって歩いている足を大丈夫だと笑い、行くあてはないと笑う。
出会ってからずっと、いつ見ても作り笑いばかり。
眉を顰めた土方は茜を眺め、長く煙を吐き出した。
そもそも足を怪我したのだって、随分と酷い目にあった結果なのだ。
毎夜うなされ精神的なショックだってあるはずなのに、表向きでは常に明るい笑顔を浮かべている。
まだ若いのに作り笑いが板についてしまったのか、そう思うと茜が哀れに思えた。
とはいえ、気の利いた言葉など何も思いつきはしないのだが。
「今から風呂か?」
「はい」
「風呂の後でいいから、部屋にお茶持ってきてくんねーか?」
「わかりました。後で行きますね」
「ああ。二人分頼む」
少しだけ茜に興味を持った土方は、立ち話なんかではなく少しゆっくりと話がしたくなった。
自分が連れて来たのだ。
帰る場所もない娘を無責任に放り出すわけにはいかない。
一応言い訳を用意して、ひどく遠回しに部屋に呼んだ。
自室に女を呼び入れる意味など、全く深く考えもせずに。
* * *
しばらく待っていると、廊下を歩く足音がこちらに近付いてきた。
足音は土方の部屋の前でピタリと止まる。
「土方さん。お茶をお持ちしました」
「ああ、入れ」
襖が開き、盆を手にした茜が姿を見せた。
「どちらに置きましょう?」
「ここでいい」
土方は目の前のテーブルを指差した。
歩み寄る茜の裾から覗く足に、まだ痛々しい傷が見える。
風呂から上がってすぐに来てくれたのだろう。
怪我の手当てはまだのようだった。
「では、失礼します」
お茶を並べ終えた茜は、盆を手に取り頭を下げた。
「いや…、お前に話がある。そこ座れよ」
何やら重苦しい言い方に茜が恐る恐る顔を上げると、土方は片方のお茶を茜に薦めてきた。
戸惑う茜を前に土方は煙草に火をつける。
土方の言葉を待つ茜は、不安げな表情で土方の様子を窺っていた。
「まだ足痛んでるんだろ?」
煙を吐き出した土方は、未だ軽く引きずって歩く足の経過を改めて問い質した。
きっと笑って、「大丈夫」と答えるのだろうと予想しつつ。
「もうほとんど大丈夫です」
「大丈夫って歩き方じゃねーだろ。それにそんなすぐに治るような怪我じゃねェよ」
ほら、きた! と、予想通りの答えに少し食い下がってやると、茜は困ったように俯いた。
「何も責めてるわけじゃねェよ。ただ、あても何もないなら怪我も治りきらないうちに出ていくこともねーだろって言ってんだ」
話しながら土方は部屋の隅に置いてある木箱を取りに立ち上がった。
木箱を手に戻ると、茜の横に腰を下ろした。
「まだ消毒も済んでないんだろ? 少し見させてもらっていいか?」
「え?」
「見せてみろ」
木箱から傷薬や包帯を取り出し、茜の足に無遠慮に触れる。
「ちゃんと消毒しとかねーとまともな爪が生えなくなる。足首だってしっかり治さねーと後に響くんだ」
「いや、いいです!自分でやりますから」
足に触れられるのが申し訳なくて茜は拒否するが、土方は強引に手当てを始めた。
「俺達の方がこういうのは慣れてるからな。遠慮すんなよ」
滲みる痛みをこらえながら茜は、くわえ煙草で手早く薬をつけていく土方の顔をそっと見つめてみる。
屯所内を制服姿で闊歩する姿は、副長というだけあって一見怖そうに見えるが、少なくとも茜の中の土方はとても優しい。
初めて会った時から、とても優しい人だと思っていた。
土方は邪魔になった煙草を灰皿に捨て、両手で包帯を巻き始めた。
器用に包帯を巻いていくその手つきをぼーっと眺めていると、不意に土方が口を開いた。
「此処は居づらいか?」
「そんなことはないです! 本当によくしていただいて、いくら感謝しても足りないくらいで……」
茜は首を振り勢いよく否定する。
「じゃあ、何でさっさと出て行こうとすんだよ?」
土方は一旦手を止め茜を見た。
「それは……。私も心苦しいんです。こんなによくしてもらう義理もないですし。皆さんの迷惑になりたくありませんから」
そう言って茜はまた笑う。
「助けた時から思ってたが…そうやっていつも笑う癖がついてるんだな」
「……」
「終わったぞ」
茜の顔を見ると、お決まりの笑顔は消えていた。
「ありがとうございます」
土方の言葉のせいで笑うことができない茜は、困った様子で複雑な表情を浮かべている。
余計なことを言ってしまったか。
後悔した土方は気まずさを紛らわせるために、また新たに煙草に手を出した。
ほんの少し気まずい沈黙が続く中、
「いけないですか?」
茜がぽつり口を開いた。
「癖がついてる……。そうかもしれないですね。ずっとそうやって生きてきたんです」
「……」
小さく笑いながら、けれどはっきりとした口調で話す茜の真っ直ぐな瞳を、土方は黙って見つめ返した。
なんで余計なことを言ってしまったのか、心の中は後悔でいっぱいだ。
「まぁ、お前が辛くねぇなら別に誰も困る話じゃねェよな」
独り言のように呟きながら、一体何が言いたいか自分でもよくわからない。
別に笑う癖がついたから悪いってわけでもねぇ。
俺に不機嫌面が定着しているようなもんだ。
そうだ。誰も困らねぇ。
ただ俺が……作り笑いを見るのがしんどいだけなのだ。
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