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放課後の音楽室
恋はあせらず1

 「なぁ」

長い信号に引っ掛かったタイミングで、銀八が口を開いた。

 「何?」
 「次の週末さ、お祝いしようぜ」
 「お祝い? 何の?」
 「こないだ俺言っただろーが。内定祝いだよ」

あの時は断られたが。

銀八はそっと思い返す。

 「お祝いって何してくれるの?」
 「何がいい?」
 「先生がいてくれたらいいよ」
 「そんなんでいいなら俺が心込めて祝ってやるけど」
 「どうやって心込めるの?」
 「どうやってって……形のねェもんだからね? ひたすら真心を込めるんだよ」


信号が変わり直線の道が続く。
この時間だから、もう信号にもかからないだろう。

 「もうすぐ着くね」
 「ああ。わかるか?」
 「うん」

表通りから一本中に入り右へ、左へと細い道を過ぎると到着だ。

 「着いたぞ」
 「うん。今日はありがとう」

夏の夜のような展開も予想はしていた銀八は、桜のあっさりとした様子に内心ホッとしていたけれど。

 「じゃあまたね」

オイオイ、それはまたあっさりしすぎじゃねェの?

 「桜」

車を降りようとする桜の肩を掴み、振り向いたところを抱き寄せる。

 「忘れ物」

別れ際のキス。

ちょっとキザだったか。
こりゃ俺が女だったらヤベェかもなんて調子いいこと考えながら唇を離すと、桜がシャツを引っ張る感覚。

 「何?」
「……」
 「オイ、桜?」

黙ったまま見つめる桜の瞳の意味なんて、どう考えても一つだろう。
シャツを掴む桜の両手首を掴んで下ろした銀八は、小さく溜息をついた。

 「ったく最近の高校生ときたらよォ。焦りすぎなんだよ」

呆れたような銀八の声に、桜の表情が固くなった。

 「そんなんじゃない」
 「じゃあ何だ?」
 「……」

俯き黙ってしまう桜を傷付けてしまわないように。
そう思うほどに、国語教師のくせして気の利いた言葉が全く浮かんでこない。

 「俺は逃げねェっつったろ!? どこにも行きゃしねェよ。な? わかってくれよ」
 「うん…。ごめんなさい」

泣き出しそうな声で車を降りて行く桜を見送り、銀八はもう一度溜息をつく。


焦らなくても、まだ俺達始まったばかりだろ。


 * * *


家に戻った桜は、真っ直ぐにベッドに飛び込んだ。

先生怒ったかな…?
夢みたいに幸せだったのに、最後の最後にやっちゃったなぁと後悔する。

 「焦りすぎ、か」

別に焦ってるつもりはなかった。
もっと先生といたい、もっと先生に触れたい、知りたい。
ただ、それだけだった。

 「やっぱ先生は大人だなぁ…」

ベッドの上で寝返りを打ち、目を閉じる。

銀八の言葉、匂いや温もり。
銀八の全部を思い返してみる。
どれもせつなくなるほど暖かい。

そのままうとうとしてしまった桜は、携帯の音で目を覚ました。
手に取ってみると、銀八からの初めてのメールだった。

 『金曜日楽しみにしてろ。連絡する。おやすみ』

幸せな時間がいつまで続くかなんて誰も知らない。
ある日突然失ってしまうこともないとは限らない。
桜はそれをよく知っている。

そっか。
明日も幸せが続くようにと祈る気持ち、失いたくないものがあること。
それが幸せなんだ。


 * * *


 「ただいまァっと」

真っ暗な部屋に声をかけ、脱いだジャケットを放り出す。
真っ先にソファーに座った銀八は、大きく伸びをしてから身体を沈めた。
この年になって久しぶりに緊張した夜だったと振り返る。

おかしな別れ方になってしまって、桜が落ち込んでなけりゃいいが。

銀八は脱ぎ捨てたジャケットのポケットから携帯を取り出し、手短に苦手なメールを打ってみた。
くだらないメールのやり取りは勘弁だが、案外便利なツールかもしれないと、改めて携帯を見直す。
フォローは早いうちの方がいいだろう。

送信ボタンを押し、ふーっと溜息をついた。

 「ガキのくせに慣れてやがったな……」

テーブルの上の煙草に手を伸ばしながら、ふと考える。

大人しく、どこか他人と一線引いたような印象があった桜だから、彼氏なんていなかっただろうと勝手に思い込んでいたが。
少なくともキスの経験はあるようだった。

今時の高三の何%が経験済みだったっけなと、教育なんちゃらのアンケート結果を思い出そうとする。
小さいことを気にしている自分がイヤになるが、男だから気にするところかもしれない。

煙を吐き出し、吸い殻が山盛りの灰皿に灰を落とした。

桜にとって俺はまだ、明日にはなかったことに変わりそうな存在なんだろうか?

笑いながら聞いてきた桜のことが、せつなく思い出される。
焦る必要はないけれど、絶対的な桜の安心になれたらいいと、そう願う。

明日も早い。ぼやぼやすんのは後だと煙草を消した銀八は、明日の支度と寝る準備に取りかかった。

しばらくして風呂から上がると、テーブルの上で携帯のランプが光っていた。
手に取ると、桜からの始めてのメールだった。

 『今日はごちそうさまです。金曜楽しみに待ってるね。おやすみなさい』

俺の文章そのまんまじゃねーか!

思わず突っ込んでしまうほどシンプルな文。
だけど、それが桜らしくて愛しかった。

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あきゅろす。
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