放課後の音楽室
消せない言葉
返してもらった封筒を大事そうに鞄にしまう姿を見守っていた銀八は、また立ち上がり窓際へ移動した。
少しでも私と距離を取ろうとしている。
西日が差しこむ窓の前で煙草に火をつける銀八のシルエットを見つめながら、桜はボンヤリと思った。
「どうした?」
「何でもない…」
以前とは全然違う。
銀八の何気ない声や仕草が、桜には自分を拒絶しているかのように思えてならない。
「タイは?」
「え?」
煙を吐き出した銀八が唐突に口にした言葉を咄嗟に聞き取れず、桜は聞き返した。
「タ、イ。制服のリボン」
「あ……」
思い当たった桜は苦笑いを浮かべた。
「ちゃんとつけてこいな」
夏服以外で着ける制服のリボンタイ。
校則違反には違いないが、別に厳しい学校でもないので着崩しは当たり前で、リボンやネクタイをつけていない生徒は大勢いる。
何故今更そんなことを言われるのかわからない桜は、少しふてくされた声で答えた。
「リボンなくしたから」
「んなこた知らねーよ」
聞いたことのないような冷たい声が即座に返ってきた。
「急に私に厳しくなったね」
「お前は態度悪くなったんじゃねーの? 今朝だってそうだろ」
「……」
朝のことで怒っているのだろうか。
思い当たった桜は少し気まずそうに俯く。
そんな様子を見ていた銀八は、煙を吐き出すと急に静かな口調で桜の名を呼んだ。
「桜」
「何ですか?」
わざと桜が丁寧な口調で返事していることは、銀八にもわかった。
「……これから先もさ、辛れェ時も寂しい時もあるだろうけどよ。少しは一人でも越えられるようになれよ」
「どういう意味ですか?」
「そういう意味だ」
「意味がわかんない」
曖昧な銀八の答えに桜は首を横に振る。
「…わかんねェのかよ…」
溜息をつきながら煙草を消した銀八は、桜の方へと数歩足を進めた。
薄暗い部屋の中、やっとはっきり見えた顔は冷たさを感じる程の無表情だった。
「寂しいから、辛いから誰かにいてほしいってさ…、男からすりゃ有り難い誘い文句でしかねェんだよ」
それは私が車の中で言った言葉のことだよね?
それ以上は頭が働かなかった。
銀八が少し苛立ったように口にした言葉を、ただ他人事のように受け止めただけ。
「ごめん…。言い過ぎた」
「もう帰っていいですか?」
「あ? ああ……」
言ってしまった言葉を後悔したところでもう遅い。
勢いよく資料室を出て行く桜を、銀八は黙って見送るしか仕方がなかった。
* * *
人気のなくなった校舎に階段を下りる桜の足音だけ響く。
「寂しいから、辛いから、誰かにいてほしいってさ……、男からすりゃ有り難い誘い文句でしかねェんだよ」
資料室を出た桜は、頭に残っている銀八の言葉を思い返していた。
誘い文句か。
そっか。先生はそんなふうに受け取ってたのか。
「なんか、もうどうでもいいや……」
桜は小さく呟き、あとは足音だけに集中して何も考えないようにした。
もう何も考えたくなかったから。
「あ……!」
校舎を出て薄暗い中をぼんやりと歩いていたので、駐輪場の小さな窪みに気付かず足が引っ掛かった。
危うく転げそうになるところを、数歩跳ねるように進んで何とかこらえて踏み止まる。
「あー、びっくりした……」
胸に手を当て立ち止まると、何だか可笑しくなって一人で笑いが込み上げてきた。
「ふッ……」
笑うことによって感情が動いたせいで、無理矢理抑えつけていた後悔やらせつなさが、胸の奥から一気に湧き出してくる。
吐きそうなほど苦しくて、涙で鼻の奥が痛い。
泣いちゃいけない。
何とかこらえなければ余計耐え切れなくなる。
頭の中、断片的に浮かんでくる銀八のことを繋ぎ合わせてしまわないように。
しばらく立ち止まって頭の中をからっぽにする。
辛い時何も考えずにやり過ごすのは、小さな頃に身につけた方法だった。
泣いても喚いても、両親は帰ってはこない。
それならば、泣いて苦しくなることもないのだと。
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