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放課後の音楽室
夏休み1

夏休みの資料室では全ての窓が開け放たれ、古い扇風機は軋んだ音を立てながら、右に左に首を振り回り続ける。
運動部の練習は夏の大会に向けて普段よりも熱が入っているようだ。
掛け声が四階にまで響き渡っていて、そのせいで暑さに輪がかかっているようだった。

 「暑っ……」

ここで朝から一人仕事している銀八は、蒸し暑さに顔を歪めた。
トレードマーク化している白衣もさすがに着ていられない。
空いてる椅子の背に白衣を掛け、ネクタイを大きく緩めてシャツの袖をまくりあげたついでに、腕時計に目をやった。
時計は11時半を少し過ぎたところ。
もうしばらくすれば人気のないはずのこのフロアに、軽やかな足音が近付いてくるだろう。
作業を続けながら意識をドアの方へ向けていると、予想通り軽やかな足音がだんだん近付いて扉の前で止まった。

 「入れよ」
 「先生!」

開いた扉から笑顔の桜が覗き込んだ。

 「よォ。お疲れさん」
 「やっと終わったー!!」

二週間の補習授業に出席していた桜は、最終日を終えて嬉しそうな声を上げながら資料室へ入ってきた。
資料室に備えられている小さな冷蔵庫に真っ直ぐ向かい、朝から預けておいたペットボトルを取り出すと、

 「冷えてる冷えてる」

嬉しそうにボトルを頬や首筋に当てながら、銀八の斜め前の椅子に座った。

 「なんかこの部屋涼しいね」
 「そうかぁ?」
 「うん」

座るなり水を飲みだした桜は、ペットボトルを口にしたまま頷いた。
夏休みに入ってから、補習を終えた桜がこの資料室にやってくるのが、いつのまにか日課になっていた。
冷蔵庫を貸してもらうという名目で資料室に寄り、毎日少しの時間だけ話をして帰って行く。
別にたいした話ではない。
学校やテレビ、本に漫画の話など、どれも世間話の範囲内だ。

だが色々と話はしても、一人暮らしを始めるまでのことはとても聞けそうになかった。
いや、多分今はまだ聞いても答えないだろう。
桜を見ている限り寂しくないわけがないと思うのだが、それでも前の暮らしに戻るよりはるかにマシなのだと言う。
その答えだけでも、桜の置かれていた境遇を知るには充分に思えた。

今ではクラスに普通に友達もいる桜。
高校生といえば両親を疎ましく思ったりもする年頃で、例え本音ではなくとも友達同士で家族の愚痴をこぼし合うような時もある。
そんな時に自分の事情が知られれば、きっと周りが気まずくなってしまうと気にしていた桜は、友達と深く付き合うことを避けていた。
事実そのようなことは過去に何度もあったそうだ。

一旦家に帰ってしまうと次の日までたった一人、誰とも話すことのない日。
一人暮らしを始めてから桜はずっと、そんな生活を送ってきた。
長期休暇中は丸一日誰とも口を利かない日が何日も続く。

側で相槌を打っているだけでも満足そうな桜。
きっと本当は話相手が欲しいのだろう。
そんな桜のために毎日朝から資料室に篭り、できる限り話相手になってきた銀八だったが、補習も今日で終わり明日からはしばらく学校に来る用事もなくなる。
残りの夏休みを一人で過ごす桜のことが、銀八は気掛かりでならなかった。

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