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旅立つもの
3

金銭的に余裕のない旅なので、二人は寝ることだけに特化した宿での一泊となった。
一日中あちこち歩き回って疲れた桜は、食事もそこそこに済ませ布団の中。
一方の銀時は部屋の内装に興味を示すくらいの元気はあるようで、あちこち見て回っている。

「どうだった? 疲れたか?」
「凄いね! 何が凄いって、もう凄いとしか言い様がないんだけど」

桜は興奮冷めやらない様子で、銀時の質問もまるで通じていない。

「いや、凄いしかわかんねーよ」
「それが伝われば充分だからいいの」

仰向けで寝ている桜は、天井に貼り付けられた鏡に向かって両腕を上げた。
鏡に映る自分に向かって手を差し出すように。

「刺激の塊みたい」
「お前には合ってるんじゃねーの?」
「そうかも」

にやりと笑う、いたずらっぽい瞳。
何となくその笑顔がいつもの桜とは違って見える。
何故だかくすぐったく感じた銀時は、自身の首筋に手をやって一息ついた。

まるで初対面の女といるような気分だ。
見るもの聞くもの感じるもの全てから刺激を受け、たった一日でも桜の心境に大きな変化があったっておかしくない。

何かきっかけさえあれば簡単に手から離れどこかへ行ってしまうような、不意にそんな不安が襲ってくる。
家という呪縛がなくなった今、桜が望めば何処だって行ける。
そんなこと昨日まで考えたこともなかったが。

「銀時、どうしたの?」

不思議そうな丸い目が向けられた。

「何もねーよ? 別に」
「寝ないの?」
「いや、寝るけど」
「私は眠れそうにないな。身体は疲れてるんだけど頭は冴えちゃってて」

そう言ってる割に眠たそうに目を瞬かせているのが可笑しくて、銀時は小さく笑う。

「身体は疲れてんだろ? だったら大人しく寝るこった。帰ってからが辛くなるぞ?」
「銀時も」

桜は少し甘えた声でそう言うと、隣の空いた枕をトントンと叩いた。
誘われるままに布団に潜り込み、当たり前のように唇を重ねながら、そういや今日初めてのキスだとぼんやりと思った。

江戸の町に着いてからというもの、一緒にいるにもかかわらず自分の存在が桜の中で小さくなったような気がしていた。
桜にとっては初めてのことばかりで、仕方がないとわかっているのに胸がざわつく。
ちょっとした焼き餅を妬いてしまうことはこれまでもたまにはあったが、こんな気持ちになるのは初めてだった。

いつの間にか一緒にいたいという気持ちが、一緒にいてやらなければならないに取って代わっていた。
桜が側にいるのは当然だと思っていた。
桜が俺から離れて生きていけるはずがないと驕っていたのだ。
思い違いもいいところだと、自分の甘さが腹立たしい。

物怖じしない桜は初めて出会ったたくさんの人と触れ合っていたし、家に戻ってからもまた人と触れ合い生きていくのだろう。
桜に置いて行かれる可能性だってゼロではないのだ。

こんなことを考えてしまうのも、桜の身体についての不安が軽くなったからか。
いや、それだけじゃない。
桜の表情が、仕草が、声が。
昨日までと違っているからだ。

「なんか…いつもと、違う」

耳元で囁かれ、思わず動きが止まった。

違うのはお前の方だろ?
言おうとして止めた。

「お前がさ、すげぇイイ女に見えるから。‥‥だからじゃね?」

柄じゃないようなことでも言わなきゃいけない時がある。
口説き落としたい女が目の前にいる、今がその時だろう。

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