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旅立つもの
1

「これでよし! と……」

二人分のおにぎりを用意し終えた桜は、一息ついてから後ろを振り返った。
狭い家なので、銀時が眠っている部屋と台所は一続き。
まだぐっすりと眠り続けている銀時の頭が、布団から覗いている。

固い床の上で不自由そうに眠っている姿をずっと見てきたから、布団に包まれ気持ちよさげに眠っている銀時を見ると、毎朝起こすのが申し訳なくてたまらなくなる。
これまでの疲れを存分に癒やしてほしいけれど、そろそろ起こさないと仕事に遅れてしまうかもしれない。
それに桜も家を出る時間が迫ってきているので、仕方なく銀時の枕元へ向かった。

「銀時、起きて! 遅れるよ」
「んー……? わかった……起きるから」

大きく肩を揺すっても寝言のような声が返ってくるだけ。
しょうがないなと肩を落として溜息をついた桜は、もう一度銀時を揺すり起こした。

「私、先に出るよ」

言った途端ぴくりと眉が動き、不意に伸びてきた手が腕を掴んできた。
さっきまで眠ってたとは思えないほどの強い力で。

「起こして」
「起きてんじゃん」
「手ェ貸してくれって」

そう言いながら、繋がった腕を強く引き寄せるのはきっと銀時の方に違いない。
これまでの数々の朝のパターンから、桜には簡単に予測がつく。
案の定桜は腕を引き寄せられ、バランスを崩して銀時の上に倒れ込んだ。
すかさず布団から伸びてきた両腕が桜をぎゅっと抱きしめる。

「早く起きてよ。お握り用意しておいたから」
「ありがとな。桜は何時頃帰って来んだ?」
「夕方までには。じゃあ私、時間ないからもう出るね」
「ああ。気をつけてな」

普通に出掛けの会話を交わしながら、銀時の手が桜の頬や首筋を優しく撫でる。
まるで猫の毛並みに触れるように。
優しく目を細めた銀時にそっと唇を重ねると、ようやく腕を離してくれた。

「行ってきます」

玄関の前で一度振り返ると、ちょうど伸びをしていた銀時が気付いて片手を振った。
これがやっと最近落ち着いた二人の日常的な朝の風景だ。


 * * *


朝が近付き、辺りはゆっくりと明るくなる。
山を下る誰もいないバス道を桜の案内でずっと歩いてきたが、風に吹かれるたびにふざけすぎて笑い疲れたせいか、次第に桜の口数は少なくなっていた。
自然と桜のペースに合わせ歩いていた銀時は、その速度をじれったく感じて初めて桜の疲れた横顔に気が付いた。

「ちょっと休むか」

足を止めて尋ねると、

「ううん、大丈夫」

桜は笑うが、肩が小さく上下している。
そのことに気が付いた銀時は、桜が気付かないほど微かに表情を歪めた。

歩き始めてまだ数時間しか経ってねェのに……。

小さな後悔が胸を引っ掻き、そんな自分が嫌になる。

「最初から無理することもねェだろ。休もうぜ」
「あと少しで駅に着くから、もう少し頑張って歩くよ。こんなとこで足止めたってしょうがないもん」
「しょうがないって、無理して身体壊してりゃそれこそ何にもなんねェぞ?」
「散々無理してきた銀時がよく言うよ」

今日に限って桜は全く折れず、実際はそんなつもりはないだろうが、意図を探るような目つきで見つめ返してくる。
あまり見つめられると隠し事のある自分の方が分が悪い気がした銀時は、桜に背中を向けた。

「あと少しなんだろ?  おぶってやるから」
「いいって」

体勢を低くして振り返ると、桜は少し戸惑ったような照れたような笑みを浮かべて、首を横に振った。

「ほら。早く来いって」

少し強引な口調で促すと、桜がそっと背中に近付いてくる。
遠慮がちに背中に触れてきた手を後ろ手で掴み、素直に委ねてきた身体を一気に持ち上げた。

「ごめんね。重たいでしょ? しんどくなったら すぐに降ろしてね」

体勢を立て直しながら想像以上に軽い身体に内心驚いていた銀時は、背中ごしから申し訳なさそうに話す桜の言葉があまりに的外れで、思わず乾いた笑いが漏れた。

「大丈夫だ。怪我した野郎担いで走り回ってたことを思えば何てこたねェよ」

自分で口にしたくせに戦地の絵が頭に甦り、一瞬足が止まりそうになる。

必死に励ましながら進んだ屍の山。
背中に感じていた戦友の重みは事切れた途端、何故だか急に軽く感じた。
背負っていたのはきっと、命の重みだったのだ。
今更そんなふうに思ったが、だとすれば桜の身体はあまりに頼りなくて不安になる。

「お前はもっと肉つけろ」
「やだ」
「無駄な肉のことじゃねェよ。必要な肉のことを言ってんだ。俺の背中にさ、押し付けられるはずの肝心の肉が二つ足りねェだろうが……って、 痛ッ!!」

気を紛らせようと口走った軽口に、桜が後ろから耳たぶを引っ張ってきた。
わざと大袈裟に痛がるふりをして桜を振り落とそうとすると、慌てて首にしがみつき叫び声を上げる。
時折吹く風の音しかしない静かな朝に、桜の笑い声が響く。
そうしながら二人はやっと、まだ人気のない駅に辿り着いた。

「着いたな」
「うん。もう大丈夫だから早く降ろして」
「ん、ああ」

立ち止まって少し身体を屈めてやると、桜はストンと地面に降り立った。
軽くなった背中を起こし空を見上げると、曇ってはいるものの、かなり明るくなっている。
ただ辺りに人気はない。
列車もバスもまだ動く気配はなく、今日も交通機関はストップしたままなのだろう。

銀時は少し先に見つけたバス停に向けて歩き出した。 
いくら軽いとはいっても桜を背負って歩いてきたので、少し座って休みたい。
ただそれを正直に言えば桜が気を使うのがわかりきっているから、まだ止まない風雨を理由にしてみる。

「ちょうどいい屋根があるじゃねェか」

銀時は前髪についた雨粒を払いのけながら、バス停を指さした。

「バス停?」
「ああ」

そこは桜にとって馴染み深いバス停だった。
といっても、ほとんど楽しい記憶はないが。

気分転換に町へ出てみる。
なのに数時間経ち、帰りのバスを待つ時はいつも憂鬱だった。

帰りたくない。
このままどこか遠くへ。

いくら心の中で願おうと、結局はバスに揺られ家に戻る。
いつも同じ繰り返し。
唯一違ったのは今年の梅雨で、銀時に会いたくて会いたくて、雨の中で心躍らせていた時くらいだった。

ただその後、銀時の放った一言に酷く傷つけられたことは、今でも思い出すと少し胸が痛む。
色々あったからこそ、梅雨が明けたあの日、銀時と気持ちが通じ合ったのかもしれないけれど。
 
「もう嵐も抜けたんじゃねェか?」
「そうだね。ちょっとマシになったみたい」

この嵐が過ぎてしばらくしたら、きっと季節がはっきりと変わるだろう。
初夏に出会ってから梅雨と夏を経て、巡る季節を二人で過ごせることに桜は改めて幸せを感じた。  
 
何気なくこちらを振り返ってきた銀時に笑いかけると、一瞬優しく目を細めた後、すぐに照れくさそうに前に向き直る。
出会った頃より少し逞しくなったその背中は、背筋がしっかり伸びている。

色々あったけれど、この背中についていけばきっと大丈夫。
小さく頷いた桜は小走りで銀時に追いつくと、その手を取り強く握り締めた。

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