旅立つもの 1 ぬかるんだ土を踏みしめるたび、いつもとは違い短く湿った音が立つ。 足元の土は普段から少し湿気を含んでいるが、降り続く雨のせいで所々に小さな水溜まりができていた。 できるだけ避けて歩いているつもりでも足場が悪いため、どうしても足が水溜まりに入ってしまったりする。 涌き水まであと少し。 喉の乾きを堪えて一歩一歩進む。 何度か桜と歩いた記憶が鮮やかすぎて、一人でいるとやけに暗く静かに感じた。 一人でいることに孤独感を覚えるなんて、いつ以来だろうか。 つい最近のような、随分前のことのような。 銀時は頭に浮かんだ残像を振り払うように大きく息を吐き、さっきまでよりも歩調を速めた。 雨が降り続く中、ようやく涌き水に辿りつき、まずは腰を屈めて手を洗い始めた。 ずっと鼻にまとわりつくようだった土の匂いが水の匂いにかき消され、少し気分が良くなる。 適当に汚れが落ちたので、今度は手を椀にして水を溜め一気に喉を潤した。 水を溜めては飲むを何度も繰り返し、空腹を紛らせる。 少し苦しくなってきたので、今度は持って来ていた水筒を水で満たしていった。 水筒が一杯になると、もうここに用はない。 すぐに銀時は、また来た道を引き返し始めた。 来る時は気にならなかったのに、帰りは足が泥で汚れるのが少し気になった。 それでなくとも雨漏りで小屋の中が濡れているのに、泥を持ち帰ればますます汚くなる。 普段はそんなこと気にならないし、そもそも潔癖症であるなら、こんな暮らしは耐えられるはずもない。 それなのに小さなことが気になるのは、空腹で苛々しているせいだろう。 最後に桜と別れて以降ずっと降り続いている雨は、一向に止む気配もなく当然のことながら銀時はこの数日間水しか口にしていなかった。 空腹は思考力をも鈍らせる。 ただひたすら桜に会いたい。 ぼんやりとそれだけ考えていた。 この空腹感も孤独感も、桜がいるだけで簡単に消えてしまうとわかっているから。 * * * 降り続く雨の音で目を覚ました桜は、布団の中で溜息をついた。 わざわざ窓の外なんて見なくとも、部屋の暗さと雨音だけで今日も銀時に会えないとわかる。 あの日の雷が梅雨の始まりだったようで、もう雨は三日も降り続いていた。 銀時と出会ってから今日まで、三日以上会わなかったことがなかった。 もし明日もこの雨が続くようなら、雨の中でも様子を見に行ってしまうかもしれない。 それ程に銀時のことが気掛かりでたまらなかった。 銀時は桜のことを心配して会いにくるなと言っていたが、桜からすれば銀時の方がよほど心配だ。 ちゃんと食べて、眠る。そんな当たり前の生活を、銀時はずいぶんと長く送っていないのだから。 (今頃どうしてるんだろ) 桜はまだ起きる気にもなれず、寝転がったままで銀時のことを考える。 瞼に浮かんで来るのは、今でもやっぱり初めて会った時のやつれた姿だ。 厳しい戦を生き抜いた上、一人であんな森の中に長く篭っていられるのだから、きっと身も心も常人とは比べ物にならないほど逞しい男のはずなのに、桜はいつも銀時のことを助けてあげなきゃと思ってしまう。 それは多分、銀時が好き好んで今の生活を送っているわけではなく、本当にどうしようもないからそうしているのだと何となくわかるからだ。 今の生活から抜け出したい。けれどできないと迷っている。 何故できないのか、今はただ時期がくるのを待っているだけなのか。 それは桜にもわからないが。 銀時の姿は、現状から抜け出し自由に生きてみたいと願う自分と、どこか重なって感じた。 今はまだ勇気がないけれど、いつかは誰かに必要とされたい。 自分のために、そして誰かのために生きてみたい。 その願いは銀時と会ってますます強くなっている。 (銀時は私のことを少しは必要としてくれてるのかな?) そんなことを考えながら桜は、広げた自分の手の平に視線を移した。 ふいに触れられた銀時の大きな手の感触。自分より温かい体温。 もう三日も経っているというのに、昨日のように思い出すことができる。 黙っていなくなったりしないと、銀時はそう言ってくれたけれど。 いつか来る別れの時に、私は笑って銀時を見送ることができるのだろうか。 [次へ#] [戻る] |