旅立つもの
3
何か緊急事態が起きていることを理解した桜は、息を殺して周囲に耳を澄ませてみた。
蝉の鳴き声、鳥の囀り、普段よりも強く吹いている風の音、揺れる木の葉のざわめき。
桜の耳には、それ以外何も聞こえない。
だが銀時は険しい表情で軽く腰を上げると、すぐに動き出せるよう片膝を立てた。
誰かいる。
落ち葉を踏みしめた音に反応する桜の背中を、大きな手の平が撫で下ろした。
「大丈夫だ」と唇だけ動かし、ぎゅっと刀を握り締める。
これまで二人で過ごした中で、こんなことは初めてだった。
足音は一人分。
気まぐれで森へ入ってみたのか、それとも私達に気付いて入ってきたのか。
どちらにしても二人のために、今誰かに姿を見られるわけにはいかない。
次第に足音が遠ざかっていった。
すぐに動かない方がいいだろうと、二人は足音が消えてからも、しばらく黙ってじっとする。
抱き寄せられたままの桜がそっと銀時の様子を窺うと、想像以上に銀時が動揺しているのが見て取れた。
「銀時」
かろうじて届く声で銀時を呼ぶと、向ける表情は普段と全然違う。
迷っているのは銀時の方なのだから当然だろう。
もし誰かに見られれば、早急にこの森を離れなければならなくなるのだから。
「桜」
「何?」
「さっきのがたまたま偶然なのか、それともお前がここを出入りしてることに気付いてるヤツがいるのかわかんねェし、しばらく……そうだな、三日くらいここに来ないでくれるか?」
「うん、わかった……」
いかに深刻な状況なのかは桜もちゃんと理解している。
すぐに頷いてはみたものの、自分のいない間に銀時が見つかってしまったらと考えると、怖くてたまらない。
不安で苦しくなり思わず胸に手を当てた。
桜の様子に気付いた銀時は、その身体を包み隠すように強く抱きしめて言った。
「大丈夫だ」
「……」
「絶対にお前を残して行かねェから」
桜を安心させるための出まかせなんかじゃ決してない。
桜がいない世界へ出て行く勇気なんてないのが本音なのだから。
「なんか緊張したから少し疲れちゃった」
腕の中で桜が笑う。
「大丈夫か? 今すぐ帰るのも心配だしな。小屋で休んでくか?」
「うん、そうする」
小屋は目と鼻の先。
そういえば、どうしてこんな何もない場所にいたのだろう。
ついさっきのことがすぐに思い出せないなんて、それほどに動揺しているということだ。
そうだ。
護るだの護られるだの、そんな話をしていたとこだったと思い出した銀時は、握った手の先にいる桜に視線を遣った。
こんな華奢な女のどこに頼ればいいんだよと、思わず笑いそうになる。
「どうかした?」
「別に」
銀時が開けた扉を摺り抜け、先に小屋に入った桜が振り返った。
「あ、そうだ。どうもね、天気崩れてくるみたいなの。だから三日後も来られるかどうかわかんない。晴れたら来るけどね」
「そういや風が強ェな」
「大丈夫、だよね……?」
何度聞いたところで状況が変わるわけでなく、銀時は大丈夫だとしか言えないだろう。
それでも桜は、何度でも大丈夫だと言って欲しくて聞いてしまう。
きっと普段の銀時ならば、「いい加減にしろよ。しつこいんだよ」とかなんとか、きっと怒りだすところだ。
そんなことをふと思う桜に銀時は、
「何度言わせんな。大丈夫だっつってんだろ!? 」
少し苛立った口調で言った。
あ、いつもの銀時だと、桜は妙に安心する。
まるで自分に言い聞かせるように口にする「大丈夫」なんて言葉よりも、乱暴な言葉の方が余程か心強く感じた。
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