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旅立つもの
3

* * *

首元が汗ばんでいて気分が悪い。
目覚めた銀時は、起き上がると着ていた甚平を脱ぎ、ついでに首元の汗を拭った。

「今日も暑ィーな」

窓を開けて桜に声かけたつもりが、蝉の声が五月蠅すぎて、ただの独り言に変わる。
暦でいえば夏はもう終わりだというのに、夏の初めと比べて蝉の種類が変わったくらいで、猛烈な暑さは何も変わっていない。

部屋を振り返ると桜は、家の中だから許される、いや銀時の前でしか許されないだろう薄着でお握りを握っている最中。
茹だるこの暑さの中では桜の肩や胸元がいくら露わになろうと、高まるものを感じない。
いやに落ち着いてしまっている自分に苦笑しつつ、銀時は桜の元に歩み寄った。

「美味そうじゃねーか」
「そう?」
「ああ」

身長差があるので開いた胸元が丸見えだ。
両手が塞がっている桜の衿元を、銀時はわざとふざけて引っ張ってやった。

「ちょっと!! 何すんの?!」
「お前、間違っても今日はそんな格好で来んじゃねーぞ?!」
「当たり前でしょ?」

今夜は花火大会。
知り合いに場所取りを頼まれたついでに、ちゃっかりと自分達の場所もキープしておいた。
昨夜から取ってある陣地を守るため、今日は朝からずっと銀時が現地で待機する。
夕方から桜も合流する段取りだ。

「ちゃんとお洒落して行くよ」
「おう。期待して待ってっから」
「思いっきり色っぽくね」

桜はにっこり笑いながら、親指を衿に引っ掛け胸元を開ける仕草を見せつける。

「ハァ?」

聞き捨てならないとムキになる銀時に桜は、手に残ったご飯粒を口に入れなから「冗談」だと笑った。

「タチが悪ィな、オイ」

水栓を開き手を洗い始める桜の後ろから耳元で囁く。
まだ朝だし、これくらいで止めておこうと思ったが、桜が笑いながらも平然と手を洗い続けているのが気に食わない。
唇を塞ぐとやっと桜の手が止まり、蛇口から流れ出る水が流しを叩く音しか聞こえなくなった。

唇が離れ、満足げな表情を浮かべる銀時と驚いた表情の桜の視線がぶつかる。
何か言おうと言葉を選んでいる桜がやけに幼く見えて、銀時は思わず目を細めた。
だが銀時ペースでいられたのはここまで。

出しっ放しの水を閉めるや否や桜は銀時の頬を両手で包んだ。
不意を突かれたのと、冷んやりとした濡れた手の感触に、今度は銀時が目を丸くする番。
精一杯背伸びして口づけをねだる桜に引き寄せられ、二人は再び唇を重ねた。

耳鳴りのような蝉の鳴き声。
朝の陽射しに照らされ輝く部屋。
心地良い夢の中にいるような錯覚を起こす。
あまりにも甘く柔らかくて、怖ささえ感じるほど。

急転直下。
安い物語だと次の場面で大抵何かが起こる。

これまでずっと大切なものを何一つ抱えられず取りこぼして、逃げ出してきたからだろうか。
こんな時でさえ、いらぬ事ばかり考えてしまう。
そんな胸の内が透けたのか、桜は軽く首を傾げて銀時を見つめた。

「どうしたの? そんな顔して」
「そんな顔って、どんなだよ? 普通だろ?」
「あ、ごめん。いつもと同じ寝ぼけた顔だった」
「ボケ顔?!」

ふざけてじゃれ合いながら、桜の軽口に救われた気がする。

「もう! 早く行かないと、取った場所横取りされちゃうよ」
「あ、そうだったな」
「はい、これ」

お握りの入った包みを受け取った銀時は、慌てて支度を始めた。

せっかく用意した場所を取られたら大変だ。
頼まれた仕事分は死守しなけりゃならない。
生まれてこのかた、今回の規模の花火はまだ見たことがないと楽しみにしている桜のためにも。


「いってらっしゃい」

桜の声を背中に受けドアを開けると、眩しすぎる朝日に一瞬目眩がする。
銀時は前髪をかき上げて気合を入れ直し、晩夏の太陽の下へ飛び出した。

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あきゅろす。
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