水底に灯る火 H ж 初めて予備兵の宿舎に入ったとき、アウディは余りの臭さに顔をしかめた。 地方貴族の子弟を集めた訓練所とは名ばかりで、建物は老朽化しているし、朝晩の食事は粗末な物だった。親元で存分に甘やかされた少年たちは、最初にそれで根を上げる。 もし、人質という別の側面が無かったら、誰だって逃亡しているだろう。アウディだって逃げたかった。 それに男しか居ない環境というものも、最初は慣れなかった。 後宮の女性達は良い匂いがした。少なくとも、こんな汗臭い匂いではない。 出される料理は、味も彩りも、栄養も気を配ってあるもので、出されたら直ぐに食べられるように適度に覚ましてある。 人を呼ぶ前に、気を利かせた侍女がして欲しい事を済ませてくれる。 それなのに、ここはなんだろう。 掃除も洗濯も料理だってしたことがない上に、悪い事をしていなくても頭を下げなければいけない。 たった一度、予備兵たちも近衛の任務に借り出されたことがあって、アウディも特別に王宮から出してもらった事があった。その時に出された食事は、ぬるま湯に麦が浮いてあるスープと言えないもので、寝床もなく地面にそのまま横になった。 一週間ほどの出来事だったが、任務から帰ったら直ぐに体を壊して寝込んでしまった。それ以降、アウディが任務に選ばれる事は無かった。 そんな時にアウディの下に手紙が届いた。差出人がバセリア公と聞いて母の親族だと思い出した。 手紙の内容は熱を出したアウディを気遣うもので、まだ王に嫁いでいなかった頃の母親の昔話なども書いてある。ほんの少しだけアウディは気弱になっていたのだ。 任務についていけないような自分を恥じ、後宮を出されてからはデミトリと会うこともない。予備兵に入れてもらったとはいえ、もし此処を追い出されたら、自分はどうなるか分らない。 優しかった母の話を聞かせてくれるバセリア公の手紙は、心にしみこんできた。 だから返事を出して、何度か手紙のやり取りをした。母の話題なら問題ないだろうと、自分の甘さに目を瞑っている面もあった。 王とバセリア公の対立を知ってからは、アウディも手紙を出さないようにしていたのだ。 身を守るためには、失礼だと分かっていても、返事を書くことはできない。 もう公から手紙が届くこともなく、これで大丈夫だと安心していた。 [前へ][次へ] [戻る] |