カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編7
【お知らせ】
2010.4/28に前回に当たる第3部6を掲載しましたが、第3部7を執筆するにあたり、どうしても加筆したくなりました。どうぞ御了承下さい。
第3部6改訂版はこちら
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私は廊下を小走りに走った。真夏の太陽は気温をぐんぐん上げていたから、走ると体が汗ばんでくる。
ちらりと自分の服装を見て、
「しまった!」
と、思わず声を上げた! だって、今の私の格好ときたら……! 起きた時のそのままだからパジャマを着ているのはもちろんそうだけれど、本当にそのまま! 寝起きの乱れたままだった! とっさに髪を触り、
「うっわ……ぐちゃぐちゃ!」
と落ち込んだ。鏡を見るまでもない……前髪ひどい寝癖みたい! 後ろ髪の毛先もはねているみたい!
「ああ……もう、やだぁ……」
私は自分の部屋に駆け込むと、急いでタンスの引き出しを引く。服を選ぼうとして、ぎょっとする。
「やだ……そうよ、これって……!」
うっかりしていた。一週間近く家に戻っていなかったんだもの……まるで自分のタンスじゃないみたい! どうしよう! 何を着たらいいかしら? 今日は暑いみたいだもの。ええっと、Tシャツじゃ暑いかしら?
翌日着る服ぐらい、眠る前に枕元に用意しておけば良かったのに! いつも習慣にしていたことなのに、久々のことだからすっかり忘れていたわ……。
……ううん、疲れていたから昨夜はそんな余裕も無かったのよ! お風呂に入ってから髪を乾かすのも眠くて居眠りしそうになり、目蓋が閉じそうになるのを懸命に堪えながらなんとか布団に入って……眠ってしまったというか……。ああ、もう! それなのに朝寝坊だなんて!
「うーん……まあ、これでいいわっ」
無難そうな黒いキャミソールを選ぶ。それから裾を膝下丈までロールアップさせたジーンズに着替えた。クローゼット横の大きな姿見の前で服装をチェックしながら、寝癖のひどい髪にイライラする。
すぐに洗面所に向かい、いつも使っているヘアターバンで洗いやすいように髪をまとめて顔を洗い、
「ああっ、タオル……」
タオルを用意していなかったことに気づいて、さらにイライラしながら手探りでタオルを探す。近くの棚の……上段のタオルケース……。
ふと、――手がタオルらしきものに触れた。
「ああ、あった……」
びしょ濡れの顔にタオルを広げて当て、軽く抑えるように水気を取る。スプレータイプのミネラルウォーターで肌を整え、ふと、私は背後を振り返った。
「……?」
無意識にタオルを洗濯物のカゴに放り込んだけれど。今使ったタオルって……どこに置いてあった?
「えっと……?」
タオル……変なところに置いてあったんじゃない? 洗面台の傍の、棚の中段辺り? え……なんで? おばあちゃんがタオルケースから出しておいてくれたのかしら? それともママがまた散らかした?
私は首を傾げてちょっと考えてから、ママが散らかしたんだ、というのが一番ありえるかも、と納得した。うちのママって、すぐに散らかすもの。きっと……使うつもりのタオルを使わないで、そのまま適当に放置したんだわ。
寝癖直し用のスプレーを使って寝癖を直し、私は髪をいつものように束ねた。ポニーテールに慣れてしまって、これじゃないと落ち着かない。
急いで台所に向かおうとして、ふと、鏡に眼が留まった。
「あ……?」
なんか、気になった。
「え? うーん……」
私は急いで髪型などを確認してから、とりあえず大丈夫だと思い、洗面所を出た。
台所に戻ると、
「ごめん! おまたせ!」
と、私を待っていてくれたアイちゃんとマコトくんに謝った。
うつむいていたアイちゃんは顔を上げて
「え? いいえっ!」
と、急いで首を横に振る。
マコトくんは、落ち着かない様子で私を見て、ちょっとはにかんだような照れ笑いを浮かべる。
「寝坊しちゃってごめん。何か用事があって来たんでしょう? 二人揃って……」
そう言いながら、私はあらためて、
――何の用事?
と心の中で呟く。
アイちゃんはダイニングテーブルの椅子から立ち上がる。マコトくんもそれに続く。二人は私に頭を下げた。礼儀正しくて、私は瞬きをして二人を見つめる。かなり驚いた。
「え? あ、どうも……」
私はつられるように頭を下げる。
「朝早くにおじゃましてしまってすみません……」
アイちゃんの着ている青いワンピースの、フリルのような短めの袖が揺れる。
「……?」
私は少し首を傾げた。
「どうしたの? アイちゃん?」
そう、私は訊ねた。アイちゃんは私に対して、かなり萎縮している、というか、恐縮しているというか……とにかくそんな雰囲気。どうしてそんな態度を取るのか解らない。だってここのところ、私達一緒にいたんだもの。もっと親しかったのに? どうして?
「あの……」
アイちゃんは私を見つめ、そして、くっと口を引き結ぶとダイニングテーブルの上に視線を落とす。
「アイちゃん?」
「…………」
「どうしたの?」
「……私、その……」
そう言い、言葉を途切る。何か言いたくてここに来たはずだけれど、言いにくいことなのかしら?
「アイちゃん、えっと……話して。うん、話していいよ?」
私は戸惑いながら、アイちゃんを促した。そうしながらも、ドキッと、自分でも焦るほど驚いていた。
自分でも気づかないうちに、アイちゃんをこんなふうにさせるようなことを言ってしまったのかもしれない。たぶん気づかないうちに、アイちゃんの心を傷つける言葉を言ってしまった、とか、何かやってしまった、とか……。
「あの……いいよ、大丈夫よ。聞くから……」
もう一度そう言い、心の中で身構える。
アイちゃんは顔を上げる。とても真剣な表情で、真っ直ぐに私を見つめる。
「教えて欲しいことがあるんです……!」
苦しそうな、でも緊張で掠れた声で、アイちゃんはそう言った。
「え? え? 何を?」
アイちゃんから思い詰めた様子でそう言われ、その気迫に押されそうになった。
「どうしたの?」
ただならぬ雰囲気の中、アイちゃんは、
「ベルゼブモンって、今、どこにいるんですか?」
と、私に訊ねた。
必死なその問いかけに私は、ただただ、きょとんとした。予想していなかった。
「え? ベルゼブモン……どこって?」
思わずそう訊き返すと、アイちゃんの隣に立っているマコトくんも
「教えて下さい!」
と、アイちゃんと同じぐらい真剣に頭を下げるので、私はますます首を傾げた。
「どこって……こっちの世界にいるわよ」
そう言った。だって、昨夜会ったもの……。
「本当ですか!」
「本当に!」
と嬉しそうな声を上げ、アイちゃんとマコトくんはお互いの顔を見合わせ、すぐに再び私を見る。
「本当ですね? こっちに?」
「本当に本当?」
アイちゃんとマコトくんは姉弟だから面影が似ている。似た顔に念を押され、私は頷いた。
「え、ええっと、本当よ、本当……嘘じゃないから。どうしたの、二人とも。ベルゼブモンが行方不明みたいな言い方して……」
と言いかけ、私は突然――思い出したっ!
「え……えっと……」
と、思わず呟き、顔を背けた。
――確か……! 昨夜、ベルゼブモンが言っていたじゃない。アイちゃんから逃げていたって。退化している姿を見られないようにって……。――ええっ! そうよ、そうじゃないっ! うっかりしていたわ! 寝惚けた頭で大変なことを……! うわー、どうしよう……。言ったらまずかった?
「留姫さん……」
呼ばれて、私はマコトくんの視線に気づく。じっとりとこちらを見ている。
「何か知っていますか?」
「えっと……?」
「とぼけているんですか? それとも口止めされているんですか?」
マコトくんがテーブルからこちらに身を乗り出す。
「ベルゼブモンがどこにいるのか知っているのなら教えて下さい! 病院にお見舞いに行ってもいつも姿が見えなくて……。検査があるって聞いていたけれど……前にもベルゼブモンは検査を受けたことあったけれど……変だって思えてきたんです。もしかしたら……私、嫌われたのかもしれない……」
「嫌われてなんか……!」
「どうしたらいいのか解らなくて……」
アイちゃんは瞳を潤ませ、ぽろっと涙を零す。
「アイちゃん!」
「え……? やだ、私ったら…………すみませ……」
アイちゃんはしゃくり上げ、必死に泣くのを堪えている。けれど、ぽろぽろと涙は溢れ出す。
「う……ひっ……く……」
私は焦った。アイちゃんがこんなに思いつめているなんて思わなかった。だって、ベルゼブモンはただ逃げ回っていただけでしょ……。
――でも……私だったら? もしもレナモンが私を避けたら?
そう考えたとたんに、胸が苦しくなった。いつか感じた……寂しさ、好きになって欲しいと願う切なさ……。
私は思い切り、
「泣くことないから! 大丈夫だからっ!」
と、アイちゃんに大声で言った。
「私……私……」
アイちゃんの涙は止まらない。
「大丈夫だから!」
「だって……」
「泣かないで!」
「嫌いって言われたら……」
「アイツね! 全然気にすることないの! あのね! た……」
言いかけて、私はその言葉を飲み込んだ。
「……?」
「『た』……?」
アイちゃんは泣きじゃくりながら、真っ赤な目でこちらを見つめる。
マコトくんもその横で、やっぱりこっちを見ている。
「あ……『た』? ええっと、『た』っていうのは……」
私は急いで言い訳を考えた。
ベルゼブモンが『退化』していたってことは秘密にしなくちゃいけなくて、検査入院中はたびたび『退化』していることも秘密にして……ええっと?
「えっと、その……『食べ物』が……」
「『食べ物』?」
「『食べ物』……!」
と、アイちゃんとマコトくんはそれぞれ考え込む。
私は慌てていたから、とっさに頭に浮かんだので、
「えっと……違うの!『た』……『食べ過ぎ』! そう、『食べ過ぎ』なのよ!」
と、言い直した。
苦し紛れの言葉って、まさにこれだわ! 昨夜のベルゼブモンを思い出しながら言った言葉けれど、そんな言い訳ってないわ! 絶対にもっと追求されちゃう!
けれど、
「『食べ過ぎ』……」
「『食べ過ぎ』なの?」
アイちゃんは腕を組み、マコトくんは両手を組んでそこに顎を乗せて、
「そう……」
「そうなのか……」
と顔を見合わせている。
「あ……ええと……内緒にしていたんじゃない? 食べ過ぎって、恥ずかしいじゃない?」
私はしどろもどろに言った。とにかく、アイちゃんを悲しませないようにしなくちゃ……と思ったけれど、
「私、いつもお弁当持って行っていたから……無理して食べていたのかもしれないんですね……」
と、アイちゃん。
「お姉ちゃんのお弁当がないと! 病院のご飯だけじゃ足りないって思ったんだけれど。……余計だったのかな……悪いことしちゃったかも……」
マコトくんもそう言った。
――ええ? 逃げ回っていたのに、お弁当だけ受け取っていたの? 何それ、ひどい! まるでお弁当係ってだけじゃない? 『彼女』なんでしょ!
私はベルゼブモンに対して、心の中で大いに怒ったけれど、アイちゃんとマコトくんは、
「もしかして、すっごくお腹壊しちゃったのかも……?」
「まさか! ……かなり太ったのかも……」
「ええっ! そんなの絶対嫌! お弁当、もう止めようかしら……」
「それより、ダイエットメニューにしたら? ベルゼブモン用の!」
「デジモンって戦うからカロリーすっごく消費すると思ったのに……」
「そうだよね。本屋さんで本探して、お姉ちゃんすっごく頑張っていたのに」
アイちゃん、マコトくんはお互いにそれぞれの意見を出しながら話し込んでいる。
「『スポーツ選手のための毎日の献立』とか……参考にする本は間違っていなかったと思うのに……」
「そうだよね……うーん……」
「……そうよね……」
――どうしよう! ベルゼブモンは昨夜、あんなに食べていたんだもの! アイちゃん達から逃げまくっていたとしても、アイちゃん持参のお弁当は歓迎していたに違いない。もちろん、お弁当だけ受け取るっていうのはひどいと思うけれど、でも……ベルゼブモンがもしもお腹空かせたら? まさか戦えなくなる……とか? 今はまずいじゃない! 『サイクロモンの手』のこともあるんだから……!
「……ええっと、ちょっと、待っていて……」
私は急いで自分の部屋に引き返し、台所の方に気を配りながらジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。探したのは教えてもらったばかりの、ベルゼブモンの携帯電話の番号。二回目のコール音が途切れ、通話に切り替わる。早い。
『――どうした?』
ベルゼブモンの声に、私は思わず溜息をついた。
「良かった……電話に出てくれなかったらどうしようかと思ったわ」
『何だ?』
ベルゼブモンは怪訝そうに聞き返してくる。
「今、電話しても平気?」
『溜息つくような用件か? 何があった?』
「こっちにアイちゃんとマコトくんが来ているのよ」
携帯電話の向こう側で、激しく咳き込む声がした。
『何だって! アイツら、何でそっちに? どうやって住所調べたんだ?』
「それは知らないけれど! でもね、アンタが逃げ回っているからよ。だいたい、お弁当は受け取って逃げ回るなんて! ――あのこと、内緒なのよね?」
『話したらブッコロス!』
「もちろん、話してないわ。安心してよ」
『本当かよ?』
「うん、本当だから。それで……ごまかそうと思ったんだけれど、上手くごまかせなくて……」
『どうした!?』
「アンタ、食べ過ぎってことになっちゃったわよ」
『……………………へ?』
「あのね、だから、」
『食べ過ぎぃ? ありえねぇぜ!』
呆れた調子の声を聞いて、私は、とたんに頭に血が上った。
「アンタが悪いんでしょ――――!」
『はぁ? 何? マジギレしてんだ?』
「とにかく! アンタが食べ過ぎで苦しんでいるって」
『おいおい、待て! だから、ちょっと待てよ、なんだそりゃ! なんでそうなったんだよ?』
ベルゼブモンのさらに呆れ返った声に、私も怒りながら呆れた。
「なんでって……じゃあどう話せばいいと思う? アンタが逃げ回っているだなんて言えないでしょ? とにかく、そんな話になっちゃって、アイちゃんが『お弁当、どうしよう……』って言っているんだけれど。これ以上ごまかせないわよ。しばらく会わないほうがいいなら、これからはお弁当も作らないでもらうしか……」
『冗談よせよっっっ!!!』
ベルゼブモンの声が悲痛なものに変わった。
『飢え死にさせる気かよ! オレを飢え死にさせる気なのか、テメェはよぉぉぉっ!』
その声があまりにも大きかったので、私は驚いて受話器から耳を離した。
「うるさいわね! 何なのよ!」
私の携帯電話から、ベルゼブモンの怒鳴り声はまだ聞こえている。
「もう! 弁当、弁当って……勝手に飢え死にすれば!」
私も怒鳴り返した。
「あの……!」
アイちゃんの大きな声に驚いた。びくっと体を揺らし、急いで携帯電話の通話を切った。
「あ……アイちゃん……!?」
振り向くと、アイちゃんがいた! そのすぐ後ろに、マコトくんもいる!
「あの……ベルゼブモンって……」
アイちゃんが恐る恐る、こちらをうかがう。
「もしかして……元気なんですか?」
――もうバレたじゃないのっ!
私は「はあっ」と大きな溜息をついた。
「ええっと……どうしても説明した方がいいの?」
すっかり困ってそう訊ねると、
「……すみません……迷惑なことしちゃっていますよね……」
「すみません……」
と、肩を落とすアイちゃんとマコトくん。こんなに優しい二人に心配をかけるなんて! ベルゼブモンってば、しょうがないわね!
こうなると、私がどんなに
「あのね、ベルゼブモンってデジモンじゃない? 検査もいろいろ……難しいのよ……」
と、言い訳しようとしても、
「食べ過ぎって嘘だったんですね……?」
アイちゃんはまた……しくしくと泣き出してしまった!
「アイちゃん……!」
「嫌われちゃった……どうしよう……もう二度とベルゼブモンは会ってくれないかも……」
「だからー! それは違うんだけれど……」
「違うん…ですか……?」
「事情がね……アイツには重要で……ちょっと込み入っていて…………」
私は困ってしまい、頭に手を当てた。
「その話だけれど……」
ぐぅっと、お腹が鳴った。恥ずかしい! 慌ててお腹を押さえ、朝食がまだだったことを思い出した。
アイちゃんとマコトくんは、「「あ…」」と言うように口を開け、けれど
「すみません!」
「僕達、すごく早く来ちゃったから……」
と、申し訳なさそうに私を見つめる。
そしてタイミング良く、遠く、玄関の引き戸が開く音が聞こえた。
「ただいまー」
と。おばあちゃんの良く通る声が聞こえる。
「おばあちゃんが帰って来たわ。あの、二人とも……私、朝食まだだから、食べてから話の続きをしてもいい?」
「はい、すみません……」
「本当にすみません……」
私は二人を促した。二人を連れて台所へ向かうと、アイちゃんが泣いていて、マコトくんも暗い顔をしているのでおばあちゃんは驚いた。
「まあ、どうしたの?」
それは当然の反応よね。
「えっと……まあ、いろいろあって」
「留姫が泣かせたの?」
「違うったら!」
私は肩をすくめる。私が困った顔をしているから、おばあちゃんは信じてくれたみたい。
「ちょっと回覧板をお隣に回しに行ってきたのよ。留姫は朝ご飯まだ食べていないのね?」
おばあちゃんは、テーブルの上に伏せて置かれたままの私のお茶碗とお椀、そして箸置きに揃えたままの箸を見てそう訊ねた。
「すぐに朝ご飯食べるわ。――ええっと、どうしよう。アイちゃん達は……」
私がそう言うと、おばあちゃんがすぐに、
「かわいいお客さんは、留姫が食べ終わるまで待っていてちょうだいね。冷たい麦茶でいいかしら? それとも、朝だからオレンジジュース? お中元でたくさんもらったものがまだあるの。パイナップル、バレンシアオレンジ、グレープフルーツのジュースもあるわよ。それとも、カルピスがいいかしら?」
と、優しく話しかけた。アイちゃんとマコトくんの好みを聞きながら、食器棚からグラスを選ぶ。アイちゃんにはオレンジジュースを、マコトくんにはグレープジュースを、お客様用の江戸切子のグラスに注ぐ。氷がカチンッと涼しげな音を奏でた。
おばあちゃんは二人を居間に案内してからすぐに戻って来た。
「さあ、急いでご飯食べて。どこかに出かけるの?」
「うん……」
「どこに? お昼はいらないのかしら? 夕食の時間には帰って来るんでしょう?」
そう訊かれ、私は答えに詰まった。
「まだ決めてないの……。念のため、夕食は外で食べてくることにしていい? 帰る頃には連絡するから。遅くなるなら夕方にはそう連絡する……」
おばあちゃんは「え?」という顔をしている。
「そんなに長く出かけるの? ええと……病院にお見舞いに行くんじゃなかった?」
「うん、その予定もあるけれど……。ほら、ええっと……まあ、いろいろ……」
おばあちゃんは、なんとなく、居間の方に視線を向ける。
「そうね……よほど困っているみたいね? 相談でも持ちかけられたの?」
「――おばあちゃん、あの……」
私はおばあちゃんを手招きした。
「どうしたの?」
私のお茶碗にご飯をよそっていたおばあちゃんは首を傾げる。何事かと、しゃもじを置いて私の後に続いて廊下に出た。
台所からかなり離れたところで、こっそりと話す。もちろん、居間にいるアイちゃん達からは絶対聞こえない。
(昨夜、ベルゼブモンが来た事、アイちゃん達に言った? もう話しちゃった?)
おばあちゃんは私に合わせて声を小さくした。
(ええ? あの、背の高いお兄さん? 話していないけれど……内緒にした方がいいの?)
(お願い! 内緒にして! それが……アイちゃんって、昨日来たベルゼブモンの彼女なのよ)
(あらあら、そうなの! かわいい彼女さんね!)
おばあちゃんは嬉しそう。
(それがね、ちょっとベルゼブモンに事情があって、今はアイちゃんと会いたくないみたい)
(あらやだ! どうしてなのかしら?)
(言いにくい理由だから今は言えないんだけれど……)
私は腕を組んだ。
おばあちゃんは少し首を傾げる。
(でもね、留姫。どんな事情があっても好きな相手と会う時間が取れないと、縁が切れてしまうものよ……)
そう言ったおばあちゃんは、昔のことを思い出しているような、悲しそうな眼になる。
(うん……)
私は頷く。――ずっと前から、何度か聞かされた、うちのママとパパが離婚した理由がそれだった……。
(ご飯、とにかく食べるね。その後で説明出来ることはアイちゃんに話せばいいと思うんだけれど……)
(人間関係の間に入ると大変なこともあるけれど、とても大切なことだものね。デジモンと人間でも、それは同じね……)
おばあちゃんはそう囁き声で言った。
私はおばあちゃんと一緒に台所に戻り、ふと、訊ねた。
「そういえば、ママは?」
「仕事の予定が変更になったらしくてね。今朝早くに家を出たわよ」
「もう? 香港へ?」
「それがね、中止になったんですって」
「中止? そうなの?」
「打ち合わせが南青山であるそうよ」
「相変わらず忙しいわね!」
私は苦笑しながら席についた。さっそく箸を取る。
ママは昨日、香港に行く前にポコモンにまた会いたいって言っていたけれど、それなら無理ね。ママには申し訳ないけれど、今日はアイちゃんとマコトくんが最優先だわ。
「留姫」
「何?」
おばあちゃんは向かい側の席に着いた。
「あまり無茶しないでね」
心配されているのはとても解る。
「気をつけるわ。ケガしないようにするから」
私は神妙な顔をして頷いた。
朝食を食べてから出かける支度をして、私は家を出た。
今日も三十度を越えた真夏日で、暑い。
バッグの中に、昨日、ママから借りたお財布が入っている。来月分のお小遣いを前借りさせてもらったら、ママはさらに「何かあったら使って」とお小遣いを私に渡した。いらないと言ったけれど、ママが譲らないから結局は受け取った。
――こっちの世界なら、お金必要になるかもしれないと思ったけれど、さっそく電車賃が必要になるとは……。
アイちゃんとマコトくんは、おばあちゃんに挨拶をしてから私についてくる。アイちゃんはもう泣き止んでいたけれど、まだ話の続きをちゃんとしていないから暗い顔のまま。マコトくんも同じ……。
心配そうに見送るおばあちゃんに、私はそっと頷いた。大丈夫だから、と。
私は二人と一緒に歩きながら、どこから話していいのかと迷う。あと、レナモン達に連絡しなくちゃ……。でも、ベルゼブモン達が言っていた『盗聴』とかされても困るわね……。
しばらく考えてから、
「昨日までレナモン達と病院にいたのよ。今の状況を報告したいから、そっちに先に行ってもいいかしら? ごめんね……」
と二人に話しかけた。
「はい? あの……?」
「ええと……?」
アイちゃんとマコトくんは不思議そうな顔をしている。
「ええと……ケータイで話せないことなんですか?」
「解った! 病院だからケータイで話せませんよね? そうですね!」
「それがね……犯人の残党が残っている可能性があるんですって」
そう話したとたん、アイちゃんが息を飲んだ。
「もしかして、ベルゼブモンが会えない理由ってそれですか?」
「うーん……まあ、いろいろ理由があるみたい。リリスモンさんやメタルファントモンのことも話したいけれど、込み入った話だから、病院に着いたら話すわね」
アイちゃんは溜息まじりで
「私、自分のことばかり考えていました……」
と呟く。
マコトくんも俯く。
「それでベルゼブモンは忙しいのか……」
罪悪感で胸が痛んだ。けれどこの際、仕方ない……。
それから私達は時々話しながら歩いたけれど、後は自分達の近況報告ばかり話した。
アイちゃんとマコトくんの両親は元気で、もちろんアイちゃん達を心配していたけれど、ベルゼブモンのことを知っていて、信頼しているみたい。今日出かけることも、ベルゼブモンに会いに行くと言ったら許してくれたらしい。
「会ったことはないのに、そんなに信頼しているって……ずいぶん評価高いのね? どうして?」
そう訊ねたけれど、アイちゃんははにかんだ笑顔で
「えっと……内緒です……」
と言うだけだった。
隣でマコトくんも嬉しそうな顔をしている。二人とも、ベルゼブモンをとても信じているのね……。
――って、ますます、ベルゼブモンの態度が許せないんだけれど! 退化した姿って……そんなに見せたくない?
ふと、自分の行動を思い出した。ポコモンをぎゅうぎゅう抱きしめたり、頬擦りしたり……尻尾もふさふさでとってもかわいくて撫で回した……。
――まあ、そうかもね……。
「どうしたんですか? 留姫さん? 顔、真っ赤……?」
マコトくんが首を傾げるので、
「あはは……喉渇いたかも……」
と、私は自動販売機を探す素振りをした。
「喉?」
「大変! 熱中症になっちゃう……」
もう地下鉄の駅の近くだったので、駅の売店でペットボトル入りの飲み物を買うことにした。
地下鉄に乗って移動して、レナモン達が入院している病院に向かった。昨日通った道だけれど、同じ道を歩いている自信はちょっと無かった。時々立ち止まりながら、
「こっちで合っていたっけ?」
と私は考える。
「道に迷ったんですか?」
と、マコトくんが辺りを見回した。
「そんなことないと思うけれど。この道は昨日通ったばかりなの。でも昨日は夕方だったから……」
違う場所を歩いているような気がして、私は焦る。
「時間によって風景って、印象が変わりますよね……」
アイちゃんが頷くので、余計に慌てた。道案内しているのに迷子だなんて! でも潔く誰かに訊ねたほうがいいかも……。
ふと、見たことがあるデジモンがいた。
「あ……」
思わず声を上げると、そんなに大きな声で言ったつもりじゃないのに……道路を挟んで向こう側にいたのに! こちらに気付いた。
――聞こえた? そうね、デジモンだもの……。
私は両手で口を押さえ、急いで頭を下げた。
こちらにやって来たのは、昨日会った青いコートを着たデジモンだった。
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