Present 15000hitキリリク/文 椿 それは真っ赤な花弁を持った、 とっても温かい華なのです。 春先である。 信長の妻の濃は、今夜もひとりで部屋の中にぽつんと座り、開けたら障子から見えるであろう夜空を想像していた。 灯だけでは保てないほど室内はぼんやりと明るいから、きっとまん丸な月が白色に輝いていて、とても綺麗なのだろう。 「失礼してもよろしいでしょうか」 この時間になるといつも侍女がやってきて、寝具を敷いていってくれる。 …が、女性の声ではないことに、最初の一声を聞いて気付いたから、濃は閉まった障子から、向かい側にあるこれまた閉まったままの襖に視線を移し、じっと見つめた。 「どなたですか…?」 「佐久間信盛です」 「まぁっ」 慌てて返事をすれば、すらっと襖が開き、頭を軽く下げた佐久間信盛がいた。 サッと顔を上げたときに流れる絹糸のように細い髪が、薄暗い中でも美しく見える。 完全に年齢不詳の若々しい顔立ちに見惚れる思いがして、濃は恥ずかしげに微笑んだ。 「お入り下さい」 いつも大事な夫を命がけで護ってくれている織田の家老を冷えた廊下に置いておくなどできるわけもない。 しかし濃が促しても、信盛は動かなかった。 「いえ、このような夜更けに主が奥方のお部屋になど…。こちらで構いません」 信盛の明るい緑の瞳が、きらきら輝いている。 濃は上げかけた腰を下ろしたが、やはり居心地が悪かった。 「今夜は殿がおられぬと、聞き及んでおりましたので…お寂しい想いをなさっておいでではないかと」 信長がいないのは、最近信長が熱を上げている吉乃姫の所に通っているからである。 吉乃は体が丈夫でないと聞く。 だから吉乃を傍に置くのではなく通い詰めるという、まるで平安時代のような特殊な関係になっているのだった。 恐らく信盛は主が何故不在なのか、理由まで知っているのだろう。 しかしそれを口に出さないところがこの色男の美学なのでしょう…と濃は思った。 「少しはお心を慰められればと思いまして、奥方様がお好きだという椿を手折ってお持ちしました」 信盛がにこっと笑い、一枝の椿を差し出した。 それは一輪だけだったが暗闇に赤い花弁が炎のように燃え上がり、寧ろ増した美しさを感じる。 濃は驚嘆の声を漏らし、指先を揃えて微笑んだ。 濃は夫が信盛のことを“元女ったらしの気障野郎”と悪態をついているのを聞いたことがあったが、それは間違いだと思った。 一人寝が寂しい夜にこのような洒落た贈り物を贈ってくれるこの人は、本当に“人の心”というものをよくわかっているのだろう。 「こちらに、置いておきます」 部屋に入るわけにはいかないからと、信盛の武人とは思えぬすらりと白い手が、畳の上に椿を寝かせた。 「斯様に美しい月夜にございます。是非御花と月を愛で、風流にお過ごし下さい」 織田家には幾ばくもいない華麗な言葉を囁くこの家老は、再び頭を下げ、襖を閉めて立ち去った。 濃はゆっくり立ち上がり、椿に手を伸ばした。 真っ赤なそれは、まるで信長が御守りとしてくれた炎の華のように煌々として美しい。 すると急に信長の顔が見たくなって、濃は眉を下げて困った微笑を浮かべた。 どれだけ逢いたくなったって、信長は吉乃のところにいるのにー…。 …濃は顔を上げ、閉め切った障子を振り返った。 和紙から差し込む明かりは、やはり月が眩しく光を跳ね返させているからなのだろうか。 信盛が美しいと言った月を、吉乃と共に信長も愛でているのだろうか。 もしそうなら、自分も月を愛でれば、信長と同じものを愛でていることになるだろうか。 ただの気休めだとわかってはいるが、濃の足は自然に障子の方へ向いた。 ゆっくり、最初は細い隙間だけ開けて、庭の様子を窺った…のだが。 「え…?」 庭一面に、煌々と光が満ちている。 地面に、石の上に、小さな池を縁取るように、木の上にも光の塊がある。 否、ただの光ではない。 これは…。 「火…だわ」 そう、火だ。 それは延焼せず、器用に木の上やらに乗っかっているのだった。 「おっせぇなぁ、お前はよ」 煌々と照らされた庭の隅から、聞き覚えのある声。 驚いてまん丸になった目をそのままその声の方へ向けると、濃がたった今逢いたいと思っていた旦那がいた。 お武家の御屋形様らしくなく、尻が汚れることも構わずに地面に直接胡坐を描いている。 その掌には火の塊が乗っていて、信長はそれをぽいっとそこらに投げた。 そしてまた作って、またぽいっと投げた。 それが溜まりに溜まり、庭はこんなに幻想的な状態になっているのだった。 「盛をけしかけねぇと庭も見やしねぇ」 信長は“よっこいせ”と立ち上がり、またその掌に炎を出しながら濃にツカツカ近付いてきた。 近付くにつれ、濃は信長の手に乗っている火が華の形をしていることがわかった。 信長は直ぐに濃の前までやってきたが、濃は廊下の上に立っているので、信長より頭一つ高い。 信長の自尊心の高さは知っているので、濃はすぐさま庭に下りねばと思った…が、信長が手でそれを止めた。 「汚れるだろ、いいよ」 しかし、これは先程の信盛相手の時よりも居心地が悪い。 濃がどうしようもなくもじもじしていると、信長はちょいちょいと人差し指で濃を手招きならぬ指招きした。 「頭、寄越せ」 「え?」 「あ・た・ま!」 「あ…はい」 濃が少し頭を下げると、信長は濃の頭の上にぽんっと少し適当に火の華を乗せた。 もちろん、信長のそれは、濃の糸よりも細い繊細な髪を燃やしたりはしなかった。 「まぁ」 「おめでとさん、濃」 「おめでと…?きゃっ」 “何がおめでとうなのですか”と聞く前に、濃は信長に腕を引っ張られていた。 体勢を崩して庭に落ちるー…ことには当然ならない。 信長の手がくるりと濃の背中に回り、脚も支え、気付けば濃は信長の顔を下から見上げていた。 一体何がどうなっているのかわからないので信長の説明がほしいと思い、濃は信長をじっと見つめたが、信長と言えば辺り一面に散らばる火の華のせいでか頬を少し赤らめて、そっぽ向いたままである。 「…あんま見んな」 「……でも…」 「でもじゃねぇ!おら、ちゃんとしがみ付け。落とすぞ!」 「はい」 濃は躊躇いがちに、信長の首に細腕をくるりと回した。 暫く二人はその場に佇み、特に言葉を発するでもなく、辺り一面を煌々と照らす炎を見つめていたがー…。 「…おめでとう…」 「?」 「……お前、誕生日なんだろ?だから…おめでと」 「え…」 それっきり、信長はもう何も言いそうになかった。 完全に明後日の方を向いて、もう絶対に濃を見ないと決めた様だった。 しかし、濃はそんな信長の横顔をずっと見つめていた。 今度信長に“見んな”と言われても見続けようと、濃は濃で決めたのだった。 私が椿を好きな理由は、貴方がくれた勇気の華に似ているからです。 end ****** 神夜様リクエストの、織田夫妻です(^^) 本編では(まだ)出てない吉乃の名前だけ出しました。 濃は色んなゲームとかでは大体病んでるキャラですが、我が家の濃は世間知らずのお嬢様です(笑 神夜様、リクエストありがとうございました! これからもよろしくお願いします。 *back**next* |